人魚の蒼い海

zoubutsu

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序章

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 嫌な月夜だ。
 
 昏い海を頼りなげに小船が進む。
 櫂を操る男が、昏い空に浮かぶ異様に明るい月を見上げて苦々しく呟いた。
 
 こんな日くらいもっと暗くていいものを…

 他の日にしたかったが仕方ない、依頼者からの要望だ。随分と急かされた。
 どういう事情があるのだか考えたって仕方ない。
 俺には関係ないことだ。
 仕事を終わらせたらさっさと忘れちまうに限る。
 知りたくもないことに首を突っ込んで、気に病むようなことにはなりたくない。
 
 「いやあ、今回の仕事は割がいいですよねえ。」
 この目の前の男のようには考えられない。

 「しかし何なんでしょうかねえ。あの連中、おどおどしてるくせに妙に偉そうで。何者なんでしょうかね?」
 「…詮索するな。おかしなことに首を突っ込んだって禄なことにならない。どうせ俺ら下々の人間にはどうにもならん。お偉いさんの考えなんぞ俺らには及びもつかん。」 
 「そういうもんでしょうかねえ~」
 
 目の前の男が気のない返事をする。
 気前良く、話が右の耳から左の耳に素通りする質のようだ。
 こんな仕事をしてるとこんな奴はごまんといる。
 こういう無神経な奴の方が仕事はしやすいんだろうが、頭の中がどういう仕組みになってるんだか真似出来そうもない。

 その時、一陣の海風が吹いて小船の中央にあるものに被せてあった布を捲りあげた。


 月明かりに照らされて、精巧な人形のように美しいまだあどけなさの残る顔が現われた。
 少年か、少女かも分からない。
 生きているのかしんでいるのかも分からない。
 白い血の気のない肌は蝋人形を思わせた。

 目の前の男が、その蝋人形のような顔をまじまじと眺める。
 「いやあ、しかし本当にこれ死んでるんでしょうかね?」
 「…そうは聞いてる。確実な所は知らん。」
 「だって、今にも動きだしそうじゃないですか。こいつを今から海に捨てるんでしょ?勿体ないなあ。」
 勿体ない。 
 あまりそういう発想は無かった。
 確かに派手さはないが上質な布で誂えた上品な衣服を着ている。
 売れば金になるだろうが、何処から情報が漏れるか分からん。

 目の前の男がガサガサとその服を剥ぎ出した。
 
 「おい、やめろ。そんな服何処で捌いたって足がつくだろうが。」
 「やだなあ。売りませんよ。俺だって次の仕事が来なくなったら困りますからね。お、本当に男かと思ったらついてやがる。」
 「…何をやってるんだ…?」
 「いやね、男の服は着てても女みてえに見えるもんで。確かめてみたらついてました。男ですよ、こいつ。」
 「だから何だっていうんだ。…今から、殺す相手のことなんか知りたくもねえ。それより早く服を戻しとけ。…そろそろ沈めるぞ。」
 ピリピリしている男とは裏腹に、目の前の男は相変わらず話が右の耳から左の耳に素通りしているようだ。

 男は酷くもどかしい思いをしていた。
 真面目な性格じゃない。
 人の言いなりになりたい訳でもない。
 ついでに言うとこんな仕事はさっさと辞めたいと思ってる。
 何度も辞めようとしたが、長くこんなことを続けると辞められなくなった。
 そんなどうしようもないくらいには、男は不器用だった。

 こいつと組むのは二度とゴメンだ…

 男はうんざりしながら、服を漁る目の前の男に目を向けた。
 
 「おい、いい加減にしろ。男だって分かったんならもういいだろうが。」
 「勿体なくねえですか?こいつを今から捨てるんでしょ?ヤってから捨てましょうや。」
 「はあ?!子供じゃねえか、というか死体相手かよ…」
 「そうですよねえ、反応がねえとつまんねえな…」
 反応がある、生きてる方が残酷なんだろうが、死んでる方がマシってのは禄でもない…
 男は頭を振った。
 考えたってどうしようもない。
 自分の人生も儘ならないのに、他人を助けようなんて気にはならない。

 「上等な服着て、いいもんたらふく食ってんでしょうねえ。」
 そのいいもんの中に毒が仕込まれたんだろうよ、という言葉は飲み込んだ。
 何も考えずにやり過ごす、年を重ねる内にそんな生き方が自然になった。
 
 少年の身体を抱え、海に沈める。

 少年の身体が波に飲み込まれていくのを見遣った。

 「ああいういい生活してる奴に思い知らせてやれるって、やっぱりこの仕事のいい所ですよねえ。」
 
 何とも言えない気持ちで男は月を見上げた。
 目の前の男の言葉を訂正する気もない。
 そんな風に思えたら楽なんだろうがと、羨ましい気さえするが、そんな器用さは持ち合わせてない。
 ただ苦々しい思いを酒で飲みくだすだけだ。
 
 さっさと忘れよう。
 あの子供が誰でどうしたかなんて知ったことじゃない。
 熱い風呂で流して、キツい酒を飲んで寝ちまえばいい。
 だが…

 「しばらく、月見酒はやりたくねえもんだ…」
 
 

 
 

 
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