借金まみれのジムトレーナー、なぜか大物俳優に執着されています【完結済】

春森

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ファーストキスは契約の一部

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「オフの日があるんですか?」

祝日でも土日でもない平日のど真ん中で、僕は突然お休みをもらった。

「はぁ?当然だろ。休みゼロなんかにしたら、企業側は訴えられるもんなんだぞ」
「そういうものなんですか……」

休みの日も出勤してたから、いざオフをもらうとなっても、何をすればいいかわからない。こういうのが普通なのかな?
そうだ、お母さんのお見舞いに行こう。いつもは仕事が終わったあとにしか会えなかったから、昼間に行ったらきっとビックリするだろうな。

「どこ行くんだよ」
「あっ、母が入院しているので、様子を見に行こうかと」
「ふぅん」

車のキーをクルクル回している。どこかに出かけるのかな。

「行くぞ」
「えっ、どこにですか?」

僕は病院に行きたいんだけど。

「決まってんだろ。お前の母さんのとこだよ。まだ給料も出てないのに、どうやって行くつもりだ? 交通費もないだろ」

うっ、なんて惨めなことを言うんだ、この人は。

「二時間ほど歩けばつくので、大丈夫です……」

夜刃昌磨はただでさえ忙しいのに、僕なんかに時間をかけたら周りに迷惑がかかるんじゃ?
どうして僕のお母さんに興味を持ったんだろう。

「いいからついてこい」
「はい……では、お言葉に甘えて……」

この人に歯向かうことができる人なんて、この世にいるんだろうか?


***


「志穏、いらっしゃい。あら、うしろの人は? 見たことあるような……」

今日のお母さんは元気そうだ。良かった。

「俳優さんだよ。僕、今はこの人の芸能プロダクションで働いてるんだ。ボディケア専門で」
「転職したの? 千夏くんのところはやめちゃったのね。芸能人の方とお仕事してるの? すごいじゃない。……母の睦月 香里です。どうぞ息子をよろしくお願いしますね」
「どうも。夜刃昌磨です。息子さんはよくやってくれてますよ」

この人ちゃんと挨拶できるんだ?!
あ。そうか。俳優業もこなしてるんだから、当然だよね。

「今日は転職の報告をしに来たんだ。体調はどう?」
「それがね、最近お母さん、起きられる時間は短いけど、毎日起きて、ひとりで歩けるようにリハビリをしてるの」
「すごいじゃないか!」

「ふふ、起きた時の体の麻痺さえなくなれば、退院しても大丈夫って言ってくれたわ。志穏のおかげよ。お薬、高いのに変えてくれたんでしょう? 大丈夫?」

「お金の心配はしないで。今までとそんなに変わらないから」
「あなたばっかりに苦労させてしまって申し訳ないわ……お母さん、早く元気になって、あなたを養ってあげるからね」

「僕はもう十九歳だよ」
「何言ってるの、十九はまだまだ子ども同然なんだから」

人前で頭を撫でられるのはとても恥ずかしかったけど、この人と触れ合える唯一の時間だったから、お母さんの好きなようにしてもらった。

「睦月さーん、リハビリのお時間です」
「あっ、志穏、ごめんなさい。今からリハビリなの」
「うん、近くで見てるね」

***


意外だった。夜刃昌磨は母のリハビリが終わるまで、運転手としてずっと待っててくれていた。

リハビリ中は何もできることがない。
彼に申し訳なく感じて、母の様子を見守りながら、夜刃昌磨の脚を今後どう改善していくかを話題にして話を持ちかけた。

膝の状態を悪化させずに、どういった鍛え方をすればいいのか、どういう運動器具が合っているか、数日かけて観察した上での、僕なりの見解を述べると、彼は何気に楽しく時間を過ごせたみたいで、鼻歌をハミングするくらいには機嫌を良くしていた。

車での帰り道。

「元気そうじゃないか。お前の母さん。思ってたよりも若いし」
「はい。ここ数年で一番元気な姿でした。高めの薬に変えて様子をみてたんです。変えて正解でした。まだ四十歳なので、頑張れば回復の見込みは十分あるんです」

急なカーブで、体が傾く。
長いくねり道だった。

「”金の心配はしないで。今までとそんなに変わらないから”ねぇ」

うぐっ
か、からかわれてる。そうですよ、見栄を張りましたけど、何か問題でも?
病院に行く交通費もなくて、歩くつもりだった、なんて心配性の母親に言えるわけないじゃないですか。

「本当は出費についてはかなりきつかったですけど、そんなのお母さんに言えないので、ああいう言い方になったんです」


どうしてこの人はちょいちょい意地悪を言ってくるんだろう?


***
<夜刃昌磨の家>

「あ、靴下、穴が開いてる」

新しく買う余裕もない。

普段から服を買う余裕がないので、破れたら繕うのが当たり前になっている。
おかげで縫い物は得意になっていた。
ミニ裁縫セットで親指の部分を縫っていく。

「おい、早く寝ろ。十時だ」

部屋がパッと暗くなる。

「あっ、待って、消さないでください。今靴下を縫っていて」
「アァ? んなもん買えばいいだろ。貧乏クセェ」

「あの、申し訳なんですが、電気をつけてもらうことは……」
「だめだ。十時以降はぜったいにだ。足元のランプだけで十分だろ」

夜刃昌磨は睡眠に変なこだわりを持っていて、十時になると、絶対にすべての部屋の電気を消す。この家は足元にライトが埋め込まれていて、それを頼りにして歩行するしかない。
縫い物をするには暗すぎる。

「で、でも、今縫いものをしていて」

「ここは俺んちなんだよ。居候のクセに歯向かうのか?」
「いっ、いえ! そんなつもりは……すみませんでした」

本当に悪い事など何もしていなかった。なのに、突然首根っこをつかまれて、ベッドに運ばれてしまった。

「条件、忘れてないよな?」
「あ……」

”この家に住む条件その二。禁煙の手伝いをすること”

初日に言われた言葉を思い出す。すると、夜刃昌磨の顔が近づいてきた。おっかなびっくりして、反射的にベッドの端に逃げてしまった。体勢が崩れ、頭から落ちそうになり、ギリギリのところで夜刃昌磨が服を引っ張って難を逃れることができた。

「なにやってんだよ」
「す、すみません、まだ針を持ってるので、これだけ片付けさせてくださいっ」
「ッチ、危ねーな。早く片付けてこい」
「はい……っ」

手探りで裁縫道具を見つけ、これまた手探りで針を収納した。夜刃昌磨の元に戻り、ベッドへ座った。

「条件覚えてるんなら、どうすればいいかわかるよな?」
「はい……」

僕も十九だ。詐欺師なんかにはなりたくない。大人には大人の対処をしなくてはいけないんだ。
郷に入っては郷に従えって言うし、受け入れないと……。

ベッドが沈んだ。こちら側に、夜刃昌磨が近づいてきている。

「逃げるなよ」
「に、逃げてません。ちゃんとベッドの上にいます」
「んな端っこにいたらなんも出来ないだろ」

そうは言っても、こんなこと経験が無いんだから仕方ないよ。
夜刃昌磨はカッコイイし、筋肉も見惚れてしまうくらい美しい。すごく怖いけど、魅力的なところが多くて、嫌いか好きかといえば、好きな方かもしれない。
ただ、キスをしたいかと言われれば、そういう好きではない気がする。

あれこれ考えていたら、ベッドの中央に来るよう腕を引っ張られた。さすがは元世界チャンピオン。身長百八十センチ近くの体をこうも軽々と抱き寄せるとは。

「どうして禁煙の手伝いがキスになるんですかっ……?」
「一回受け入れたんだから、今更ごちゃごちゃ言うんじゃねぇ」
「んっ」

誰が予想できただろう? 夜刃昌磨がタバコを吸いたくなったら代わりに口をふさぐことが僕の仕事になるだなんて。

ベッドの上で、唇を塞がれながら思う。
これは母さんの治療費のためだ。それに、この人には借りがある。これで気が済むなら、少しくらい我慢すればいいことだ。たくさんのものを、夜刃昌磨からもらっている。

「夜刃監督、い、息が……っ」
「息は鼻でしろ」

千夏に殴られていた頃に比べれば、扱いははるかにマシなわけで。
一度ここまで来てしまった以上、もう後戻りはできない。

僕はゆっくり目を閉じて、諦めた。
こんな体でよかったら、お好きにどうぞ。

こうして、僕のファーストキスは十九歳でいとも簡単に奪われた。


***

――数週間後。

夜刃昌磨の睨みはただのクセであることに気づいた頃、僕はやっと今の生活にも慣れ始めていた。
朝食で使う野菜をキッチンに置き、背中をさすった。
夜刃昌磨はシャワーを浴びている。

「はぁ腰が痛い。どうして毎回、ああなっちゃうんだろう」

初日ほどではないが、いまだに怪力で腰が痛くなるほど強く抱きしめられていた。
でも、腰の痛みとはもうすぐおさらばできる。この腰は住まいを提供してもらうための代償で、引っ越すことで解決する。

「あ、メール通知。誰から……」

“From:千夏父“

「!!」

送信元の文字で、持っていたコップを滑り落としそうになった。

用件はこうだ。
『お前の身元を調査した。毎月以下の指定した金額をこの口座に振り込むこと』
『お前を一発殴ってやりたいところだが、今回は借金を全額返金すれば、息子を通報したこと、壺の件は全て許すことにする』

「おじさん、僕が壺を割って、千夏くんに返済してるの……知ってたんだ」

千夏はすでに壺代は全て父親に払ったと言っていた。きっと、その時にでも伝えたんだろう。僕が犯人だったことを。

この文章は勝手すぎる内容ではあるけど、逆らえないと思った。
千夏の父親も、僕の母親がどういう状態であるかを知っているだろうから。

指定された金額から母の入院費用を引くと、残りは一万円。

とても引っ越しができる金額ではないのは明らかで。
不動産巡りは、またいつの日かに持ち越すしかなかった。
次に僕が行動すべきは……。

「あ、あの、夜刃監督……今、よろしいですか?」
「なんだよ」

朝のシャワーを終えた彼は優雅に足を組み、ブドウジュースを飲んでいた。

「住まい契約についてなのですが、あと一年ほど延長していただくことはできますか……?」
「ハッ、なんだよ。俺と寝るのがクセになったみたいだな?」

そうじゃない。賃貸を借りて今すぐ引っ越したいけど、引っ越すためのお金がないんです。
だけどそれを言うのはあまりにも惨めに思えたので伏せておく。

「となり、来いよ」

うぅ怖い。
そろそろと逃げ腰で、拳一個分あけて座った。

「それじゃ遠い。もっとコッチに寄れ」

僕の本業はボディケアで、夜の蝶、またはホストではないんですが。
言うとおりにするしかなく、すきまなくぴっとり肩をつける。
耳元で条件を一つ増やされた。

胸元の衣服をぎゅっと握り、唇を噛んだ。
僕は顔に熱が集まるのを感じながら、その条件をのんだ。



***




ep.9「夜刃昌磨は怒らせてはいけない」へ続く
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