裴松之先生の「罵詈雑言」劇場

ヘツポツ斎

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罵詈雑言劇場 蜀編

【巻三五  評】何以加之乎

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「正直管仲かんちゅうとか晏嬰《あんえい》よりも
 上と言わざるを得ないんじゃない!?」


評曰:諸葛亮之為相國也,撫百姓,示儀軌,約官職,從權制,開誠心,布公道;盡忠益時者雖讎必賞,犯法怠慢者雖親必罰,服罪輸情者雖重必釋,游辭巧飾者雖輕必戮;善無微而不賞,惡無纖而不貶;庶事精練,物理其本,循名責實,虛偽不齒;終於邦域之內,咸畏而愛之,刑政雖峻而無怨者,以其用心平而勸戒明也。可謂識治之良才,管、蕭之亞匹矣。然連年動眾,未能成功,蓋應變將略,非其所長歟! 

袁子曰:
或問諸葛亮何如人也,袁子曰:張飛、關羽與劉備俱起,爪牙腹心之臣,而武人也。晚得諸葛亮,因以為佐相,而羣臣悅服,劉備足信、亮足重故也。及其受六尺之孤,攝一國之政,事凡庸之君,專權而不失禮,行君事而國人不疑,如此即以為君臣百姓之心欣戴之矣。行法嚴而國人悅服,用民盡其力而下不怨。及其兵出入如賓,行不寇,芻蕘者不獵,如在國中。其用兵也,止如山,進退如風,兵出之日,天下震動,而人心不憂。亮死至今數十年,國人歌思,如周人之思召公也,孔子曰「雍也可使南面」,諸葛亮有焉。又問諸葛亮始出隴右,南安、天水、安定三郡人反應之,若亮速進,則三郡非中國之有也,而亮徐行不進;既而官兵上隴,三郡復,亮無尺寸之功,失此機,何也?袁子曰:蜀兵輕銳,良將少,亮始出,未知中國彊弱,是以疑而嘗之;且大會者不求近功,所以不進也。曰:何以知其疑也?袁子曰:初出遲重,屯營重複,後轉降未進兵欲戰,亮勇而能鬭,三郡反而不速應,此其疑徵也。曰:何以知其勇而能鬭也?袁子曰:亮之在街亭也,前軍大破,亮屯去數里,不救;官兵相接,又徐行,此其勇也。亮之行軍,安靜而堅重;安靜則易動,堅重則可以進退。亮法令明,賞罰信,士卒用命,赴險而不顧,此所以能鬭也。曰:亮率數萬之眾,其所興造,若數十萬之功,是其奇者也。所至營壘、井竈、圊溷、藩籬、障塞皆應繩墨,一月之行,去之如始至,勞費而徒為飾好,何也?袁子曰:蜀人輕脫,亮故堅用之。曰:何以知其然也?袁子曰:亮治實而不治名,志大而所欲遠,非求近速者也。曰:亮好治官府、次舍、橋梁、道路,此非急務,何也?袁子曰:小國賢才少,故欲其尊嚴也。亮之治蜀,田疇辟,倉廩實,器械利,蓄積饒,朝會不華,路無醉人。夫本立故末治,有餘力而後及小事,此所以勸其功也。曰:子之論諸葛亮,則有證也。以亮之才而少其功,何也?袁子曰:亮,持本者也,其於應變,則非所長也,故不敢用其短。曰:然則吾子美之,何也?袁子曰:此固賢者之遠矣,安可以備體責也。夫能知所短而不用,此賢者之大也;知所短則知所長矣。夫前識與言而不中,亮之所不用也,此吾之所謂可也。

吳大鴻臚張儼作默記,其述佐篇論亮與司馬宣王書曰:
漢朝傾覆,天下崩壞,豪傑之士,競希神器。魏氏跨中土,劉氏據益州,並稱兵海內,為世霸主。諸葛、司馬二相,遭值際會,託身明主,或收功於蜀漢,或冊名於伊、洛。丕、備既沒,後嗣繼統,各受保阿之任,輔翼幼主,不負然諾之誠,亦一國之宗臣,霸王之賢佐也。歷前世以觀近事,二相優劣,可得而詳也。孔明起巴、蜀之地,蹈一州之土,方之大國,其戰士人民,蓋有九分之一也,而以貢贄大吳,抗對北敵,至使耕戰有伍,刑法整齊,提步卒數萬,長驅祁山,慨然有飲馬河、洛之志。仲達據天下十倍之地,仗兼并之眾,據牢城,擁精銳,無禽敵之意,務自保全而已,使彼孔明自來自去。若此人不亡,終其志意,連年運思,刻日興謀,則涼、雍不解甲,中國不釋鞌,勝負之勢,亦已決矣。昔子產治鄭,諸侯不敢加兵,蜀相其近之矣。方之司馬,不亦優乎!或曰,兵者凶器,戰者危事也,有國者不務保安境內,綏靜百姓,而好開闢土地,征伐天下,未為得計也。諸葛丞相誠有匡佐之才,然處孤絕之地,戰士不滿五萬,自可閉關守險,君臣無事。空勞師旅,無歲不征,未能進咫尺之地,開帝王之基,而使國內受其荒殘,西土苦其役調。魏司馬懿才用兵眾,未易可輕,量敵而進,兵家所慎;若丞相必有以策之,則未見坦然之勳,若無策以裁之,則非明哲之謂,海內歸向之意也,余竊疑焉,請聞其說。答曰:蓋聞湯以七十里、文王以百里之地而有天下,皆用征伐而定之。揖讓而登王位者,惟舜、禹而已。今蜀、魏為敵戰之國,勢不俱王,自操、備時,彊弱縣殊,而備猶出兵陽平,禽夏侯淵。羽圍襄陽,將降曹仁,生獲于禁,當時北邊大小憂懼,孟德身出南陽,樂進、徐晃等為救,圍不即解,故蔣子通言彼時有徙許渡河之計,會國家襲取南郡,羽乃解軍。玄德與操,智力多少,士眾眾寡,用兵行軍之道,不可同年而語,猶能暫以取勝,是時又無大吳掎角之勢也。今仲達之才,減於孔明,當時之勢,異於曩日,玄德尚與抗衡,孔明何以不可出軍而圖敵邪?昔樂毅以弱燕之眾,兼從五國之兵,長驅彊齊,下七十餘城。今蜀漢之卒,不少燕軍,君臣之接,信於樂毅,加以國家為脣齒之援,東西相應,首尾如蛇,形勢重大,不比於五國之兵也,何憚於彼而不可哉?夫兵以奇勝,制敵以智,土地廣狹,人馬多少,未可偏恃也。余觀彼治國之體,當時既肅整,遺教在後,及其辭意懇切,陳進取之圖,忠謀謇謇,義形於主,

蜀記曰:
晉永興中,鎮南將軍劉弘至隆中,觀亮故宅,立碣表閭,命太傅掾犍為李興為文曰:「天子命我,于沔之陽,聽鼓鼙而永思,庶先哲之遺光,登隆山以遠望,軾諸葛之故鄉。蓋神物應機,大器無方,通人靡滯,大德不常。故谷風發而騶虞嘯,雲雷升而潛鱗驤;摯解褐於三聘,尼得招而褰裳,管豹變於受命,貢感激以回莊,異徐生之摘寶,釋臥龍於深藏,偉劉氏之傾蓋,嘉吾子之周行。夫有知己之主,則有竭命之良,固所以三分我漢鼎,跨帶我邊荒,抗衡我北面,馳騁我魏疆者也。英哉吾子,獨含天靈。豈神之祗,豈人之精?何思之深,何德之清!異世通夢,恨不同生。推子八陳,不在孫、吳,木牛之奇,則非般模,神弩之功,一何微妙!千井齊甃,又何祕要!昔在顛、夭,有名無迹,孰若吾儕,良籌妙畫?臧文既沒,以言見稱,又未若子,言行並徵。夷吾反坫,樂毅不終,奚比於爾,明哲守沖。臨終受寄,讓過許由,負扆莅事,民言不流。刑中於鄭,教美於魯,蜀民知恥,河、渭安堵。匪皋則伊,寧彼管、晏,豈徒聖宣,慷慨屢歎!昔爾之隱,卜惟此宅,仁智所處,能無規廓。日居月諸,時殞其夕,誰能不歿,貴有遺格。惟子之勳,移風來世,詠歌餘典,懦夫將厲。遐哉邈矣,厥規卓矣,凡若吾子,難可究已。疇昔之乖,萬里殊塗;今我來思,覿爾故墟。漢高歸魂於豐、沛,太公五世而反周,想罔兩以髣髴,冀影響之有餘。魂而有靈,豈其識諸!」

(漢籍電子文献資料庫三國志 934頁 ちくま5-153 批判)


○解説
 みんな大好き、陳寿ちんじゅ先生による「可謂識治之良才,管、蕭之亞匹矣。然連年動眾,未能成功,蓋應變將略,非其所長歟」の時間だよー!
 陳寿先生は諸葛亮しょかつりょうの実績を総括して、せい桓公かんこうを覇者に押し上げた管仲かんちゅうや、劉邦りゅうほうの軍務を完璧に支えきった蕭何しょうかクラスの才覚の持ち主である、と評しています。ただ連年の北伐でたいした成果を挙げられなかったことから察するに、その軍略はやや融通の利かないものだったんじゃないかな? と疑義を呈しておられます。
 ここに裴松之はいしょうし先生、たっぷりと他の方々の評価を付記しておられます。くっそ分厚い。ご自身がコメントされてないと言うことは、基本的にこの辺りの評には同意されてたってことなんでしょうね。
 袁準えんじゅん袁子えんし』。諸葛亮は劉備りゅうび勢力からすれば外様でしかないにもかかわらず、絶大な信任を受けていました! 礼節を失わず、粛然とした指示徹底! まったくその信頼されぶりはしゅう邵公奭しょうこうせき、すなわち周の武王ぶおうを大いに助け、国の立ち上がりから二代目成王せいおう、三代目康王こうおうの政務をも支えきった、この世で最も偉大な宰相と呼ぶべきお方に比すべきでしょう! それはまさしく孔子こうしが高弟の仲弓ちゅうきゅうに呼びかけた「仲弓、そなたこそが北に立つ主を仰ぐ民たちと向き合い、天下を統べるに相応しい」と語った評こそが相応しいと言えましょう!
 このあと質問者と袁準が諸葛亮の手腕を滔々と論じ合うのですが、この中で袁準は「いやまぁ諸葛亮は確かに融通の利く作戦指示はできなかったよ、けどひとりの人間に完璧求めんのって無茶じゃね? それ以外のところがとにかくすごいんだし。むしろ本人は自分が融通が利かないことを知悉した上で行動してる節があるじゃん。自分を正確に知ることのできる奴なんか尊敬するしかねーじゃん!」と語っています。
 張儼ちょうげん黙記もくき』。あるひとが張儼さんに質問したそうです。いわく「諸葛亮は確かによく戦ったけど、そもそも国力が全く違う訳じゃん、それをわかっておきながら戦い挑むとかってどう考えても明哲の者が取るべき手段じゃないと思うんだけど、このことあなたはどう思います?」と。すると張儼さんが回答します。いやいや劉備だって曹操そうそうに対抗してたじゃん、なんで諸葛亮が対抗したことだけ取り上げて「よくない」とか言うの? だいいち諸葛亮の統治っぷり見てごらんよ、だらしなかった蜀がすっかり整いきったじゃん。しっかり土台を整えた上で軍略を発するとか、!?
 王隠おういん蜀記しょくき』は、西晋せいしん後期の荊州けいしゅうに、ひとりの名将が赴任したことを描きます。かれの名前は劉弘。のちに起こる八王の乱~永嘉の乱で中華全土がグズグズになっていく中、その卓越した文武の手腕で荊州「だけは」平和をキープさせ切った化け物です。ちなみに三國志の時代に登場する劉馥りゅうふく、荒れきった合肥がっぴをその才覚で強固な城塞に修復した能吏の孫です。そんな彼が、諸葛亮が仕官するよりも前に住んでいたという庵に足を運び、諸葛亮を賞賛する石碑を建てました。それは言い換えれば、彼の荊州統治に対する決意表明のようなものだったのでしょう。ともあれそこには「偉大なる諸葛亮様、あなたと同じ時を生きることができなかったことを憾みに思います。その知謀にしてその謙虚さ、そして蜀をみごとに治め切られた手腕。遙か後世よりあなた様が残された功績を思えば、そこには古の皋陶こうとう伊尹いいん、あるいは管仲や晏嬰を思い起こさずにはおれません」と記されていました。
 あれっ蕭何いないんだ?


○皆様のコメント
・波間丿乀斎
 これ、五つの発言者のタイムライン整理しないと危ないやつですねー。順番はおおよそ袁準or張儼→陳寿→王隠→裴松之です。陳寿は袁準および張儼の著述を読んで評を著した可能性があり、「袁子曰:亮,持本者也,其於應變,則非所長也,故不敢用其短。」の部分は、むしろ陳寿が拝借して持ってきた可能性がある、というわけですね。この辺、タイムラインをきっちり把握できてないと色々やっちゃいけない解釈違いとか生じさせる感じがあって恐い。まぁなんにせよ、これだけの長文がどどんと載ってると、さぞかし考察とかも楽しいんだろうなあ、と思います。ぼくはそれやってる暇ないですが。
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