借金まみれのジムトレーナー、なぜか大物俳優に執着されています【完結済】

変な作家

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ひとりになる準備なんて、したくない

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「睦月さん、ここですか?」

パトカーはすぐに来てくれた。警察はゴミ袋に埋まっている僕に手を差し伸べ、どこにも怪我がないかを確認する。

警察と合流した僕は、起こった一連の出来事を全て伝えた。
一人ではもう、抱えきれない。

「ご協力ありがとうございます。何か進展があれば連絡をします」

警察は全力で相手を探し、事実確認をすると言ってくれた。
どこまで一条京四郎を制御できるかわからないが、今は警察を頼りにするしかない。

「怖いな……」

警察が持ってきてくれたリュックの中から、着替えを取り出し、トイレで着替えようとしたが、トイレから背の高い男性が現れ、反射的にさっきの追いかけられた恐怖を思いだし、逃げ出してしまった。振り返ると、その人はただのおじいさんだった。

その日はシェアルームに行くつもりだったのだが、もし自分がその家に泊まることで周りに迷惑をかけたらどうしようと不安になってしまった。
シェアルームの管理会社に電話をかけた。

「あの、すみません。睦月です。今回マンスリー契約をさせていただいたのですが、キャンセルさせていただけますか?」

足は自然とアイアン芸能プロダクションの方へと向かっていた。
アイアンには強い人が多く、何かあってもはねのけるだけの力を持っている人が多い。万が一あんな大男が襲ってきても、毎日練習している格闘技でノックアウトできる。
社員証があればシャワーを借りられる。

今日はひとまず仮眠室で泊まることにした。
まだ夕暮れだったが、もう今日のところは休みたかった。
シャワーを浴び、ゴミの臭いが染みついた洋服を捨てていた、その時だった。
母の病院から着信が入った。母のケアを担当している介護士からだ。

「はい」
『睦月さん、実は……』

電話をつなげたまま電車へと走った。

***

母は生きていた。
けれど、目覚める可能性が、限りなく低いと言われてしまった。
涙で、全てが歪んで見える。

医師や看護師は僕が話せる状態になるまで、辛抱強く待ってくれた。

診察室のドアが閉まる音が、小さく響く。
医師は椅子に腰を下ろし、机の上で両手を組んだ。

「……お母さまの状態について、改めてご説明します」

僕はうなずいた。喉が詰まって声は出なかった。

「現時点で、意識が回復する可能性は、残念ながら非常に低いと言わざるを得ません」
「もう、戻らないということですか?」

「“絶対にない”とは言い切れません。ただ、医学的には……回復を期待して積極的な治療を続ける段階は、過ぎていると考えています」

空気が重く沈んだ。

「今後について、いくつか選択肢があります」

医師は資料を一枚、机の上に置いた。

「ひとつは、これまで通り生命維持を続けること。人工栄養と呼吸管理を行い、状態を維持します」
「……それ以外は」

「延命処置をどこまで行うかを見直す、という選択です。たとえば、感染症が起きた場合に積極的な治療を行うかどうか、心肺停止時に蘇生を行うかどうか……」

「それって……僕が、決めるんですか」
「はい。ご家族の意思として、です。“終わらせる”というより、“どう寄り添うか”を決める、という考え方もあります」

医師の声は、淡々としていながら柔らかかった。

「母は生きてます。今持っているお金を全てを病院に入金します。出来る限り、それで延命させてあげてください」

「わかりました。どの選択も、間違いではありません。ご自身を責めないでください。どんな決断でも、私たちは最後まで支えます」

診察室を出たあと、病室の前で立ち止まった。
ガラス越しに見える母の顔は、穏やかだった。

「お母さん、起きて」

返事はない。

「僕には、お母さんだけなんだ……お願い、起きて……ひとりになる準備なんて、したくない」

どれだけ泣いても、母が目覚めることはなかった。

***

「こんなところにいやがったのか!」

夜刃昌磨の怒鳴り声が聞こえ、まだ眠い体をゆっくりと起こした。

「なんですか? 朝ごはん、作るので、そんな声出さないで……」

今日は何を作ろう? 冷蔵庫にサバがあったはずだから、塩焼き定食にしようかな。夜刃昌磨は甘い卵焼きが好きだから、それに合う献立で……。

「朝飯だと? なに抜かしてやがる」
「へっ、もしかして、寝坊しました?」

そこで違和感を始めて感じる。
ここは仮眠室で、目の前には夜刃昌磨だけでなく、勝俣社長や、スタントマンもいた。

そうだ、マンスリー契約の方をキャンセルして、お母さんのお見舞いのあとアイアンの仮眠室に戻ったんだった。

「お前を探してたんだぞ? 捜索願いを出すところだったんだ!」

夜刃昌磨はずっとカッカと怒っている。

「捜索願だなんて、そんな……一日寝坊したくらいで、あ、いえ、遅刻について、申し訳ありません……以後、気を付けます」

寝坊したのは間違いない。ここは謝らなければ、社会人としてまずい。
勝俣社長が僕の肩に手を置いた。

「睦月トレーナー、君は約三日間、行方不明だったんだ」
「えっ?」
「いつから君は、ここの仮眠室で寝ていたんだ?」

「き、昨日です」
「君にとっての昨日は何日なんだい?」
「九月三十日です」

勝俣社長と夜刃昌磨が眉を寄せ、怪訝な顔をする。

「睦月トレーナー、今日は十月三日だよ」

なんだって?

「そ、そんなはず……」

手のひらで握りしめていた携帯を確認する。再度ボタンを押しても反応がない。電源は切れていた。

「見て」

勝俣社長のスマートホンを見て、愕然とした。確かに、十月三日だ。

「病院に行った方が良いんじゃねーか。働けねーだろ、んな状態じゃ」

夜刃昌磨の提案は、断固拒否だ。

「母が植物状態になりました。お金を稼がないといけないので、働かせてもらえないでしょうか……。こんな状態ですが、頭はハッキリしていますし、大きな怪我を負っているわけでもないので……お願いします」

正座をして、頭を下げた。

「やめてくれ、睦月トレーナー、わかった、わかったよ。頭を上げて」

勝俣社長に支えられ、座り直す。

「ひとまず、様子見といこうか」
「すみません、勝俣社長、ご迷惑をおかけします……」


***


数分後、僕はすぐにボディケア担当として問題が無いことを証明すべく、みんながいつも練習室として利用している場所ですぐさま仕事を始めた。
まずは夜刃昌磨から。

「どうしたんだよ、力出てねーぞ。手はふるえてるしよ」
「すみません。どうしてかな……?」
「風邪ひいてんのか」
「いえ、健康体です。しんどいとかもないですし」

「ッチ、つかえねぇ。今日はボディケアはいらね。邪魔だ。離れてろ」
「あっ、すみません……!」

な、なんでだ? どうして力が出ないんだ?

「あれ、睦月トレーナー!なんか久しぶりですね? ちょうどよかった、マッサージ頼めますか? 一昨日の撮影からずっと腰が痛くって~」
「鳥羽さん。もちろん大丈夫です。どうぞ横になってください」

鳥羽に歩いてもらい、どこが悪いのか把握してから、彼に合いそうなケアを施す。
手がふるえるようなこともなく、数十分のケアを続けることができた。
いったい、さっきのは何だったんだろう?

「はぁ~。やっぱ睦月トレーナーのケアは最高ですね。腰を痛めた日に整体行ったんですけど、ぜんぜん治らなくて……どうしたんですか?顔が曇ってますけど。もしかして僕、汗クサイ?」

「いえ、そうではなく……えっと、なんでもないです。練習、頑張ってくださいね」

「なんだ、大丈夫そうじゃないか」

振り返ると、勝俣社長が笑顔で腕を組んでいた。

「夜刃が睦月トレーナーが使えなくなったっていうから、何事かと思ったよ。
今から私のボディケアもお願いできるかな? また走りこみすぎちゃって、脚が痛むんだ」
「いいですよ。どこが原因か見てみるので歩いてみてもらえますか?」

いざケアに入ろうとすると、さっきと同じように手がふるえて力が入らなくなった。

「あ、あれっ、どうしてだろうっ?」

勝俣社長の顔が曇る。
力が入らず、軽くパニックになってしまった。

「ま、待ってください、本当に僕、健康なんです」

「もしかしたら」と勝俣社長は呟き、今度は女性スタントマンと、背の小さい男性スタントマンを呼んだ。二人とも新人のようで、目をキラキラさせて小走りでこちらにやってくる。

「睦月トレーナー、新人の宮佐多姉弟だ。この子たちに五分ずつ肩のマッサージをしてあげてくれないかな?」
「わかりました」

この二人には問題なく、いつも通りの力加減でケアができた。震えることもなく。
ふと視線を感じ、そちらを向くと、夜刃昌磨と目が合った。


***

ep.15 「終わりを決めた、静かな午後」へ続く


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