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いくさは人に 恋はおのれに
牽制
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霧越京・東宮殿、霧彦に与えられた居室。
朝靄がまだ窓の外に漂う頃、
寝具にくるまっていた霧彦は、微かな足音で目を覚ました。
「……ん……?」
仕切り戸が、音もなく開く。
現れたのは、海媛(うみひめ)だった。
朝陽を背に、鮮やかな仕事着を翻す。
海媛は、にこやか。でも目が笑っていない。
「なんっとまあ、良いご身分ですこと。
わたくしの朝餉を無碍にしたばかりか、
新顔が挨拶もなく不貞寝とは。
親代わりの顔が見てみたい、まあここにいるのだけれど」
すぐ横に控えていた靉が、苦笑いで手を振る。
「嗚呼~、海媛。どうかお戻りを。
長上に叱られますで。
動けるまではそっとしておけとのお達しです。
この様に差し入れなど、以ての外や」
海媛は、眉一つ動かさず切り捨てる。
「随分とお情けが深いのですね」
「それは、なんと言いますかその……」
「隙あり」
次の瞬間、海媛によって、寝具が一気に剥ぎ取られる。
霧彦は、悲鳴を上げながら跳ね起きる。
「ひゃっ!?」
海媛は遠慮なく霧彦の顎を掴み、顔を覗き込む。
美しい、だが水仕事で少し荒れた手だった。
「ふうん、へええ、やっぱりこういうのが好みなの。
ちょっとだけ似ているかもね、全く業の深いこと」
霧彦は、真っ赤になりながら口走る。
「あねうえ……」
靉が、慌てて割り込む。
「いやそこは義兄上やろ~、ひ、じゃなかった霧彦。
やっぱりあんま元気そうじゃないな。
しせらも心配してたで」
その「しせら」という響きを聞いた途端、
霧彦の目には、涙が一気に溢れた。
靉は、すぐに霧彦を優しく抱き寄せて背中を叩く。
「あー、よしよし。
ひさごは偉いな~、よーく頑張った。
ずっと我慢してたんやろ?
怖かったやろ。
俺の義弟は大したやつやで」
海媛は、微笑みながら腕を組む。
「ま、泣いて当然の結果でしょう。
よいよい、無礼講や。
この海媛が保障する」
霧彦が落ち着くまで、靉は背中をさすり続け、海媛は静かに見守っていた。
やがて靉が炊事場へ戻ると、
海媛は静かに立ち上がる。
「お喋りも程々にしましょう。
霧彦を呼んだのは他でもない。
わたくし達“媛”の内情を知ってもらう必要があるからです」
霧彦は、海媛のあとに続き、桑の木の間を抜け、カタコトと機音が響く建物へ。
そこには、どこか儚げな雰囲気を漂わせる美少女が、
機織り機に向かって座っていた。
彼女は、微笑みながら立ち上がる。
「まあ、姐さま。もう引っ張って来るなんて。
相変わらず雷さまの様、くわばらくわばら」
海媛は、肩をすくめる。
「杼媛(とちひめ)こそ、減らず口を叩く暇があったら、
睦言でも磨きなさいよ」
杼媛は、くすりと笑う。
「なんと無礼なお言葉。
世が世であれば、ーーさぞあたくしを憐れんで下すったでしょうに。ヨヨヨ」
「ええごもっとも。
杼媛のご父兄には感謝しなくては。
我らが長上に寝返って下すって、
ありがたや、ありがたやとね」
杼媛は、上目遣いで霧彦を見つめる。
「もう、姐さまのいじわる。
霧彦も、そうお思いでしょう?」
その瞳は、まるで心の奥底まで見透かすような、
蠱惑的で、どこか哀しげな光を湛えていた。
霧彦は、ぞくりと背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「……特段そうは思いません」
「ムムム、まあよいです」
海媛は、静かに告げる。
「――さて、霧彦。
これからお前に見せるのは、
この宮殿で生き抜くための、
媛の本当の姿や」
朝靄がまだ窓の外に漂う頃、
寝具にくるまっていた霧彦は、微かな足音で目を覚ました。
「……ん……?」
仕切り戸が、音もなく開く。
現れたのは、海媛(うみひめ)だった。
朝陽を背に、鮮やかな仕事着を翻す。
海媛は、にこやか。でも目が笑っていない。
「なんっとまあ、良いご身分ですこと。
わたくしの朝餉を無碍にしたばかりか、
新顔が挨拶もなく不貞寝とは。
親代わりの顔が見てみたい、まあここにいるのだけれど」
すぐ横に控えていた靉が、苦笑いで手を振る。
「嗚呼~、海媛。どうかお戻りを。
長上に叱られますで。
動けるまではそっとしておけとのお達しです。
この様に差し入れなど、以ての外や」
海媛は、眉一つ動かさず切り捨てる。
「随分とお情けが深いのですね」
「それは、なんと言いますかその……」
「隙あり」
次の瞬間、海媛によって、寝具が一気に剥ぎ取られる。
霧彦は、悲鳴を上げながら跳ね起きる。
「ひゃっ!?」
海媛は遠慮なく霧彦の顎を掴み、顔を覗き込む。
美しい、だが水仕事で少し荒れた手だった。
「ふうん、へええ、やっぱりこういうのが好みなの。
ちょっとだけ似ているかもね、全く業の深いこと」
霧彦は、真っ赤になりながら口走る。
「あねうえ……」
靉が、慌てて割り込む。
「いやそこは義兄上やろ~、ひ、じゃなかった霧彦。
やっぱりあんま元気そうじゃないな。
しせらも心配してたで」
その「しせら」という響きを聞いた途端、
霧彦の目には、涙が一気に溢れた。
靉は、すぐに霧彦を優しく抱き寄せて背中を叩く。
「あー、よしよし。
ひさごは偉いな~、よーく頑張った。
ずっと我慢してたんやろ?
怖かったやろ。
俺の義弟は大したやつやで」
海媛は、微笑みながら腕を組む。
「ま、泣いて当然の結果でしょう。
よいよい、無礼講や。
この海媛が保障する」
霧彦が落ち着くまで、靉は背中をさすり続け、海媛は静かに見守っていた。
やがて靉が炊事場へ戻ると、
海媛は静かに立ち上がる。
「お喋りも程々にしましょう。
霧彦を呼んだのは他でもない。
わたくし達“媛”の内情を知ってもらう必要があるからです」
霧彦は、海媛のあとに続き、桑の木の間を抜け、カタコトと機音が響く建物へ。
そこには、どこか儚げな雰囲気を漂わせる美少女が、
機織り機に向かって座っていた。
彼女は、微笑みながら立ち上がる。
「まあ、姐さま。もう引っ張って来るなんて。
相変わらず雷さまの様、くわばらくわばら」
海媛は、肩をすくめる。
「杼媛(とちひめ)こそ、減らず口を叩く暇があったら、
睦言でも磨きなさいよ」
杼媛は、くすりと笑う。
「なんと無礼なお言葉。
世が世であれば、ーーさぞあたくしを憐れんで下すったでしょうに。ヨヨヨ」
「ええごもっとも。
杼媛のご父兄には感謝しなくては。
我らが長上に寝返って下すって、
ありがたや、ありがたやとね」
杼媛は、上目遣いで霧彦を見つめる。
「もう、姐さまのいじわる。
霧彦も、そうお思いでしょう?」
その瞳は、まるで心の奥底まで見透かすような、
蠱惑的で、どこか哀しげな光を湛えていた。
霧彦は、ぞくりと背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「……特段そうは思いません」
「ムムム、まあよいです」
海媛は、静かに告げる。
「――さて、霧彦。
これからお前に見せるのは、
この宮殿で生き抜くための、
媛の本当の姿や」
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