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第二章 ノア

26、本音

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 雨が降りそうなどんより曇った朝。
 
 私は通園鞄を前に立ち尽くしていた。手には昨日買ったクマのぬいぐるみ。
 
 「見られて詮索されるのは嫌だが、クラウスを悲しませるのは本意ではない・・・。」
 
 皆も鞄に色々つけているが、私のものにぬいぐるみが下がれば直ぐ噂になるだろう。
 
 まさかこのぬいぐるみだけで、クラウスと私が婚約したなどと誰も想像しないと思うが、このぬいぐるみが意味するところを聞くまで特に女の子達は引かないに違いない。
 
 イザベルとお揃いというわけでもないし、身近にこの髪色と瞳の人物もいない。
 
 「うーん・・・」
 「ノア、何やってんだよ、遅刻するぞ?!」
 
 悩んでいるところに、弟のシュテファンが飛び込んできて私の腕を掴んで家を飛び出した。
 
 もう出発寸前の馬車に乗り込み、隣の弟が間に合ったと大きく安堵の息を吐いた。
 
 
 我が家には馬車が一台しかなく、たった一人の男の使用人が御者もしている。だから朝は兄が登城するのに一緒に乗って行かないと学園までニ時間以上歩く羽目になるのだ。
 
 ちなみに帰りは兄の終業に合わせて城の前で待ち合わせ、三人一緒に乗って帰っている。
 
 今朝は歩いてもぎりぎり始業に間に合うし、考えたいこともあったのでそれでも良かったんだが、わざわざ呼びに来てくれた弟の親切には礼を言わねばなるまい。
 
 「ありがとう、助かったシュテファン。」
 「ホントだよ。何ぼーっとしてたんだ・・・って、それ、恋人同士で持つやつじゃん?!え、昨日買ったの?絶対自分の好きな物にしかお金を使わないノアが?!」
 
 目敏く私の手の中にあるぬいぐるみを見つけた弟が騒ぎ立てた。
 向かいに座っている兄も、覗き込んでくる。
 
 そういえばこの二人も親がいい加減なせいで未だ婚約者がいない。よって誰かとお揃いのぬいぐるみとの縁もない。
 
 兄はもう成人しているので早急に考えないといけない問題だと思うのだが・・・。
 
 「おお、これが噂の。もしやノア、殿下に買って頂いたのか?」
 「自分で買いました!・・・チャームは、頂きましたが。」
 「マジ?!チャームって今一番流行りのやつじゃん!これ、宝石付いてるの一番高いやつだわ、さすが王子。」
 「そうなのか?!しまった、断わればよかった。しかし、イザベルとお揃いと言われたらつけたくなってしまったんだ。」
 「うわあ、王子ってば、この短期間で完全にノアのこと把握してるんじゃん。ノアも嫌がってないし、もう即結婚じゃね?」
 「何を言うか。今日から始まる妃の勉強が終わらないと無理だ。」
 「終わったら結婚でいいんだ?!」
 
 目を丸くした弟をひと睨みする。
 
 「良いも悪いもないだろう?もう国が認可しているんだぞ。吹けば飛ぶような零細子爵家のうちからやめるなんて言えるわけがない。」
 
 そう言って私はため息をついた。
 
 「ただ、相手は身分も見た目も性格も悪くない、全く瑕疵のない人で、私は男装していて家は領地のない貧乏子爵家で、性格も良いと思えず瑕疵ばかり、というのが気になっている。」
 
 私はずっと心に燻っていたことを吐き出した。
 
 「どう見ても、誰が聞いても、おかしい組み合わせではないか?」
 
 そう、ずっと思っていた。
 
 「ノアにもいいとこあるし別に欠点だらけでも、王子に好かれてんだからいいじゃん?」
 「好意なんてあやふやで頼りにならない。いつかなくなって、私やお前も家ごと消されてしまうかもしれないんだぞ。」
 「大丈夫じゃね?この国の王族って皆一途で愛したら最後、何処までも追いかけてあらゆる手段でモノにして死ぬまで大事にするって有名だし。」
 
 それに加えて愛が重すぎることでも有名だな。だが。
 
 「一族がそうだからといって、クラウスもそうだとは限らない。大体、あんな短期間で好きになったなんて信じられないだろう?」
 
 そもそも、初恋を諦めさせたからなんて、そんなことで好きになるものだろうか?他の人はどうなんだ?
 
 「兄様は誰かを好きになったことがありますか?シュテファンは?」
 「俺はかわいいなと思うことはあるけど、好きってのはまだないなー。」
 「私は、ないことはない、が・・・」
 「「えっ?!」」
 
 恋愛事から遠そうな兄からの想定外の返事に弟と二人で固まる。
 
 兄は私達の反応に片眉を上げ、やや気恥しそうに咳払いをした。
 
 「私の場合は元々叶わぬものだったんだ。相手のことは聞くなよ。もう結婚してる人だ。」
 
 そのままふいっと窓の外へ視線を向けた兄は、その恋を思い出したように柔らかく微笑んだ。
 
 「ノア、恋なんて人から見ればどうということもない、ほんの些細なことで始まるものだ。お前達の場合、今のところ何の障害もないのだから悩まず王子の愛を受け取っておけ。ノアが嫌いではないと言うのなら、もう好きなのだろう?」
 
 兄に真剣に諭されて私は目を伏せた。
 
 確かに嫌いの反対語は好き、らしいが・・・。
 
 「釣り合わなさ過ぎて、怖いのです。」
 
 私はついに本音を口にした。
 
 あれだけ想いを隠さず大事に扱ってもらって、好意を持たないなんて出来るはずがない。
 
 私はとっくに彼のことが好きになっている。
 
 だけど、彼の愛だけを頼りに王家に嫁ぐのはあまりにも心細い。
 
 両手で顔を覆った私に兄が優しい声でそうだな、と言った。
 
 「ロサ家は弱小過ぎて、他の大きな家に妬まれて潰されたら、クラウスに嫌われたら、終わりだと思うと踏み出せません。」
 
 「それはその時だ、なんとかなるさ。家は大事だが、お前達は囚われすぎなくていい。どうなろうと跡取りの私の責任だ。」
 「兄上、かっこいー!でも、めっちゃ『王子に嫌われたらお終い』とか言ってたのに?」
 「実は昨夜の殿下を見ていたら、それは無さそうな気がしてな。」
 「分かるー。ノアと一分一秒でも一緒にいたそうだったもんな。」
 
 カッと私の顔が熱を持った。クラウスの好意は思っていた以上にだだ漏れらしい。
 
 「ということで、ノアは王子に『私も好きです』って言ってあげろよ。そりゃもう喜ぶと思うぜ。」
 
 弟の台詞に心臓が跳ねた。
 
 クラウスに、私から『貴方を好きになった』と言えと言うのか?!
 
 考えただけで頭が沸騰しそうだ。
 私は鞄を抱きかかえてその上に顔を伏せると、小さな声で尋ねた。
 
 「言わなきゃダメ、だろうか?」
 「あの方のことだから気付いておられるかもしれないが、あれだけしていただいているのだから言って差し上げろ。」
 「そうだよ。直に言われるのって嬉しいと思うぜ。」
 
 そうか、私もクラウスに言われるのは嫌じゃなかった。彼が喜ぶなら自分の素直な気持ちを伝えてみよう・・・いや、言う努力はしよう。
 
 「善処、する。」
 
 兄と弟へなんとかそう返事した私は、ふと手の中のぬいぐるみのことを思い出した。
 
 「ところで、このぬいぐるみはどうしたらいいと思う?鞄につけると目立って騒がれそうで悩んでいたんだ。」
 「あ、それで遅れたのか。」
 「なるほど。確かにお前と殿下のことは公表されてないし、残り少ない学園生活は穏やかに過ごしたいものだな。」
 
 二人も朝の私のように腕を組んで首を傾げる。
 
 「そうだ、鞄に入れていつでも出せるようにしておけばいいんじゃね?王子に文句言われたら『汚れたら嫌なので』って言っとけば許されるだろ。」
 「なるほど。今日のところはそうするか。」
 「わお、ノアが俺の意見を採用した!」
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