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二章 騎士団と自警団

6話 魂を紡ぐ物語

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「申し訳ございません、ぼっちゃんは誰にもお会いしたくないとのことです」

 使用人の初老の女性が頭を下げた。
 エンディが倒れてから数日後、ニールは彼の屋敷まで足を運んだがエンディが会ってくれることはなかった。
 それから何度か同行する仲間を変えたりもしたが、結果はいつも――アロンとフランシエルを伴って訪れた今日も同じだった。

「もしかしてまた寝込んでいるのか?」
「いえ、お体の具合は良くなっております。ですがお部屋に閉じこもっておりまして……」

 使用人も心配そうにしている。彼女は申し訳なさそうにもう一度頭を下げた。

「そうか……分かった。また今度来るよ。エンディによろしく」

***

「エンディ、おれたちのこと嫌いになっちゃったのかな……」

 帰り道、しょんぼりとした様子でアロンが言った。

「そんなことないさ。きっと何か思うところがあるだけだよ」

 アロンの頭を撫でて慰めたものの、ニール自身も不安だった。エンディとはまったく話ができていないため本当の気持ちが分からない。
 病を患っていながら、エンディは前向きな少年だった。空いた時間にゼレーナと一緒に魔法の訓練を一生懸命にしていた。年相応な一面もあり、カード遊びでルメリオを三回連続で負かし嬉しそうに笑っていた。宿屋の隅でイオが様々な植物を混ぜ合わせて毒や薬の調合をしている様子を、穴が開きそうなほど熱心に見つめていた。
 いつも魔法を放つ時に複雑な口上を述べるが、それにも彼なりのこだわりがあるらしく、うんうんと頭をひねっている時もあった。

「ねえ、本当にこれでいいのかな……」

 フランシエルがぽつりと言った。

「エンディが病気なのは本当だし、危ないことしてほしくないのはもちろんだけど……あたし、何が正しいのか分からない」
「そうだな……俺にも、分からない」

 危険がともなう自警団の活動に、病の身であるエンディをわざわざ参加させるのは得策ではない。しかし、病を背負っても誰かの役に立ちたいと頑張っていたエンディの思いを無視することになってしまうのではないだろうか。ニールもこの数日、ずっと考えていたことだ。
 自分がもしエンディと同じ立場なら、どうして欲しいだろう――

「ニール!」

 名前を呼ぶ声によってニールは現実に引き戻された。前方からゼレーナ、ルメリオ、ギーラン、イオが走ってくる。

「皆、どうしたんだ?」
「王都の外で魔物が出たと連絡がありました、結構な大物みたいなので総出でかかる必要がありそうです」

 ゼレーナが告げる。ニールは気持ちを切り替えて頷いた。

「分かった、行こう!」

***

 エンディはぼんやりと自室で本に目を落としていた。大好きなはずの本の内容がいまいち頭に入ってこない。
 ニールたちが何日かおきに訪ねてきてくれているのは分かっていたが、元気な仲間たちの姿を見てしまったら、行き場のない感情をぶつけてしまいそうで会う気になれなかった。彼らは何も悪くない。せっかくできた友人を失いたくない。
 エンディは本を閉じ本棚へ戻した。次に読むものを選ぼうと並んだ背表紙を眺めていると、ふと棚の端に押し込められた紙の束が目に入った。引っ張り出して見てみると、それには表面にびっしりと字が書き連ねてあった。
 エンディが書いたものだった。数年前、本をただ読むばかりなのに飽きて自分で何か書いてみようと思い立ったものだ。
 内容はある騎士が活躍する英雄譚だった。漆黒の鎧で全身をかため、水晶とダイヤモンドでできた剣と竜の皮から作られた盾を持っている。大わしのような金色の翼と銀色の一本角を額から生やした白馬にまたがり、天も地も自由に駆け回る。
 妖精に育てられた騎士で、動物の言葉を話すこともできる。手にした剣でどんな魔物も瞬く間に倒してしまう。だが強さに溺れることはなく勇気と優しさに溢れ、人々はみな彼を称える――
 文章も展開も粗ばかりが目立ち、とても他人には見せられない内容だ。この物語の騎士はエンディの理想だった。なりたかった自分だ。
 その物語を読んでいるうちに、失いかけていた前向きな気持ちが蘇ってきた。誰かのために精一杯生きたいという願い。騎士になれなくても、自警団の中でならそれを遂げることができる。
 いつ訪れるとも分からない死をただじっと待つだけで、自分の物語を終わらせたくない。閉じこもってただ本を読むより、自分の肌で多くのことを感じたい。死神に愛されているのだとしても、まだこの命を渡したくない。

「死神さん」

 エンディは虚空に向かって語り掛けた。

「そこにいるのなら聞いて。僕は一生、病気のままでいい。大人になれなくてもいい。だけど、もう少しだけ時間が欲しい。友達の助けになりたいんだ」

 心に灯った決意の炎が、どんどん大きくなっていく。

「僕が死んだ後は、魂を好きにしていいよ。死神の仲間になれっていうならそうする。安らかに眠れなくてもいい……だからお願い、力が欲しい!」

 言い切ると同時に、体の中で何かが弾ける感覚があった。力がふつふつと湧いてくる。じっとしてなんていられない。
 エンディは衣裳だんすの方へ駆け寄り、中にかけてあったいつもの藍色のローブを被った。フードで頭を覆い、鏡に映ったその姿は影のようなのに、どこか輝いて見えた。
 アルフォンゾは出かけている。使用人がいない隙をついて、エンディは屋敷の裏口から飛び出した。
 ニールたちは今どこだろう。月の雫亭に行けば誰かいるだろうか。通りを早足で行くエンディを、一人の男が呼び止めた。

「あんた、自警団の仲間じゃないか?」
「そうです、皆とはぐれてしまって……どこかで見かけませんでしたか?」
「魔物が出たっていって、皆そっちに行ってるはずだ。確かに西門から出て行った。まだそんなに時間は経ってない」
「ありがとうございます! 行ってみます!」

 エンディは自分の体に魔力を走り廻らせた。こうすると、長距離を走ってもあまり疲れずにいられる。
 目的地を目指して、エンディは真っすぐ走り出した。
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