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13話 信じられるものは何
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わたしの姿を見て、ディオンはいくらか冷静さを取り戻したらしい。ユーディニア様の手首をつかんでいた指から力が抜けた。
「……カルロ、すまない。だがこれ以上は」
「ええ。分かっています」
「何なの……? これは、どういう……?」
ディオンの手から自由になったユーディニア様が呆然としながら、わたしとカルロを交互に見る。わたしは一歩、彼女の方へ踏み出した。
「申し訳ございませんユーディニア様、今までのやり取りをすべてカルロと一緒に見ておりました」
「どうして……い、いえ、そんなことどうでもいいわ」
今度は我に返ったユーディニア様がわたしと距離を詰める。
「ねえお願い、彼を譲って頂戴! 代わりにあなたの欲しいものを何でも用意するわ、お金がいいなら納得できるだけの金額を」
「お断りします」
きっぱりとわたしは告げた。未だディオンを諦めようとしないその態度に、ふつふつと怒りが湧いてくる。
「ディオンは物ではありません。譲る、譲らないはわたしやあなたが決めることでもありません。彼がわたしの夫でいたいという気持ちが全てです」
それに、とわたしは続けた。
「ユーディニア様、あなたはディオンを本当に愛していない。ただ自分に都合のいい人形が欲しいだけ。彼をそんな風に扱うのはやめて下さい。彼が侮辱されるのは許せません」
きりり、とユーディニア様がわたしを睨む。
「愛、愛って……! じゃあ聞くけど、この先もずっと気持ちが変わらないって言いきれるの!? 何が起こるかも分からないのに?」
「はい、変わりません」
「証拠を出してみなさいよ!」
「……証拠として、今お見せできるものはありません」
ほら、と言いかけたユーディニア様の言葉をわたしは遮った。
「わたしの隣に彼がいて、彼の隣にわたしがいるのは、もう当たり前のことなんです。夜が必ず開けて朝になることや、冬の雪が溶けて必ず春が来ることと同じ。疑う余地なんてない確かなことです」
「そんなの……」
「傲慢な考えなのかもしれません。ですがわたしは彼を尊敬していますし、愛しています。そして彼が愛してくれるわたし自身を、大切にしたいとも思います」
料理が上手なこと、馬術に優れていること、剣の腕がたつこと……もちろんそれらもディオンのすごいところだけれど、わたしが最も尊敬しているのは、どんな逆境にいても、苦しい思いをしていても、自分にできることを常に探し続ける生き方だ。
そんな彼の姿勢はわたしのことも強くしてくれる。危険な魔物を相手にしなければならないときも、必ず生きて彼のもとに帰ろうと思わせてくれる。彼がいる世界を守るための勇気をくれる。
わたしがディオンにしてあげられることはそう多くないけれど、わたしがいることで彼の世界が輝くのなら、彼の隣で精いっぱいに生きたい。
「ユーディニア様の仰る通り、この先に何が起こるかなんて分かりません。わたしたち二人ともが穏やかな死を迎えることができるとは限りません。でも、何があったとしても、ディオンを愛したことについてわたしは絶対に後悔しません」
「……っ」
ユーディニア様の顔が歪む。どうあがいてもディオンが手に入らないことはもうとっくに分かっているはずだ。 大粒の涙が彼女の目から次々と溢れ出た。
「どうして……」
小刻みに体が震わせながら、声を絞り出す。
「わたしが何をしたというのよ……こんなに我慢してきたんだから、欲しいものの一つくらい、与えられたっていいじゃないの……!」
いつも堂々と振舞っていたユーディニア様が、小さな子供のようにしゃくり上げる。
大好きなお父さんがある日突然自分を置いていって、優しかったお母さんは豹変してしまって。やがてはそのお母さんもいなくなり、独りぼっちになったところにのしかかったのは統治者としての重圧。
彼女の苦しみは想像を絶するものだろう。でも、だからといって何をしても許されるわけではない。
過去に受けた傷のせいで、ユーディニア様の心は歪められてしまっている。自ら命を絶った彼女のお母さんは娘に何を話したのだろう。地位や富を与えることしか人の心をつなぎ留める術がないと思い込んでいる、それはとても悲しいことだ。
それでも、ユーディニア様は自分の力で立ち上がらないといけない。目に見えなくても信じられる確かなものがあると気づかなければいけない。
彼女のことを支えたいと思っている人がいるのだから。
「……ユーディニア」
ずっと黙って成り行きを見ていたカルロが口を開いた。
「ごめん、この計画を考えたのは僕なんだ。お二人に協力をお願いしたのも、全部僕だ」
ユーディニア様の視線が彼の方に向けられる。
「ユーディニア、辛いのは分かる。でもこんな……誰かの幸せを平気で奪うような人になっては駄目だ。ディオンさんの言う通りだよ。そんなやり方で幸せになろうとしても、空しいだけ……」
「うるさいっ!」
ユーディニア様が怒鳴り声を上げ、カルロは口をつぐんだ。
「信じたわたしが馬鹿だったわ。カルロがこんなに上手い話を持ってくるはずなかったのよ。だってあなたは役立たずだもの!」
「閣下!」
ディオンが語気を強める。だが彼女は怯まなかった。
「どうせ誰にもわたしの気持ちなんて分かりっこないわ! 信じられるものなんて何一つない! 絶対なんてものも、あり得ないのよ!」
「ユーディニア……!」
「気安く呼ばないで! あなたなんて顔も見たくない! 全員ここから出て行きなさい!」
吠えるように叫び、ユーディニア様がわたしたちに背を向けて走り去る。静寂が辺りを包んだ。
「……ここまで頑なだとは」
ディオンがため息をつく。
「カルロ、大丈夫?」
「……ええ。ディオンさん、セシーリャさん、本当に申し訳ありませんでした」
わたしたちに向かい、カルロが深々と頭を下げる。一番傷ついているのは彼のはずだ。
「帰りの馬車をすぐに用意しますね。今後、ユーディニアがお二人の邪魔をすることはないでしょうから……僕のことは気にしないで、ごゆっくり楽しんでください」
今にも泣きだしそうな顔で、カルロは微笑んだ。
***
帰りの馬車の中、ディオンはわたしから顔を背け、窓際にぴったり寄り添って無言で外を眺めていた。
カーネリアス公国に来てから、移動に使う馬車の中ではわたしとずっと手を繋いでとりとめのない話をするのが当たり前になっていたのに、喧嘩をしてしまったかのような空気が馬車の中に漂う。
もちろん、彼はわたしに怒っているわけではない。カルロの力になれなかった自分を責めているのだろう。
悔いる必要はない。ディオンは彼にできる精いっぱいを尽くした。
「ディオン……そんな風に背中を向けられたら辛いわ」
声をかけると、彼ははっとした様子でわたしの方を向いた。
「……すまない」
謝りつつも、視線は再びわたしから逸れる。
「自分よりも若い女性に対して怒鳴るなど間違いだということは分かっている。だがセシーリャを侮辱してきたことがどうしても許せなかった……」
ディオンはうつむいたまま、重いため息を一つついた。
「あなたに、あのような姿は見せたくなかった。怒りで我を忘れるような無様な姿は……」
「ディオン、自分を責めては駄目」
わたしは彼の方へ体を寄せ、膝の上にあった手に自分のそれを重ねた。
「わたしを守るために怒ってくれたって、ちゃんと分かっているわ。ありがとう、ディオン」
優しさは、怒らないこととは違う。自分がどれほど傷つけられたとしても絶対に相手を責めない彼が、わたしのために戦ってくれた。優し過ぎるくらいに優しい人だ。
「ディオンやわたしの言葉が、少しでもユーディニア様に届いていると信じましょう。ね?」
「セシーリャ……」
「……あ、でも一つだけ言わせて。これからは、自分の命を軽んじるようなことは絶対に口にしては駄目よ」
わたしの名誉を守るためならば自分の命など惜しくない――そう断言してくれたディオンの気持ちは嬉しいけれど、わたしのために容易く命を投げ出して欲しくはない。
ディオンの悪いところを一つあげるならこれかもしれない。わたしや周りのことを大切にするあまり、自分自身を蔑ろにしてしまうところだ。
「わたしにとっては、ディオンの命は何より大事な宝物なんだから」
そう言って彼の大きな手を握る。ディオンはそれに応えて、ぎゅっと握り返してくれた。
「……ありがとう、セシーリャ」
険しかったディオンの表情が、いつもの穏やかな様子に戻りつつあった。
「……カルロ、すまない。だがこれ以上は」
「ええ。分かっています」
「何なの……? これは、どういう……?」
ディオンの手から自由になったユーディニア様が呆然としながら、わたしとカルロを交互に見る。わたしは一歩、彼女の方へ踏み出した。
「申し訳ございませんユーディニア様、今までのやり取りをすべてカルロと一緒に見ておりました」
「どうして……い、いえ、そんなことどうでもいいわ」
今度は我に返ったユーディニア様がわたしと距離を詰める。
「ねえお願い、彼を譲って頂戴! 代わりにあなたの欲しいものを何でも用意するわ、お金がいいなら納得できるだけの金額を」
「お断りします」
きっぱりとわたしは告げた。未だディオンを諦めようとしないその態度に、ふつふつと怒りが湧いてくる。
「ディオンは物ではありません。譲る、譲らないはわたしやあなたが決めることでもありません。彼がわたしの夫でいたいという気持ちが全てです」
それに、とわたしは続けた。
「ユーディニア様、あなたはディオンを本当に愛していない。ただ自分に都合のいい人形が欲しいだけ。彼をそんな風に扱うのはやめて下さい。彼が侮辱されるのは許せません」
きりり、とユーディニア様がわたしを睨む。
「愛、愛って……! じゃあ聞くけど、この先もずっと気持ちが変わらないって言いきれるの!? 何が起こるかも分からないのに?」
「はい、変わりません」
「証拠を出してみなさいよ!」
「……証拠として、今お見せできるものはありません」
ほら、と言いかけたユーディニア様の言葉をわたしは遮った。
「わたしの隣に彼がいて、彼の隣にわたしがいるのは、もう当たり前のことなんです。夜が必ず開けて朝になることや、冬の雪が溶けて必ず春が来ることと同じ。疑う余地なんてない確かなことです」
「そんなの……」
「傲慢な考えなのかもしれません。ですがわたしは彼を尊敬していますし、愛しています。そして彼が愛してくれるわたし自身を、大切にしたいとも思います」
料理が上手なこと、馬術に優れていること、剣の腕がたつこと……もちろんそれらもディオンのすごいところだけれど、わたしが最も尊敬しているのは、どんな逆境にいても、苦しい思いをしていても、自分にできることを常に探し続ける生き方だ。
そんな彼の姿勢はわたしのことも強くしてくれる。危険な魔物を相手にしなければならないときも、必ず生きて彼のもとに帰ろうと思わせてくれる。彼がいる世界を守るための勇気をくれる。
わたしがディオンにしてあげられることはそう多くないけれど、わたしがいることで彼の世界が輝くのなら、彼の隣で精いっぱいに生きたい。
「ユーディニア様の仰る通り、この先に何が起こるかなんて分かりません。わたしたち二人ともが穏やかな死を迎えることができるとは限りません。でも、何があったとしても、ディオンを愛したことについてわたしは絶対に後悔しません」
「……っ」
ユーディニア様の顔が歪む。どうあがいてもディオンが手に入らないことはもうとっくに分かっているはずだ。 大粒の涙が彼女の目から次々と溢れ出た。
「どうして……」
小刻みに体が震わせながら、声を絞り出す。
「わたしが何をしたというのよ……こんなに我慢してきたんだから、欲しいものの一つくらい、与えられたっていいじゃないの……!」
いつも堂々と振舞っていたユーディニア様が、小さな子供のようにしゃくり上げる。
大好きなお父さんがある日突然自分を置いていって、優しかったお母さんは豹変してしまって。やがてはそのお母さんもいなくなり、独りぼっちになったところにのしかかったのは統治者としての重圧。
彼女の苦しみは想像を絶するものだろう。でも、だからといって何をしても許されるわけではない。
過去に受けた傷のせいで、ユーディニア様の心は歪められてしまっている。自ら命を絶った彼女のお母さんは娘に何を話したのだろう。地位や富を与えることしか人の心をつなぎ留める術がないと思い込んでいる、それはとても悲しいことだ。
それでも、ユーディニア様は自分の力で立ち上がらないといけない。目に見えなくても信じられる確かなものがあると気づかなければいけない。
彼女のことを支えたいと思っている人がいるのだから。
「……ユーディニア」
ずっと黙って成り行きを見ていたカルロが口を開いた。
「ごめん、この計画を考えたのは僕なんだ。お二人に協力をお願いしたのも、全部僕だ」
ユーディニア様の視線が彼の方に向けられる。
「ユーディニア、辛いのは分かる。でもこんな……誰かの幸せを平気で奪うような人になっては駄目だ。ディオンさんの言う通りだよ。そんなやり方で幸せになろうとしても、空しいだけ……」
「うるさいっ!」
ユーディニア様が怒鳴り声を上げ、カルロは口をつぐんだ。
「信じたわたしが馬鹿だったわ。カルロがこんなに上手い話を持ってくるはずなかったのよ。だってあなたは役立たずだもの!」
「閣下!」
ディオンが語気を強める。だが彼女は怯まなかった。
「どうせ誰にもわたしの気持ちなんて分かりっこないわ! 信じられるものなんて何一つない! 絶対なんてものも、あり得ないのよ!」
「ユーディニア……!」
「気安く呼ばないで! あなたなんて顔も見たくない! 全員ここから出て行きなさい!」
吠えるように叫び、ユーディニア様がわたしたちに背を向けて走り去る。静寂が辺りを包んだ。
「……ここまで頑なだとは」
ディオンがため息をつく。
「カルロ、大丈夫?」
「……ええ。ディオンさん、セシーリャさん、本当に申し訳ありませんでした」
わたしたちに向かい、カルロが深々と頭を下げる。一番傷ついているのは彼のはずだ。
「帰りの馬車をすぐに用意しますね。今後、ユーディニアがお二人の邪魔をすることはないでしょうから……僕のことは気にしないで、ごゆっくり楽しんでください」
今にも泣きだしそうな顔で、カルロは微笑んだ。
***
帰りの馬車の中、ディオンはわたしから顔を背け、窓際にぴったり寄り添って無言で外を眺めていた。
カーネリアス公国に来てから、移動に使う馬車の中ではわたしとずっと手を繋いでとりとめのない話をするのが当たり前になっていたのに、喧嘩をしてしまったかのような空気が馬車の中に漂う。
もちろん、彼はわたしに怒っているわけではない。カルロの力になれなかった自分を責めているのだろう。
悔いる必要はない。ディオンは彼にできる精いっぱいを尽くした。
「ディオン……そんな風に背中を向けられたら辛いわ」
声をかけると、彼ははっとした様子でわたしの方を向いた。
「……すまない」
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「自分よりも若い女性に対して怒鳴るなど間違いだということは分かっている。だがセシーリャを侮辱してきたことがどうしても許せなかった……」
ディオンはうつむいたまま、重いため息を一つついた。
「あなたに、あのような姿は見せたくなかった。怒りで我を忘れるような無様な姿は……」
「ディオン、自分を責めては駄目」
わたしは彼の方へ体を寄せ、膝の上にあった手に自分のそれを重ねた。
「わたしを守るために怒ってくれたって、ちゃんと分かっているわ。ありがとう、ディオン」
優しさは、怒らないこととは違う。自分がどれほど傷つけられたとしても絶対に相手を責めない彼が、わたしのために戦ってくれた。優し過ぎるくらいに優しい人だ。
「ディオンやわたしの言葉が、少しでもユーディニア様に届いていると信じましょう。ね?」
「セシーリャ……」
「……あ、でも一つだけ言わせて。これからは、自分の命を軽んじるようなことは絶対に口にしては駄目よ」
わたしの名誉を守るためならば自分の命など惜しくない――そう断言してくれたディオンの気持ちは嬉しいけれど、わたしのために容易く命を投げ出して欲しくはない。
ディオンの悪いところを一つあげるならこれかもしれない。わたしや周りのことを大切にするあまり、自分自身を蔑ろにしてしまうところだ。
「わたしにとっては、ディオンの命は何より大事な宝物なんだから」
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