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番外編
榛事変
しおりを挟む榛の実の糖がけ。
それは甘くて香ばしい。外側の糖がけ部分は穏やかな甘さ。カリッと噛み砕けば、どことなく栗に似た香りと木の実特有の濃厚な旨みがある。僅かに苦味もあるが気にならない程度だ。
気が付けば手を伸ばして口に放り込みたくなる、そんな味だった。
元々香ばしい風味の木の実や種は好きな方だ。朱家にいた時は大抵飢えていたから、季節になれば道端で拾えて栄養があり、かつ保存が利く木の実類はありがたい食べ物だった。薬になるものもあるから、幼い頃に爺ちゃんと拾いに行ったこともある。炒って食べさせてくれた木の実の香ばしい味は優しい思い出が色濃く残る。
それが今は鉢いっぱいに盛られ、食べても食べても早々に無くなることもない。あの頃からすれば夢のようだ。
「これ、すっごく美味しいわね」
「気に入ったか」
この榛の糖がけは雨了が持ってきたものだった。
「こういうの好きなのよ。雨了は食べないの?」
しかし当の雨了は酒ばかりを口にして榛の糖がけは食べていない。
雨了はいつも政務が忙しく、薫春殿にも真夜中の到来になることは珍しくない。今夜は珍しく早く訪れたのに──とはいえもう日も暮れて、後は寝るばかりの刻限になっていた。
「さすがにこの刻限ではな……あまりに腹がくちくなると眠気は出ても眠りが浅いのだ」
そう言って、雨了はまたお酒を飲む。
「……私、もうたくさん食べちゃったんだけど」
「莉珠はたくさん食べ、大きくなるのが仕事だろう」
「違うわよ!」
いつまで子供扱いする気なのやら。
乱雑に髪の毛をくしゃくしゃになるまで撫でられてムッと眉を寄せた。
「大体、眠りの浅さを気にするなら、飲み過ぎだって駄目でしょうに」
「む……そうだな」
そう言えば雨了は今日は大人しく酒杯を置いた。
私もまだまだ盛られている榛に視線を落とす。寝る前に食べすぎるのは確かに良くない。
「すぐ腐るものでもあるまい。明日にでも食べると良い」
「うん、そうする。好きな味だし、小腹が空いた時にちょいちょい摘めるのもいいわね。宮女にもお裾分けしたら喜ばれそう」
私は雨了にニッコリ微笑む。
茘枝が毎日送られて来る時は美味しいけど傷みやすいので少し困ったが、木の実なら多少あっても構わないだろう。
「莉珠が喜んだなら用意させた甲斐があったというものだ」
「ありがとう、雨了」
雨了も私にそれなりに気を使ってくれているのは分かっていたし、純粋にありがたかった。
──というのが数日前のこと。
「あの、朱妃……陛下からまた榛が届きました!」
「こちらもです! こちらは胡桃の蜂蜜かけです」
「こっちは……南方の香辛料かしら。牛酪と砂糖で加工した豆菓子のようですね」
宮女達はそれぞれ別の味の木の実や豆などを手にしていた。
私はおでこに手を当てた。
榛に扁桃、胡桃や落花生まで。
それらを糖がけにしたり、蜂蜜に漬けてあったりと味付けは様々だ。それが毎日のように雨了から送られてくるのである。並べればかなりの量だった。
いくら木の実類が好きだからと言っていくらなんでもこれは多すぎる。菓子の中でも保存は利くが、この調子では一体いつまで送られてくるのやら。
最初はせっせと消費してくれていた宮女達も、そろそろ飽きが来ているらしく、食べる手が鈍っていた。
「……申し訳ありません、朱妃……その、体重の方がですね」
恩永玉が元々丸みのある頬をさらにふっくらとさせて青ざめている。うんうん、と数人の宮女が頷く。
「……私は吹き出物が」
金苑は顎あたりを頑なに袖で隠している。
また、うんうんと頷く宮女達。
「わ、分かった。陛下にお礼の手紙出す時に、もう送るなって書いておくから……」
いくら美味しくて栄養があると言っても限度がある。
宮女達も申し訳無さそうにしていたが限界だ。
「今ある分はすぐ腐るものでもないから、少しずつ食べましょう」
それからしばし、青妃や道行く宮女にまでお裾分けし、ようやく木の実の糖がけも減りつつあった。
「だからね、多すぎは良くないのよ。好きだけど! 聞いてる? 雨了ってば!」
「ん、ああ……聞いている」
嘘だ。生返事なのは直接見ていない私でも分かる。
私は井戸の青い光を覗き込みながら唇を尖らせた。
「もう、いくら好物でも適量があるの。……あ、もう時間みたいだから、じゃあね」
井戸越しに雨了と話せる時間はそれほど長くない。
今日は特に短く、すぐに青い光はほとんど消えてしまった。ほとんどこちらの主張しかしていない。
それは残念だけど、また雨了が夜に来た時にゆっくり話せばいいだろう。
私は顔を上げ、円茘に微笑みかける。
円茘はどうやら榛の糖がけを気に入ったらしく空の鉢を指差してニッコニコのいい笑顔になっていた。気に入ってもらえたようで私も嬉しい。
「さてと……今日のおやつは久しぶりの包子だったわよね。餡子入りに……あ、胡麻餡もいいわね。それから欖仁が入ったやつに……」
ふかふかの甘い包子を想像して唇が緩む。
雨了にはちゃんと訴えたし、木の実類もこれで届かなくなるだろう。
さすがに木の実の糖がけが多すぎて、この数日のおやつは全て木の実だったのだ。今日は久しぶりに好物の包子のはず。ちょっとウキウキしながら薫春殿に戻る。
円茘は困惑し、斬られた己が首を傾けて井戸の方を見ていたが、浮かれきった私にはその理由を察することは出来なかった。
「……莉珠……? おい、莉珠……ああもう、ようやく手が空いたというのに!」
──まさか、井戸の青い光がまだ残っていただなんて、思ってもみず。
「……しかし包子か。ふむ、確か好きだと言っておったな……」
今度は怒涛の包子攻撃が始まろうとは、この時の私には想像も付かなかったのだった──
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