獣血の刻印

小緑静子

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七話 満月の夜(2)*

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 泉は木々に覆われるように、窪んだ場所にあった。

 木漏れ日のように落ちた月明かりが、水面をささやかに照らしている。おかげで泉のそばは、夜とはいえ、暗闇ほどではなかった。

 悠真はるまは水際の木に背を預ける姿勢で座らされた。

 なんの相談もなくジーンズを脱がされ、留め具が聞き慣れない音をたてる。なんだろう。まるで酒に酔ったように焦点がおぼつかないため、確かめることができない。しかし窮屈な前がいささか解放され、わずかに意識が戻ってきた。

 左ももに濡れた布をそっと当てられ、痛みに声をあげる。腿から這い上がる刺激から逃げようと身じろぐと、左の足首をジヴァンに掴まれた。

「な、に……」
「動くと処置ができない……火傷はそこまで酷くないが、話せるか?」

 悠真はゆるゆると頭を振った。馥郁ふくいくとした甘い香りに、脳が痺れを感じている。耳を通る声は心身を震わせてくる。そのうえ足首を掴む手によって、全身を焦がしてくる熱を無視できない。

 ──くるしい……。

 特に下着で隠している自身がそれを主張している。悠真は無意識に下半身へ手を伸ばした。人前だというのに恥じらいもなく。ただ楽になりたい一心だった。だが指が思うように動かず、手を添えるだけで、それ以上のことができない。ひどくもどかしい。悠真は内に巡る熱をなんとか冷まそうと、乱れた呼吸をくり返した。

 ひとつ、自分のものではない溜め息を聞く。

「いまの状態じゃ訊いたところで無理だな」
「あ、や……っ」

 小さな刺激でも震える悠真の体を、ジヴァンは軽々と持ち上げ、背後から抱き込んだ。乱暴ではないが大きな動きに、悠真の脚はびくりと跳ねる。下着に小さな滲みがひろがり、同量の熱が体内から解放された。

 痴態を晒した、という羞恥心がめばえるほどに意識は戻り、悠真は顔を赤らめ、困惑した。

「あんたが、ちかくにいると、からだが、へん、になる……」
「他には?」

 悠真の粗相など気にならない。そう言わんばかりに、ジヴァンは背後から淡々と訊く。

「わから、ない……あ、やめ……くうっ」

 むしろ異変を確かめようと、悠真の体をまさぐりだした。木陰だからかローブを脱がされ、Tシャツに大きな手が潜り込む。骨ばった指は背中と胸元をさすり、素肌を外気に触れさせた。

 やめろと言いたかった。だが、あられもない声が口をつくので、悠真は唇を噛み締めた。代わりに、体を挟むジヴァンの両脚に爪を立て、抗議する。それでも彼の手は止まってくれなかった。

「我慢しろ。症状を確かめなければ、対処のしようがないだろ」

 服をたくしあげられ、顕になった薄い腹筋にてのひらが這う。荒れた厚い皮膚や、固い豆の痕が、なめらかな肌を刺激した。

 悠真はその手つきに堪らなくなり、ジヴァンの片腕にすがりつく。濃密な香りと快楽に溺れそうで、怖かった。

 それなのに容赦なく片脚を抱え上げられ、敏感な節節から力が抜ける。腕はずり落ち体勢を崩したが、ジヴァンの片腕によって姿勢を戻された。胸元に頭を預けた際、二の腕の状態も確かめられる。手加減のない刺激が続き、悠真は堪えきれず、甘い声を上げた。

 自然と瞳に涙がにじむ。身に余る快楽に、自身が限界を訴えたからだろう。下着が濡れて気持ちが悪い。だが、自由がきかない体のせいで、どうすることもできない。

 悠真はむせ返る香りから息継ぎをするように、

「たすけて……」

 と、か細くないた。

 するとあごを掴まれ、ぐっと上をむかされる。思わず目を瞑ると、ジヴァンの親指が唇を割り、舌を抑えつけてきた。驚きなのか快楽なのか、わからない反応を体はみせる。

 全身はびくりと震え、とうとう涙が一粒こぼれた。

「指は噛んでもいいが、舌を噛むなよ」

 いつか訊いた、寄り添うような声音が降りかかる。うっすら目蓋をあげると、ジヴァンがこちらを覗き込んでいた。感情が乏しい表情とは裏腹に、目顔は気遣わしげだ。

 悠真はわずかに落ち着きを取り戻し、瞬きをひとつだけ返す。

 ジヴァンに任せる。そう意味を込めて。

「ああ……っ」

 瞬時、下半身に甘い刺激を与えられた。下着をずらされ、反り出た自身が大きな手に包まれる。先走りは止めどなくこぼれ、ささくれた指によって、上下に塗りつけられた。

 さりっとした快感に腰は遠慮なく跳ねる。

 ──もっと。

 悠真は、やっと与えられた刺激に、たかが外れた。

 ジヴァンの両腕に手をかけ、腰を弱々しく振りだす。まるで相手の手を玩具にするような腰つきだ。上気する息を小刻みに吐きだし、口の端から唾液が垂れても、気にする余裕はなかった。

 それよりもジヴァンの親指から漂う濃密な香りに、腹がすいてしまう。舌の代わりに唇で親指をやわく食み、吸いついてみる。これが腹におさまれば、どれだけ満たされるだろうか。そんな誘惑をおぼえた。

 惹きつけられ、歯を立てる。微かな鉄の味が口に広がり、はっと正気を取り戻す。

 ──ひとを食べるなんて、ありえないだろ。

 悠真はぼろぼろと泣きだしてしまった。

 人間とは思えない恐ろしい発想をした自分が怖い。それなのに、自身はいまだ脚の間で反り返り、白濁をこぼしている。心と体が引き裂かれそうだった。

 そんな悠真の口から、指を抜いたジヴァンは、震える小さな体を片腕で抱きしめた。

「余計なことは考えるな」

 穏やかな声音が耳を撫で、混乱する思考を落ちつかせてくる。

「いまは与えられた快楽だけ拾え。おまえはなにも、悪くない」

 頭を預けた胸元が言葉にあわせて上下する。その振動が、言葉と共に悠真を優しくなだめた。

 唾液で濡れた親指が、唇をふにりと揉む。

「噛まれるつもりで、おまえに指をやったんだ。おれにも考えがある。だから気にするな。いいな?」

 口端を上げるのとは違い、諭すような笑みを向けられると、悠真は素直に頷いた。不思議と涙はおさまっていた。

「んあ、う、んん……っ」

 再び自身への律動が始まり、悠真は甘美な刺激に集中した。

 快感を与える大きな手を掴み、たどたどしく腰を振る。早急に処理するには無理な動きだろう。それでもジヴァンは急かすことなく、調子をあわせてくれた。いたわるような手つきが愛おしく感じ、

 ──ほしい……っ。

 忘れた感情を呼びおこす。彼のすべてを心が求めていた。

 体の内側に存在を引き入れ、溶かしてしまいたい。混ざり合うことで、彼を自分の一部にしたい。それができれば、どれほどの喜びが与えられるだろう。想像するだけで興奮してしまう。だが、

 ──どうすればいいのか……わからない……。

 悠真の意識はじょじょに混濁していった。欲しいという感情だけに動かされ、舌を抑える指をたくみに舐め上げる。甘い香りと味に、自身が張りつめるのがわかった。いまかいまかと白濁をこぼす。

 ──でも、たりない……。

 心が満たされないため、体が許可しない状態だった。

 片膝を上げ、ジヴァンの手すらきつく挟み込む。それは言葉を忘れた本能的な行動といえた。無理矢理つよい刺激をあたえ、体だけでも楽になろうとする。

 それを察したのか、骨ばる指が、悠真の動きにあわせて自身を指圧した。彼の体温を強く感じ、ますます呼吸が荒くなる。

「あっ……も……っ」

 息苦しさから目を瞑った。いける、と思った。いった、と思った。

 しかし視界を確認すると、痙攣する脚のあいだで、それは反り立ったままだった。出たはずのものが出ていない。ジヴァンの手も、先走りを除けば綺麗な状態だった。

 ──なんで?

 朦朧とする意識のなかでも疑問が浮かぶ。悠真は味わったことのない感覚に混乱した。

 不安から、尋ねるように背後を仰ぐと、黙考するジヴァンの様子がうかがえた。

 ふと、こちらを見下ろした彼は静かに言う。

「……おまえには悪いが、好都合だな」

 なにがとは訊けなかった。ジヴァンの手が舌から離れ、口寂しく感じたからだ。

 下着を完全に取りはらわれ、両方の膝裏を抱え上げられる。無防備となった尻は外気に震え、腿と腹に挟まれた自身は苦しそうに雫をこぼす。その様子が、自分の体だというのに、かわいそうだと思えた。

 指先でそっと白濁を拭うと、ジヴァンに「そのまま触っていろ」と指示される。悠真はぼんやりと従った。

 その途端、晒されていた尻の秘部を撫でられる。ぞわりとなにかが駆け上がった。反動で脚が小刻みにびくつく。火傷の痛みも助長され、逃げだしたくなった。

「不快だったか?」

 ジヴァンが暴れる脚をがっしりと抱えたまま問う。不快かどうかなど、いまの悠真にわかるはずもない。だが、秘部に当てられた熱を意識し始めると、瞳に期待の色があらわれた。

 肉を隔てたすぐそこに、ジヴァンを取り込みたい場所がある、気がした。口からよりも近く、確実な距離。

 興奮から息があがり、秘部に触れるジヴァンの腕を掴む。まるで逃さないとでもいうかのように。腰を早急に動かし、彼の指に押しあてる。

「い……っ」

 ぴりっとすぼまりから痛みがはしった。驚き動きを止めてしまう。

「当たり前だ。準備もなく、どうこうできる場所じゃない」
「やだ……あっ」
「ほぐしてやるから少し待て。でないと前立腺にとどかない」 

 駄々をこねた悠真を宥めるように、ジヴァンが秘部を撫でてきた。

 わずかな白濁と唾液を頼りに、親指の腹で皺をのばされる。熱が引っかかるたびに、期待に心が膨らんだ。

 すぐそこだ。もうすぐとどく。ぎらつく思考が辛抱できず、体を強張らせた。

「おい、力を抜け」

 そんな叱責は耳にはいらなかった。もちろん、ジヴァンの諦めたような溜め息すら。

「いあっ!」

 秘部に爪を立てられ、痛みに叫ぶ。そうして刺激が去り、息をついた瞬間、 

「あああ……っ!」 

 つぷり、と何かが肉を割り、内側に押し入ってきた。

 ひどく大きなものに感じたが、それはジヴァンの親指だった。

 存在感と熱が腹へ一気に駆け上がる。脚は激しく震え、腰も跳ね上がり、全身が痙攣する。自身はようやく解放された、と悠真の手の中で白濁をまいた。

 叫んだ拍子に舌先を噛んでしまったが、そんな痛みは気にならなかった。

 心が歓喜に包まれている。ようやくとどく。待っていたと。押し殺し続けていた感情が手招いている気がした。

 しかし、ほとぼりが冷めていくように、意識がじょじょに沈んでいく。

 内側の声は遠のき、草木が擦れるような乾いた音がした。

 泉を囲む木々が、風に揺れたのだろうか。

 そんなことを、悠真はぼんやりと考え、眠りについた。
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