迦国あやかし後宮譚

シアノ

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3巻

3-1

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   第一章


 蝉の声が、わぁんと耳の奥にこだまする。
 耳に残るその音は、熱のこもった脳をぐらぐらと揺さぶるかのようだ。

「ふう、暑い……」

 大人しく座っているだけなのに、じっとりとした暑さに汗が浮かび、玉になって肌を転がる。ひどく不快な暑さだった。
 ここは月影宮げつえいきゅう。後宮の外にある宮殿で、上皇陛下――つまり雨了うりょうの母君が住む場所である。私と雨了が後宮から離れ、この月影宮に身を寄せて一月ひとつき。季節は夏になっていた。
 窓から見える景色も慣れ親しんだ薫春殿くんしゅんでんとは違う。本来は目に涼しい緑の竹林なのだが、今はそう感じない。風がなく、竹林がそよともしないせいだ。竹の葉がこすれる音すらなく、嫌な湿気が体にまとわりつく。
 私は眠る雨了をあおいでいた手を止め、布を手に取る。雨了の額に浮かんだ汗をそっとぬぐった。
 こんなにも暑いのに、雨了の顔色はひどく青白い。固く閉じられた瞼の下に長い睫毛まつげが影を落とし、一層病の色を濃くしていた。
 後宮が玉石の悪意に襲われ、雨了が鴆毒ちんどくを飲んで倒れたのは、まるで遠い昔のようにも、つい昨日のようにも感じてしまう。一月ひとつき経った今でも雨了の体調は万全ではない。私は雨了のうろこを取り戻し、そして玉石の脅威も退しりぞけた。しかしそれで全ての問題が解決したわけではなかったのだ。
 雨了が飲んだ鴆毒ちんどくは幸いにして致死量ではなく、犀角さいかくを使った毒消しで治療も済ませた。しかし病状はかんばしくない。むしろ、この真夏の暑さに比例するように雨了は弱ってしまっている。今も体力の消耗を防ぐために、こうして一日中眠ってばかりなのだった。

「ん……」

 雨了は微かに身じろぎ、ゆっくりと目を開けていく。鮮やかに光る龍の青い目。
 その目を見るたびに私の胸は高鳴り、体中に甘い液体が流れていくかのようだった。

「雨了、起きた?」
「ああ……」

 億劫おっくうそうに雨了は答える。

「お水飲む? 起きるのを手伝うから」

 枕元に水差しが置いてあるのでそう言ったのだが、雨了はゆっくり首を横に振った。

「いや、いい。そろそろ侍医じいの来る頃合いであろう」
「……そうだけど」
「すまないな……」
「ううん」

 雨了はこうしてわずかな時間だけ目覚めるが、それは侍医じいの診察や食事にてられている。生命を繋ぐためだから仕方ないとはいえ、私と話す時間はほとんどない。

「――失礼いたします」

 雨了の目覚めを予測し、既に待機していたのか、部屋の外から声がかけられた。
 入ってきたのは雨了付きの宦官かんがん凛勢りんぜいだった。
 宦官かんがんおおむねね、容貌から年齢を推測しにくいものだが、その中でも凛勢はまったく見当がつかない外見をしていた。
 彼は男性にしては小柄で骨格も華奢なため、一瞥いちべつすると少年のようにも見える。しかし普段の雨了と比べてずっと年上のような落ち着きもある。その整った容貌としなやかな物腰だけなら絶世の美女のようにも見えるのだ。
 凛勢は雨了とは違った系統ながら、誰もが見惚みとれてしまうほどの美形だ。細身で中性的な雰囲気は、あのお騒がせな宮女の蔡美宣さいびせんならきっと転げ回るほど好みだろう。耳をつんざく黄色い悲鳴を上げるところまで容易たやすく想像が付く。しかしどういうわけか、彼は宦官かんがんなのに後宮に立ち入ることがなく、私は最近まで顔も知らずにいたのだった。
 滑るように足音を立てず雨了のそばに来た凛勢は、雨了の背中を支えて上体を起こさせた。力強い腕はやはりたおやかな美女とは違う。

朱妃しゅひ、恐れ入ります。これから侍医じいが参りますので、御退出を」

 これまではそう言われて大人しく退出していたが、許されるなら同席したい。今日こそはと食い下がった。

「あの、凛勢。私もこの部屋にいちゃ駄目かしら。侍医じいの邪魔はしないし、口も開かないで大人しくしているから」

 少しでも長く雨了のそばにいたかった。そう決意を込めたが、凛勢の迷惑そうなため息に、つい私はたじろぐ。

「申し訳ございません。侍医じいだけでなく、侍医じいの弟子や記録係の官吏も同席いたします。許可なき男性を朱妃に近付けるわけには参りません。どうか御退出をお願いいたします」

 冷たい口調できっぱりと断られ、私は項垂うなだれるしかない。

「分かったわ……」

 モゴモゴと口の中でそう呟いた。
 私は凛勢の冷淡な物言いや、あからさまなため息がどうしても苦手だった。凛勢の言うことは全て正論なのだとは分かっている。しかし凛勢が私のことをうとんでいるからではないかと、卑屈な考えに支配されてしまうのだ。
 それに私は、雨了の愛妃となってまだ半年足らず。一方で凛勢は長く雨了につかえているらしく、雨了が心から信頼している人物なのだ。現に今も、ほとんど会話をせずともわずかな仕草だけでやりとりをしている。宦官かんがんに嫉妬というのもおかしな話だけれど、今の心境はそれに近い疎外感があった。

「もうよろしいでしょう。――そこの宮女きゅうじょ、朱妃を連れて行きなさい」
「は、はい。さあ朱妃、どうぞこちらに」
「あの……凛勢。陛下をお願いね」
「言われるまでもありません」

 凛勢はこちらも見ずにそう言う。声色はやはり冷ややかに感じた。
 私は月影宮の宮女きゅうじょに付き添われ、部屋から出た。

「まあまあ朱妃、そんなに落ち込まないでくださいませ。陛下にずっと付き添われている朱妃にも少し休憩が必要ではありませんか? 凛勢様もきっとそうお考えなのですよ」

 私を部屋から連れ出した宮女の陸寧りくねいはそう慰めなぐさてくれる。なだめるように背中にそっと手が置かれた。

「そうだといいけど……。あのね、噂を聞いてしまったのよ」

 少し前に偶然聞いてしまった噂話を思い出して、私は胸の前で手を握る。

「噂……ですか?」
「私が妃になってからというもの、変な事件が多かったでしょう。ほら、龍圭殿りゅうけいでんで死体が見つかったとか、妙な鳥が薫春殿に来ていたとか。一月ひとつき前には後宮がゴタゴタして、更には陛下が危うく死ぬところだった。それもこれも、私が悪運を運んできたせいで……私は厄災の種なんだって」

 以前にも後宮で変な噂を立てられたが、その時は平気だった。なのに今は心が弱っているからなのか、じくじくと痛む傷のように、一度気になり出したら止まらない。

「ま、まあ……なんて酷いことを。一体誰が……」

 陸寧は眉を寄せる。痛ましいものを見る目をして私の背中をさすった。

「分からないけど、一部の宦官かんがんの間でそうささやかれてるみたいで……もしかしたら凛勢もそう思っているかもしれない」
「非現実的にもほどがあります。そのようなもの、荒唐無稽な噂に過ぎませんよ。わたくしは一切信じておりません。きっと凛勢様も同様ですわ」
「……うん。陸寧、ありがとう」

 そう言うと陸寧はニコッと微笑んだ。
 陸寧はこの月影宮の宮女で、私がここに滞在してからずっと世話になっている。
 薫春殿の宮女たちはここにいない。玉石の事件で薫春殿が襲われたため、怪我をして治療中か、後宮から一時的に宿下がりして心身を休めているのだ。幸いなことに誰一人として命を落とすことはなかったが、命の危険にさらされ後宮勤めが嫌になってしまってもおかしくない。
 それもまた、ここのところの気鬱が増している原因の一つなのだった。彼女たちが戻ってくる保証はない。楽しかった薫春殿の生活は、もう二度と戻ってこないかもしれないのだ。
 雨了の体調はかんばしくなく、ろくや汪蘭おうらんもそばにはいない今、私には心のり所がなかった。いつの間にか私には大切なものが増え過ぎてしまった。それを失うかもしれないことがいかに恐ろしいかを知ってしまったのだ。
 私がもっと強ければ。せめてもっと賢ければ。雨了をあんなに消耗させず、薫春殿の宮女たちも傷つくことはなかったのに。ぐじぐじとそう思ってしまうのを止められずにいた。
 そうやって落ち込んだ時でもこの陸寧はいつも優しく微笑み、慣れない場所での生活に気を配ってくれる。美人で物腰も穏やか。宮女としての仕事も完璧で、素敵な女性なのだ。
 恩永玉おんえいぎょくが宮女の経験を積み、数年経てばこんな雰囲気の素敵な女性になるかもしれない。もしくは汪蘭の穏やかさにも近いだろうか。とにかく身の置き所がない今は陸寧の優しさに救われていた。

「朱妃、この後ですが上皇様からお茶のお誘いがございました。せっかくですし、気分転換を兼ねていかがでしょう」
「そうね……お招きにあずかろうかしら」
「ええ、是非に。わたくし自慢のお茶の腕前を披露いたしますから」
「それは楽しみ。陸寧のお茶は美味おいしいもの」

 そう言えば陸寧は嬉しそうに微笑んだ。
 あまり落ち込んでばかりはいられない。雨了は毒の治療は既に済んでいる。あとは体力が回復するのを待つだけなのだ。少し時間がかかっているというだけで。
 外回廊に出た陸寧は、差し込む日差しに眉を寄せた。

「……今日も暑いですね。ここ数年夏の暑さが厳しい気がしますが、月影宮でこれほど暑いのはわたくしも初めてです」
「本当ね。竹林が見えるのに全然涼しげに感じないんだもの」
「ああ、あまり日に当たらないでくださいましね。日焼けをしてしまっては大変ですから」
「分かってる。陸寧は心配性なんだから」

 先程までけたたましく鳴いていた蝉の声がピタリとんだ。昼前後の一番暑い刻限には蝉すら鳴かなくなるのだ。それがなんだか空恐ろしい。
 少し歩くだけでクラクラしそうな暑さ。今年の夏は異常な熱気に包まれていた。


 上皇のお茶会に呼ばれて向かった先で、私は目を丸くした。茶器の並んだ卓上に、手のひらほどの大きさの壁巍へきぎがちょこんと座っていたからだ。今日は若い方の姿だが、それもあって、まるで子供向けの書物で読んだ小人のようだ。

「久しいの、朱莉珠しゅりじゅ
「うわ、壁巍……なんで――あっ、失礼しました!」

 まじまじと見つめていた私はハッと我に返る。上皇の御前なのだ。それに壁巍は雨了や上皇の祖先にあたる龍である。いくら壁巍が祖父の友人とはいえ、失礼な態度は許されない。私はワタワタと慌てながら上皇にお辞儀をした。
 そんな私を見て上皇はクスクスと楽しそうに笑う。幸い、怒ってはいないようだ。
 なるほど、先程陸寧含め、宮女たちが全て人払いされたので何事かと思ったが、壁巍が来ていたからか。
 壁巍はおそらく不思議な方法で出入りするのだろうし、しかも今は小人のように縮んでいる。
 陸寧は自慢のお茶を披露出来ずがっかりしていたが、さすがにこんな小さい壁巍を見せるわけにいかない。迦国かのくにでは、ほとんどの人はあやかしとも幽霊とも無縁である。彼らにとってあやかしはお伽噺とぎばなしのようなものなのだ。驚いて目を回してしまうかもしれない。

「朱妃よ、よく来てくれましたね。さ、お座りなさい。そなたは龍の祖に面識があるのでしょう。祖が我が宮に久しぶりにいらしてくださいましたから、お茶にお招きしたのです」
「し、失礼します」

 私は上皇にうながされ、席に着く。
 上皇は雨了の母君なだけあって、どことなく彼と似た雰囲気の女性だ。おそらく四十手前のはずなのだが、成人した子供がいるとは思えないほど若々しい。つやのある黒髪をすっきりとまとめ、着物や髪飾りは思いのほか質素だ。それで余計に快活そうに見える。その瞳は雨了や青妃せいひと同じく青。雨了の父親だけでなく、母親のこの人も王族の血族出身なのだと聞いている。つまりは両親双方から龍の血を引いているのだ。雨了が特別龍の力が強いのはそのせいもあるのかもしれない。
 この月影宮に来てから何度かお茶の時間に招かれているが、とても気さくで、妃としての礼儀作法がまだ完璧でない私にも、気を遣わないようにと言ってくれるのでありがたい。

「あの、上皇陛下、お招きありがとうございます。それから雨了の代わりに政務を行ってくださっていると聞いて……」
「あまり堅苦しいのは好きではありませんよ、朱妃。わたくしはわたくしの為すべきことをしているだけですからね。さ、お茶をれましょう」

 上皇は手ずから茶を注ぎ、私の前に差し出したのだ。

「ひえっ! も、申し訳ありません!」

 まさかのことに私はワタワタと慌てるしかない。

「ふふ、謝られるよりはお礼を言われる方が悪い気はしませんし、貴方のような可愛らしい子なら大歓迎です。もっと言えば、お義母かあ様と呼んでもらえたら嬉しいのですがねぇ……」
「あ、ありがとうございます……お義母かあ様……」

 言いながら顔が熱くなるのを感じてしまう。私は生母とは赤子の頃に死別しているので、呼び方自体に慣れないというか、妙に気恥ずかしい。

「ああ、なんと可愛らしいこと! もうこれだけで雨了を産んだ甲斐があったというものです! 雨了が元気になっても、朱妃にはこのままずっとこの月影宮にいて欲しいほどです!」

 むぎゅ、と強く抱き締められ、私は声も出ない。

「こらこら、そこまでにしておきなさい。朱莉珠が潰れてしまうぞ」

 小さい壁巍のおかげで、なんとか上皇から解放された私ははあはあと肩で息をした。本当に潰れてしまうかと思った。この感じ、まさに雨了との血の繋がりを強く感じる。雨了も元気で気分の乗っている時は私を潰す気かという勢いで抱きしめたり、玩具のように扱ったりするのだ。
 なんというか、距離感が近くて暑苦しい人だ。素敵な人だとは思うのだが、親しく付き合うのはなかなかしんどい時がある。

「おや、すまない。わたくしも雨了も、そなたのように小さく可愛らしいものが大好きなのです。小さな祖もとても可愛らしいし、本音を言えばぎゅうっと抱きしめたいのですけれど」
「ふん、お断りじゃ。ぺっちゃんこに潰されるのはごめんだ」

 壁巍はにべもない。
 私は息を整えて、上皇が手ずかられてくれたお茶を飲む。すうっと涼しげな風味が口の中に広がった。

「それは薄荷葉はっかようを混ぜた茶です。涼しげな風味がするでしょう。暑い最中に飲むならやはりこれです」
「ええ、とても美味おいしいです!」
「それから梨もありますからね。井戸でよく冷やしていたから、こちらも美味おいしいですよ」
「はい、いただきます!」

 構いたがりで暑苦しい部分は少し苦手だけれど、上皇自体は美味おいしいものをたくさん食べさせてくれるから嫌いではない。なんて言えば雨了はきっと現金だと笑うかもしれない。

「ふむ、これは美味うまいな」

 壁巍は卓上でちょこんとあぐらをかき、小さな酒杯を茶碗代わりにして茶を飲んでいる。それでも手のひらくらいしかない壁巍には両手を使わなければ飲めないほど大きい。

「お気に召したのでしたら、茶葉を用意しておきますので、お土産にお持ち帰りくださいまし」
「ああ、そうさせてもらおうかの。この暑さは龍にはこたえるのでな。この茶を瓶にでも入れ、川の水で冷やしてから飲むのも良さそうだ」

 壁巍はしんどそうに背中を丸めて言う。そうすると更に小さく見える。

「あの……どうして壁巍はそんなに縮んでしまったのですか?」
「まったく、おまえさんのせいのようなものだぞ」

 壁巍は白い髪をかき上げ、うんざりしたように吐き捨てた。

「朱莉珠、楊益ようえきがおまえさんの身内をわし住処すみかに連れてきたのは知っておるな。最近、朱華しゅかとかいう娘も増えたのだぞ。聞いておらんのか」

 以前、父と義母が玉石の手の者によって廃人同然になってしまった。それを発見した宦官かんがんの楊益が安全な場所にかくまってくれて、二人の治療をしているのだと聞いていた。それが壁巍の住処すみかということは後で知ったのだ。壁巍と楊益が知り合いだなんて知らなかったから、一緒にいるのを見て驚いたこともあった。

「えっと……朱華の件は知りませんでした……」

 玉石に操られていた朱華は、ろくが白い石を破壊したことで気を失った。その後、捕縛されたが、そのまま一向に目を覚まさないとだけ聞いていた。

「朱華の件は今日直接話そうと思っていました。内密にしているので、言付ことづけるわけにはいきませんからね。朱華は目を覚まさないままで、放っておけば死んでしまいます。それで祖のところにお願いしたのです」

 上皇は、壁巍の小さな茶碗にお代わりの茶をほんの少し注ぎながらそう言った。

「あれは玉石の精神毒だな。気の方も随分と吸われて弱っておったし、わしでなければどうにもならんところまできていたから仕方がない。それで毒抜きと治療をするのに力を使っておる。今はこの分体に割く力も惜しいのだ。分かったか」
「そうだったのですか。あの……ありがとうございます」
「ふん、おまえさんに礼を言われるまでもないわい。あの朱華という娘も、我が友、朱羨しゅせんの孫なのだからな。あまりに早く常世とこよに送っては、朱羨が悲しむであろうよ」

 ふん、と顔をそむける壁巍だが、あれでなかなか情に厚いのかもしれない。未だに友人だった祖父を大切に思ってくれているのだ。私が幼い頃、祖父と碁を打って楽しそうにしていた姿を思い出し、ついつい笑顔になった。

「それで、その件で、本題なのですが――」

 上皇は手にしていた湯呑みをコトンと置き、今までになく真剣な顔をして言った。

「――朱華及び朱家の者には、近々死んでもらおうと思っています」

 私の顔に浮かんでいた微笑みは、その言葉で凍りついた。

「え……? そ、それは、どういうことでしょう……」
「もちろん本当の死ではありませんよ。戸籍上の死です。そうね、流行はやりやまいということになるでしょう。祖の治療が済んだら、彼らには新しい名前と家を与え、そなたと無関係の者として遠方で静かに暮らしてもらいます。朱妃、そなたは愛妃。いずれは雨了の子を産むでしょうからね。その身内であれば、政治への口出しも出来てしまうことになるのです。朱華のように利用される危険性もある。二度とそんなことが起きないように、そういう措置をとります。特に朱華に関しては、本来なら死罪でもおかしくはありませんでしたから。これが精一杯の譲歩です」
「そう……ですか」
「ふん、馬鹿らしい。だからわしは政治だのなんだのが嫌いなのだ」

 壁巍はそう毒づくが、これが私のための甘い措置であることは理解していた。
 義母はおろか、父にも親として愛情を持っているとは言いがたい。それでも、かつては朱華に姉さんと呼びかけ、姉妹としての情を感じていたこともあったのだ。しかし、もう公の場では姉と呼ぶことは出来ないし、してはいけない。死ななければなんとでもなると分かっていても、どうしてもモヤモヤとしてしまうのだった。

「ああ、憂えた顔もなんといこと!」

 上皇はまた暑苦しく私を抱き寄せ、頬擦ほおずりをする。勘弁してくれ、という言葉を私は必死に飲み込んだ。

「これ、放してやりなさい。――時に、朱莉珠は十三だったか、それとも十四か?」

 上皇は放してくれたものの、壁巍の問いが年齢の話だと認識するまで微妙に時間がかかってしまった。

「な……っ、誰が十三ですかっ! とっくに成人してますっ!」

 かつて、雨了にもサバを読み過ぎだなんて言われて怒ったことがある。小柄なので年下に間違われるのは慣れていたが、それでも間違われたら腹立たしい。

「そりゃ本当か!」
「まったく、みんなして小さい小さいって! 今は壁巍の方がずーっと小さいんですからね!」

 今の壁巍など、片手で掴んでぎゅうっと潰せそうな大きさだ。いっそやってやろうか、と手をワキワキしてみせた。
 私だって後宮に来て半年足らずで随分背が伸びたし、肉も付いて健康的になったのだ。確かに大人びた雰囲気はないが、いくらなんでも十三、四歳に間違われるのはあんまりだ。

「違う! そういう意味ではない。おまえさんの目のことだ!」

 潰してやろうか、なんて物騒な私の思考に勘付いたのか、壁巍は慌ててそう言った。

「目?」

 私ははて、と首をかしげる。

「朱妃。先日の事件についてですが、ある程度の聞き取りは済ませました。そなたにはあやかしや幽霊が見えるそうですね」
「は、はい……」

 私は頷く。

「汪蘭という宮女の幽霊にも会ったと……怪我をした宮女の報告にありました」

 おそらくそれは恩永玉からの報告だろう。薫春殿から逃げる時に、汪蘭と恩永玉には世話になったのだ。

「ええ、間違いなく汪蘭です。私が薫春殿に来て間もない頃からずっと私のそばにいて、たくさん助けてくれたんです」

 汪蘭はかつて上皇や雨了の宮女だったそうだ。十年前に雨了を逃がすために命を落としてしまったけれど、幽霊宮女として後宮にずっといたのだ。

「そう……」


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