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一章 結成!自警団

17話 さらわれたニール

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「ニールーっ!」

 アロンの呼びかけも空しく、ニールを捕まえた魔物は空の彼方に消えていく。

「そんな……どうしよう……」

 震える声でエンディが言った。

「おいかけるぞ! ニールを助けなきゃ!」

 走り出そうとしたアロンの腕をルメリオがつかんだ。

「待ちなさい、追うのは無茶です!」
「だって、助けないとニールがたべられちゃうだろ!」
「しかし……」

 このまま魔物の後を追い、ニールを助け出せるという確証はない。だが、今から王都に戻り騎士団に助けを求めるのでは時間がかかる。それに、騎士団に取り合ってもらえるとも限らない。
 アロンはルメリオの手を振り払った。

「おれは行く! ニールならぜったいにこんなところで立ち止まらない!」
「そうか、そうだよね。アロン、僕も行くよ!」

 意を決したアロンとエンディが、魔物の去った方向へと駆け出す。その後にギーランが続いた。

「おい、俺にもあのでけぇのと戦わせろ!」

 残ったのはルメリオとゼレーナだ。ゼレーナは小さくため息をついた。

「子供二人と筋肉馬鹿だけには任せられませんし、このまま何もしないでニールに死なれたら寝覚めが悪すぎます」
「……貴女がそう仰るならお供致します。どのみち怪我人も出るでしょうから」

 先を行く仲間たちを追い、二人も走り出した。

***

 どのくらい飛んでいるのだろう。ニールは未だ魔物の足にしっかりと握られたままだった。
 行きつく先はこの魔物の巣だろうか。このままでは間違いなく餌食にされてしまう。しかし両腕ごと上半身を固定されており、剣を抜くことができなかった。
 ニールの眼下には森が広がっている。魔物のもう片方の足には、同じように捕らえられた眼帯をつけた青年がいる。
 ニールはふと、青年が身をよじっていることに気づいた。魔物の足の拘束から、片手だけが抜け出た状態になっている。その手には刃物が握られていた。
 青年がそれを魔物の足に突き刺した。魔物が叫び声を上げ激しく体をばたつかせる。その時、二人をつかんでいた足の指が開いた。

「あっ……!」

 ニールと青年は、青々と茂る木々の中に真っ逆さまに落ちて行った。
 風を切る音が聞こえ、次に木の枝が無数に折れる音に変わった。全身に突き刺すような痛みを感じた後、ニールの体はどさりと地面に落ちた。

「いてて……」

 ニールはふらふらと身を起こした。体中、木の葉と小さな枝にまみれ、擦り傷や切り傷もできてしまった。痛みはあるが手足は動くため折れてはいないようだ。木の上に落下できたことは僥倖ぎょうこうだった。無事に生きて、魔物から逃れることができた。
 少し離れたところに、眼帯の青年が立っていた。その方に歩み寄ると彼の目がニールを見た。うまく受け身をとったようで、青年に大きな怪我は見られない。

「助けてくれてありがとう。良かったら、名前を教えてくれないか」
「……イオ」
「よろしくな、イオ。それでさ……どうやったら帰れるか分かるか?」

 ニールは周りを見渡しながら言った。空からこの場へいきなり放り出されたため、方向感覚があいまいだ。
 イオは黙ってしばらく空を眺めた後、ニールの方に視線を戻し、すたすたと歩きだした。ついてこい、という合図だと解釈したニールはその後を追った。

***

 道中、イオは一言も話さなかった。常に周りを警戒しながら生きる野生の獣を思わせる。人と話すのが好きなニールですら話しかけることをためらってしまう程だった。少なくとも敵とは思われていないはずだが、友好的とも言い難い。
 今の正確な時間は分からないが夕刻に差し掛かる頃だろう。明確な命の危険に晒されたためか、体がまだ痛むせいか、かつてない程ニールは心細い思いをしていた。故郷を出てから、たった一人でいた時より仲間と行動していた時間の方が長い。森を無事抜けられるのか、再び仲間と合流できるのか――不安が募る。
 開けた場所に出たところでイオが立ち止まった。何かの気配を感じたのだろうか。ニールが様子をうかがっていると、彼が口を開いた。

「ここで待っていろ」
「えっ?」
「お前のその様子では、日が暮れる前に森を抜けるのは無理だ。夜を越すなら今から準備がいる」

 重症ではないにしろ、傷を負ったニールの歩く速度は落ちている。ルメリオがいてくれれば魔法で治してくれるのだが。
 どこかへ行こうとするイオに、ニールは慌てて呼びかけた。

「俺に手伝えることは」
「いい。そこにいろ」

 食い気味にイオが言い、足早に向こうへと消えていく。彼は今までニールとはぐれないように歩幅を合わせてくれていたのだろうか。
 イオに言われるがままニールはその場に座り、彼が戻るのを待った。

***

 そのままイオは戻って来ないのではないか――ともニールは考えたが、それは杞憂きゆうだった。しばらくして彼は、腕に乾いた枝をたくさん抱えて戻ってきた。それを地面に放り出すとまたその場を後にし、今度は木の実やキノコ、小動物を狩って運んできた。
 慣れた手つきで枝に火をつけ、立派な焚火で肉が焼ける頃には日は傾きかけていた。
 腹を満たし、膝を抱えてぱちぱちと燃える火を見つめるニールに、イオが緑色の葉を三枚差し出してきた。ふちがぎざぎざしていて、少しつんとした匂いがする。

「これは……?」
「手で潰して傷口に塗れ。何もしないよりましだ」
「ありがとう!」

 葉からしみ出した汁は傷に塗るとひりひりしたが、イオの気遣いが嬉しかった。

「ごめん、俺、助けてもらってばかりで……」
「……魔物から逃げるには、ああするしかなかった」
「イオがいなかったら今頃、死んでたかもしれない。本当にありがとう」

 イオはニールから少し間を開けて座った。野営の準備の手際の良さは目を見張るものだが、彼はどこから来たのだろう。
 ニールが口を開きかけた時、イオが弾かれたように立ち上がった。二振りの剣を抜き、辺りの様子をうかがっている。

「イオ?」
「何かいる」

 焚火の周りは明るいが、少し離れれば暗闇だ。魔物に出会ってしまっても今のニールは満足に戦えない。
 耳を澄ませると、話し声のような音が聞こえてきた。次第に近づいてくる。それが聞きなれた声であることに気づき、ニールは思わず声をあげた。

「皆!」

 暗がりの中から現れたアロンが、ニールを見てぱっと顔を輝かせた。走り寄ってきてぎゅっと抱き着く。

「ニール! よかったぁ、生きてたー!」
「アロン、探しに来てくれたんだな」

 アロンの頭を撫でて顔を上げると、エンディ、ギーラン、ゼレーナ、ルメリオが続いてやって来るのが見えた。

「ニール、無事だったんだね!」
「大将もなかなかしぶてぇ奴だな」
「呑気に焚火の前でくつろいだりなんかして……わたしたちがどれだけ走ったと思ってるんです?」

 ゼレーナは得意の毒を吐いたが、本気で怒っている訳ではないのが見て取れた。

「勝手に飛び出してこんな怪我までして、まったく貴方という人は……」

 ルメリオがぶつぶつ言いながら、ニールの体に治癒魔法を使ってくれた。
 ここまで来てくれた仲間たちの姿を見て、ニールの胸が安堵で満たされる。

「迷惑をかけてごめん。イオが助けてくれて、なんとか魔物から逃げられたんだ」

 イオは剣こそしまったものの、距離をとって仲間たちにいぶかし気な視線を送っている。ニールは彼に向かって微笑んだ。

「イオ、安心してくれ。皆は俺の仲間なんだ」
「もうくたくたです。休ませてください」

 ゼレーナが焚火の傍に座り込んだ。

「イオ、皆も一緒に休んでいいか?」
「……食料を採ってくる」

 イオはそう言って闇の中に消えていった。それは同意を表すのだということが、ニールには分かっていた。

***

 簡単な食事をとり、ニールたちは枝の爆ぜる音に耳を傾けていた。
 アロンはかなり疲れていたようで、あぐらをかいたギーランの膝に頭をのせてすっかり夢の中だ。

「アロンとギーランはすっかり仲良しだな」

 ニールが言うとギーランはふん、と鼻を鳴らした。

「別に良かねぇよ。こいつが勝手にまとわりついてくるだけだ」
「……百歩譲って野宿はいいとしても、枕ぐらいは欲しいですね」

 ゼレーナがこぼすと、ルメリオがにっこり笑って自分の膝を軽くたたいた。

「でしたらぜひともわたしの膝をお使いください」
「嫌です。それなら泥の中で寝る方がましです」

 エンディがふふっと笑った。今はフードを外しており、白い髪に赤い炎の輝きが反射している。

「僕、こういうの初めてなんだ。何だか楽しいね」
「ああ、そうだな」

 ニールはイオの方をちらりと見た。一言も喋らず、時々周りの様子をうかがうように顔を上げる以外は、目の前の炎を見つめているだけだ。

「皆、疲れているだろうから寝てくれ」
「誰が見張りをします?」

 ゼレーナに答えたのはイオだった。

「……俺がする」
「こういう時は二人で見張るもんだ。片方が寝たら片方がたたき起こす」

 ギーランの助言に、じゃあ、とニールは名乗りを上げた。

「俺が一緒に見張るよ」

 イオはまだ、ニール以外に心を許していないように思える。もっともニールにも許しているとは言い難いが、この中でならニールが担当した方が気まずい空気にはならないだろう。
 ゼレーナとエンディがその場に横になった。

「大将、後で起こせ。代わってやる」

 ギーランがそう言ってアロンの頭をそっとずらし、自分も寝そべった。アロンを雑に扱わないあたり、気の良い男だとニールは思う。

「私も後で代わりますね。一旦お休みなさい」

 ルメリオが帽子を顔に被せて横たわる。ほどなくして皆が寝静まり、起きているのはイオとニールだけになった。

「皆、いい奴ばっかりだろ?」
「……何なんだ、お前たちは。何を目的に集まっている?」

 イオに言われ、ニールは眠る仲間たちを見回した。まだ子供のアロンから、ニールより一回り以上も年上のギーラン、貧民街に住むゼレーナに、貴族の生まれのルメリオ、特徴的な風貌のエンディ……共通点もなく、端から見れば不思議な集まりだろう。

「色々あって出会って、俺が声をかけてついてきてくれたんだ。魔物に苦しめられている人たちを守るために戦ってる。俺、考えるより先に体が動くことが多くてさ、昼間、あの大きな魔物にイオが一人で向かっていった時も放っておけなくて……勝手に飛び出しちゃったけど、皆、こうして探しに来てくれた。俺にとっては大事な友達でもあるんだ」

 仲間はそれぞれ得意なことも考え方も違う。そんな彼らが、単身王都に渡ってきたニールにとって大きな支えになっていた。今回、彼らとはぐれたことでそれを痛感した。

「なぁイオ、俺も聞いていいか?」

 イオは黙ってニールの顔を見ている。続きを促しているのだととらえた。

「イオは一人で旅をしているのか?」
「ああ」
「さっきも一人で冷静にてきぱき動いてて、すごいなと思ったんだ。何か旅の目的があるのか?」
「……何もない」

 イオは静かに答えた。

「そうなのか? 本当に理由はないのか」
「……ああ」

 訳もなくたった一人で放浪するなんて、何か難しい事情があるのだろうか。もしかすると天涯孤独なのかもしれない。
 もっと聞いてみたいことがあったが、あまり根掘り葉掘り尋ねるときっと嫌がられてしまう。

「そっか。教えてくれてありがとう」

 それから見張りの交代の時まで、イオは何も言わなかった。
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