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五段の男と、三段の男
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12月 下旬。
朝、玄関で手をこすっていたら、夜刃に「寒いんなら、服取りに行けばいいじゃねーかよ」と言われた。
「前社長の父親に、ジムには金輪際近づくなと言われているので、冬服を取りに行けないんです」
「買えばいいじゃねぇか」
苦笑するしかない僕の内心に気づいたのか、「金、ねーんだったな」と言って、一着投げてきた。
温かい上着を受け取り、ぽかんとしてしまった。
「それ着てろ」
「あ、ありがとうございます……!」
夜刃昌磨が親切だ。
隕石でも落ちるのかな、明日。
「これも使え」
ポイポイと投げられたのは、マフラー、手袋、耳当てだった。
あったかい。
「すみません。こんなに。いいんですか?」
「やる」
「うわ、あったかいや。すごく助かります」
渡すとき、どうして放り投げる必要があるのかは気になったけど、すごくうれしい。
「行くぞ」
「はい」
運転免許を持っていないので、マネージャーが迎えに来ない時はいつも夜刃昌磨が運転する。
携帯で今日がクリスマスだったことに気づいた。
人気俳優に年末休みなど存在しないのか、今日も夜刃昌磨は朝から晩までひっぱりだこで、撮影に年末特番にと、スケジュールはいつも通り過密だ。きっと今日がクリスマスということにも気づいていないんだろう。
いつも車での出勤は助手席から外の景色を見ていたけれど、今日はもらった防寒具の肌ざわりを楽しんだり、見つめたりして過ごした。
***
<アイアン芸能プロダクション 練習室>
「はぁ。本気でアクション俳優目指してるんなら、この程度は十分でできるようにならねぇとやってけねーぞ」
「はい……」
次の撮影に備えて、剣道の素振りをしているのだが、サマにならず鳥羽は何度も夜刃昌磨から指導を受けていた。
夜刃昌磨が昼食に行ったあと、半泣きで動画を見ながら練習する鳥羽に、こっそりどうすればいいか教えてあげた。
「すごい! わかりやすい! 剣道の経験者だったんですね、睦月トレーナー!」
「それほどでも。出来るようになってよかったですね」
まだ気になるところはあるが、及第点だと思う所まで成長してくれた。細かく指摘すればすぐに改善できる。
夜刃昌磨自身はどういった条件でも、一定以上の技量と姿勢を安定して発揮できる人だ。
けれど、初心者同然の人間に教えるのは得意ではないのかもしれない。
「へぇ」
低い声にビクッと脊髄が反応した。
背後には夜刃昌磨と、剣道具一式を重そうに運んでいるスタントマンが数人いた。
「どこかで見た事あると思ってたんだ。これですっきりした。睦月、なんで黙ってたんだ?」
夜刃昌磨がプライベートで笑ってるのは、初めて見たかもしれない。
***
なんでこんなことになったんだろう。
「剣道、まだできるよな?着ろ」と強制的に道具を装着させられ、気づけば竹刀まで握っていた。
夜刃昌磨は過去、剣道にハマっていた時期があり、たまたまテレビ放送で試合をしている僕を見かけたことがあるという。鳥羽に教えている動きで思い出したらしい。
こんなことになるくらいなら、忘れておいてほしかった。僕はただのボディケア要員なのに。
撮影では鳥羽はやられ役を演じるらしい。やられる側にしても相手を引き立たせるためにある程度技術を上げなければならないということで、なぜか僕が相手役を受け持つことになった。
まだボディケアをしてあげられてないスタントマンが多くいる。時刻を見た。鳥羽がうまくやってくれれば、全員できるだろう。
空気は、張りつめていた。
板張りの床に落ちる足音、面金の奥で鳴る呼吸、どれもがやけに大きく響く。
「始め!」
主審役を務める夜刃昌磨の声が落ちた瞬間、静かになった。
練習室にいた十数名のアクション俳優やスタントマンが練習をやめ、見学を始める。
見学をせずにご自分の練習をしてほしい。
僕は諦めて、呼吸を整え、構えた。
「ヤァァァ!」
声だけは十分に気合が入っている鳥羽に意識を戻す。
相手の右肩が沈む。踏み込みだ。
鳥羽は先ほど教えた動作を忠実に守っている。
竹刀が空を切る風圧が、面の横をかすめる。
間合いが詰まる。
互いの鍔がぶつかり、金属音が短く鳴った。
押す、耐える、崩す。
腕にかかる圧を感じながら、相手の呼吸の乱れを探る。
ほんの一瞬、相手の左足が浮いた。
今だ。
離れる際、足が勝手に前へ出た。
竹刀が一直線に振り下ろされる。
「――メン!」
衝撃が面に吸い込まれ、乾いた打突音が室内に弾けた。
間。
一拍遅れて、二本の旗が上がる。
僕の勝ち、だ。
夜刃昌磨は試合用の旗まで用意していたのか。
手が込んでる。
「何今の! 怖かった! 睦月トレーナー、今から剣道で世界一めざせるんじゃないですかっ?!」
張りつめていた神経がほどけ、腕がじんと痺れる。
面の内側で、汗が頬を伝った。
竹刀を持つ手が、まだ微かに震えている。
鳥羽にはいつもの笑っているような、困っているような顔を見せて対応する。
夜刃昌磨が「次は俺だ」と言って、防具を装着している。
なんで?
「睦月、段は」
「三段です」
段ってなんですか? という鳥羽の問いを全員が無視し、話は続く。
中学でやめたきりだったが、忘れていないもので、段については聞かれてすぐに夜刃昌磨に答えることができた。
「俺は五段。一試合やろうぜ」
だからなんで?
「嫌です」とも「もちろん」とも言えず、立ち尽くした。
****
夜刃昌磨との一試合終えた後、ブチ切れられた。
「テメェ。手加減して負けんじゃねぇよ! わかんだよ、コッチは! そういうのはよォ!」
「すみっ、すみません!」
僕が勝ったりしたら、逆ギレされると思ったんだ。
まさか勝たせて逆ギレされるなんて予想してなかった。
「次は本気で来いよ」
「はい……」
本気でやったらやったで、今度は試合をやめさせてくれなかった。悔しいのか、「もう一試合!」と夜刃昌磨は粘ってくる。
疲れていても、体は不思議なもので、審判の「始め!」という声が聞こえると体がシャキッとしてしまう。おかげで全員のボディケアはできず、僕が立てなくなるまで試合は続いた。
「ハァ、ハァ……夜、覚えてろよ……」
最初の試合から、夜刃昌磨には一度も勝ちを譲らない結果となった。
「本気でやれって言ったの、ハァ、ハァ……夜刃監督じゃないですか……」
その夜、新しく調達したコスプレ衣装を着せられ、彼の言った通り僕は泣かされることになった。
***
ep.13「怖いのは、過去より現在」へ続く
朝、玄関で手をこすっていたら、夜刃に「寒いんなら、服取りに行けばいいじゃねーかよ」と言われた。
「前社長の父親に、ジムには金輪際近づくなと言われているので、冬服を取りに行けないんです」
「買えばいいじゃねぇか」
苦笑するしかない僕の内心に気づいたのか、「金、ねーんだったな」と言って、一着投げてきた。
温かい上着を受け取り、ぽかんとしてしまった。
「それ着てろ」
「あ、ありがとうございます……!」
夜刃昌磨が親切だ。
隕石でも落ちるのかな、明日。
「これも使え」
ポイポイと投げられたのは、マフラー、手袋、耳当てだった。
あったかい。
「すみません。こんなに。いいんですか?」
「やる」
「うわ、あったかいや。すごく助かります」
渡すとき、どうして放り投げる必要があるのかは気になったけど、すごくうれしい。
「行くぞ」
「はい」
運転免許を持っていないので、マネージャーが迎えに来ない時はいつも夜刃昌磨が運転する。
携帯で今日がクリスマスだったことに気づいた。
人気俳優に年末休みなど存在しないのか、今日も夜刃昌磨は朝から晩までひっぱりだこで、撮影に年末特番にと、スケジュールはいつも通り過密だ。きっと今日がクリスマスということにも気づいていないんだろう。
いつも車での出勤は助手席から外の景色を見ていたけれど、今日はもらった防寒具の肌ざわりを楽しんだり、見つめたりして過ごした。
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<アイアン芸能プロダクション 練習室>
「はぁ。本気でアクション俳優目指してるんなら、この程度は十分でできるようにならねぇとやってけねーぞ」
「はい……」
次の撮影に備えて、剣道の素振りをしているのだが、サマにならず鳥羽は何度も夜刃昌磨から指導を受けていた。
夜刃昌磨が昼食に行ったあと、半泣きで動画を見ながら練習する鳥羽に、こっそりどうすればいいか教えてあげた。
「すごい! わかりやすい! 剣道の経験者だったんですね、睦月トレーナー!」
「それほどでも。出来るようになってよかったですね」
まだ気になるところはあるが、及第点だと思う所まで成長してくれた。細かく指摘すればすぐに改善できる。
夜刃昌磨自身はどういった条件でも、一定以上の技量と姿勢を安定して発揮できる人だ。
けれど、初心者同然の人間に教えるのは得意ではないのかもしれない。
「へぇ」
低い声にビクッと脊髄が反応した。
背後には夜刃昌磨と、剣道具一式を重そうに運んでいるスタントマンが数人いた。
「どこかで見た事あると思ってたんだ。これですっきりした。睦月、なんで黙ってたんだ?」
夜刃昌磨がプライベートで笑ってるのは、初めて見たかもしれない。
***
なんでこんなことになったんだろう。
「剣道、まだできるよな?着ろ」と強制的に道具を装着させられ、気づけば竹刀まで握っていた。
夜刃昌磨は過去、剣道にハマっていた時期があり、たまたまテレビ放送で試合をしている僕を見かけたことがあるという。鳥羽に教えている動きで思い出したらしい。
こんなことになるくらいなら、忘れておいてほしかった。僕はただのボディケア要員なのに。
撮影では鳥羽はやられ役を演じるらしい。やられる側にしても相手を引き立たせるためにある程度技術を上げなければならないということで、なぜか僕が相手役を受け持つことになった。
まだボディケアをしてあげられてないスタントマンが多くいる。時刻を見た。鳥羽がうまくやってくれれば、全員できるだろう。
空気は、張りつめていた。
板張りの床に落ちる足音、面金の奥で鳴る呼吸、どれもがやけに大きく響く。
「始め!」
主審役を務める夜刃昌磨の声が落ちた瞬間、静かになった。
練習室にいた十数名のアクション俳優やスタントマンが練習をやめ、見学を始める。
見学をせずにご自分の練習をしてほしい。
僕は諦めて、呼吸を整え、構えた。
「ヤァァァ!」
声だけは十分に気合が入っている鳥羽に意識を戻す。
相手の右肩が沈む。踏み込みだ。
鳥羽は先ほど教えた動作を忠実に守っている。
竹刀が空を切る風圧が、面の横をかすめる。
間合いが詰まる。
互いの鍔がぶつかり、金属音が短く鳴った。
押す、耐える、崩す。
腕にかかる圧を感じながら、相手の呼吸の乱れを探る。
ほんの一瞬、相手の左足が浮いた。
今だ。
離れる際、足が勝手に前へ出た。
竹刀が一直線に振り下ろされる。
「――メン!」
衝撃が面に吸い込まれ、乾いた打突音が室内に弾けた。
間。
一拍遅れて、二本の旗が上がる。
僕の勝ち、だ。
夜刃昌磨は試合用の旗まで用意していたのか。
手が込んでる。
「何今の! 怖かった! 睦月トレーナー、今から剣道で世界一めざせるんじゃないですかっ?!」
張りつめていた神経がほどけ、腕がじんと痺れる。
面の内側で、汗が頬を伝った。
竹刀を持つ手が、まだ微かに震えている。
鳥羽にはいつもの笑っているような、困っているような顔を見せて対応する。
夜刃昌磨が「次は俺だ」と言って、防具を装着している。
なんで?
「睦月、段は」
「三段です」
段ってなんですか? という鳥羽の問いを全員が無視し、話は続く。
中学でやめたきりだったが、忘れていないもので、段については聞かれてすぐに夜刃昌磨に答えることができた。
「俺は五段。一試合やろうぜ」
だからなんで?
「嫌です」とも「もちろん」とも言えず、立ち尽くした。
****
夜刃昌磨との一試合終えた後、ブチ切れられた。
「テメェ。手加減して負けんじゃねぇよ! わかんだよ、コッチは! そういうのはよォ!」
「すみっ、すみません!」
僕が勝ったりしたら、逆ギレされると思ったんだ。
まさか勝たせて逆ギレされるなんて予想してなかった。
「次は本気で来いよ」
「はい……」
本気でやったらやったで、今度は試合をやめさせてくれなかった。悔しいのか、「もう一試合!」と夜刃昌磨は粘ってくる。
疲れていても、体は不思議なもので、審判の「始め!」という声が聞こえると体がシャキッとしてしまう。おかげで全員のボディケアはできず、僕が立てなくなるまで試合は続いた。
「ハァ、ハァ……夜、覚えてろよ……」
最初の試合から、夜刃昌磨には一度も勝ちを譲らない結果となった。
「本気でやれって言ったの、ハァ、ハァ……夜刃監督じゃないですか……」
その夜、新しく調達したコスプレ衣装を着せられ、彼の言った通り僕は泣かされることになった。
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