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好きでごめんなさい番外編①※
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◇◇◇◇◇◇◇◇◇
1章 コンテスト偏
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
十二月。冴え冴えとした寒気が、窓を白く曇らせていた。
割烹着姿のコウヤは、鍋に出汁をかけながらふうと息を吐く。ゆったりとした布越しにもすらりとした体つきがうかがえ、その姿はどこか静かな温もりを帯びていた。髪に朝日が透け、横顔を柔らかく照らした。
「よし、あとは味噌汁だけ」
時計は六時四十九分。背中にふっと影を感じ、思わず振り向く。
「おはよう」
そこに立っていたのは、スーツ姿の夫、大国。
切れ長の瞳が静かに細められ、白いシャツの襟元からは、朝の冷気と混ざった香りがほのかに漂ってくる。
窓越しの淡い冬陽が、彼の髪に光を落とす。
長い脚に沿って布地がまっすぐに伸び、立っているだけで余裕と風格を感じさせる。
思わず両手で口を覆いたくなるほど――かっこよかった。
「おはよう……ございます」
「なんで最近、いつもその態勢なんだ?」
無意識に両手を合わせて、大国に拝むようにしていた。
「あ、えっと、なんでもないんです」
あんまり見ていると、朝食の準備に支障が出てしまう。
息を吐くたびに白く曇る空気を見ながら、目線をそらして鍋に味噌を加えた。
「今日は豆腐の味噌汁にしてくれ」
「はい、お豆腐追加しておきますね」
(ン…?今日は土曜日なのに、どうしてスーツ?)
おたまを置き、夫へと体を向ける。
「今日、お仕事なんですか?」
「昼にオンライン会議がある」
なるほど。しっかりスーツを着こなしているのにはそういうワケが。
「今日は大学があるんだろう?時間に余裕があれば、昼食もついでに作っておいてくれると助かるんだが。何か、簡単なものを」
頼りにしてくれるのがすごくうれしい。
体を重ねてから、夫はほぼ毎日、土日は手作りを欠かさず食べてくれている。
外で済ませることの方が多かった日々を思えば、いまの光景はまるで別人のようだ。コウヤはその変化を噛みしめるように、静かに目を細めた。
「はい!シャケの塩焼きでもいいですか?」
「ああ、頼む」
「家を出る前に焼いてラップしておきますね」
距離が、近くなっていた。
夫のすらりとした背丈に、しっかりとした肩幅が目前に来ている。そこから自然に絞られたウエストへと続くラインが、スーツ姿をいっそう引き立てていて――。
「ウッ」
おもわず胸をおさえてしまう。
「ど、どうした」
夫がかっこよすぎて心臓が痛い、とは言えない。
「あ、いえ、ちょっと胸がかゆくて」
「ふ」
大国のほがらな笑顔を見れてしまった。
「かゆいだけか。大げさだな」
つい、コウヤもつられて微笑んでしまう。
大国がすっと顔を寄せてきた。
(わ……か、かっこ良……じゃ、なくて……なに、まさか、キス――? )
そう思った途端、コウヤの胸は強く脈打つ。
二週間前、初めて体を重ねてから、夫は一度も触れてこない。それなのに、この近さは。恥ずかしさと戸惑いで、思わず一歩後ずさる。
大国はわずかに眉を寄せ、立ち尽くす。
その手が胸ポケットに伸び、何かを探る仕草をした。
「……渡したいものがある」
「え?」
おもむろにコウヤの左手の薬指をそっとなぞり、言葉を飲み込む大国。
コウヤが不思議そうに首を傾げた、その瞬間――。
ピンポーン。
甲高いチャイムが、張り詰めた空気を切り裂いた。
「……やっぱり、今はいい」
「?」
「いつか渡す」
大国は、こつんと額を合わせてくる。
(ふへ?!……っだ、大国さん~~~?!)
これ以上、仰天することなんてないんじゃないかと思うほど、コウヤは驚き、口元を震わせる。
(か、かわいい!、じゃ、じゃなくて、これは一体どういう……この人、こんなスキンシップできたんだ?!)
チャイムが鳴ったことなど、この瞬間にはもうすっかり忘れていた。
(顔が……ちかい)
大好きな人にこんなことをされて、うれしくないはずがない。首元から頬にかけて熱が集まる。トクトクと胸が高鳴っていった。
「あ、あの……大国さん」
「ん?」
低く柔らかい音が鼓膜を震わせ、背筋をつたって心臓の奥にまで落ちていく。
(な、な、な……っ!にそれ、……!”ん?”とか……っ)
ゾクリと全身が反応し、思わず肩がすくんだ。頭の中までしびれる。
(離れてくれないと!腰!腰が……っ)
「今、朝ごはん、つくってて……」
彼のきれいな鼻筋が、耳元にあたる。スゥー、とコウヤの首筋を嗅いだ。
「ああ。朝食の、良い匂いがするな」
(それ、僕の匂い嗅いでませんかっ?!)
食卓にはすでに白飯、肉じゃが、つけもの、おひたし、だし巻き卵を置いてある。
あとは味噌汁だけなのだ。
(腰が砕けたら、ごはん用意できなくなっちゃう……っ!なんで朝からこんなに攻撃力が高いんだろう、大国さん……困るよ……)
「どうした?」
「どどど、どうしたも……こうも……」
(---ハッ、そうか!きっと、僕が大国さんを好きすぎて、すぐに腰を抜かしてしまうから――密着するのに慣らすために、こういうことをしてくれてるのであって。か、かか、勘違いしちゃだめだ。修行させてもらってるって、思わないと!よ、よぉし……僕だって男だ。やってやるぞォ……!)
悲しいかな、意気込んだものの、何もできない。
ふと、両手が空いていることに気づいた。
(大国さんに腕を回すくらいなら……。)
指の先を揺らしたその時――。
――ちゅっ
コウヤは宇宙へ飛んだ。
(大国さんから……ほっぺに、キス、した?)
数秒固まったのち、現実に戻る。右手をそっと、大国の唇が当たった頬をおさえる。
いくらセックスをした仲とはいえ、こんな朝っぱらから恋人のような触れ合いをしてもらうのは初めてで、どうしたらいいかわからなくなる。思考回路はショート寸前だ。
「あ、わ、あわわわわ」
とうとうコウヤが人語を話さなくなり、大国が肩をゆらして笑いを我慢する間も、チャイムは鳴り続けていた。しかも連続で。
およそ普通の人ならやらない所業だ。
何度も鳴り続けるチャイムを止めないと、ご近所迷惑になる。
二人は視線を交わし、同時にため息をつく。
「アイツだな」
「……ですね」
玄関を開けると、案の定そこに立っていたのは――はた迷惑な男、岸和田だった。
朝の柔らかな光を受けて淡く輝く髪は、ベージュに近いブロンド。
ふわりとした毛先が自然に流れ、顔まわりを明るく縁取っている。
その明るい髪を朝日に光らせながら、にっこり笑うと、目が合うなり、ずうずうしくも言った。
「彼氏と喧嘩してもうたわ。元気出るご飯、食べさせて!」
これが、彼の第一声である。
笑えば目元は弓なりに細まり、その笑顔は屈託がなく、見る者の心をほどくような明るさを放つ。
「おはようございます、岸和田さん。僕はもちろんいいですけど、大国さんに確認をとらないと」
だが、突然の来訪を大国がよしとするはずもない。
しかし岸和田はおかまいなしに「おじゃまぁ~」と言いながら家の中に入り、テレビをつけ、あまつさえ勝手に漬物をつまんで「朝ごはん、まだぁ?」と当たり前のように食卓に座り込む。
「帰れ」
大国が冷たく言い放つと、岸和田は聞こえないふりをして「あいかわらず、スーツめっちゃ似合うなぁ!」などと調子よく褒め、厚かましくゴマをすっていた。
結局、大国はなかばあきらめ、岸和田が渡してきた新聞に目を通す。
その時、テレビから耳を疑うような報道が流れた。
≪〇×製薬は、男性妊娠薬の販売を中止し、今後も再開の予定はないとのことですーー≫
報道は続き、男性妊娠薬の処方が正式に禁じられたと告げていた。
食事の支度をしていたコウヤは、テレビの音に振り返った。
画面では、ちょうど妊娠薬販売中止の報道が流れている。
大国は新聞の一文を何度も見返し、信じられないように眉をひそめていた。どうやら彼も見出しの妊娠薬販売中止の内容に驚いているようだ。
一方、朝から遊びに来た岸和田はそのニュースなど気にも留めず、味噌汁をずぞぞぞとすすっている。
少し慌てた様子の大国が、電話をかけはじめた。
「――父さん、男性妊娠薬のことですが……ええ、はい。今テレビで……」
――妊娠薬が、なくなる?
男性の体に子を宿すにはその薬が必要だ。
それがなければ、どれだけ互いを想っても、新しい命は生まれない。
未来の扉が、音もなく閉まりかけている気がした。
大国の声に、現実へ引き戻される。
喉の奥がつまって、すぐには言葉が出ない。
「そちらには薬の在庫が……ない? ちょ、ちょっと待ってもらえますか?確認します。 コウヤ、妊娠薬はいくつ持ってる?」
「一年分、です」
一年分。たったそれだけ。胸の奥で小さな恐れが膨らんでいく。
大国は再びスマートフォンに耳を当てた。
「コウヤと私の分を合わせて、合計二年分あります。……はい、できるよう努めます」
通話を切った大国は、険しい面持ちでコウヤを見据えた。
「もう本家にも、あの薬は残っていないそうだ。――コウヤ、聞け。これは大問題だ」
言われなくても、事の重大さはコウヤにもわかっていた。男性妊娠薬が切れれば、子どもをなすことはできなくなる。
つまり、それは子どもをあきらめなければならないということだ。妊娠ができるいまのうちに、受精しなければいけない!
「ど、どうしましょうか……い、今からえっちしますか……?!」
コウヤは動転していた。
大国は咳込んでから、何かを制すように片手を挙げた。耳が赤くなっている。
「いや…ごほん、ゲホッ、その、……今はやめておこう。お前は、昼、大学があるからな……」
大国には姉・兄・弟がいるが、まだ誰も子どもを持っていない。
兄弟のなかでも結婚しているのは、大国を含めて二人だけだ。
また、神宮家では血縁以外にも「兄弟」として迎え入れられた者たちがいる。
そのうちの何人かは結婚し、子どもももうけているものの――いずれも実子ではない。
ゆえに、大国の父は“実の孫”を強く望み、大国に子をもうけることを期待しているのだった。
神宮一家では、結婚相手は占いで決まるのがしきたりだ。神が選んだ相手としか添い遂げられず、その相手でなければ子どもを授かることもできない――昔からそう決まっていた。
神と神宮一族は、加護を受ける代わりに、神が選んだ相手とだけ子どもをなすという契約を交わしていた。もし神が選んだ相手外の者と添い遂げる道を選べば、子どもは授からない。それは時に、加護でありながら呪いのようにも感じられる掟だった。
しかし、大国の姉と兄、双子の兄妹はその決まりを拒んだ。占いで決まった相手ではなく、彼らは自分たちが愛する人と生きる道を選んでしまった。結婚はしていないが、その覚悟は固く、絶対に別れるつもりは無いらしい。
コウヤは背筋が凍る思いを覚えた。もし、このまま神宮家のしきたり通りに子どもが生まれなければ――神宮本家に跡継ぎがいなくなるという現実が待っている。
長年、神と契約して守られてきた家の繁栄が、一気に揺らぐ可能性。たとえ誰も口にはしなくても、その危機は明らかだった。
大国は子どもがほしいわけではない。しかし、跡取りがいなくなるとなれば話は別だ。もはや、子どもを作らざるを得ない状況になってしまった。
「二年以内に子どもをつくるぞ。――今夜、決行だ」
「……はい!」
コウヤは使命感に駆られ、静かにうなずいた。
机をはさんで向かい合う二人の心は、たしかにひとつになった。
コウヤの胸には使命感が満ちあふれ、もはやこの時、子作りを恥じる気持ちなど微塵もなかった。
その張りつめた空気をぶち壊すように、岸和田がひょいと口を開いた。
「……。お兄さんら、俺がおるの忘れてへん? ……ん? なんやこのチラシ」
彼にとって、男性妊娠なんてニュースはどうでもよいことだったらしい。机に放り出されていた紙を、興味なさげにぱらぱらとめくっていた。
「なにこれ、コンテスト?」
岸和田が紙を見つけて言う。
「えっ、コウヤ、女装するんか!」
岸和田が身を乗り出し、チラシを覗き込む。
大国は目を細め、無言でチラシとコウヤを交互に見つめた。
「いえ、僕は王子役です。女装するのは友人で、大学のファッションショーの催しなんです。うちの大学、ファッション系の学部もあって。友人に頼まれました」
岸和田は眉をひそめ、チラシを指でなぞる。
「女装する側の服がメインいうことやな。ほんで王子役か。やけど……王子、いらんくない?」
「王子は、女装した人をエスコートする役目があるんです。一緒にウォーキングして、二人でポーズをとらないといけなくて。男性向けドレスがメインのショーなので、僕の王子服はおまけなんですけど」
「女装っていうのが……なんか、なぁ?微妙よなぁ、大国」
大国はモクモクと朝食を口に運んでいる。返事をする気が無いようだ。
「コウヤのドレス姿やったら興味ある?」
大国は無視を決めこんでいる。
「まーお前らは仲エエから、夜中にドレス着てコスプレプレイやり放題やもんな。興味ないかぁ」
大国は背を丸め、静かに胸部をたたいている。どうやら喉をつまらせたようだ。コウヤが水を持ってくる前に、彼は席を立ち、岸和田の胸倉をつかんだ。
「今すぐ死ぬか?」
岸和田は両手を肩くらいまで上げて降参の意を表し、「申し訳ありません」と謝った。大国は腹が減っていたのか、比較的いつもより早く岸和田を解放した。大事にならずに良かったと、コウヤは胸を撫でおろした。
何事も無かったように味噌汁をすすり、また話を戻す。
「需要あるんかいな」
「一応、無料で見られる場所と、有料でよく見える席があって、有料席は一席3000円で全てソールドアウトになったって聞きました」
「はー。物好きもいたもんやな。大学もあの手この手で、自分とこの学校の知名度上げようとがんばってるっちゅーわけや」
コウヤは苦笑し、声を少し落とした。
「まぁ、そんなところです」
岸和田はにやりと笑う。
「お前が王子役なー。想像できんわ。絶対似合わん」
「……似合わないですか?」
「どっちか言うたらお姫様のが似合うやろ」
コウヤは内心、そっとため息をついた。岸和田の反応は、いつもながら容赦がない。しかし、仕方がない。頼まれた以上、やるしかないのだ。
大国がようやく口を開いた。
「くだらない。そんなコンテストに出るな。恥になるぞ。将来教師になりたいなら、黒歴史なんて作らないことだ」
思いもよらない反対意見に、胸の奥が冷たくなる。来週、もし良かったら見に来てください――そう言おうとしていた自分が、ひどく馬鹿みたいに思えた。
「黒歴史だなんて……このコンテストがきっかけで、就職先が決まる子もいるんです。僕に頼んできた子だって――」
コウヤが最後まで言い切る前に、大国が低く遮った。
「同じことは言わせるな。コンテストには出るな、と言っているんだ。お前のためだぞ」
(ぼくのため……それは、嬉しいけれど。それでも――)
「すみません、大国さん。僕は、友人の夢を手伝ってあげたいんです」
「まったく……。考え直せ。私は反対だ」
岸和田は眉をひそめ、両手を腰に当ててコウヤと大国の間に軽く体を乗り出した。
「ちょ、ちょっと旦那さん、それは制限しすぎちゃう? 友達のために頑張りたいって言ってんねんから」
その声には、冗談めいた軽さと同時に、真剣なツッコミのニュアンスが混ざっている。
目をぱちぱちさせながら、大国の顔をチラチラ確認して、コウヤが萎縮しないように間をつくっていた。
箸がパン、と机に置かれる音に、コウヤの肩が思わず跳ねる。怒りに満ちた大国の手つきだった。
「……コウヤ、碁盤の準備を。今日は縁側で打つ」
「は、はい」
強制的に、会話は打ち切られた。
コウヤは、しまったと思った。大国の居心地のいい環境を作ってあげること――それが出来なければ、大国がへそを曲げ、子作りに協力してくれなくなるかもしれない。
そのことが、何よりも怖かった。
◇◇◇
今日は土曜日ではあるが、通信大学のスクーリングがある日だった。
朝から大国の機嫌を損ねてしまい、コウヤの気分は沈みっぱなしだった。
「あははー! あのお兄ちゃん、チャック全開ー!」
「?!」
幼稚園児に指をさされて笑われてしまった。指の先を追うと、自分のズボンに行きついた。
(チャックが、開いてる……?!)
――ッジ!!
泣きそうな気持ちで、慌ててズボンのチャックを上げる。
(……今日は厄日かもしれない)
背中を丸め、とぼとぼと大学へ向かう。
公園を通りかかると、手を伸ばして「パパ、ママ」と呼ぶ子どもと、その家族の姿が目に入った。
――いいな……僕もいつかは大国さんと……
羨望の気持ちが胸をよぎる。できれば、自分だって子どもを産んだら、夫と子育てに励み、一生を彼と添い遂げたい。
頭の中に「離婚」という文字が浮かぶ。
離婚なんてしたくない。
この思いを口にすれば、また大国の機嫌を損ねてしまうだろう。
大国のことを思うなら、いずれ女性を妻に迎えられるよう、身を引くのが最善だというのは、頭ではわかっていた。
けれど――もし本当に離婚しなければならないのなら。
神宮家では、神の加護の影響で、初産には必ず双子が生まれると伝えられている。
自分が産んだ子がこの世に生まれるのなら……せめて、そのうちの一人だけでも、育てさせてほしい。
理想は、二人で子どもを育てる未来だけれど。
どうすれば、二人で双子を育てる未来を叶えられるのだろう。
コウヤは、悶々と考え込んでいた。
結婚届を出してからの数か月――その間、大国はこれまでに見たことのないほどの嫌悪の目を向けてきた。
あの視線は、間違いなく本気だった。
最近になってようやく、言動が少し丸くなった。
けれど、それを「優しさ」だなんて勘違いしてはいけない。
情けをかけられているだけなのだから。
(だめだ、やっぱり、子どもを産んだら、大国さんとはちゃんと離婚しないと。できれば双子の片方は自分が育てさせてもらえるよう、そのときにお願いを――)
しかし、そこで足を止めた。
もし――子どもを産むまでの間に、大国が自分に惚れてくれたら?
そんなありえない願いが、ふと胸の奥をよぎる。
二週間前の夜を思い出す。
深夜を過ぎても、大国は離れようとせず、何度も、何度もキスをくれた。
唇は吸われ、歯をなぞられ、まるで食べられているような感覚。
「……ッ」
じわり、と胸の奥が甘く疼く。
熱に浮かされたようなその時間を、まだ体が覚えている。
頬にそっと指をあて、首筋をなぞる。目元が熱くなった。
――このあたりに、よく唇を落としてくれた。
思わず息を呑み、はっと我に返る。
通りの往来で、なんてことを考えているんだ。
コウヤは小さく首を振り、胸の熱を押さえ込んだ。
信号が青になる。
隣を歩く、おしゃれな男性が目に入った。
秋冬らしいファッションに、爽やかな髪型。誰からも好かれそうな雰囲気だ。
あんな服装を、自分はしたことがあっただろうか。
大国に少しでも好かれようと、見た目から努力したことなんて――いや、そもそもない。
(頑張る前から、僕は諦めていたんじゃないか?)
金銭的な問題もあるけれど、それだけじゃない。
どうして、ここに気づけなかったんだろう。
好きな人に魅力的だと思われる見た目をつくってからでも、諦めるのは遅くないかもしれない。
胸が高鳴る。心臓が早鐘のように打ち、全身に血が巡るのを感じる。
体の奥から熱いものが湧き上がり、頭の中が一気に明るくなった。やる気がみなぎって、どんな困難も乗り越えられそうな気がする。
まずは僕自身が、彼に「好きだ」と思ってもらえるよう努力してみよう。可能性は、決して消えてはいない。
ふとその時、胸が立派で、お尻を左右に揺らしながら歩く女性を見かけた。道行く男性が、その人を二度見する。顔はさほど目立ってはいないのだが、誰もが認めるセクシーな出で立ち。彼女を見て、一つ閃いた。
(えっちがうまくなれば、惚れてもらえるのでは……?)
コウヤはその瞬間、自分のうかつさと愚鈍さを呪った。
どうしてもっと早く気づけなかったんだろう?
自分たちは共通の目的――子供を得るというミッションを遂行するため、夜、仲良くする関係だ。
もしその手のテクニックを学べば、大国は自分の技を気に入り、手放せなくなるのでは――そう考え、コウヤはぞくぞくした。
小さな自信が胸を満たし、肩の力が自然に抜けていく。全ては大国との未来のため。
やらなきゃ、今すぐにでも始めなきゃ――コウヤの心は決意でいっぱいになった。
セックスそのものには、大国も前向きなようだ。ならば望みは残されている。
大国に「好き」と言ってもらえたら……そうすれば、離婚をせずに済むはずだ!
なぜこんな簡単で当たり前のことに、今まで気づけなかったのか。
半年近く、嫌悪のまなざしで大国に扱われていたせいで、うっかりこの結論にたどり着けなかった。
そうだ、やるべきは簡単なことだった――
大国に「好きだ」と思ってもらえるように、まずは自分の見た目を底上げすること。
コウヤは自分の体を見下ろす。
――こんな芋ジャージを着ているような男に、誰が惚れるというんだろう?
ない。ぜったいに、ない。
まずは服と髪型、身だしなみを整えるところから。
そして、食費の問題もある。身だしなみを整えるにも、栄養のある食事を摂るにせよ、金銭的な問題は避けられない。せめて食費だけでも心配がなくなれば……。
しかし、現実はそうもいかない。
最近、大国は一緒に食事をすることを望むようになった。婚約届を出した当初、「食事は一緒にしていいか」と尋ねたとき、大国は「別で」と答えていた。だから、食費は自分のものは自分で出すようにしていた。
今では二人の関係も少しずつ変わってきている。けれど、食費を自分の分まで、大国から渡されるお金でまかなっていいのか――それだけは、まだ聞けずにいた。
聞こうとするたび、「あつかましいやつ」だと思われるのが怖くて、言葉にならないのだ。
聞けないままだから、一緒に食事をしても、結局は別々に支払うしかないのが現状だった。
何度も切り出そうとしたのに、その言葉はどうしても喉を越えなかった。
大学に到着する。広大なキャンパスは、いくつもの校舎に分かれていた。講義棟や実習棟、静かな図書館、学生ラウンジ――学びの場が隅々まで整っている。正規課程の学生だけでなく、通信制スクールの学生や社会人も多く、年齢層は幅広い。キャンパス内には落ち着いた空気が流れ、静かに自分の学びに向かう学生たちの姿があちこちに見える。
校舎は大きく、外壁が整然と並ぶ。各階の窓からは学生たちの気配がわずかに感じられ、ここには教員免許取得を目指す専門授業もあり、実習は週末や短期集中で行われることが多い。
美術学科やデザイン学科、建築学科、写真学科、文芸学科、音楽学科、教育学科――多彩な学びの場が揃っており、それぞれの棟からは絵筆の軋む音、机を動かす音、遠くで響く笑い声など、学生たちのささやかな生活音が聞こえてくる。
コウヤは歩きながら、普段は見るだけの学科棟の雰囲気を眺めた。
週末に行われる実習のことや、仲間たちとの授業の予定を思い浮かべ、少し気持ちが弾む。落ち着いた空気の中でも、自分の居場所はしっかりあると感じながら、彼は大学に到着し、いつもの仲間と授業を受けた。
授業が終わった後、携帯に通知が入っていた。
スマホの通知元は【野中ダイゴ】。
小学生の頃、毎週木曜日は何かしらの部活で活動をしなければならなかった。たまたま同じクラスだった彼に腕を引っぱられ、半ば強引にダンス部へ入れられたのが、仲良くなったきっかけだった。
その後は長く疎遠だったが、大学で再会してから再び友人として付き合うようになった。
彼――野中は、現在アイドルを志し、様々な活動をしている。
この間「歌ってみた動画」に誘われ、言われるまま参加したが、コウヤの歌声はお粗末なものだった。
「犬の遠吠えより下手」と評され、以来、二度とカラオケには誘われていない。
そんな野中から、『姉ちゃんの手伝い、よろしくぅ!』というメッセージが届いていた。先日、久しぶりに野中の姉と会い、王子のモデルになってほしいと依頼され、それからたびたび彼女たちと会うようになったのだ。
学科は違うが、野中も、その姉、しおりも、同じ通信制大学に通っているここの学生だ。
「うわ、もうこんな時間……っ」
時計を見ると、すでに約束の時間を過ぎている。
確か今日はウォーキングテストがあると言っていた。
野中一人で歩かせるわけにはいかない。
コウヤは、教室を飛び出すように、急いで駆けだした。
大学の空き教室には、明日のファッションショーに向けて準備をしている学生やモデルたちが多く集まっていた。
「あっ、コウヤ君!」
コウヤは力いっぱい手を振って呼んでくれている野中の姉・しおりに、笑顔を向けた。同じ大学で通信制を利用しているが、彼女はファッション学科の生徒だった。
しおりは、その姿からやさしさが自然と伝わってくる女性だった。両側にふわりと大きく膨らんだ三つ編みが揺れ、まるで柔らかなリボンのように肩にかかっている。
今朝、大国に「行くのは止めておけ」と言われていた手前、かなり気まずい気持ちになった。本当に、辞退をした方がいいのでは、と考えるところまでいったのだ。
けれど、今日の野中の姉のファッションショーの手伝いは、ずいぶん前からお願いされていたことだったため、断ることはできない。
「すみません、しおりさん。お待たせして」
しおりは「ぜんぜん!」と首を振っていた。
そのとき、「遅いぞコウヤ!」と叱った。しおりの弟でありコウヤの友人でもある、ダイゴだ。
しおりが弟に施した女装メイクはすでに完璧で、ドレスもぴったりだった。
「ごめん野中くん。ちょっと授業が長引いちゃって」
「罰金一万円な」
手の平を見せる幼馴染に、コウヤは苦笑する。
「もうダイゴったら。コウヤ君を困らせないでよ。授業じゃ仕方ないでしょ」
「≪テストウォーキングは午後13時からです。お渡ししたナンバー順でご案内します。エントリーナンバー1~5番の方、お越しください≫」
アナウンスの声が会場に響くと、いっきに空気が張り詰めた。
「うっわ、やべ、まじでもうすぐじゃん。姉ちゃん、急いでコウヤの見た目なんとかしてやって」
「今日はそこまでしなくていいのよ、服を着て歩く練習するだけだから。それに、コウヤ君の顔は整ってるから、ピンでとめるだけで十分よ」
コウヤはほっと胸をなでおろす。
友人が来ているドレスに目を向けた。見た目は完全に女性の服だが、男性が着ることを前提に作られていて、細部まで計算されているのがわかる。肩のライン、腰のくびれ、スカートの広がり。どれも絶妙で、特殊な人たちのためにデザインされた物だった。
今回のコンテストは、ファッションデザイナーを目指す学生たちが制作したドレスを披露する場で、コウヤは王子役として友人の隣を歩くことになっている。
「オーッホッホ!お邪魔よ、おどきなさいっ! スカーレット野中様が通りますことヨォォーー!」
俳優業も視野に入れて活動している野中ダイゴは、この役柄をすっかり気に入っており、ドレスを身に着けている間は、まるで何かに憑かれたようにオネェ言葉になる。
「あぁ~ら、そこの素敵な王子様。 あなたのタイプは、どんな人?」
そのまま面倒な質問をしてくることも多く、いつもコウヤはたじたじになりながら答えている。
「えーっと……ご飯をきれいに食べる人、です」
「まぁぁ! それって、わたくしのことねぇぇ~~!」
ばさばさばさっ! と羽で作られた豪華なうちわで、野中は自分をあおいだ。
しおりが丹精を込めて作ったドレスは弟ダイゴが着衣し、コウヤが王子の衣装で友人の作品を引き立てる。
とても大事な役目だ。男である友人を、男性らしくエスコートして、なるべく彼を女性に見えるようふるまわなければならい。重大な役目。
頼まれたときは、乗り気ではなかった。
彼女が必死に「王子役はコウヤくんでないと優勝できない!どうしてもファッションデザイナーとして成功したいの!」と言われたとき、夢を応援したいと思った。
優勝すれば賞金十万円がもらえるだけでなく、フランスで開かれるファッションショーの手伝いができることも確約されている。賞金以上に、しおりの未来へのチャンスがかかっているのだ。
≪10番から20番の方、来てください≫
――とうとう出番だ。何度も野中とウォーキングやウィンクのタイミングなどを練習してきた。
本番は来週――今日はあくまで予行演習だとわかっていても、心臓は跳ねるように鳴った。
コウヤは深く息を吸い込み、ゆっくり吐く。
呼吸を整えようとしたけれど、手のひらはじんわりと汗ばんでいる。
胸の奥のざわめきが、静かに体じゅうに広がった。
**
12月の夕暮れは早く、18時を過ぎればもう夜のようだった。縁側に落ちる灯りが、石畳に長い影を落とす。息を吐くたび白く曇り、冬の匂いが静かに漂っていた。
門をくぐると、見慣れた庭が広がっている。
白い砂利は整っていて、苔や小さな岩の配置もいつも通りだ。落ち葉がところどころに散り、冬の光にわずかに反射している。
庭の奥にある和風建築や、縁側の向こうにちらりと見えるレンガの壁も、コウヤにとってはいつもの景色だ。
石畳の小道を踏むたび、冷たい空気と砂利の音が軽く響き、外の喧騒は遠くに感じられる。コンテスト予行でやった、テストウォーキングのせいで長く張り詰めていた体の力が、少しずつ抜けていくのを感じた。やっと帰ってきた、と思わず胸を撫でおろす。
小屋を通り過ぎると、遠くで岸和田の声が響いた。
「二回目が誘われへんて?スマートに言うたらええやんか!どんなけ純情やねん!ガラスのハートの少年やな?割れるんが怖いんやろ?あはは!あっ、す、すみません!」
縁側の方を見ると、刀を岸和田に投げつける大国と、その向こうで土下座している岸和田の姿があった。
びっくりしてコウヤは駆けだした。
「大国さん、また家宝にしてる刀をあんなふうに……!」
驚いたのは一瞬だ。なんだかんだ、二人は仲が良い。さすがに友人を殺すことはしないだろう、と思いなおし、途中からゆっくりと歩いた。
あの二人は日が沈むまで、朝からずっと碁を打っていたらしい。共通の趣味が合うのは羨ましい、と軽く思いながら、危ないので先に刀を回収しにいくことにする。恐らく、また大国が岸和田に「切腹して詫びろ」とか言っているに違いない。
帰ってきたことを目線で伝えると、大国は眉間に寄せていたシワをやわらげ、コウヤに頷いて見せた。
この瞬間が、コウヤは大好きだ。一度大国に微笑んでから、土下座をしている彼に問う。メッ!と児童に母親が叱るように。
「岸和田さん、何したんです?また大国さんを怒らせて」
「それがなぁ……くく!」
岸和田は思い出したように頭を下げたまま笑い出す。大国は眉をひそめ、軽く彼の頭を踏んで押さえつけた。
「死にたいのか?」
「生きたいです!でも、笑いが止まらんくて!俺はどうしたらエエんや!」
「死ね」
「あぎゃあ!痛い!痛いてほんま!それやめて!ヘッドマッサージ下手やなお前!」
大国が岸和田の頭を足でぐりぐりしているのを見て、思わず呆れた。
謝るなら、笑わなければいいのに。
コウヤは手早く家宝を拾い、神棚へ戻す。
その瞬間、夫の視線が宝剣に向いたのを感じ、背筋が凍った。
空気を変えなければ、本当に切腹ショーが始まりそうだ。
「カンロ茶を淹れますので、居間に来てください。美味しいお茶ですよ」
茶を飲ませると、二人ともようやく落ち着いたようだった。
岸和田は眠気に負けたのか、机に突っ伏している。
呼びかけても返事はなく、呼吸だけが静かに聞こえる。
そのままそっとしておくことにした。
柔らかな茶の香りが部屋に漂い、心のざわめきも少しずつ静まっていくようだった。
岸和田を残し、食卓へ移動して、二人きりで夕飯をとった。今日は大国の好きな、和風おろしハンバーグだ。
(なんだか、大国さんの目が、いつもと違う、ような)
視線が熱い。
どう違うのかうまく説明できないけれど、攻撃的な色はあるのに、不思議と恐怖感はない。初めて抱いてもらったときと同じ目をしているような気がして、体の芯から熱が湧き、血流がどくどくと脈打った。
刹那、貪られるような口づけを思い出した。かすかに己の腰に旋律が走り、背筋を這いあがるような何かが走り抜ける。
(なにもされてないのに、なんで……)
自分の体の変化に戸惑い、困惑した。
太ももを小さくこすり合わせ、少しでも今感じた昂りをなかったことにしようと必死でごまかす。気を紛らわせようと、目の前の食事をかきこんだ。
夕飯を終え、少しお茶を飲んで落ち着いていた。まだ二人は、食卓で向かい合って座っている。
二人きりのこの沈黙の空気が、嫌ではないのだが、どうにも得意ではない。
どうしてか、二人でいると胸がドキドキと騒ぎ、体がそわそわしてしまう。
大国に会うと、力が抜けてしまい、家事ひとつも手につかない事があったりする。まさに今がその状態だった。
皿を洗わないといけないのだが、立ち上がろうとしても時折向けられる大国の視線が気になって、動けない。
膝をこすり合わせ、両手で湯呑みを包み込み、ただうつむくばかりだった。
しばらくして、大国が口を開く。
「大学は、どうだった?」
興味を持ってくれるのはとてもうれしい。少し肩の力を抜くことが出来た。
「今日は、すごく緊張した一日でした」
「授業で緊張? プレゼンでもしたのか?」
「いえ、その……」
言いにくい。コンテストの予行練習に付き合っていた――なんて、とても口には出せなかった。
しかし、コウヤの言い淀む様子を見て、大国はすぐに察したように言う。
「コンテストの手伝いに行ったのか」
ギクッ。
「えっと…その……」
言葉を探しているうちに、いつのまにか大国が傍まで来ていた。
大きな壁のように立ちはだかり、コウヤは思わずのけぞって彼の顔を見上げる。
「な、なん…でしょうか」
「やめておけ、と言ったはずだ。なぜ手伝いに行った?」
ちゃんと言えば、大国だって理解してくれるはずだと信じて、コウヤは言った。
「将来、ファッションデザイナーになって、モデルの人たちを輝かせたいと夢見る女性がいます。僕は、そのお手伝いがしたかったんです」
「お前じゃなくてもいいだろ」
「たしかに…そうですが…」
自分の一番大切にしたい人は大国だが、自分を頼ってくれる人も、大切にしたい。言い淀んだが、はっきり声に出すことができた。
「しおりさんの顔が、本当に切実だったんです。
チャンスを逃したくない――そういう目で、僕を頼ってくれました。
作った作品に合う王子のイメージは、僕が一番ぴったりだって。
だから、断ることができませんでした」
「……お前は昔からそうだ。何かを頼まれると、断れない」
大国は何か思い当たる節があるようにハッとした。
「お前まさか、私の父親に頼まれて、断れなかったから結婚したんじゃ?!」
「それは違います!興味のない人と結婚なんて…、本当に……僕は、あなたのことが……!」
好き、と続く言葉は言えなかった。今年に入ってからの大国に蔑まれる目線が蘇る。
言ったら、怒られるような気がした。
「……ッ」
コウヤはうつむいた。
少し言いすぎたのではないかと、心配して彼の顔を見たが、さほど機嫌が悪いようには見えない。眉間にあった怒りのシワがなくなっていて、そして……少し、耳が赤い。
大国は咳払いして、話を進める。
「論点がずれた、私との結婚については…過ぎたことだ。本当に、そのしおりって奴の夢を応援したいから、なんだろうな?」
「もちろんです。他に理由なんてありません」
大国がほっと息を吐いた。
「ほかに理由がないなら……これまでの手伝いの事はもういい。だが、今後はそいつの応援はほかのやつに任せなさい。コンテストには出るな」
「それは……できません。しおりさんは、僕しかいないと言ったんです!どうして、コンテストには出るなと……」
「お前はニワトリにでもなかったのか?黒歴史になるからだと言っただろう」
コウヤはムッとした。ニワトリだなんて!
だけど言い返すことなんて、できない。大国に嫌われるのが、怖い。
何も言えず、ぷるぷると涙目になって耐えた。大国が次の言葉を飲み込み、少し眉を上げる。
「先に風呂に入る。 今夜はセックスをするから、きちんと来るように!」
大国は捨て台詞のように吠え、強めに扉を閉めた。
コウヤはムムム、とむかむかしていた。
…でも、最後の言葉で拍子抜けしてしまった。
そうだ、今夜、子作りをする、と約束していたのだった。
自分たちの子作りには二年という制限がある。それを超えれば妊娠は望めない。
もし産めなかったら、大国に子どもができない――つまり、本家の血筋が絶えてしまう。
それは…だめだ!
◇◇◇
風呂から上がり、大国の寝室へ向かった。今日は腰を抜かさなかった。
(――変な感覚)
いつもの自分なら、抱いてくれることに感謝と嬉しさが入り混じった状態でここに来ていたはずなのに、先ほどの口論のせいで、とてもそんな気になれない。
けれども、今回は珍しくメモではなく直接大国から誘ってくれたのだ。
今回逃せば、もしかしたら半年先になるかもしれない。まずは、妊娠が第一優先だ。
しおりのことは、今はひとまず忘れて子作りに集中しないと、と自分に言い聞かせていたが、到底無理だった。
夢を追う友人を手助けしたことの何が悪いのか、どうして大国は阻止しようとするのか、わからない。
ムスッとした顔になっているだろう自分を隠すため、いつもの柔らかい表情を作って部屋の扉を叩く。
コンコン。
「……ああ」
扉を開けると、大国が布団の上で本を読んでいた。部屋は少し暗めに設定されている。
「ここに」
立っていると、隣の布団を大国が軽くたたいた。
「おじゃま、します」
本当に、変な気持ちだ。
大国のことは大好きだし、今の状況にもドキドキする。
だが、やっぱり――セックスできる気分じゃない。
贅沢な話ではあるが、セックスのモチベーションを上げる方法があれば、いますぐ知りたい。
とりあえず、隣に座った。
大国がぽつりと言った。
「結婚したら、昔から子どもはほしいと思っていた」
――ほしいと思っていたんだ。
コウヤにとって、それはまったくの新事実だった。
てっきり大国は、本当は子どもなんていらないと思っているものだとばかり思っていたから。家のために、仕方なくというわけでもない――その言葉が胸に落ちた瞬間、凍える冬の空気の中で、不意に灯がともったような温かさが広がった。自分の知らなかった大国の願いに触れ、静かな驚きとともに、深い喜びを感じていた。
心臓がぎゅっと締めつけられる。
これまで自分の中で描いていた計画――離婚も視野に入れた、子どもとの未来――が、少しずつ色を変え始めていた。
もし大国が、本当に“幸せな家庭”を望み、子どもを心から望んでいるのなら。
生まれてくる子のためには、やはり母親が必要だと思ってくれているのではないか?
子どものためを思うなら、生みの親のほうが良いはず……。
――もしかしたら、やっぱり、自分も前を向いて、このまま一緒に暮らす未来を考えてもいいのかもしれない。
しかし、口に出せばまたきっと大国を困らせてしまう。
コウヤはぐっと唇を噛み、胸の中で悩みを反芻する。
布団は二つ。
お互いそれぞれの布団に座り、向かい合う。コウヤは正座、大国はあぐらをかいて腕を組んでいる。沈黙が続いた。
――これくらいの距離感がちょうどいいのかもしれない。
自分が大国を好きすぎるのはよくないと、理解していた。
あまり近すぎれば、いざ離婚するときに心が壊れてしまう。今の、この少し距離を保った状態が、自分にとって無理のないバランスだ。もちろん離婚などしたくはないが――。どこかで諦めている自分もいた。
大国は経営コンサルの仕事をしている。昔から、彼はパーティーに美人の――”女性”の妻を連れて歩くのが夢だと語っていた。
小学生の頃から大国に惚れていたコウヤにとって、その夢の話は胸に突き刺さるものだったが、同時に心から応援もしていた。
それを、今、自分が一時的に壊してしまっている。
大国の子をなせる――その可能性が、あまりにも魅力的に思えたのだ。
子どもには申し訳ないが、産んだあとは離婚した方が、やっぱり大国のためだ。
あくまで、一番に願うのは大国の幸せ。好きな人の夢をかなえることが、何よりも大事なのだから。今は、大国に惚れてもらう方法を探している最中ではあるが、もし子どもが生まれたあとも自分が大国から嫌われていたら、その時は大人しく身を引こう――そう心に決める。惚れてもらおうと思っていた気持ちは、雪の結晶のように小さくなり、今にも溶けてしまいそうになっていた。大それた願いを抱けるほど、自分はこの人に必要とされるような人間じゃない。
どうやら、険悪というほどではないにしても、決して「子作りの雰囲気」とは言えない空気が部屋に漂っている。沈黙の重さがじわじわと胸にのしかかり、時計に目をやれば、針はすでに夜の九時を過ぎていた。静まり返った部屋の中、秒針の音だけがやけに鮮明に響いていた。
(あ……これは、まずいかも……眠い)
眠たい。そういえば自分は、風呂に入ったあと30分もすると、どこにいても寝落ちしてしまう人間だった。
「ふぁ……」
「おい、寝るなよ」
「は……い……すーー」
「おい!」
「……」
はー、とため息が聞こえた。
背後に人の熱を感じ、心地よくて、もっと眠りたいと思った――。
結局、この夜は何もできなかった。
◇◇◇
あれから、大国とは朝に食事を共にすることはあっても、彼は仕事で忙しく、夜に時間を取ることができていなかった。
あっという間に日々は過ぎ、そして――ついにコンテストの日がやってきた。
大学の広場には、白いテントや仮設のステージが設置され、人々が次々と集まっていた。
冬の冷たい空気の中、学生や関係者、見学に来た観客がざわめきながら歩き回り、カラフルなバックパックやおしゃれなコートが行き交う。
一時的に作られたファッションショーの会場は、普段のキャンパスの雰囲気とは違う、特別な空気に包まれていた。
しおりが「王子服がバッグに入っていない」と慌てていた。どうやら更衣室に忘れてきてしまったらしい。慣れない空気の中、コウヤはひとりで控室の椅子に座っていた。
「うっわ、お前コウヤか? 韓流ドラマに出てくる俳優みたいじゃん。化けたな~」
メイク室から出てきた野中が腕を組み、あらゆる角度からコウヤを眺めた。
「はは……しおりさんがやってくれたんだ」
「もさい男だったのに」
「もさいってなに」
しおりは男性ヘアメイクに初挑戦し、このショーのために多くの時間を費やしていた。
専門は洋服で、スタイリングーー特に男性へ施す類のものは苦手だと言っていたが――その仕上がりは見事だった。
コウヤ自身も、自分の顔に思わず驚くほどだ。
しおりがどれほど努力したのかが、ひと目で伝わってくる。
コウヤ自身もおしゃれの勉強になり、今回手伝いをして本当によかったと感じている。
あとは、王子服を着るだけだ。
「野中くん、君も、すごくきれいになったね」
「うあ、やめろやめろ、変な扉が開くわ」
「?」
野中は煙たそうに手を振ってスマートホンを触り始めた。
ぽつりと野中がつぶやくように言った。
「姉ちゃん、毎晩夜中までがんばっててさ」
「うん」
「ぜったい成功させてやりたいんだよ」
「うん」
「俺、お前のこと…かなり期待してるんだ。歌が下手じゃなかったら、一緒にアイドル目指したいくらい」
「……下手でわるかったね」
野中がニカッと笑った。
「がんばろーぜ!」
差し出された拳に、コウヤも腕を伸ばして応える。
拳と拳が軽くぶつかり合い、乾いた音が響いた。
コウヤにはドレスのことなど詳しくはわからない。
けれど、会場に並ぶ数々の衣装の中で、ひと目で悟った。
しおりのドレスは、間違いなくトップクラスの出来だと。
光を受けて揺れるたび、布のひとすじひとすじが生き物のように呼吸し、彼女自身の夢を映し出しているようだった。
ひいき目などではない――本当に、圧倒的に美しい。
しおりさんの夢を、叶えてあげたい。その一心で、コウヤは胸の奥に熱をこめた。
しかし、事はそう簡単には運ばなかった。
「キャアァァ!」
しおりの悲鳴が会場に響き、関係者たちは一斉に振り向く。
野中とコウヤは控え室から飛び出して、しおりのもとへ駆け寄った。しおりは床にひざまずき、大粒の涙をぽろぽろとこぼしている。
「そんな……嘘でしょ……!」
姉の胸元には、コウヤが着るはずだった王子服が抱かれていた。そして、それは――ハサミで無残に切り裂かれている。
野中は息を呑み、目を吊り上げ、大きな声で怒鳴った。
「誰が、こんなことを!」
今日コウヤが着るはずだった王子服。自分の手で仕上げた作品が、無惨な姿にされていた。見るに耐えず、しおりは泣き崩れる。
野中は姉の背中をさすりながら怒りを抑え、コウヤもまた、憤りを必死に押し殺していた。
―――いったい誰が?
「もう数時間後にはコンテストが始まるのに! どうして……誰が……!」
嘆きながら崩れ落ちるしおりの傍に、運営スタッフや大学教授たちが集まってくる。
その場ではすぐに「警察へ連絡を入れるべきか」という議論が始まった。
しかし、しおりの選択は――「今は呼ばない」だった。
警察を呼べば、犯人が見つかるかもしれない。
けれど同時に、ショーそのものが中止になる可能性があると告げられた。
しおりは深く息を吸い込み、涙をぬぐいながら言った。
「今は……警察への連絡は控えてください。このショーに、どれだけの情熱と努力が注がれているのか…同じ夢を抱く仲間たちの想いを……わたしは、誰よりも知っているんです。このショーの先に、未来が待ってる。それを、自分のせいで終わらせるわけには…いきません」
コウヤは何もできない自分に歯がゆさを感じた。せめて誰かから王子服を借りることができれば……複数に相談をもちかけたが、誰も貸してはくれなかった。
それぞれ自分の作品にかけている。万が一、自分が貸した王子服がしおりの点数として加点されてしまったら?メインがドレスで、王子なんてただのおまけだとわかっているが、王子役が引き立てば、それだけドレスも美しく映えてしまう。
あきらめるしかなかった。
コウヤが今日着ているのは、私服でも十分おしゃれに見えると勧められて買ったシャツだった。白地に胸元の編み上げがアクセントになっていて、シンプルながらもどこか華やかさを感じさせる。
昨日、少ないお金をはたいて手に入れたばかりの一枚。普段はジャージで過ごすことが多いコウヤだが、今日は少し気合を入れて――気持ちだけでも王子になろうと、これを選んだ。
歩き方や所作さえ丁寧にすれば、地味ではあるものの、この服でも十分「王子らしさ」を演出できる。自分の気持ちと服が少しだけ背筋を伸ばさせ、いつもより堂々と歩けるような気がした。
「……やるしかない」
胸の奥で、決意が小さく震えた。
「しおりさん。こうなったら、仕方ないよ。僕、このまま王子をやります」
しおりは泣くことしかできず、ただ、ただ頷いた。
案内役の生徒から、「次の方どうぞ」と促す声が聞こえた。
呼吸を整える。
吸って、吐いて――心を静める。
心をいったん、水の底へ沈めるように。
ゆらめく波の下で、音も光も遠ざかっていく。
そこにあるのは、ただひとつ。演じるための自分だけ。
――落ち着け。僕は「王子」。
隣にいるこの人を、生涯愛すると――そう自分に暗示をかけ、一歩、また一歩と踏み出す。
コウヤは落ちこんで目を腫らしてしまったしおりの手を優しく取った。
「大丈夫です。しおりさん。安心して」
コウヤのその柔らかな所作、ことば、表情にしおりは息を飲んだ。
元気がわいたようで、彼女らしい、花のような笑顔が咲く。
「あなたのために、僕は王子になる」
何か希望が見えたように、ずび、と鼻をすすって、しおりは立ち上がった。
「コウヤ君、ダイゴ、頑張ってね!」
「はい」
「当たり前よ!」
とうとう順番が回ってきた。
「コウヤ、練習通りやれよ。恥ずかしがったら、殺すからな」
「わかってるよ」
カーテンが、開かれた。
コウヤは口を開き、ダイゴーーー姫に手を差し出した。
かしずき、片方の手は己の胸に添える。
この世で一番愛する人を見上げ、恭しくひざまずく。
「さぁ、お姫様。手を」
「まぁ、ありがとう。王子様」
観客の視線が、一斉に吸い寄せられる。照明を浴びて歩く二人。その足取りは軽く、不敵な笑みが舞台の空気を支配していた。姫と王子の背丈はほとんど同じなのに、なぜか王子のほうが大きく見える。コウヤのその微笑には、不思議な引力があった。
まるで、ステージは深紅のバラが咲き誇る庭園のようだった。一輪ごとに誇り高く、炎のような色を宿している。風に揺れるたび、香りが空気を染め、見る者の心を奪っていく。 そんな、気高くて情熱的な輝きを放つ、二人の男女。
観客のざわめきが波のように広がっていく。歩き方も所作も完璧で、まるで本物の王子と姫。
アナウンスサークルの二人が、観客の反応を確かめてから、息の合った調子でマイクを握った。
≪エントリーナンバー十五番! 野中しおりさんの作品です! アンケートにこのドレスの感想を書いてください! 撮影OK! スマホで拡散、お願いしま~す!麗しい王子が現れましたねぇ、おっと、今回の主役は姫の方です!皆様、メインの採点はドレスの方ですよ~!お忘れなきよう!≫
――拡散OK⁉ そんなの聞いてない!
予定したウィンクを、決められたタイミングで飛ばしながら、コウヤは内心、心臓が跳ねるのを必死に抑えていた。
≪おおっと~!? すごいぞこの二人! 他の出場者とはまるで格が違うッ!≫
≪まさに王子と姫、堂々たる登場です!≫
客席がどっと沸いた。
拍手と歓声が混じり合い、舞台の空気はさらに熱を帯びていく。
歩を進めながら、ところどころで練習した通りのポーズを決める。
そして一番奥、カメラがずらりと並ぶ場所で――姫の腰を抱き寄せ、コウヤは片足を半歩前に出し、背筋をまっすぐに伸ばす。
その仕草は「この人こそ、僕の永遠の姫だ」と世界に宣言するかのように。
照明がドレスの裾をきらめかせ、抱き寄せる腕で生まれる陰影が、姫をより美しく引き立てる。
王子の横顔はわずかに上を向き、強い眼差しで遠くを見据えていた。その状態でしばらくぴたりと止まる。
フラッシュがまぶしくて、あやうく何度も瞬きしそうになるのを我慢した。
客席からは再び大きな歓声が上がる。
演じ切ってはいるものの、やはりどこかに“素のコウヤ”がいた。周りの様子も、観客一人ひとりの顔も、よく見えている。
背中に視線を感じるたび、鼓動が早まる。
アナウンスサークルの声が会場を煽るたび、コウヤは心の中で必死に祈った。
(お願い、これ以上は盛り上げないで。緊張で、腰が抜ける……!)
アナウンスサークルの二人が、観客の反応を確かめてから、息の合った調子でマイクを握った。
≪照明が輝き、カメラがフラッシュを浴びる中、二人の息の合ったポーズが完璧に決まりました!≫
≪まさに王子と姫、その輝きは眩しすぎます!≫
声がスピーカーから響き渡る。まるでテレビ番組の実況のように、滑らかで、勢いがある。あまりおだてられる機会のないコウヤは恥ずかしすぎて泣きたくなった。
ラストの参加者まで発表が終わった後、すぐに集計が始まった。10分休憩ののち、結果が発表される。
アナウンスが会場にこだました。
≪さぁ、それでは結果発表といきましょう!≫
順々に下の成績から呼ばれている。コウヤたちはずっと、呼ばれていない。
いよいよ最終結果。
3位にも、2位にも呼ばれなかった。
しおりとダイゴが、手を組むようにして祈っている。
その姿を見て、コウヤも心の中で願った。
――どうか、いい結果が待っていますように。
≪最優秀賞は~~!≫
ドラムロールが鳴り響き、会場の空気が一気に張りつめる。
スポットライトが、コウヤと野中姉弟、三人を鮮やかに照らし出した。
≪……野中!しおりさんの――作品だぁぁぁっ!!≫
その瞬間、観客席の中で一人の男性と視線がぶつかった。
――大国さんがいる!
視線がぶつかった瞬間、大国の表情がわずかにやわらいだ。
誇らしげに、けれど優しく――まるで「まぁまぁだった」と、褒めてくれるようなまなざしだった。
胸が締めつけられる。同時に見に来てくれたことが嬉しくて――王子役であることも忘れ、ふわりと心からの微笑みがこぼれた。
大音量の発表に合わせて、割れんばかりの歓声が湧き上がる。
客席からは「おめでとうー!」と叫ぶ声、拍手の渦、立ち上がる人々。
会場全体がひとつの熱狂に包まれた。
◇◇◇
コンテストに優勝できて、本当に良かった。しかも、賞金の十万から一万円ももらえてしまった。
大国に魅力的だと思ってもらえるように、見た目改善に力を入れなくては。まずはこれで美容院に行って―――。そんなことを考えて歩いていたら、駐車場の方面からよく見知った二人組が立っているのが見えた。
大国と岸和田だ。待っていてくれたようだ。
急に恥ずかしさが込み上げた。
「コウヤぁぁあ!なんやアレ!すっごかったなぁ!隠れた才能やで。なんで教師目指してんの?モデルやりゃーええやん!」
「そんな……大袈裟です」
岸和田の行き過ぎた賛美に、苦笑する。
「今から予定はあるか?」
不意に大国の手がコウヤの手を包み込んだ。
その温もりが指先から一気に広がり、コウヤの頬は瞬く間に熱を帯びていく。
「いえ、このまま電車に乗る予定です」
「なら、一緒に帰ろう」
「はい」
駐車場までを手をつないで歩きながら、大国が少しも怒っていないことに、驚いていた。あんなにもコンテストに行くなと言っていたから。
「大国さんの忠告、無視してすみません」
「あれだけ手伝いたいと言っていたんだ。止められないだろ。お前は頭が固いからな」
「すみません」
車に乗る直前まで、大国の手は離れず、そのままだった。
岸和田は後部座席に。コウヤは助手席に座った。
車の中で、大国が運転しながら話し始めた。
「お前が陸上部に入ったころを思い出した」
「え?」
「小学生のころ、女子にいじめられたり、告白されたりして、女の子たちに騒がれるのが嫌だと、よく私に相談していた。覚えてるか?」
コウヤはまぶたの奥に、遠い記憶をたぐり寄せる。
確かに、そんな時期があった。居心地の悪さに戸惑い、どうすればいいのか分からなかった幼い自分。
「陸上部なら女子に騒がれることもないんじゃないかと、私は提案したんだ」
ああ、そうだ。思い出す。自分が陸上を続けてきた理由――それは大国の勧めだった。
女子に煩わされることもなく、ただ走ることだけに打ち込めたあの頃。あのときは、それで良かったと思っていた。
「今は、どうなんだ?女子どころか、あの観客席の半分は男だったぞ」
問いかけの意図に、コウヤは気づいた。胸の奥がかすかに波立ち、正直な言葉が口をついて出る。
「大国さん以外の人に素敵だと言われても、あまり嬉しくない…かもしれません」
好きだと伝えれば、それは困らせることになる。だけど、今はこれくらいなら、言っても良いと思った。むしろ、この言葉を大国は待っているのではないかと思った。
その答えに、大国はふっと笑った。
「“素敵”だったぞ。王子」
その一言を聞いた瞬間、コウヤの胸の奥がふわりと温かくなり、まるで天にも昇るような嬉しさに包まれた。口元が思わず緩み、じんわりと胸に染み渡る。
長い間押し込めていた自信や誇らしさが、一気に溢れ出すようだった。
――ずっと、この人の傍にいたい。
心の底から、コウヤは夫を愛しいと思った。
「ヤァァァア!泊らせてぇぇえ!」
一泊したがる岸和田を置き去りにするように駅で降ろし、二人は今、コンビニで今日の夕食を選んでいた。
「いいんですか? 本当に、コンビニご飯で」
「いい。帰ったらすぐ、やりたいことがある」
「やりたいこと?」
大国がふっと口元を緩め、耳元でささやく。
「お前が腰を抜かすようなこと」
「……ッ」
「おっと、ここで抜かすな。いつ治るんだ、そのクセ」
ガクン、と下半身に力が入らなくなり、持っていたカゴを落とす寸前で、大国が腰を支えてくれた。
「す……すみません……び、びっくりして」
大国の耳元でささやく攻撃でヒットポイントがいっきにゼロ近くになったため、コンビニでは何かにつかまらないと立てなくなってしまった。コンビニデートは中断し、すぐに車に戻る事となった。
「ん……っ」
大国は助手席にコウヤを下ろすなり、迷いもなく唇を重ねた。
(わっ……キス、久しぶり……!)
「その髪型、悪くないな。――王子様」
かぁぁ、と全身が一気に熱を帯びるのを感じる。
(僕からしたら、貴方のほうが王子に見えます……)
結局、食事はデリバリーにし、大国に見張られるようにして食べた後――今、ヒノキの浴槽で夫と一緒に浸かっている。
「何もしない。風呂でのぼせたら、あとでなにもできなくなる。身構えるな。普通にしていろ」
「は、……はい……」
広めの湯は、二人で入ってもまだ余裕がある。コウヤはできるだけ端に寄り、身を潜めるようにしていたが、そんな態度に呆れたのか、ぐいっと腕を引っ張られ、胸の前にすっぽり収まるように抱きしめられる。
声にならない声を漏らし、コウヤは体を固くする。
「こ、ここここ、ここでは何も……」
「何もしていないだろ」
(してる……すごくしてる。背中にぴったり、大国さんの体がくっついてる……!)
「私たちは夫婦だ。これくらい、普通だろ」
(っふ、普通なの?!)
大国の唇が、首筋にあたった。
「ぅ、く……」
思わず声が漏れそうになり、慌てて指で口元を押さえる。
「どうした?」
低くて柔らかい声が耳元をかすめる。それだけで、心臓が跳ね、思わず目を閉じてしまう。
「ん……だめです、ここでは」
「なにもしてない」
そう言いながら、大国は数回、顔を首筋にうずめてくる。形の良い唇が、耳の下に軽く触れるだけで、身体の奥からじんわり熱が広がる。
意識しないように努めても、胸が前に反るように反応し、息をつめてしまう。
しばらくそうしていたら、今度は頭を片手でもまれた。
これもまた体に甘いしびれが伝わるが、あいまいな愛撫よりは幾分かマシだ。
ヘッドマッサージのつもりなのか、あらゆるツボをおしてくる。
その大きな手のひらが、側頭部と後頭部を包んだ。すると、腰から淡い電流が走りだし、我慢できず「んっ」と声が漏れてしまった。とっさに口をおさえる。
「あ、い、いまのは……」
「わかってる」
大国は無用な会話を好まない人なので、それ以上は何も言わなかった。また、大国が首元に顔をうずめてくる。――唇が、首筋にあたる。
全身の感覚が鋭くなり、唇が触れるたびに呼吸が浅くなる。まつげがふるえた。意識しても、抑えきれない熱が、胸の奥で渦巻く。
迎え入れる蕾が、収縮したのがわかった。
思わず息を呑み、身体がぞくりと反応する。感覚は正直で、熱が内側からじわじわと広がっていった。
(大国さんの口が当たってるだけ、なのに……すごくキモチイイ)
目に見えて反応しているコウヤを前に、大国もつられたのか、背後から伝わる熱が、次第に硬く、熱くなっていくのがわかった。
その感触に、コウヤの呼吸は荒くなり、心臓は跳ねるように高鳴る。
浴槽の湯の温かさよりも、互いの熱がずっと近く、危うくて、背中にぞくりと震えが走った。
(挿れてほしい)
目はうつろになり、もう、そのことしか考えられなくなった――。
思考が熱に溶けかけたその瞬間。
――ッ、ぽた。
湯の表面に、赤いものが一滴落ちた。
それは静かに円を描くように広がり、淡く揺れる湯気の中でゆらゆらと滲んでいく。
至近距離で見ていた大国も、その異変に目を見開いた。
「……鼻血か!」
ばしゃり、と湯が跳ねた。
慌てて立ち上がった大国の動きに、熱い雫が飛んで頬に当たる。
「ふ、ふえぇ……! す、すみません……っ!」
コウヤの鼻先から、ぽたぽたと落ちていた。
湯の香と混ざり、鉄の匂いがふわりと立ちのぼる。
大国は慌ててコウヤの腕を取り、湯船から引き上げる。
そのまま脱衣所に座らせ、タオルで拭きながらうちわを手に取った。
湯上がりの熱が残る浴室に、ばたばたと風が送られる。
「大丈夫か?」
「だ、だいじょうぶですから……! すみません……。あとはもう、自分で……」
ティッシュを鼻にあて、かすかに上を向いたままそう言う。
鏡に映っている顔は真っ赤で、湯気のせいなのか羞恥のせいなのか分からない。
それでも大国は心配そうに眉を寄せ、うちわをやめようとしなかった。
結局、彼がうちわを止めたのは、それから十分後のことだった。
服を着替え、髪を乾かし終える頃には、すっかり夜も更けていた。
廊下に出た大国が一言、「もう風呂で悪戯はしない」とぽつりと呟いた。
コウヤはきょとんとした顔で、大国を見上げる。
(……悪戯してる自覚、あったんだ)
内心でつっこみながらも、当たり前のように彼のあとを追って同じ部屋に入ろうとする。
だが、扉の前でぴたりと大国の手が伸び、コウヤの肩を押しとどめた。
「まて。今日は何もしない」
「え?」
その言葉が、まるで氷のように胸に落ちた。
「鼻血が出ただろう。もう安静にしろ」
「そ、そんな……!」
せっかくの――子作りチャンスが!
けれど、「えっちしたいです」なんて口が裂けても言えない。
湯上がりの頬が、再び熱を帯びる。
コウヤは結局、何も言えずにうなずくしかなかった。
その夜、与えられた隣の部屋でひとり、掛け布団をぎゅっと握りしめる。
隣の部屋から微かに聞こえる気配に耳を澄ませながら、
胸の奥でこぼれたため息は、湯気のように静かに消えていった。
(――抱かれる準備は、万端だったのに)
静寂だけが隣にあった。
まだアソコが疼いている。
熱の残る身体が、名残惜しげに震えた。
少し前まで彼のために開いていた場所が、空虚を埋めるようにきゅっと縮んだ気がした。
「……いれてほしい」
小さくつぶやきながら、布団を胸元まで引き寄せる。
暗闇の向こう――その向こうにいる彼の気配を、どうしようもなく求めていた。
もし、鼻血を出していなければ、今ここで燃えるような熱い性器を受け入れ、思う存分にキスをして、睦みあっていたはずなのに。
「大国さん……」
数日前の大国を受け入れたあの感覚を思いだし、身をよじる。
咲いた欲望にあらがうことはできなかった。ごそりとズボンを少しずらした。
自分を慰めるのではなく、あくまでも子作りのため。そう言い訳をして。実際、定期的に穴はほぐしておかないと、大国を受け入れる時につらくなってしまうのだから――。
下半身はふくりと勃ちあがっている。そこを通り過ぎ、淫らに濡れた場所へと指を導きーーー差し入れる。
「んっ……ンン、ゥ……!」
全ての準備が整い、溶けていた体は、それだけで強烈な快感が背筋を駆けていく。
ガクガクと腰が上下に動き、カラダがしばしいう事をきかなくなる。
「はっ……はっ……ん」
熱い吐息を整え、白くかすんだ視界の中、余韻にひたる。とろり、と腹部に白い粘液がこぼれた。久しぶりに蕾で感じた絶頂は長く尾を引き、扉が開いて誰かが入って来たのにも気づけなかった。
(今の……すごかった、かも)
たった一本、しかも、指先を挿入しただけで。ここまで体が敏感になるのは、初めてだった。
一度好きな人に抱かれた体は、以前よりも段違いに快感を拾いやすくなっているようだ。
ぱたりと腕を顔の横に置く。ティッシュで腹部をふきとらなくてはいけないのだが、手も足もジンジンと余韻が続いていて、動くには時間がかかりそうだった。
「コウヤ」
呼吸が――止まった。
なぜ、いつ、どうして、ここにアナタが。
体を隠すように横を向いて、背中を丸める。
「っだ、大国さ…、いっ、いつ入って来たんですか?!」
「お前の喘ぎが聞こえてすぐだ。安静にするように言ったのに、なにをしてるんだ?」
顔に熱があがっていくのを感じた。本当に、自分は何をしているんだろう。せっかく大国が気遣ってくれていたのに。涙が溢れそうだった。ティッシュで腹部をふきながら、「ごめんなさい……」と謝る。
両手首をつかまれ、そのまま布団に押し倒される。まだ下着はずれたまま。性器も丸出しだ。恥ずかしくて声を上げる。
「あっあっ、あのっ、まだ、僕、下着が……ずれた、ままで」
「そのままでいい」
「んっ……」
身をかがめた大国に、唇をふさがれた。甘やかなキスの味に、コウヤはうっとりと目を細める。じん、と全身がしびれるような心地よさだった。
「ふっ、……んく」
口が離れるたび、まるで自分のものじゃないのではないかと思うほど、なまめかしく、淫らな声が漏れてしまう。なるべく抑えようとしても、時折背中を突き刺すような快感がビリビリと頭に響くたび、喘いでしまっていた。
どうにか声をこらえようと、手の甲に筋が浮くほど拳を握りしめた。
「次は、ゆっくりスるつもりだったんだ」
吐息と一緒に、耳で低い声でささやかれる。まぶたがふるえ、目頭が熱くなった。何をされても、何を言われても、悦楽に繋がる。
(セックス、してくれるんだ。うれしい)
「………ッ………」
大国の指が、蜜の溢れ出る場所へ潜ろうとしていた。
「………ああっ」
狭い隙間を埋めるように、ゆっくりとナカを暴いていく。
コウヤは喉を鳴らし、無意識にキュウと大国の指を締め付ける。また、腰が言うことを聞かなくなる―――。
自由になっている片方の腕で大国の肩をつかみ、顔をそこへうずめる。不可抗力で、風呂上りの大国の澄んだ香りを胸いっぱいに吸い込むことになり、感度が倍以上に膨れ上がった。
肉壁が擦れるたびに蜜はさらにあふれ出し、大国の指を手伝う。頭の芯まで痺れるような快楽に支配されていく。体内では熱が渦巻き、性器が下腹にくっつきそうなほど感じてしまっていた。
「………んんんぅ………っ」
指は優しい前後の動きから、弱い部分を狙って押し上げるような動きに変わる。とうに弱い箇所は見抜かれていて、そこを寸分たがわず弄りたおされていた。骨ばった男性らしい大国の指は、コウヤを確実に絶頂へと導いている。さらに指の本数を増やされ、前立腺への圧迫感が増した。
「………アァッ…………!」
こぷり、とひときわ濃い白い液体が、赤くなったコウヤの中心から溢れ出る。快感が少しでも外へと逃れるように頭を左右に振った。達した体はいとも簡単に次の快楽の波にのまれてしまう。
「……んっんぅ………っ」
大国の指によって達したというのに、まだ指は止まらず内壁をなぞっていた。
「………ん、ふ…………アァッ………っ」
ものの数分でまた、追い込まれるような快楽がやってきて、激しく息をつきながら喘いだ。下半身が痙攣している。こうも連続で絶頂を向かえてしまうと、目がうつろになり、頭が真っ白で何も考えられなくなってくる。
「………ぁっ………?」
蕾に、大国の熱い屹立がそえられる。
「もう、いいな」
期待と、恐れを交えた瞳で、大国を見上げた。
「お、おねがいしま、す……っ…………あっ…………んんんん!」
大国の性器がねじこまれた。奥深くまで潜り込もうとするたび、内壁がこすられていく。途方もない快感がコウヤを襲い、腰がうねった。
「ぅぐ……っ、コウヤ、……じっとしてくれ。すぐ、出てしまいそうだ」
「はぁ、はぁ…………すみません……え?」
「なんだ」
朦朧とするなか、コウヤは言った。
「ナカに出してほしいので……いつでも出してもらって大丈夫なんですが……アア!」
大きく腰をゆさぶられ、灼熱の楔が、コウヤを翻弄する。
「煽らないでくれ!」
(し、叱られちゃった……言ってはいけないことだったんだ)
たくましい先端に感じ入りつつ、コウヤは反省した。
一度強い口調で叱られたものの、動作はいたって優しい。両手で耳を抑えるように顔を包み込まれ、ついばむキスが始まった。
「んんっ…………んんっ…………ん」
(あ、コレ、駄目だ……キモチイイ)
つい、腰の震動に合わせて、甘えてねだる声がもれてしまう。
「大国さん、んっ……また、これ、また、すぐ……大きいのがクる……っ」
「っはぁ、は………なんどでもイケばいいだろ」
「でも、あんまりイクと……気絶、しちゃ、う……ので、休憩を……っ」
願いは聞き入れられず、官能的な深い口づけが続いた。猛ったたくましいものが蕾を犯し続け、強制的にコウヤは数度目の熱を弾けさせられたのだった。
繋がった部分から水音が微かに響くころには、
すでにコウヤの体は、なされるがままに夫を受け入れるものへと変わっていた。
「く……ふ………………ぅんっ」
「コウヤ………良い、か?」
大国もこの時すでに3度はナカに射精していた。だが、キスをしている間にまたたくまに大国の陰茎は硬度を増し、コウヤを翻弄する。
ゆるゆると腰を前後させ、後ろから、コウヤを抱きしめていた。
「は、ふ………イイ、です…………すごく………」
生理的な涙が目の端にたまる。大国の詰まるような声が、たまらなく腰に響く。
「もう少し、深くはいっても、問題無いか?」
(ま、まだ奥に入るんだ……)
体に迎え入れているものの、どれだけ大国のものが凄いのか、はっきり見たことがなかったように思う。チラリとつながった部分に目をうつし、大国の立派さに驚きつつも、コウヤはドキドキしながら頷いた。
「お、お願いします……んんっ」
「はぁ、コウヤ……」
二人の声は甘くかすれていた。
情熱的に舌をからませ、こすれあわせる。くちゅくちゅと卑猥な音が部屋に響く。
(すごい……今、大国さんと、キスしてるんだ)
改めて今の状況を噛みしめると、胸がじんわり熱くなる。
「んん、んんぅ………!」
抱擁されながら、弱い部分を重点的に責められる。もう、何度目かわからない。パンパンと肌がぶつかり合う。
(んん、だめ、また、……イク……)
腰が痙攣している。大国は止まらず、コウヤを味わうのに夢中になっていた。頭の奥が真っ白になり、上も下もわからなくなってきた。
大国のもらす喘ぎのような吐息で現実に戻ってくる。かろうじて、意識を保っているギリギリの状況だった。これ以上の刺激には耐えられない。息をつめながら与えられる快楽の波にのっていた。
なのに―――。
「ああ!」
両方の乳首を親指でなでられた。強い快感が脳を貫き、腰が痙攣した。
「ここも、弱いよな」
あろうことか、そのツンと張り詰めた、二つの桃色のそれを――。
「アンンぅ……………!」
片方は舐められ、もう片方の手ではつねられる。腰に直接響くその快楽に驚き、身をよじる。
「大国さん、ソレ………だめぇ………!」
どしてそんなところをいじられるだけで、射精感が高まるのか。
二度目のセックスとなるが、いまだに理解できていない。
全身に広がる波紋の波に動揺しながら、身悶え、腰を引く。
「逃げるな。悪くはないだろう?」
「悪いです……とても、ヘン、です……」
大国の肩がゆれるのを感じた。涙目でぼやけているせいであまりよくは見えないが、笑ったようだ。
「こんなにヨさそうなのに。いつから嘘つきになった?」
「んん、アッ」
親指で両方の乳首をつぶすような動き――。
稲妻のような刺激だった。
ただでさえ、大国とのこういった行為は気絶するほど良いものだった。これ以上の快楽など求めてはいなかったのに。
「ああっ………あっ…………あっ……んんーーっ…!」
内壁をこする刺激だけでも精一杯だ。突き上げられ、胸の先を、なおも親指で下から持ち上げられるように、時に円を描くように弄ばれている。たまらなかった。
この間にも、数回頭が真っ白になる感覚がやってきていた。目をギュッと閉じると、パチパチと星がまたたく。
休憩を、とキスの合間にお願いしても、「まだだ」と返されてしまう。
セックスの主導権はおのずと大国が持っていて、コウヤはただ愛撫されるまま感じるしかない。
大きくのけぞり、逃げ場のない快楽を少しでも分散しようと頭を左右にふる。
動きは緩やかなのに、カラダは熱く燃え上がっていく。大国が前後に動くたび、逃がすまいとキュゥゥと雄を締め付けた。
「ハア、ハァ、……………んんん!」
足を抱えられ、少しも速度を落とさず、大国は正面から腰を穿つ。
ひねられる胸の刺激に、コウヤの太ももがブルブルと痙攣した。その時、大国は何を思ったのか、コウヤの屹立した雄を――握った。
「やっ………あぅっ……」
驚いて身を引くも、すでに下肢がぴったりとくっつくほど肌は重なっていて、さほど二人の間に距離はできなかった。
自分の先端の穴が小さく開き、勢いよく精液が押し出されるのが見えた。くぽ、くぽと開いたり閉じたりしているその穴を見てしまい、カッと羞恥心で目をまた閉じてしまった。
(ソコは………さわらないでほしい)
彼は、女性を妻に娶りたい男なのだ。
だからこそ、自分が男であることを象徴する部分に触れられるのは、どうにも気が引ける。
「やめて、ください……そこは、」
「はぁ……コウヤ」
熱を持った声で耳元で名前を呼ばれる。瞬間、ぞくぞくと導火線のように快楽が体中を駆け巡った。
大国の汗も、吐息も、何もかもが熱い。腰を前後する速度が、上がった。
「あ、んん!、んん!………ああ!は………んん!は………あっあっ、くぅ………ああんん………つは、む、ん」
ぐちぐちと指で上下に屹立したソレを扱かれ、蜜が零れ落ちる蕾では大国の赤く猛ったものが抜き差しされている。スピードが緩まることはなく、二度連続で強い波に襲われ、射精したあとも、大国は手放してはくれない。
息も絶え絶えになり、「もう……もう、だめ……」と掠れた声をこぼしたころ、
ようやく大国の熱も静まり、コウヤは力尽きるように意識を手放したのだった。
< 1章 コンテスト偏 終>
1章 コンテスト偏
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
十二月。冴え冴えとした寒気が、窓を白く曇らせていた。
割烹着姿のコウヤは、鍋に出汁をかけながらふうと息を吐く。ゆったりとした布越しにもすらりとした体つきがうかがえ、その姿はどこか静かな温もりを帯びていた。髪に朝日が透け、横顔を柔らかく照らした。
「よし、あとは味噌汁だけ」
時計は六時四十九分。背中にふっと影を感じ、思わず振り向く。
「おはよう」
そこに立っていたのは、スーツ姿の夫、大国。
切れ長の瞳が静かに細められ、白いシャツの襟元からは、朝の冷気と混ざった香りがほのかに漂ってくる。
窓越しの淡い冬陽が、彼の髪に光を落とす。
長い脚に沿って布地がまっすぐに伸び、立っているだけで余裕と風格を感じさせる。
思わず両手で口を覆いたくなるほど――かっこよかった。
「おはよう……ございます」
「なんで最近、いつもその態勢なんだ?」
無意識に両手を合わせて、大国に拝むようにしていた。
「あ、えっと、なんでもないんです」
あんまり見ていると、朝食の準備に支障が出てしまう。
息を吐くたびに白く曇る空気を見ながら、目線をそらして鍋に味噌を加えた。
「今日は豆腐の味噌汁にしてくれ」
「はい、お豆腐追加しておきますね」
(ン…?今日は土曜日なのに、どうしてスーツ?)
おたまを置き、夫へと体を向ける。
「今日、お仕事なんですか?」
「昼にオンライン会議がある」
なるほど。しっかりスーツを着こなしているのにはそういうワケが。
「今日は大学があるんだろう?時間に余裕があれば、昼食もついでに作っておいてくれると助かるんだが。何か、簡単なものを」
頼りにしてくれるのがすごくうれしい。
体を重ねてから、夫はほぼ毎日、土日は手作りを欠かさず食べてくれている。
外で済ませることの方が多かった日々を思えば、いまの光景はまるで別人のようだ。コウヤはその変化を噛みしめるように、静かに目を細めた。
「はい!シャケの塩焼きでもいいですか?」
「ああ、頼む」
「家を出る前に焼いてラップしておきますね」
距離が、近くなっていた。
夫のすらりとした背丈に、しっかりとした肩幅が目前に来ている。そこから自然に絞られたウエストへと続くラインが、スーツ姿をいっそう引き立てていて――。
「ウッ」
おもわず胸をおさえてしまう。
「ど、どうした」
夫がかっこよすぎて心臓が痛い、とは言えない。
「あ、いえ、ちょっと胸がかゆくて」
「ふ」
大国のほがらな笑顔を見れてしまった。
「かゆいだけか。大げさだな」
つい、コウヤもつられて微笑んでしまう。
大国がすっと顔を寄せてきた。
(わ……か、かっこ良……じゃ、なくて……なに、まさか、キス――? )
そう思った途端、コウヤの胸は強く脈打つ。
二週間前、初めて体を重ねてから、夫は一度も触れてこない。それなのに、この近さは。恥ずかしさと戸惑いで、思わず一歩後ずさる。
大国はわずかに眉を寄せ、立ち尽くす。
その手が胸ポケットに伸び、何かを探る仕草をした。
「……渡したいものがある」
「え?」
おもむろにコウヤの左手の薬指をそっとなぞり、言葉を飲み込む大国。
コウヤが不思議そうに首を傾げた、その瞬間――。
ピンポーン。
甲高いチャイムが、張り詰めた空気を切り裂いた。
「……やっぱり、今はいい」
「?」
「いつか渡す」
大国は、こつんと額を合わせてくる。
(ふへ?!……っだ、大国さん~~~?!)
これ以上、仰天することなんてないんじゃないかと思うほど、コウヤは驚き、口元を震わせる。
(か、かわいい!、じゃ、じゃなくて、これは一体どういう……この人、こんなスキンシップできたんだ?!)
チャイムが鳴ったことなど、この瞬間にはもうすっかり忘れていた。
(顔が……ちかい)
大好きな人にこんなことをされて、うれしくないはずがない。首元から頬にかけて熱が集まる。トクトクと胸が高鳴っていった。
「あ、あの……大国さん」
「ん?」
低く柔らかい音が鼓膜を震わせ、背筋をつたって心臓の奥にまで落ちていく。
(な、な、な……っ!にそれ、……!”ん?”とか……っ)
ゾクリと全身が反応し、思わず肩がすくんだ。頭の中までしびれる。
(離れてくれないと!腰!腰が……っ)
「今、朝ごはん、つくってて……」
彼のきれいな鼻筋が、耳元にあたる。スゥー、とコウヤの首筋を嗅いだ。
「ああ。朝食の、良い匂いがするな」
(それ、僕の匂い嗅いでませんかっ?!)
食卓にはすでに白飯、肉じゃが、つけもの、おひたし、だし巻き卵を置いてある。
あとは味噌汁だけなのだ。
(腰が砕けたら、ごはん用意できなくなっちゃう……っ!なんで朝からこんなに攻撃力が高いんだろう、大国さん……困るよ……)
「どうした?」
「どどど、どうしたも……こうも……」
(---ハッ、そうか!きっと、僕が大国さんを好きすぎて、すぐに腰を抜かしてしまうから――密着するのに慣らすために、こういうことをしてくれてるのであって。か、かか、勘違いしちゃだめだ。修行させてもらってるって、思わないと!よ、よぉし……僕だって男だ。やってやるぞォ……!)
悲しいかな、意気込んだものの、何もできない。
ふと、両手が空いていることに気づいた。
(大国さんに腕を回すくらいなら……。)
指の先を揺らしたその時――。
――ちゅっ
コウヤは宇宙へ飛んだ。
(大国さんから……ほっぺに、キス、した?)
数秒固まったのち、現実に戻る。右手をそっと、大国の唇が当たった頬をおさえる。
いくらセックスをした仲とはいえ、こんな朝っぱらから恋人のような触れ合いをしてもらうのは初めてで、どうしたらいいかわからなくなる。思考回路はショート寸前だ。
「あ、わ、あわわわわ」
とうとうコウヤが人語を話さなくなり、大国が肩をゆらして笑いを我慢する間も、チャイムは鳴り続けていた。しかも連続で。
およそ普通の人ならやらない所業だ。
何度も鳴り続けるチャイムを止めないと、ご近所迷惑になる。
二人は視線を交わし、同時にため息をつく。
「アイツだな」
「……ですね」
玄関を開けると、案の定そこに立っていたのは――はた迷惑な男、岸和田だった。
朝の柔らかな光を受けて淡く輝く髪は、ベージュに近いブロンド。
ふわりとした毛先が自然に流れ、顔まわりを明るく縁取っている。
その明るい髪を朝日に光らせながら、にっこり笑うと、目が合うなり、ずうずうしくも言った。
「彼氏と喧嘩してもうたわ。元気出るご飯、食べさせて!」
これが、彼の第一声である。
笑えば目元は弓なりに細まり、その笑顔は屈託がなく、見る者の心をほどくような明るさを放つ。
「おはようございます、岸和田さん。僕はもちろんいいですけど、大国さんに確認をとらないと」
だが、突然の来訪を大国がよしとするはずもない。
しかし岸和田はおかまいなしに「おじゃまぁ~」と言いながら家の中に入り、テレビをつけ、あまつさえ勝手に漬物をつまんで「朝ごはん、まだぁ?」と当たり前のように食卓に座り込む。
「帰れ」
大国が冷たく言い放つと、岸和田は聞こえないふりをして「あいかわらず、スーツめっちゃ似合うなぁ!」などと調子よく褒め、厚かましくゴマをすっていた。
結局、大国はなかばあきらめ、岸和田が渡してきた新聞に目を通す。
その時、テレビから耳を疑うような報道が流れた。
≪〇×製薬は、男性妊娠薬の販売を中止し、今後も再開の予定はないとのことですーー≫
報道は続き、男性妊娠薬の処方が正式に禁じられたと告げていた。
食事の支度をしていたコウヤは、テレビの音に振り返った。
画面では、ちょうど妊娠薬販売中止の報道が流れている。
大国は新聞の一文を何度も見返し、信じられないように眉をひそめていた。どうやら彼も見出しの妊娠薬販売中止の内容に驚いているようだ。
一方、朝から遊びに来た岸和田はそのニュースなど気にも留めず、味噌汁をずぞぞぞとすすっている。
少し慌てた様子の大国が、電話をかけはじめた。
「――父さん、男性妊娠薬のことですが……ええ、はい。今テレビで……」
――妊娠薬が、なくなる?
男性の体に子を宿すにはその薬が必要だ。
それがなければ、どれだけ互いを想っても、新しい命は生まれない。
未来の扉が、音もなく閉まりかけている気がした。
大国の声に、現実へ引き戻される。
喉の奥がつまって、すぐには言葉が出ない。
「そちらには薬の在庫が……ない? ちょ、ちょっと待ってもらえますか?確認します。 コウヤ、妊娠薬はいくつ持ってる?」
「一年分、です」
一年分。たったそれだけ。胸の奥で小さな恐れが膨らんでいく。
大国は再びスマートフォンに耳を当てた。
「コウヤと私の分を合わせて、合計二年分あります。……はい、できるよう努めます」
通話を切った大国は、険しい面持ちでコウヤを見据えた。
「もう本家にも、あの薬は残っていないそうだ。――コウヤ、聞け。これは大問題だ」
言われなくても、事の重大さはコウヤにもわかっていた。男性妊娠薬が切れれば、子どもをなすことはできなくなる。
つまり、それは子どもをあきらめなければならないということだ。妊娠ができるいまのうちに、受精しなければいけない!
「ど、どうしましょうか……い、今からえっちしますか……?!」
コウヤは動転していた。
大国は咳込んでから、何かを制すように片手を挙げた。耳が赤くなっている。
「いや…ごほん、ゲホッ、その、……今はやめておこう。お前は、昼、大学があるからな……」
大国には姉・兄・弟がいるが、まだ誰も子どもを持っていない。
兄弟のなかでも結婚しているのは、大国を含めて二人だけだ。
また、神宮家では血縁以外にも「兄弟」として迎え入れられた者たちがいる。
そのうちの何人かは結婚し、子どもももうけているものの――いずれも実子ではない。
ゆえに、大国の父は“実の孫”を強く望み、大国に子をもうけることを期待しているのだった。
神宮一家では、結婚相手は占いで決まるのがしきたりだ。神が選んだ相手としか添い遂げられず、その相手でなければ子どもを授かることもできない――昔からそう決まっていた。
神と神宮一族は、加護を受ける代わりに、神が選んだ相手とだけ子どもをなすという契約を交わしていた。もし神が選んだ相手外の者と添い遂げる道を選べば、子どもは授からない。それは時に、加護でありながら呪いのようにも感じられる掟だった。
しかし、大国の姉と兄、双子の兄妹はその決まりを拒んだ。占いで決まった相手ではなく、彼らは自分たちが愛する人と生きる道を選んでしまった。結婚はしていないが、その覚悟は固く、絶対に別れるつもりは無いらしい。
コウヤは背筋が凍る思いを覚えた。もし、このまま神宮家のしきたり通りに子どもが生まれなければ――神宮本家に跡継ぎがいなくなるという現実が待っている。
長年、神と契約して守られてきた家の繁栄が、一気に揺らぐ可能性。たとえ誰も口にはしなくても、その危機は明らかだった。
大国は子どもがほしいわけではない。しかし、跡取りがいなくなるとなれば話は別だ。もはや、子どもを作らざるを得ない状況になってしまった。
「二年以内に子どもをつくるぞ。――今夜、決行だ」
「……はい!」
コウヤは使命感に駆られ、静かにうなずいた。
机をはさんで向かい合う二人の心は、たしかにひとつになった。
コウヤの胸には使命感が満ちあふれ、もはやこの時、子作りを恥じる気持ちなど微塵もなかった。
その張りつめた空気をぶち壊すように、岸和田がひょいと口を開いた。
「……。お兄さんら、俺がおるの忘れてへん? ……ん? なんやこのチラシ」
彼にとって、男性妊娠なんてニュースはどうでもよいことだったらしい。机に放り出されていた紙を、興味なさげにぱらぱらとめくっていた。
「なにこれ、コンテスト?」
岸和田が紙を見つけて言う。
「えっ、コウヤ、女装するんか!」
岸和田が身を乗り出し、チラシを覗き込む。
大国は目を細め、無言でチラシとコウヤを交互に見つめた。
「いえ、僕は王子役です。女装するのは友人で、大学のファッションショーの催しなんです。うちの大学、ファッション系の学部もあって。友人に頼まれました」
岸和田は眉をひそめ、チラシを指でなぞる。
「女装する側の服がメインいうことやな。ほんで王子役か。やけど……王子、いらんくない?」
「王子は、女装した人をエスコートする役目があるんです。一緒にウォーキングして、二人でポーズをとらないといけなくて。男性向けドレスがメインのショーなので、僕の王子服はおまけなんですけど」
「女装っていうのが……なんか、なぁ?微妙よなぁ、大国」
大国はモクモクと朝食を口に運んでいる。返事をする気が無いようだ。
「コウヤのドレス姿やったら興味ある?」
大国は無視を決めこんでいる。
「まーお前らは仲エエから、夜中にドレス着てコスプレプレイやり放題やもんな。興味ないかぁ」
大国は背を丸め、静かに胸部をたたいている。どうやら喉をつまらせたようだ。コウヤが水を持ってくる前に、彼は席を立ち、岸和田の胸倉をつかんだ。
「今すぐ死ぬか?」
岸和田は両手を肩くらいまで上げて降参の意を表し、「申し訳ありません」と謝った。大国は腹が減っていたのか、比較的いつもより早く岸和田を解放した。大事にならずに良かったと、コウヤは胸を撫でおろした。
何事も無かったように味噌汁をすすり、また話を戻す。
「需要あるんかいな」
「一応、無料で見られる場所と、有料でよく見える席があって、有料席は一席3000円で全てソールドアウトになったって聞きました」
「はー。物好きもいたもんやな。大学もあの手この手で、自分とこの学校の知名度上げようとがんばってるっちゅーわけや」
コウヤは苦笑し、声を少し落とした。
「まぁ、そんなところです」
岸和田はにやりと笑う。
「お前が王子役なー。想像できんわ。絶対似合わん」
「……似合わないですか?」
「どっちか言うたらお姫様のが似合うやろ」
コウヤは内心、そっとため息をついた。岸和田の反応は、いつもながら容赦がない。しかし、仕方がない。頼まれた以上、やるしかないのだ。
大国がようやく口を開いた。
「くだらない。そんなコンテストに出るな。恥になるぞ。将来教師になりたいなら、黒歴史なんて作らないことだ」
思いもよらない反対意見に、胸の奥が冷たくなる。来週、もし良かったら見に来てください――そう言おうとしていた自分が、ひどく馬鹿みたいに思えた。
「黒歴史だなんて……このコンテストがきっかけで、就職先が決まる子もいるんです。僕に頼んできた子だって――」
コウヤが最後まで言い切る前に、大国が低く遮った。
「同じことは言わせるな。コンテストには出るな、と言っているんだ。お前のためだぞ」
(ぼくのため……それは、嬉しいけれど。それでも――)
「すみません、大国さん。僕は、友人の夢を手伝ってあげたいんです」
「まったく……。考え直せ。私は反対だ」
岸和田は眉をひそめ、両手を腰に当ててコウヤと大国の間に軽く体を乗り出した。
「ちょ、ちょっと旦那さん、それは制限しすぎちゃう? 友達のために頑張りたいって言ってんねんから」
その声には、冗談めいた軽さと同時に、真剣なツッコミのニュアンスが混ざっている。
目をぱちぱちさせながら、大国の顔をチラチラ確認して、コウヤが萎縮しないように間をつくっていた。
箸がパン、と机に置かれる音に、コウヤの肩が思わず跳ねる。怒りに満ちた大国の手つきだった。
「……コウヤ、碁盤の準備を。今日は縁側で打つ」
「は、はい」
強制的に、会話は打ち切られた。
コウヤは、しまったと思った。大国の居心地のいい環境を作ってあげること――それが出来なければ、大国がへそを曲げ、子作りに協力してくれなくなるかもしれない。
そのことが、何よりも怖かった。
◇◇◇
今日は土曜日ではあるが、通信大学のスクーリングがある日だった。
朝から大国の機嫌を損ねてしまい、コウヤの気分は沈みっぱなしだった。
「あははー! あのお兄ちゃん、チャック全開ー!」
「?!」
幼稚園児に指をさされて笑われてしまった。指の先を追うと、自分のズボンに行きついた。
(チャックが、開いてる……?!)
――ッジ!!
泣きそうな気持ちで、慌ててズボンのチャックを上げる。
(……今日は厄日かもしれない)
背中を丸め、とぼとぼと大学へ向かう。
公園を通りかかると、手を伸ばして「パパ、ママ」と呼ぶ子どもと、その家族の姿が目に入った。
――いいな……僕もいつかは大国さんと……
羨望の気持ちが胸をよぎる。できれば、自分だって子どもを産んだら、夫と子育てに励み、一生を彼と添い遂げたい。
頭の中に「離婚」という文字が浮かぶ。
離婚なんてしたくない。
この思いを口にすれば、また大国の機嫌を損ねてしまうだろう。
大国のことを思うなら、いずれ女性を妻に迎えられるよう、身を引くのが最善だというのは、頭ではわかっていた。
けれど――もし本当に離婚しなければならないのなら。
神宮家では、神の加護の影響で、初産には必ず双子が生まれると伝えられている。
自分が産んだ子がこの世に生まれるのなら……せめて、そのうちの一人だけでも、育てさせてほしい。
理想は、二人で子どもを育てる未来だけれど。
どうすれば、二人で双子を育てる未来を叶えられるのだろう。
コウヤは、悶々と考え込んでいた。
結婚届を出してからの数か月――その間、大国はこれまでに見たことのないほどの嫌悪の目を向けてきた。
あの視線は、間違いなく本気だった。
最近になってようやく、言動が少し丸くなった。
けれど、それを「優しさ」だなんて勘違いしてはいけない。
情けをかけられているだけなのだから。
(だめだ、やっぱり、子どもを産んだら、大国さんとはちゃんと離婚しないと。できれば双子の片方は自分が育てさせてもらえるよう、そのときにお願いを――)
しかし、そこで足を止めた。
もし――子どもを産むまでの間に、大国が自分に惚れてくれたら?
そんなありえない願いが、ふと胸の奥をよぎる。
二週間前の夜を思い出す。
深夜を過ぎても、大国は離れようとせず、何度も、何度もキスをくれた。
唇は吸われ、歯をなぞられ、まるで食べられているような感覚。
「……ッ」
じわり、と胸の奥が甘く疼く。
熱に浮かされたようなその時間を、まだ体が覚えている。
頬にそっと指をあて、首筋をなぞる。目元が熱くなった。
――このあたりに、よく唇を落としてくれた。
思わず息を呑み、はっと我に返る。
通りの往来で、なんてことを考えているんだ。
コウヤは小さく首を振り、胸の熱を押さえ込んだ。
信号が青になる。
隣を歩く、おしゃれな男性が目に入った。
秋冬らしいファッションに、爽やかな髪型。誰からも好かれそうな雰囲気だ。
あんな服装を、自分はしたことがあっただろうか。
大国に少しでも好かれようと、見た目から努力したことなんて――いや、そもそもない。
(頑張る前から、僕は諦めていたんじゃないか?)
金銭的な問題もあるけれど、それだけじゃない。
どうして、ここに気づけなかったんだろう。
好きな人に魅力的だと思われる見た目をつくってからでも、諦めるのは遅くないかもしれない。
胸が高鳴る。心臓が早鐘のように打ち、全身に血が巡るのを感じる。
体の奥から熱いものが湧き上がり、頭の中が一気に明るくなった。やる気がみなぎって、どんな困難も乗り越えられそうな気がする。
まずは僕自身が、彼に「好きだ」と思ってもらえるよう努力してみよう。可能性は、決して消えてはいない。
ふとその時、胸が立派で、お尻を左右に揺らしながら歩く女性を見かけた。道行く男性が、その人を二度見する。顔はさほど目立ってはいないのだが、誰もが認めるセクシーな出で立ち。彼女を見て、一つ閃いた。
(えっちがうまくなれば、惚れてもらえるのでは……?)
コウヤはその瞬間、自分のうかつさと愚鈍さを呪った。
どうしてもっと早く気づけなかったんだろう?
自分たちは共通の目的――子供を得るというミッションを遂行するため、夜、仲良くする関係だ。
もしその手のテクニックを学べば、大国は自分の技を気に入り、手放せなくなるのでは――そう考え、コウヤはぞくぞくした。
小さな自信が胸を満たし、肩の力が自然に抜けていく。全ては大国との未来のため。
やらなきゃ、今すぐにでも始めなきゃ――コウヤの心は決意でいっぱいになった。
セックスそのものには、大国も前向きなようだ。ならば望みは残されている。
大国に「好き」と言ってもらえたら……そうすれば、離婚をせずに済むはずだ!
なぜこんな簡単で当たり前のことに、今まで気づけなかったのか。
半年近く、嫌悪のまなざしで大国に扱われていたせいで、うっかりこの結論にたどり着けなかった。
そうだ、やるべきは簡単なことだった――
大国に「好きだ」と思ってもらえるように、まずは自分の見た目を底上げすること。
コウヤは自分の体を見下ろす。
――こんな芋ジャージを着ているような男に、誰が惚れるというんだろう?
ない。ぜったいに、ない。
まずは服と髪型、身だしなみを整えるところから。
そして、食費の問題もある。身だしなみを整えるにも、栄養のある食事を摂るにせよ、金銭的な問題は避けられない。せめて食費だけでも心配がなくなれば……。
しかし、現実はそうもいかない。
最近、大国は一緒に食事をすることを望むようになった。婚約届を出した当初、「食事は一緒にしていいか」と尋ねたとき、大国は「別で」と答えていた。だから、食費は自分のものは自分で出すようにしていた。
今では二人の関係も少しずつ変わってきている。けれど、食費を自分の分まで、大国から渡されるお金でまかなっていいのか――それだけは、まだ聞けずにいた。
聞こうとするたび、「あつかましいやつ」だと思われるのが怖くて、言葉にならないのだ。
聞けないままだから、一緒に食事をしても、結局は別々に支払うしかないのが現状だった。
何度も切り出そうとしたのに、その言葉はどうしても喉を越えなかった。
大学に到着する。広大なキャンパスは、いくつもの校舎に分かれていた。講義棟や実習棟、静かな図書館、学生ラウンジ――学びの場が隅々まで整っている。正規課程の学生だけでなく、通信制スクールの学生や社会人も多く、年齢層は幅広い。キャンパス内には落ち着いた空気が流れ、静かに自分の学びに向かう学生たちの姿があちこちに見える。
校舎は大きく、外壁が整然と並ぶ。各階の窓からは学生たちの気配がわずかに感じられ、ここには教員免許取得を目指す専門授業もあり、実習は週末や短期集中で行われることが多い。
美術学科やデザイン学科、建築学科、写真学科、文芸学科、音楽学科、教育学科――多彩な学びの場が揃っており、それぞれの棟からは絵筆の軋む音、机を動かす音、遠くで響く笑い声など、学生たちのささやかな生活音が聞こえてくる。
コウヤは歩きながら、普段は見るだけの学科棟の雰囲気を眺めた。
週末に行われる実習のことや、仲間たちとの授業の予定を思い浮かべ、少し気持ちが弾む。落ち着いた空気の中でも、自分の居場所はしっかりあると感じながら、彼は大学に到着し、いつもの仲間と授業を受けた。
授業が終わった後、携帯に通知が入っていた。
スマホの通知元は【野中ダイゴ】。
小学生の頃、毎週木曜日は何かしらの部活で活動をしなければならなかった。たまたま同じクラスだった彼に腕を引っぱられ、半ば強引にダンス部へ入れられたのが、仲良くなったきっかけだった。
その後は長く疎遠だったが、大学で再会してから再び友人として付き合うようになった。
彼――野中は、現在アイドルを志し、様々な活動をしている。
この間「歌ってみた動画」に誘われ、言われるまま参加したが、コウヤの歌声はお粗末なものだった。
「犬の遠吠えより下手」と評され、以来、二度とカラオケには誘われていない。
そんな野中から、『姉ちゃんの手伝い、よろしくぅ!』というメッセージが届いていた。先日、久しぶりに野中の姉と会い、王子のモデルになってほしいと依頼され、それからたびたび彼女たちと会うようになったのだ。
学科は違うが、野中も、その姉、しおりも、同じ通信制大学に通っているここの学生だ。
「うわ、もうこんな時間……っ」
時計を見ると、すでに約束の時間を過ぎている。
確か今日はウォーキングテストがあると言っていた。
野中一人で歩かせるわけにはいかない。
コウヤは、教室を飛び出すように、急いで駆けだした。
大学の空き教室には、明日のファッションショーに向けて準備をしている学生やモデルたちが多く集まっていた。
「あっ、コウヤ君!」
コウヤは力いっぱい手を振って呼んでくれている野中の姉・しおりに、笑顔を向けた。同じ大学で通信制を利用しているが、彼女はファッション学科の生徒だった。
しおりは、その姿からやさしさが自然と伝わってくる女性だった。両側にふわりと大きく膨らんだ三つ編みが揺れ、まるで柔らかなリボンのように肩にかかっている。
今朝、大国に「行くのは止めておけ」と言われていた手前、かなり気まずい気持ちになった。本当に、辞退をした方がいいのでは、と考えるところまでいったのだ。
けれど、今日の野中の姉のファッションショーの手伝いは、ずいぶん前からお願いされていたことだったため、断ることはできない。
「すみません、しおりさん。お待たせして」
しおりは「ぜんぜん!」と首を振っていた。
そのとき、「遅いぞコウヤ!」と叱った。しおりの弟でありコウヤの友人でもある、ダイゴだ。
しおりが弟に施した女装メイクはすでに完璧で、ドレスもぴったりだった。
「ごめん野中くん。ちょっと授業が長引いちゃって」
「罰金一万円な」
手の平を見せる幼馴染に、コウヤは苦笑する。
「もうダイゴったら。コウヤ君を困らせないでよ。授業じゃ仕方ないでしょ」
「≪テストウォーキングは午後13時からです。お渡ししたナンバー順でご案内します。エントリーナンバー1~5番の方、お越しください≫」
アナウンスの声が会場に響くと、いっきに空気が張り詰めた。
「うっわ、やべ、まじでもうすぐじゃん。姉ちゃん、急いでコウヤの見た目なんとかしてやって」
「今日はそこまでしなくていいのよ、服を着て歩く練習するだけだから。それに、コウヤ君の顔は整ってるから、ピンでとめるだけで十分よ」
コウヤはほっと胸をなでおろす。
友人が来ているドレスに目を向けた。見た目は完全に女性の服だが、男性が着ることを前提に作られていて、細部まで計算されているのがわかる。肩のライン、腰のくびれ、スカートの広がり。どれも絶妙で、特殊な人たちのためにデザインされた物だった。
今回のコンテストは、ファッションデザイナーを目指す学生たちが制作したドレスを披露する場で、コウヤは王子役として友人の隣を歩くことになっている。
「オーッホッホ!お邪魔よ、おどきなさいっ! スカーレット野中様が通りますことヨォォーー!」
俳優業も視野に入れて活動している野中ダイゴは、この役柄をすっかり気に入っており、ドレスを身に着けている間は、まるで何かに憑かれたようにオネェ言葉になる。
「あぁ~ら、そこの素敵な王子様。 あなたのタイプは、どんな人?」
そのまま面倒な質問をしてくることも多く、いつもコウヤはたじたじになりながら答えている。
「えーっと……ご飯をきれいに食べる人、です」
「まぁぁ! それって、わたくしのことねぇぇ~~!」
ばさばさばさっ! と羽で作られた豪華なうちわで、野中は自分をあおいだ。
しおりが丹精を込めて作ったドレスは弟ダイゴが着衣し、コウヤが王子の衣装で友人の作品を引き立てる。
とても大事な役目だ。男である友人を、男性らしくエスコートして、なるべく彼を女性に見えるようふるまわなければならい。重大な役目。
頼まれたときは、乗り気ではなかった。
彼女が必死に「王子役はコウヤくんでないと優勝できない!どうしてもファッションデザイナーとして成功したいの!」と言われたとき、夢を応援したいと思った。
優勝すれば賞金十万円がもらえるだけでなく、フランスで開かれるファッションショーの手伝いができることも確約されている。賞金以上に、しおりの未来へのチャンスがかかっているのだ。
≪10番から20番の方、来てください≫
――とうとう出番だ。何度も野中とウォーキングやウィンクのタイミングなどを練習してきた。
本番は来週――今日はあくまで予行演習だとわかっていても、心臓は跳ねるように鳴った。
コウヤは深く息を吸い込み、ゆっくり吐く。
呼吸を整えようとしたけれど、手のひらはじんわりと汗ばんでいる。
胸の奥のざわめきが、静かに体じゅうに広がった。
**
12月の夕暮れは早く、18時を過ぎればもう夜のようだった。縁側に落ちる灯りが、石畳に長い影を落とす。息を吐くたび白く曇り、冬の匂いが静かに漂っていた。
門をくぐると、見慣れた庭が広がっている。
白い砂利は整っていて、苔や小さな岩の配置もいつも通りだ。落ち葉がところどころに散り、冬の光にわずかに反射している。
庭の奥にある和風建築や、縁側の向こうにちらりと見えるレンガの壁も、コウヤにとってはいつもの景色だ。
石畳の小道を踏むたび、冷たい空気と砂利の音が軽く響き、外の喧騒は遠くに感じられる。コンテスト予行でやった、テストウォーキングのせいで長く張り詰めていた体の力が、少しずつ抜けていくのを感じた。やっと帰ってきた、と思わず胸を撫でおろす。
小屋を通り過ぎると、遠くで岸和田の声が響いた。
「二回目が誘われへんて?スマートに言うたらええやんか!どんなけ純情やねん!ガラスのハートの少年やな?割れるんが怖いんやろ?あはは!あっ、す、すみません!」
縁側の方を見ると、刀を岸和田に投げつける大国と、その向こうで土下座している岸和田の姿があった。
びっくりしてコウヤは駆けだした。
「大国さん、また家宝にしてる刀をあんなふうに……!」
驚いたのは一瞬だ。なんだかんだ、二人は仲が良い。さすがに友人を殺すことはしないだろう、と思いなおし、途中からゆっくりと歩いた。
あの二人は日が沈むまで、朝からずっと碁を打っていたらしい。共通の趣味が合うのは羨ましい、と軽く思いながら、危ないので先に刀を回収しにいくことにする。恐らく、また大国が岸和田に「切腹して詫びろ」とか言っているに違いない。
帰ってきたことを目線で伝えると、大国は眉間に寄せていたシワをやわらげ、コウヤに頷いて見せた。
この瞬間が、コウヤは大好きだ。一度大国に微笑んでから、土下座をしている彼に問う。メッ!と児童に母親が叱るように。
「岸和田さん、何したんです?また大国さんを怒らせて」
「それがなぁ……くく!」
岸和田は思い出したように頭を下げたまま笑い出す。大国は眉をひそめ、軽く彼の頭を踏んで押さえつけた。
「死にたいのか?」
「生きたいです!でも、笑いが止まらんくて!俺はどうしたらエエんや!」
「死ね」
「あぎゃあ!痛い!痛いてほんま!それやめて!ヘッドマッサージ下手やなお前!」
大国が岸和田の頭を足でぐりぐりしているのを見て、思わず呆れた。
謝るなら、笑わなければいいのに。
コウヤは手早く家宝を拾い、神棚へ戻す。
その瞬間、夫の視線が宝剣に向いたのを感じ、背筋が凍った。
空気を変えなければ、本当に切腹ショーが始まりそうだ。
「カンロ茶を淹れますので、居間に来てください。美味しいお茶ですよ」
茶を飲ませると、二人ともようやく落ち着いたようだった。
岸和田は眠気に負けたのか、机に突っ伏している。
呼びかけても返事はなく、呼吸だけが静かに聞こえる。
そのままそっとしておくことにした。
柔らかな茶の香りが部屋に漂い、心のざわめきも少しずつ静まっていくようだった。
岸和田を残し、食卓へ移動して、二人きりで夕飯をとった。今日は大国の好きな、和風おろしハンバーグだ。
(なんだか、大国さんの目が、いつもと違う、ような)
視線が熱い。
どう違うのかうまく説明できないけれど、攻撃的な色はあるのに、不思議と恐怖感はない。初めて抱いてもらったときと同じ目をしているような気がして、体の芯から熱が湧き、血流がどくどくと脈打った。
刹那、貪られるような口づけを思い出した。かすかに己の腰に旋律が走り、背筋を這いあがるような何かが走り抜ける。
(なにもされてないのに、なんで……)
自分の体の変化に戸惑い、困惑した。
太ももを小さくこすり合わせ、少しでも今感じた昂りをなかったことにしようと必死でごまかす。気を紛らわせようと、目の前の食事をかきこんだ。
夕飯を終え、少しお茶を飲んで落ち着いていた。まだ二人は、食卓で向かい合って座っている。
二人きりのこの沈黙の空気が、嫌ではないのだが、どうにも得意ではない。
どうしてか、二人でいると胸がドキドキと騒ぎ、体がそわそわしてしまう。
大国に会うと、力が抜けてしまい、家事ひとつも手につかない事があったりする。まさに今がその状態だった。
皿を洗わないといけないのだが、立ち上がろうとしても時折向けられる大国の視線が気になって、動けない。
膝をこすり合わせ、両手で湯呑みを包み込み、ただうつむくばかりだった。
しばらくして、大国が口を開く。
「大学は、どうだった?」
興味を持ってくれるのはとてもうれしい。少し肩の力を抜くことが出来た。
「今日は、すごく緊張した一日でした」
「授業で緊張? プレゼンでもしたのか?」
「いえ、その……」
言いにくい。コンテストの予行練習に付き合っていた――なんて、とても口には出せなかった。
しかし、コウヤの言い淀む様子を見て、大国はすぐに察したように言う。
「コンテストの手伝いに行ったのか」
ギクッ。
「えっと…その……」
言葉を探しているうちに、いつのまにか大国が傍まで来ていた。
大きな壁のように立ちはだかり、コウヤは思わずのけぞって彼の顔を見上げる。
「な、なん…でしょうか」
「やめておけ、と言ったはずだ。なぜ手伝いに行った?」
ちゃんと言えば、大国だって理解してくれるはずだと信じて、コウヤは言った。
「将来、ファッションデザイナーになって、モデルの人たちを輝かせたいと夢見る女性がいます。僕は、そのお手伝いがしたかったんです」
「お前じゃなくてもいいだろ」
「たしかに…そうですが…」
自分の一番大切にしたい人は大国だが、自分を頼ってくれる人も、大切にしたい。言い淀んだが、はっきり声に出すことができた。
「しおりさんの顔が、本当に切実だったんです。
チャンスを逃したくない――そういう目で、僕を頼ってくれました。
作った作品に合う王子のイメージは、僕が一番ぴったりだって。
だから、断ることができませんでした」
「……お前は昔からそうだ。何かを頼まれると、断れない」
大国は何か思い当たる節があるようにハッとした。
「お前まさか、私の父親に頼まれて、断れなかったから結婚したんじゃ?!」
「それは違います!興味のない人と結婚なんて…、本当に……僕は、あなたのことが……!」
好き、と続く言葉は言えなかった。今年に入ってからの大国に蔑まれる目線が蘇る。
言ったら、怒られるような気がした。
「……ッ」
コウヤはうつむいた。
少し言いすぎたのではないかと、心配して彼の顔を見たが、さほど機嫌が悪いようには見えない。眉間にあった怒りのシワがなくなっていて、そして……少し、耳が赤い。
大国は咳払いして、話を進める。
「論点がずれた、私との結婚については…過ぎたことだ。本当に、そのしおりって奴の夢を応援したいから、なんだろうな?」
「もちろんです。他に理由なんてありません」
大国がほっと息を吐いた。
「ほかに理由がないなら……これまでの手伝いの事はもういい。だが、今後はそいつの応援はほかのやつに任せなさい。コンテストには出るな」
「それは……できません。しおりさんは、僕しかいないと言ったんです!どうして、コンテストには出るなと……」
「お前はニワトリにでもなかったのか?黒歴史になるからだと言っただろう」
コウヤはムッとした。ニワトリだなんて!
だけど言い返すことなんて、できない。大国に嫌われるのが、怖い。
何も言えず、ぷるぷると涙目になって耐えた。大国が次の言葉を飲み込み、少し眉を上げる。
「先に風呂に入る。 今夜はセックスをするから、きちんと来るように!」
大国は捨て台詞のように吠え、強めに扉を閉めた。
コウヤはムムム、とむかむかしていた。
…でも、最後の言葉で拍子抜けしてしまった。
そうだ、今夜、子作りをする、と約束していたのだった。
自分たちの子作りには二年という制限がある。それを超えれば妊娠は望めない。
もし産めなかったら、大国に子どもができない――つまり、本家の血筋が絶えてしまう。
それは…だめだ!
◇◇◇
風呂から上がり、大国の寝室へ向かった。今日は腰を抜かさなかった。
(――変な感覚)
いつもの自分なら、抱いてくれることに感謝と嬉しさが入り混じった状態でここに来ていたはずなのに、先ほどの口論のせいで、とてもそんな気になれない。
けれども、今回は珍しくメモではなく直接大国から誘ってくれたのだ。
今回逃せば、もしかしたら半年先になるかもしれない。まずは、妊娠が第一優先だ。
しおりのことは、今はひとまず忘れて子作りに集中しないと、と自分に言い聞かせていたが、到底無理だった。
夢を追う友人を手助けしたことの何が悪いのか、どうして大国は阻止しようとするのか、わからない。
ムスッとした顔になっているだろう自分を隠すため、いつもの柔らかい表情を作って部屋の扉を叩く。
コンコン。
「……ああ」
扉を開けると、大国が布団の上で本を読んでいた。部屋は少し暗めに設定されている。
「ここに」
立っていると、隣の布団を大国が軽くたたいた。
「おじゃま、します」
本当に、変な気持ちだ。
大国のことは大好きだし、今の状況にもドキドキする。
だが、やっぱり――セックスできる気分じゃない。
贅沢な話ではあるが、セックスのモチベーションを上げる方法があれば、いますぐ知りたい。
とりあえず、隣に座った。
大国がぽつりと言った。
「結婚したら、昔から子どもはほしいと思っていた」
――ほしいと思っていたんだ。
コウヤにとって、それはまったくの新事実だった。
てっきり大国は、本当は子どもなんていらないと思っているものだとばかり思っていたから。家のために、仕方なくというわけでもない――その言葉が胸に落ちた瞬間、凍える冬の空気の中で、不意に灯がともったような温かさが広がった。自分の知らなかった大国の願いに触れ、静かな驚きとともに、深い喜びを感じていた。
心臓がぎゅっと締めつけられる。
これまで自分の中で描いていた計画――離婚も視野に入れた、子どもとの未来――が、少しずつ色を変え始めていた。
もし大国が、本当に“幸せな家庭”を望み、子どもを心から望んでいるのなら。
生まれてくる子のためには、やはり母親が必要だと思ってくれているのではないか?
子どものためを思うなら、生みの親のほうが良いはず……。
――もしかしたら、やっぱり、自分も前を向いて、このまま一緒に暮らす未来を考えてもいいのかもしれない。
しかし、口に出せばまたきっと大国を困らせてしまう。
コウヤはぐっと唇を噛み、胸の中で悩みを反芻する。
布団は二つ。
お互いそれぞれの布団に座り、向かい合う。コウヤは正座、大国はあぐらをかいて腕を組んでいる。沈黙が続いた。
――これくらいの距離感がちょうどいいのかもしれない。
自分が大国を好きすぎるのはよくないと、理解していた。
あまり近すぎれば、いざ離婚するときに心が壊れてしまう。今の、この少し距離を保った状態が、自分にとって無理のないバランスだ。もちろん離婚などしたくはないが――。どこかで諦めている自分もいた。
大国は経営コンサルの仕事をしている。昔から、彼はパーティーに美人の――”女性”の妻を連れて歩くのが夢だと語っていた。
小学生の頃から大国に惚れていたコウヤにとって、その夢の話は胸に突き刺さるものだったが、同時に心から応援もしていた。
それを、今、自分が一時的に壊してしまっている。
大国の子をなせる――その可能性が、あまりにも魅力的に思えたのだ。
子どもには申し訳ないが、産んだあとは離婚した方が、やっぱり大国のためだ。
あくまで、一番に願うのは大国の幸せ。好きな人の夢をかなえることが、何よりも大事なのだから。今は、大国に惚れてもらう方法を探している最中ではあるが、もし子どもが生まれたあとも自分が大国から嫌われていたら、その時は大人しく身を引こう――そう心に決める。惚れてもらおうと思っていた気持ちは、雪の結晶のように小さくなり、今にも溶けてしまいそうになっていた。大それた願いを抱けるほど、自分はこの人に必要とされるような人間じゃない。
どうやら、険悪というほどではないにしても、決して「子作りの雰囲気」とは言えない空気が部屋に漂っている。沈黙の重さがじわじわと胸にのしかかり、時計に目をやれば、針はすでに夜の九時を過ぎていた。静まり返った部屋の中、秒針の音だけがやけに鮮明に響いていた。
(あ……これは、まずいかも……眠い)
眠たい。そういえば自分は、風呂に入ったあと30分もすると、どこにいても寝落ちしてしまう人間だった。
「ふぁ……」
「おい、寝るなよ」
「は……い……すーー」
「おい!」
「……」
はー、とため息が聞こえた。
背後に人の熱を感じ、心地よくて、もっと眠りたいと思った――。
結局、この夜は何もできなかった。
◇◇◇
あれから、大国とは朝に食事を共にすることはあっても、彼は仕事で忙しく、夜に時間を取ることができていなかった。
あっという間に日々は過ぎ、そして――ついにコンテストの日がやってきた。
大学の広場には、白いテントや仮設のステージが設置され、人々が次々と集まっていた。
冬の冷たい空気の中、学生や関係者、見学に来た観客がざわめきながら歩き回り、カラフルなバックパックやおしゃれなコートが行き交う。
一時的に作られたファッションショーの会場は、普段のキャンパスの雰囲気とは違う、特別な空気に包まれていた。
しおりが「王子服がバッグに入っていない」と慌てていた。どうやら更衣室に忘れてきてしまったらしい。慣れない空気の中、コウヤはひとりで控室の椅子に座っていた。
「うっわ、お前コウヤか? 韓流ドラマに出てくる俳優みたいじゃん。化けたな~」
メイク室から出てきた野中が腕を組み、あらゆる角度からコウヤを眺めた。
「はは……しおりさんがやってくれたんだ」
「もさい男だったのに」
「もさいってなに」
しおりは男性ヘアメイクに初挑戦し、このショーのために多くの時間を費やしていた。
専門は洋服で、スタイリングーー特に男性へ施す類のものは苦手だと言っていたが――その仕上がりは見事だった。
コウヤ自身も、自分の顔に思わず驚くほどだ。
しおりがどれほど努力したのかが、ひと目で伝わってくる。
コウヤ自身もおしゃれの勉強になり、今回手伝いをして本当によかったと感じている。
あとは、王子服を着るだけだ。
「野中くん、君も、すごくきれいになったね」
「うあ、やめろやめろ、変な扉が開くわ」
「?」
野中は煙たそうに手を振ってスマートホンを触り始めた。
ぽつりと野中がつぶやくように言った。
「姉ちゃん、毎晩夜中までがんばっててさ」
「うん」
「ぜったい成功させてやりたいんだよ」
「うん」
「俺、お前のこと…かなり期待してるんだ。歌が下手じゃなかったら、一緒にアイドル目指したいくらい」
「……下手でわるかったね」
野中がニカッと笑った。
「がんばろーぜ!」
差し出された拳に、コウヤも腕を伸ばして応える。
拳と拳が軽くぶつかり合い、乾いた音が響いた。
コウヤにはドレスのことなど詳しくはわからない。
けれど、会場に並ぶ数々の衣装の中で、ひと目で悟った。
しおりのドレスは、間違いなくトップクラスの出来だと。
光を受けて揺れるたび、布のひとすじひとすじが生き物のように呼吸し、彼女自身の夢を映し出しているようだった。
ひいき目などではない――本当に、圧倒的に美しい。
しおりさんの夢を、叶えてあげたい。その一心で、コウヤは胸の奥に熱をこめた。
しかし、事はそう簡単には運ばなかった。
「キャアァァ!」
しおりの悲鳴が会場に響き、関係者たちは一斉に振り向く。
野中とコウヤは控え室から飛び出して、しおりのもとへ駆け寄った。しおりは床にひざまずき、大粒の涙をぽろぽろとこぼしている。
「そんな……嘘でしょ……!」
姉の胸元には、コウヤが着るはずだった王子服が抱かれていた。そして、それは――ハサミで無残に切り裂かれている。
野中は息を呑み、目を吊り上げ、大きな声で怒鳴った。
「誰が、こんなことを!」
今日コウヤが着るはずだった王子服。自分の手で仕上げた作品が、無惨な姿にされていた。見るに耐えず、しおりは泣き崩れる。
野中は姉の背中をさすりながら怒りを抑え、コウヤもまた、憤りを必死に押し殺していた。
―――いったい誰が?
「もう数時間後にはコンテストが始まるのに! どうして……誰が……!」
嘆きながら崩れ落ちるしおりの傍に、運営スタッフや大学教授たちが集まってくる。
その場ではすぐに「警察へ連絡を入れるべきか」という議論が始まった。
しかし、しおりの選択は――「今は呼ばない」だった。
警察を呼べば、犯人が見つかるかもしれない。
けれど同時に、ショーそのものが中止になる可能性があると告げられた。
しおりは深く息を吸い込み、涙をぬぐいながら言った。
「今は……警察への連絡は控えてください。このショーに、どれだけの情熱と努力が注がれているのか…同じ夢を抱く仲間たちの想いを……わたしは、誰よりも知っているんです。このショーの先に、未来が待ってる。それを、自分のせいで終わらせるわけには…いきません」
コウヤは何もできない自分に歯がゆさを感じた。せめて誰かから王子服を借りることができれば……複数に相談をもちかけたが、誰も貸してはくれなかった。
それぞれ自分の作品にかけている。万が一、自分が貸した王子服がしおりの点数として加点されてしまったら?メインがドレスで、王子なんてただのおまけだとわかっているが、王子役が引き立てば、それだけドレスも美しく映えてしまう。
あきらめるしかなかった。
コウヤが今日着ているのは、私服でも十分おしゃれに見えると勧められて買ったシャツだった。白地に胸元の編み上げがアクセントになっていて、シンプルながらもどこか華やかさを感じさせる。
昨日、少ないお金をはたいて手に入れたばかりの一枚。普段はジャージで過ごすことが多いコウヤだが、今日は少し気合を入れて――気持ちだけでも王子になろうと、これを選んだ。
歩き方や所作さえ丁寧にすれば、地味ではあるものの、この服でも十分「王子らしさ」を演出できる。自分の気持ちと服が少しだけ背筋を伸ばさせ、いつもより堂々と歩けるような気がした。
「……やるしかない」
胸の奥で、決意が小さく震えた。
「しおりさん。こうなったら、仕方ないよ。僕、このまま王子をやります」
しおりは泣くことしかできず、ただ、ただ頷いた。
案内役の生徒から、「次の方どうぞ」と促す声が聞こえた。
呼吸を整える。
吸って、吐いて――心を静める。
心をいったん、水の底へ沈めるように。
ゆらめく波の下で、音も光も遠ざかっていく。
そこにあるのは、ただひとつ。演じるための自分だけ。
――落ち着け。僕は「王子」。
隣にいるこの人を、生涯愛すると――そう自分に暗示をかけ、一歩、また一歩と踏み出す。
コウヤは落ちこんで目を腫らしてしまったしおりの手を優しく取った。
「大丈夫です。しおりさん。安心して」
コウヤのその柔らかな所作、ことば、表情にしおりは息を飲んだ。
元気がわいたようで、彼女らしい、花のような笑顔が咲く。
「あなたのために、僕は王子になる」
何か希望が見えたように、ずび、と鼻をすすって、しおりは立ち上がった。
「コウヤ君、ダイゴ、頑張ってね!」
「はい」
「当たり前よ!」
とうとう順番が回ってきた。
「コウヤ、練習通りやれよ。恥ずかしがったら、殺すからな」
「わかってるよ」
カーテンが、開かれた。
コウヤは口を開き、ダイゴーーー姫に手を差し出した。
かしずき、片方の手は己の胸に添える。
この世で一番愛する人を見上げ、恭しくひざまずく。
「さぁ、お姫様。手を」
「まぁ、ありがとう。王子様」
観客の視線が、一斉に吸い寄せられる。照明を浴びて歩く二人。その足取りは軽く、不敵な笑みが舞台の空気を支配していた。姫と王子の背丈はほとんど同じなのに、なぜか王子のほうが大きく見える。コウヤのその微笑には、不思議な引力があった。
まるで、ステージは深紅のバラが咲き誇る庭園のようだった。一輪ごとに誇り高く、炎のような色を宿している。風に揺れるたび、香りが空気を染め、見る者の心を奪っていく。 そんな、気高くて情熱的な輝きを放つ、二人の男女。
観客のざわめきが波のように広がっていく。歩き方も所作も完璧で、まるで本物の王子と姫。
アナウンスサークルの二人が、観客の反応を確かめてから、息の合った調子でマイクを握った。
≪エントリーナンバー十五番! 野中しおりさんの作品です! アンケートにこのドレスの感想を書いてください! 撮影OK! スマホで拡散、お願いしま~す!麗しい王子が現れましたねぇ、おっと、今回の主役は姫の方です!皆様、メインの採点はドレスの方ですよ~!お忘れなきよう!≫
――拡散OK⁉ そんなの聞いてない!
予定したウィンクを、決められたタイミングで飛ばしながら、コウヤは内心、心臓が跳ねるのを必死に抑えていた。
≪おおっと~!? すごいぞこの二人! 他の出場者とはまるで格が違うッ!≫
≪まさに王子と姫、堂々たる登場です!≫
客席がどっと沸いた。
拍手と歓声が混じり合い、舞台の空気はさらに熱を帯びていく。
歩を進めながら、ところどころで練習した通りのポーズを決める。
そして一番奥、カメラがずらりと並ぶ場所で――姫の腰を抱き寄せ、コウヤは片足を半歩前に出し、背筋をまっすぐに伸ばす。
その仕草は「この人こそ、僕の永遠の姫だ」と世界に宣言するかのように。
照明がドレスの裾をきらめかせ、抱き寄せる腕で生まれる陰影が、姫をより美しく引き立てる。
王子の横顔はわずかに上を向き、強い眼差しで遠くを見据えていた。その状態でしばらくぴたりと止まる。
フラッシュがまぶしくて、あやうく何度も瞬きしそうになるのを我慢した。
客席からは再び大きな歓声が上がる。
演じ切ってはいるものの、やはりどこかに“素のコウヤ”がいた。周りの様子も、観客一人ひとりの顔も、よく見えている。
背中に視線を感じるたび、鼓動が早まる。
アナウンスサークルの声が会場を煽るたび、コウヤは心の中で必死に祈った。
(お願い、これ以上は盛り上げないで。緊張で、腰が抜ける……!)
アナウンスサークルの二人が、観客の反応を確かめてから、息の合った調子でマイクを握った。
≪照明が輝き、カメラがフラッシュを浴びる中、二人の息の合ったポーズが完璧に決まりました!≫
≪まさに王子と姫、その輝きは眩しすぎます!≫
声がスピーカーから響き渡る。まるでテレビ番組の実況のように、滑らかで、勢いがある。あまりおだてられる機会のないコウヤは恥ずかしすぎて泣きたくなった。
ラストの参加者まで発表が終わった後、すぐに集計が始まった。10分休憩ののち、結果が発表される。
アナウンスが会場にこだました。
≪さぁ、それでは結果発表といきましょう!≫
順々に下の成績から呼ばれている。コウヤたちはずっと、呼ばれていない。
いよいよ最終結果。
3位にも、2位にも呼ばれなかった。
しおりとダイゴが、手を組むようにして祈っている。
その姿を見て、コウヤも心の中で願った。
――どうか、いい結果が待っていますように。
≪最優秀賞は~~!≫
ドラムロールが鳴り響き、会場の空気が一気に張りつめる。
スポットライトが、コウヤと野中姉弟、三人を鮮やかに照らし出した。
≪……野中!しおりさんの――作品だぁぁぁっ!!≫
その瞬間、観客席の中で一人の男性と視線がぶつかった。
――大国さんがいる!
視線がぶつかった瞬間、大国の表情がわずかにやわらいだ。
誇らしげに、けれど優しく――まるで「まぁまぁだった」と、褒めてくれるようなまなざしだった。
胸が締めつけられる。同時に見に来てくれたことが嬉しくて――王子役であることも忘れ、ふわりと心からの微笑みがこぼれた。
大音量の発表に合わせて、割れんばかりの歓声が湧き上がる。
客席からは「おめでとうー!」と叫ぶ声、拍手の渦、立ち上がる人々。
会場全体がひとつの熱狂に包まれた。
◇◇◇
コンテストに優勝できて、本当に良かった。しかも、賞金の十万から一万円ももらえてしまった。
大国に魅力的だと思ってもらえるように、見た目改善に力を入れなくては。まずはこれで美容院に行って―――。そんなことを考えて歩いていたら、駐車場の方面からよく見知った二人組が立っているのが見えた。
大国と岸和田だ。待っていてくれたようだ。
急に恥ずかしさが込み上げた。
「コウヤぁぁあ!なんやアレ!すっごかったなぁ!隠れた才能やで。なんで教師目指してんの?モデルやりゃーええやん!」
「そんな……大袈裟です」
岸和田の行き過ぎた賛美に、苦笑する。
「今から予定はあるか?」
不意に大国の手がコウヤの手を包み込んだ。
その温もりが指先から一気に広がり、コウヤの頬は瞬く間に熱を帯びていく。
「いえ、このまま電車に乗る予定です」
「なら、一緒に帰ろう」
「はい」
駐車場までを手をつないで歩きながら、大国が少しも怒っていないことに、驚いていた。あんなにもコンテストに行くなと言っていたから。
「大国さんの忠告、無視してすみません」
「あれだけ手伝いたいと言っていたんだ。止められないだろ。お前は頭が固いからな」
「すみません」
車に乗る直前まで、大国の手は離れず、そのままだった。
岸和田は後部座席に。コウヤは助手席に座った。
車の中で、大国が運転しながら話し始めた。
「お前が陸上部に入ったころを思い出した」
「え?」
「小学生のころ、女子にいじめられたり、告白されたりして、女の子たちに騒がれるのが嫌だと、よく私に相談していた。覚えてるか?」
コウヤはまぶたの奥に、遠い記憶をたぐり寄せる。
確かに、そんな時期があった。居心地の悪さに戸惑い、どうすればいいのか分からなかった幼い自分。
「陸上部なら女子に騒がれることもないんじゃないかと、私は提案したんだ」
ああ、そうだ。思い出す。自分が陸上を続けてきた理由――それは大国の勧めだった。
女子に煩わされることもなく、ただ走ることだけに打ち込めたあの頃。あのときは、それで良かったと思っていた。
「今は、どうなんだ?女子どころか、あの観客席の半分は男だったぞ」
問いかけの意図に、コウヤは気づいた。胸の奥がかすかに波立ち、正直な言葉が口をついて出る。
「大国さん以外の人に素敵だと言われても、あまり嬉しくない…かもしれません」
好きだと伝えれば、それは困らせることになる。だけど、今はこれくらいなら、言っても良いと思った。むしろ、この言葉を大国は待っているのではないかと思った。
その答えに、大国はふっと笑った。
「“素敵”だったぞ。王子」
その一言を聞いた瞬間、コウヤの胸の奥がふわりと温かくなり、まるで天にも昇るような嬉しさに包まれた。口元が思わず緩み、じんわりと胸に染み渡る。
長い間押し込めていた自信や誇らしさが、一気に溢れ出すようだった。
――ずっと、この人の傍にいたい。
心の底から、コウヤは夫を愛しいと思った。
「ヤァァァア!泊らせてぇぇえ!」
一泊したがる岸和田を置き去りにするように駅で降ろし、二人は今、コンビニで今日の夕食を選んでいた。
「いいんですか? 本当に、コンビニご飯で」
「いい。帰ったらすぐ、やりたいことがある」
「やりたいこと?」
大国がふっと口元を緩め、耳元でささやく。
「お前が腰を抜かすようなこと」
「……ッ」
「おっと、ここで抜かすな。いつ治るんだ、そのクセ」
ガクン、と下半身に力が入らなくなり、持っていたカゴを落とす寸前で、大国が腰を支えてくれた。
「す……すみません……び、びっくりして」
大国の耳元でささやく攻撃でヒットポイントがいっきにゼロ近くになったため、コンビニでは何かにつかまらないと立てなくなってしまった。コンビニデートは中断し、すぐに車に戻る事となった。
「ん……っ」
大国は助手席にコウヤを下ろすなり、迷いもなく唇を重ねた。
(わっ……キス、久しぶり……!)
「その髪型、悪くないな。――王子様」
かぁぁ、と全身が一気に熱を帯びるのを感じる。
(僕からしたら、貴方のほうが王子に見えます……)
結局、食事はデリバリーにし、大国に見張られるようにして食べた後――今、ヒノキの浴槽で夫と一緒に浸かっている。
「何もしない。風呂でのぼせたら、あとでなにもできなくなる。身構えるな。普通にしていろ」
「は、……はい……」
広めの湯は、二人で入ってもまだ余裕がある。コウヤはできるだけ端に寄り、身を潜めるようにしていたが、そんな態度に呆れたのか、ぐいっと腕を引っ張られ、胸の前にすっぽり収まるように抱きしめられる。
声にならない声を漏らし、コウヤは体を固くする。
「こ、ここここ、ここでは何も……」
「何もしていないだろ」
(してる……すごくしてる。背中にぴったり、大国さんの体がくっついてる……!)
「私たちは夫婦だ。これくらい、普通だろ」
(っふ、普通なの?!)
大国の唇が、首筋にあたった。
「ぅ、く……」
思わず声が漏れそうになり、慌てて指で口元を押さえる。
「どうした?」
低くて柔らかい声が耳元をかすめる。それだけで、心臓が跳ね、思わず目を閉じてしまう。
「ん……だめです、ここでは」
「なにもしてない」
そう言いながら、大国は数回、顔を首筋にうずめてくる。形の良い唇が、耳の下に軽く触れるだけで、身体の奥からじんわり熱が広がる。
意識しないように努めても、胸が前に反るように反応し、息をつめてしまう。
しばらくそうしていたら、今度は頭を片手でもまれた。
これもまた体に甘いしびれが伝わるが、あいまいな愛撫よりは幾分かマシだ。
ヘッドマッサージのつもりなのか、あらゆるツボをおしてくる。
その大きな手のひらが、側頭部と後頭部を包んだ。すると、腰から淡い電流が走りだし、我慢できず「んっ」と声が漏れてしまった。とっさに口をおさえる。
「あ、い、いまのは……」
「わかってる」
大国は無用な会話を好まない人なので、それ以上は何も言わなかった。また、大国が首元に顔をうずめてくる。――唇が、首筋にあたる。
全身の感覚が鋭くなり、唇が触れるたびに呼吸が浅くなる。まつげがふるえた。意識しても、抑えきれない熱が、胸の奥で渦巻く。
迎え入れる蕾が、収縮したのがわかった。
思わず息を呑み、身体がぞくりと反応する。感覚は正直で、熱が内側からじわじわと広がっていった。
(大国さんの口が当たってるだけ、なのに……すごくキモチイイ)
目に見えて反応しているコウヤを前に、大国もつられたのか、背後から伝わる熱が、次第に硬く、熱くなっていくのがわかった。
その感触に、コウヤの呼吸は荒くなり、心臓は跳ねるように高鳴る。
浴槽の湯の温かさよりも、互いの熱がずっと近く、危うくて、背中にぞくりと震えが走った。
(挿れてほしい)
目はうつろになり、もう、そのことしか考えられなくなった――。
思考が熱に溶けかけたその瞬間。
――ッ、ぽた。
湯の表面に、赤いものが一滴落ちた。
それは静かに円を描くように広がり、淡く揺れる湯気の中でゆらゆらと滲んでいく。
至近距離で見ていた大国も、その異変に目を見開いた。
「……鼻血か!」
ばしゃり、と湯が跳ねた。
慌てて立ち上がった大国の動きに、熱い雫が飛んで頬に当たる。
「ふ、ふえぇ……! す、すみません……っ!」
コウヤの鼻先から、ぽたぽたと落ちていた。
湯の香と混ざり、鉄の匂いがふわりと立ちのぼる。
大国は慌ててコウヤの腕を取り、湯船から引き上げる。
そのまま脱衣所に座らせ、タオルで拭きながらうちわを手に取った。
湯上がりの熱が残る浴室に、ばたばたと風が送られる。
「大丈夫か?」
「だ、だいじょうぶですから……! すみません……。あとはもう、自分で……」
ティッシュを鼻にあて、かすかに上を向いたままそう言う。
鏡に映っている顔は真っ赤で、湯気のせいなのか羞恥のせいなのか分からない。
それでも大国は心配そうに眉を寄せ、うちわをやめようとしなかった。
結局、彼がうちわを止めたのは、それから十分後のことだった。
服を着替え、髪を乾かし終える頃には、すっかり夜も更けていた。
廊下に出た大国が一言、「もう風呂で悪戯はしない」とぽつりと呟いた。
コウヤはきょとんとした顔で、大国を見上げる。
(……悪戯してる自覚、あったんだ)
内心でつっこみながらも、当たり前のように彼のあとを追って同じ部屋に入ろうとする。
だが、扉の前でぴたりと大国の手が伸び、コウヤの肩を押しとどめた。
「まて。今日は何もしない」
「え?」
その言葉が、まるで氷のように胸に落ちた。
「鼻血が出ただろう。もう安静にしろ」
「そ、そんな……!」
せっかくの――子作りチャンスが!
けれど、「えっちしたいです」なんて口が裂けても言えない。
湯上がりの頬が、再び熱を帯びる。
コウヤは結局、何も言えずにうなずくしかなかった。
その夜、与えられた隣の部屋でひとり、掛け布団をぎゅっと握りしめる。
隣の部屋から微かに聞こえる気配に耳を澄ませながら、
胸の奥でこぼれたため息は、湯気のように静かに消えていった。
(――抱かれる準備は、万端だったのに)
静寂だけが隣にあった。
まだアソコが疼いている。
熱の残る身体が、名残惜しげに震えた。
少し前まで彼のために開いていた場所が、空虚を埋めるようにきゅっと縮んだ気がした。
「……いれてほしい」
小さくつぶやきながら、布団を胸元まで引き寄せる。
暗闇の向こう――その向こうにいる彼の気配を、どうしようもなく求めていた。
もし、鼻血を出していなければ、今ここで燃えるような熱い性器を受け入れ、思う存分にキスをして、睦みあっていたはずなのに。
「大国さん……」
数日前の大国を受け入れたあの感覚を思いだし、身をよじる。
咲いた欲望にあらがうことはできなかった。ごそりとズボンを少しずらした。
自分を慰めるのではなく、あくまでも子作りのため。そう言い訳をして。実際、定期的に穴はほぐしておかないと、大国を受け入れる時につらくなってしまうのだから――。
下半身はふくりと勃ちあがっている。そこを通り過ぎ、淫らに濡れた場所へと指を導きーーー差し入れる。
「んっ……ンン、ゥ……!」
全ての準備が整い、溶けていた体は、それだけで強烈な快感が背筋を駆けていく。
ガクガクと腰が上下に動き、カラダがしばしいう事をきかなくなる。
「はっ……はっ……ん」
熱い吐息を整え、白くかすんだ視界の中、余韻にひたる。とろり、と腹部に白い粘液がこぼれた。久しぶりに蕾で感じた絶頂は長く尾を引き、扉が開いて誰かが入って来たのにも気づけなかった。
(今の……すごかった、かも)
たった一本、しかも、指先を挿入しただけで。ここまで体が敏感になるのは、初めてだった。
一度好きな人に抱かれた体は、以前よりも段違いに快感を拾いやすくなっているようだ。
ぱたりと腕を顔の横に置く。ティッシュで腹部をふきとらなくてはいけないのだが、手も足もジンジンと余韻が続いていて、動くには時間がかかりそうだった。
「コウヤ」
呼吸が――止まった。
なぜ、いつ、どうして、ここにアナタが。
体を隠すように横を向いて、背中を丸める。
「っだ、大国さ…、いっ、いつ入って来たんですか?!」
「お前の喘ぎが聞こえてすぐだ。安静にするように言ったのに、なにをしてるんだ?」
顔に熱があがっていくのを感じた。本当に、自分は何をしているんだろう。せっかく大国が気遣ってくれていたのに。涙が溢れそうだった。ティッシュで腹部をふきながら、「ごめんなさい……」と謝る。
両手首をつかまれ、そのまま布団に押し倒される。まだ下着はずれたまま。性器も丸出しだ。恥ずかしくて声を上げる。
「あっあっ、あのっ、まだ、僕、下着が……ずれた、ままで」
「そのままでいい」
「んっ……」
身をかがめた大国に、唇をふさがれた。甘やかなキスの味に、コウヤはうっとりと目を細める。じん、と全身がしびれるような心地よさだった。
「ふっ、……んく」
口が離れるたび、まるで自分のものじゃないのではないかと思うほど、なまめかしく、淫らな声が漏れてしまう。なるべく抑えようとしても、時折背中を突き刺すような快感がビリビリと頭に響くたび、喘いでしまっていた。
どうにか声をこらえようと、手の甲に筋が浮くほど拳を握りしめた。
「次は、ゆっくりスるつもりだったんだ」
吐息と一緒に、耳で低い声でささやかれる。まぶたがふるえ、目頭が熱くなった。何をされても、何を言われても、悦楽に繋がる。
(セックス、してくれるんだ。うれしい)
「………ッ………」
大国の指が、蜜の溢れ出る場所へ潜ろうとしていた。
「………ああっ」
狭い隙間を埋めるように、ゆっくりとナカを暴いていく。
コウヤは喉を鳴らし、無意識にキュウと大国の指を締め付ける。また、腰が言うことを聞かなくなる―――。
自由になっている片方の腕で大国の肩をつかみ、顔をそこへうずめる。不可抗力で、風呂上りの大国の澄んだ香りを胸いっぱいに吸い込むことになり、感度が倍以上に膨れ上がった。
肉壁が擦れるたびに蜜はさらにあふれ出し、大国の指を手伝う。頭の芯まで痺れるような快楽に支配されていく。体内では熱が渦巻き、性器が下腹にくっつきそうなほど感じてしまっていた。
「………んんんぅ………っ」
指は優しい前後の動きから、弱い部分を狙って押し上げるような動きに変わる。とうに弱い箇所は見抜かれていて、そこを寸分たがわず弄りたおされていた。骨ばった男性らしい大国の指は、コウヤを確実に絶頂へと導いている。さらに指の本数を増やされ、前立腺への圧迫感が増した。
「………アァッ…………!」
こぷり、とひときわ濃い白い液体が、赤くなったコウヤの中心から溢れ出る。快感が少しでも外へと逃れるように頭を左右に振った。達した体はいとも簡単に次の快楽の波にのまれてしまう。
「……んっんぅ………っ」
大国の指によって達したというのに、まだ指は止まらず内壁をなぞっていた。
「………ん、ふ…………アァッ………っ」
ものの数分でまた、追い込まれるような快楽がやってきて、激しく息をつきながら喘いだ。下半身が痙攣している。こうも連続で絶頂を向かえてしまうと、目がうつろになり、頭が真っ白で何も考えられなくなってくる。
「………ぁっ………?」
蕾に、大国の熱い屹立がそえられる。
「もう、いいな」
期待と、恐れを交えた瞳で、大国を見上げた。
「お、おねがいしま、す……っ…………あっ…………んんんん!」
大国の性器がねじこまれた。奥深くまで潜り込もうとするたび、内壁がこすられていく。途方もない快感がコウヤを襲い、腰がうねった。
「ぅぐ……っ、コウヤ、……じっとしてくれ。すぐ、出てしまいそうだ」
「はぁ、はぁ…………すみません……え?」
「なんだ」
朦朧とするなか、コウヤは言った。
「ナカに出してほしいので……いつでも出してもらって大丈夫なんですが……アア!」
大きく腰をゆさぶられ、灼熱の楔が、コウヤを翻弄する。
「煽らないでくれ!」
(し、叱られちゃった……言ってはいけないことだったんだ)
たくましい先端に感じ入りつつ、コウヤは反省した。
一度強い口調で叱られたものの、動作はいたって優しい。両手で耳を抑えるように顔を包み込まれ、ついばむキスが始まった。
「んんっ…………んんっ…………ん」
(あ、コレ、駄目だ……キモチイイ)
つい、腰の震動に合わせて、甘えてねだる声がもれてしまう。
「大国さん、んっ……また、これ、また、すぐ……大きいのがクる……っ」
「っはぁ、は………なんどでもイケばいいだろ」
「でも、あんまりイクと……気絶、しちゃ、う……ので、休憩を……っ」
願いは聞き入れられず、官能的な深い口づけが続いた。猛ったたくましいものが蕾を犯し続け、強制的にコウヤは数度目の熱を弾けさせられたのだった。
繋がった部分から水音が微かに響くころには、
すでにコウヤの体は、なされるがままに夫を受け入れるものへと変わっていた。
「く……ふ………………ぅんっ」
「コウヤ………良い、か?」
大国もこの時すでに3度はナカに射精していた。だが、キスをしている間にまたたくまに大国の陰茎は硬度を増し、コウヤを翻弄する。
ゆるゆると腰を前後させ、後ろから、コウヤを抱きしめていた。
「は、ふ………イイ、です…………すごく………」
生理的な涙が目の端にたまる。大国の詰まるような声が、たまらなく腰に響く。
「もう少し、深くはいっても、問題無いか?」
(ま、まだ奥に入るんだ……)
体に迎え入れているものの、どれだけ大国のものが凄いのか、はっきり見たことがなかったように思う。チラリとつながった部分に目をうつし、大国の立派さに驚きつつも、コウヤはドキドキしながら頷いた。
「お、お願いします……んんっ」
「はぁ、コウヤ……」
二人の声は甘くかすれていた。
情熱的に舌をからませ、こすれあわせる。くちゅくちゅと卑猥な音が部屋に響く。
(すごい……今、大国さんと、キスしてるんだ)
改めて今の状況を噛みしめると、胸がじんわり熱くなる。
「んん、んんぅ………!」
抱擁されながら、弱い部分を重点的に責められる。もう、何度目かわからない。パンパンと肌がぶつかり合う。
(んん、だめ、また、……イク……)
腰が痙攣している。大国は止まらず、コウヤを味わうのに夢中になっていた。頭の奥が真っ白になり、上も下もわからなくなってきた。
大国のもらす喘ぎのような吐息で現実に戻ってくる。かろうじて、意識を保っているギリギリの状況だった。これ以上の刺激には耐えられない。息をつめながら与えられる快楽の波にのっていた。
なのに―――。
「ああ!」
両方の乳首を親指でなでられた。強い快感が脳を貫き、腰が痙攣した。
「ここも、弱いよな」
あろうことか、そのツンと張り詰めた、二つの桃色のそれを――。
「アンンぅ……………!」
片方は舐められ、もう片方の手ではつねられる。腰に直接響くその快楽に驚き、身をよじる。
「大国さん、ソレ………だめぇ………!」
どしてそんなところをいじられるだけで、射精感が高まるのか。
二度目のセックスとなるが、いまだに理解できていない。
全身に広がる波紋の波に動揺しながら、身悶え、腰を引く。
「逃げるな。悪くはないだろう?」
「悪いです……とても、ヘン、です……」
大国の肩がゆれるのを感じた。涙目でぼやけているせいであまりよくは見えないが、笑ったようだ。
「こんなにヨさそうなのに。いつから嘘つきになった?」
「んん、アッ」
親指で両方の乳首をつぶすような動き――。
稲妻のような刺激だった。
ただでさえ、大国とのこういった行為は気絶するほど良いものだった。これ以上の快楽など求めてはいなかったのに。
「ああっ………あっ…………あっ……んんーーっ…!」
内壁をこする刺激だけでも精一杯だ。突き上げられ、胸の先を、なおも親指で下から持ち上げられるように、時に円を描くように弄ばれている。たまらなかった。
この間にも、数回頭が真っ白になる感覚がやってきていた。目をギュッと閉じると、パチパチと星がまたたく。
休憩を、とキスの合間にお願いしても、「まだだ」と返されてしまう。
セックスの主導権はおのずと大国が持っていて、コウヤはただ愛撫されるまま感じるしかない。
大きくのけぞり、逃げ場のない快楽を少しでも分散しようと頭を左右にふる。
動きは緩やかなのに、カラダは熱く燃え上がっていく。大国が前後に動くたび、逃がすまいとキュゥゥと雄を締め付けた。
「ハア、ハァ、……………んんん!」
足を抱えられ、少しも速度を落とさず、大国は正面から腰を穿つ。
ひねられる胸の刺激に、コウヤの太ももがブルブルと痙攣した。その時、大国は何を思ったのか、コウヤの屹立した雄を――握った。
「やっ………あぅっ……」
驚いて身を引くも、すでに下肢がぴったりとくっつくほど肌は重なっていて、さほど二人の間に距離はできなかった。
自分の先端の穴が小さく開き、勢いよく精液が押し出されるのが見えた。くぽ、くぽと開いたり閉じたりしているその穴を見てしまい、カッと羞恥心で目をまた閉じてしまった。
(ソコは………さわらないでほしい)
彼は、女性を妻に娶りたい男なのだ。
だからこそ、自分が男であることを象徴する部分に触れられるのは、どうにも気が引ける。
「やめて、ください……そこは、」
「はぁ……コウヤ」
熱を持った声で耳元で名前を呼ばれる。瞬間、ぞくぞくと導火線のように快楽が体中を駆け巡った。
大国の汗も、吐息も、何もかもが熱い。腰を前後する速度が、上がった。
「あ、んん!、んん!………ああ!は………んん!は………あっあっ、くぅ………ああんん………つは、む、ん」
ぐちぐちと指で上下に屹立したソレを扱かれ、蜜が零れ落ちる蕾では大国の赤く猛ったものが抜き差しされている。スピードが緩まることはなく、二度連続で強い波に襲われ、射精したあとも、大国は手放してはくれない。
息も絶え絶えになり、「もう……もう、だめ……」と掠れた声をこぼしたころ、
ようやく大国の熱も静まり、コウヤは力尽きるように意識を手放したのだった。
< 1章 コンテスト偏 終>
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目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
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なんか切ない話だな...(´;ω;`)
これからコウヤくんはめちゃくちゃ幸せになって欲しいな!
大国さんも今まで勘違いして冷たくしてた分コウヤくんのことめちゃくちゃ愛して、責任とってよ!?笑
すんごいえっちな主人公(⌒∇⌒)