B-Ambitious

鉄紺忍者

文字の大きさ
2 / 8
【第1章 箱根駅伝、5区山登りを攻略しろ!】

① 山を目指して

しおりを挟む
山には、神様がいる。

ドンッ、パンッ、バババンッ。

山のどこかで、破裂音が打ち上がっている。

日中の花火に遭遇するなんて、たぶん一年のうちで今日と明日くらいのものだ。

とことん非日常的で、やっぱり時々まだ夢の中にいる気分がしてくる。実体を見ていないのに、煙っぽく霞んでいく余韻まで不思議と想像できた。

骨を切るような冷気が長袖のユニフォームを貫き、肌を通して体の芯まで凍らせてくる。

吐く息が白いもやとなって漂う先に、二台の白バイがエンジン音を低くとどろかせながら、峻険な坂を登っていく。

おかげで選手は道を覚えていなくてもいい。公道の真ん中を走ることに、なんの躊躇も要らない。ただひたすらあの機体を追い続ければよいのだ。

そうは言っても、目の前に次々現れる上り坂は、本当にどれもこれもつい路面に手を突きたくなるほど急だ。頭ではわかっていた。覚悟もしていた。それでも、実物は軽々とイメージを超えてくる。

ぜえはあ、と息が切れるとか、そんな話じゃない。身体中が痛いんだ。あちこちのパーツがもうだいぶ序盤から悲鳴を上げている。

誰だよ。こんな道、人間に走らせようなんて考えた奴は。あれだけこの舞台を夢見てきた俺がそう思える時点で、この坂のキツさはフツウじゃない。

東京箱根間往復大学駅伝競走。通称、箱根駅伝。

始まりは大正九年、一九二〇年。「世界に通用する長距離選手を育てる」ことを目的に、ある青年の手で企画された。

東京・大手町から神奈川・箱根芦ノ湖まで、全長217・1キロを十人でタスキを繋ぎながら走る。

学生たちの勇姿は正月の風物詩として今もなお親しまれ、毎年のように三〇%前後の視聴率を叩き出している。

中でも、山登りの5区だけはまるで別競技。全長20・8キロ。高低差は約840メートル。多くが憧れる「花の2区」には目もくれず、俺はこの5区で勝負したくて今日まで走ってきた。

熱意だけじゃ走れないのは確かだ。それでいて、冷める暇も許されないまま、箱根の山は俺をさらに奥へと引きずり込んでくる。

いやはや、こうしている間にも思考がどんどん暗く、マイナスに引っ張られていく。

「おい、10キロ通過、33分46」

ゴールまでおよそ半分にあたる10キロ過ぎ。後方の運営管理車から、石堂いしどう監督のドスの効いた声が飛んできた。

「いま区間5位。いいか、ひとつ前の赤藍せきらん大学とは30秒差」

たしかに、ずっとカーブで見えてこなかった前の選手が、少しずつ視界に捕らえられるようになってきた。

前に誰かいるのは走りやすい。カーブで大回りする白バイより、生身のランナーのコース取りのほうが参考になる。

カメラを抱えたバイクが寄ってきた。俺に向けて何か実況しているらしい。

そうか。俺は今、テレビの中で走っているんだ。

*  *  *

箱根山中を駆け抜けた神坂こうさかはやての名は、箱根駅伝ファンの間で今なお語り草になっている。だが、ぬま信之介しんのすけという選手を覚えている者は、果たしてどれだけいるだろうか。

これは、箱根の山に青春を捧げ尽くした、二人の学生ランナーの物語。



神坂颯は回想する。

山の神・柳原やなぎはらさんを初めて見たのは、中学生の頃だった。

正月、実家の炬燵こたつに入り、みかんを剥きながら、なんとなく眺めていたテレビ。あれがすべての始まりだった。

皆がもがき苦しみながら進む中、一人だけまるでスクーターのようにスイスイ登っていく。あの人が映るときだけ、画面のコースが上り坂に見えなくなった。

「山の神、ここに誕生!」

山の神。実況が、日本中が、彼をそう呼んだ。

あれから四年。今、颯はその柳原さんと同じ黄水晶シトリン大学にいる。そして、あの黄色いユニフォームで5区を走る夢を叶えるべく、選考合宿に食らいついている。

競争相手は、沼信之介。三つ年上の先輩、つまり四年生だ。

その風貌はどこか仙人を思わせる。

背中は丸く、髪はボサボサ。頬の肌は乾ききった木の皮みたいにひび割れていて、ところどころ黒ずんでいる。

日焼けというより、何年も山の風と太陽に晒され続けたせいで、すすけたような色に染まっていた。

身にまとっているのは、いつも灰色と白のくたびれたランニングウェア。もともとその色だったのか、洗濯するうち色褪(あ)せたのか、もはや判別がつかない。

この人の部屋に同じものが何枚も干されているのを見たときは、ちょっとしたホラーに思えた。

毎日同じウェアで、毎日の坂道ジョグを欠かさない。本当に、山を登るためだけに存在しているような人。

ある日のトレーニングルームで、こんなことがあった。

颯は初めてA寮のトレッドミルを使おうとしたのだが、傾斜のつけ方がわからなかった。

「すんません、沼さん」
「ん?」
「坂道の設定って、どうやって……」
「んあ。お前、初めてか」

マットに座ってストレッチをしていた沼さんが、むこう向きに俯いたまま立ち上がった。首が妙に長くて、ヒョロっとした猫背がいっそう際立って見える。

妖怪は頭をかきむしりながら、のそのそとこちらへ近づいてきた。

「ここで傾斜を変える」

と言っても、沼さんが視線を向けているのは颯の足元だ。そのままコントロールパネルを一切見ることなく、慣れた手つきで傾きを操ってみせる。

「ちなみに、3キロ付近にある箱根湯本(はこねゆもと)の駅前がこのくらい。けど、こんなのはまだ序の口」

沼さんは心なしか嬉しそうに解説を続ける。

「大平台(おおひらだい)のヘアピンカーブのあたりなんか、これくらい。でも一番エグいのは10キロ手前から。宮ノ下(みやのした)の交差点を左に曲がったところで、一気にこんくらいになる」

「えっ」

背中が震えた。

箱根の坂にビビったわけじゃない。この人、箱根の各ポイントの斜度をすべて暗記していやがる。

修行僧を前にしてつい拝みたくなる、そんな気持ちになった。

ああ、この人はずっと、ひたすら山を登ることだけを極めてきたんだな、って。

しかも、過去三年はあの柳原やなぎはらさんがいたから、ずっと控え選手だったという。

どれだけ準備したって、5区はあの人が走る。そんなことが三度も続けば、普通は腐る。諦める。他の道を探す。

けど、沼さんは違った。何度でも立ち上がり、次の箱根駅伝のためにまた淡々と練習する。そして、柳原さんが卒業した今、ようやくチャンスを掴みかけている。

まるで山の化身だ。練習コースにいるときより、寮内の人工物に囲まれた空間のほうが、この人にはよっぽど場違いに感じる。

尊敬。それは間違いなくある。

でも、それだけじゃない。颯の中にはもっと黒くて熱いものが渦巻いていた。

箱根の山に魅せられちまった者同士だ。食らいつきたい。この人と、本気で山を賭けた争いがしたい。

颯にとっても、これは譲れない序章。柳原さんと全く同じように、四年連続で5区の区間賞を取りたい。そのためには、なんとしてでも一年目から走らないといけない。チーム内競争なんかで負けていたら、「山の神」になりたいだなんて言えない。

これだけの人に勝てたら、きっと山の神にだって近づける。

この背中を越えるしかない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...