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第八話:僕らの光、英雄の噂
ケインは、床の硬さと寒さで目を覚ました。朝の光が窓から差し込み、部屋に散乱する絶望の残骸を無慈悲に照らし出している。ベッドの脇では、リリアがセレスの手を握ることもできず、ただ寄り添うようにして眠りに落ちていた。そして、ベッドの上。セレスが横たわるシーツは、彼女が一晩中流し続けた汗と涙で、ぐっしょりと重く湿っていた。
その、あまりにも痛々しい光景が、ケインの心を再び現実へと引き戻した。
復讐と、仲間を救うための、戦いの朝が、始まったのだ。
最初にすべきことは、決まっている。
ケインは、眠っているリリアを起こさないように、そっと部屋を抜け出した。向かうは、一階の受付カウンターだ。
「……おはようございます、ケインさん。セレスさんの、ご容体は……」
カウンターの向こうで、宿の看板娘であるアンナが、心配そうに眉を寄せていた。昨夜、ケインが半狂乱のセレスを抱えて宿に駆け込んできたのを、彼女は見ていたのだ。
「ああ……。少し、特殊な呪いにかかってしまってな。光や音、それに、何かが肌に触れるだけでも、ひどい苦痛を感じるんだ」
全てを話すわけにはいかない。ケインは当たり障りのない範囲で事情を説明した。
「アンナさん、お願いがある。この宿で一番分厚くて、一番柔らかい毛布を、数枚貸していただけないだろうか。彼女を、街の神殿まで運ばなくてはならないんだ」
ケインの言葉に、アンナは一瞬、悲しそうに瞳を潤ませたが、すぐに、強い意志を宿した瞳で、きっぱりと頷いた。
「分かりました。私の嫁入り道具に、と思って母が持たせてくれた、とっておきのがあります。すぐに持ってきますね」
彼女は、店の奥から、雲のように柔らかい最高級の羊毛の毛布を三枚、持ってきてくれた。
「代金は……」
「要りません!」
ケインが金貨を出そうとすると、アンナはそれを手で制した。
「返さなくても結構です。いつも街のために祈りを捧げてくださる、聖女様の助けになるのなら。……どうか、セレスさんが、一日も早く良くなられますように」
その、あまりにも真っ直ぐな善意に、ケインは胸が熱くなった。
部屋に戻り、アンナの言葉を伝えると、セレスの瞳から、一筋の涙が、そっと流れ落ちた。言葉を発することも、目を開けることすらできない。だが、その涙は、確かに感謝の色をしていた。
リリアは、深く頭を下げると、ケインが止めようとするのも聞かず、カウンターにそっと数枚の銀貨――チップを置いてきた。今は、他人の優しさに甘えるだけではいけない。自分たちは、まだ戦えるのだという、彼女なりの意地だった。
部屋に戻り、三人だけの作戦会議が始まる。
「問題は、どうやって大神殿まで行くか、だ」
ケインが、腕を組んで唸る。
「夜を待つにしても、完全に人目を避けるのは難しい。それに、彼女の負担が大きすぎる」
「ええ。だからこそ、事をスムーズに進める必要があるわ」
リリアは、ケインの言葉に頷いた。
「……ケイン、ひらめいたのだけど」
「なんだ?」
「二手に分かれましょう。私がここに残って、セレスの世話と、移動の準備をする。ケインは、今から一人で大神殿へ向かって、セレスのお父様……神殿長に事情を説明し、全てお膳立てをしてきてもらうの」
ケインは、目を見開いた。
「……なるほど。俺が先に行って、受け入れ準備を整えさせておけば、夜、セレスを 運ぶ時は、最小限の動きで、すぐに神殿の奥まで通してもらえる、か」
「ええ。人払いも、清められた私室の用意も、儀式の準備も、全て。私たちの目的は、セレスを夜の闇に紛れて、誰にも気づかれずに神殿の聖域まで送り届けること。そのための、地ならしよ」
それは、この絶望的な状況下で、仲間を想う心が閃かせた、革新的な計画だった。
「……リリア、お前、やっぱりすごいな」
「あなたほどでは、ないわ。ケイン」
二人は、どちらからともなく、拳を突き出し、軽くこつんと合わせた。ハイタッチの代わりの、新しい誓いの形だった。
リリアは、宣言通り、セレスのそばにつきっきりになった。
手を握ることはできない。肌に触れれば、それがかえって彼女を苦しめることを知っているからだ。だが、リリアは、ただ静かに、ベッドの脇に椅子を置いて座り、途切れることのない優しい声で、語りかけ続けた。
「大丈夫よ、セレス。ケインが、今、希望を繋ぎに行ってくれているわ。あなたは、一人じゃない。私たちが、絶対にあなたを守るから」
その声が届いているのか、セレスの荒い呼吸が、ほんの少しだけ、穏やかになった気がした。
一方、ケインは、街を大神殿へと急いでいた。
朝日を浴びる街は、活気に満ちている。露店の威勢のいい声、子供たちのはしゃぐ声。その、あまりにも平和な日常が、今のケインには、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。
冒険者ギルドの前を通りかかった時、人だかりができているのが見えた。何人かの冒険者が、興奮した様子で何かを語らっている。
「……聞いたか!? 王都行きの街道で、ニードルドラゴンが出たらしいぞ!」
「ああ、討伐ランクA級の、あの化け物だろ? 乗り合い馬車が襲われたって……」
「それが、どうやら生き残りがいるらしい。なんでも、正体不明の冒険者が一人、現れてな……」
ケインは、思わず足を止めた。
「そいつが、たった**『一撃』**で、ドラゴンを倒したって話だ!」
「一撃だぁ!? 嘘だろ!?」
「いや、本当らしいぜ! なんでも、**『山を一つ消し飛ばすほどの、凄まじい魔法』**だったってよ……!」
山を、消し飛ばす魔法。
ケインは、その言葉に、思わず空を仰いだ。そんな人間が、この世にいるのか。
嫉妬、というよりも、純粋な憧れ。そして、自分の無力さへの、どうしようもない焦燥感。
もし、自分に、その十分の一でも力があれば。セレスを、リリアを、こんな目に遭わせることはなかったのかもしれない。
だが、今は感傷に浸っている場合ではない。
ケインは、頭を振って雑念を振り払うと、再び大神殿へと足を速めた。
数十分、走り続け、ようやく、街で最も壮麗な建物――大神殿の、白亜の門が見えてきた。
リリアの言った通り、門をくぐった瞬間、空気が変わるのが分かった。騒がしい街の喧騒がすっと遠のき、心が洗われるような、清浄な空気に満ちている。
だが、その日の神殿は、なぜか普段の静けさとは程遠く、門の付近が何やら騒がしかった。
何人もの神官や聖騎士たちが、険しい顔で、門の内側を固めている。
その中心に、ケインは見覚えのある顔を見つけた。
セレスと同じ、穏やかな金の髪と、碧眼。だが、その瞳には、深い心労と、指導者としての威厳が宿っている。この街の神殿長にして、セレスの父、ヴァレリウスその人だった。
「神殿長!」
ケインは、人垣をかき分けるようにして、彼に駆け寄った。
「お話が……娘さんの、セレスのことで、緊急のお話があります!」
ケインの必死の形相に、ヴァレリウスは驚いたように目を見開いた。そして、ケインのただならぬ様子を察して、他の神官たちを下がらせる。
「……ケイン君か。一体、何があった。娘に、何かあったのかね?」
その声は、気丈にも冷静を装っていたが、わずかに震えていた。
ケインは、これから語られるであろう、あまりにも残酷な真実を前に、一度、固く唇を結んだ。
その、あまりにも痛々しい光景が、ケインの心を再び現実へと引き戻した。
復讐と、仲間を救うための、戦いの朝が、始まったのだ。
最初にすべきことは、決まっている。
ケインは、眠っているリリアを起こさないように、そっと部屋を抜け出した。向かうは、一階の受付カウンターだ。
「……おはようございます、ケインさん。セレスさんの、ご容体は……」
カウンターの向こうで、宿の看板娘であるアンナが、心配そうに眉を寄せていた。昨夜、ケインが半狂乱のセレスを抱えて宿に駆け込んできたのを、彼女は見ていたのだ。
「ああ……。少し、特殊な呪いにかかってしまってな。光や音、それに、何かが肌に触れるだけでも、ひどい苦痛を感じるんだ」
全てを話すわけにはいかない。ケインは当たり障りのない範囲で事情を説明した。
「アンナさん、お願いがある。この宿で一番分厚くて、一番柔らかい毛布を、数枚貸していただけないだろうか。彼女を、街の神殿まで運ばなくてはならないんだ」
ケインの言葉に、アンナは一瞬、悲しそうに瞳を潤ませたが、すぐに、強い意志を宿した瞳で、きっぱりと頷いた。
「分かりました。私の嫁入り道具に、と思って母が持たせてくれた、とっておきのがあります。すぐに持ってきますね」
彼女は、店の奥から、雲のように柔らかい最高級の羊毛の毛布を三枚、持ってきてくれた。
「代金は……」
「要りません!」
ケインが金貨を出そうとすると、アンナはそれを手で制した。
「返さなくても結構です。いつも街のために祈りを捧げてくださる、聖女様の助けになるのなら。……どうか、セレスさんが、一日も早く良くなられますように」
その、あまりにも真っ直ぐな善意に、ケインは胸が熱くなった。
部屋に戻り、アンナの言葉を伝えると、セレスの瞳から、一筋の涙が、そっと流れ落ちた。言葉を発することも、目を開けることすらできない。だが、その涙は、確かに感謝の色をしていた。
リリアは、深く頭を下げると、ケインが止めようとするのも聞かず、カウンターにそっと数枚の銀貨――チップを置いてきた。今は、他人の優しさに甘えるだけではいけない。自分たちは、まだ戦えるのだという、彼女なりの意地だった。
部屋に戻り、三人だけの作戦会議が始まる。
「問題は、どうやって大神殿まで行くか、だ」
ケインが、腕を組んで唸る。
「夜を待つにしても、完全に人目を避けるのは難しい。それに、彼女の負担が大きすぎる」
「ええ。だからこそ、事をスムーズに進める必要があるわ」
リリアは、ケインの言葉に頷いた。
「……ケイン、ひらめいたのだけど」
「なんだ?」
「二手に分かれましょう。私がここに残って、セレスの世話と、移動の準備をする。ケインは、今から一人で大神殿へ向かって、セレスのお父様……神殿長に事情を説明し、全てお膳立てをしてきてもらうの」
ケインは、目を見開いた。
「……なるほど。俺が先に行って、受け入れ準備を整えさせておけば、夜、セレスを 運ぶ時は、最小限の動きで、すぐに神殿の奥まで通してもらえる、か」
「ええ。人払いも、清められた私室の用意も、儀式の準備も、全て。私たちの目的は、セレスを夜の闇に紛れて、誰にも気づかれずに神殿の聖域まで送り届けること。そのための、地ならしよ」
それは、この絶望的な状況下で、仲間を想う心が閃かせた、革新的な計画だった。
「……リリア、お前、やっぱりすごいな」
「あなたほどでは、ないわ。ケイン」
二人は、どちらからともなく、拳を突き出し、軽くこつんと合わせた。ハイタッチの代わりの、新しい誓いの形だった。
リリアは、宣言通り、セレスのそばにつきっきりになった。
手を握ることはできない。肌に触れれば、それがかえって彼女を苦しめることを知っているからだ。だが、リリアは、ただ静かに、ベッドの脇に椅子を置いて座り、途切れることのない優しい声で、語りかけ続けた。
「大丈夫よ、セレス。ケインが、今、希望を繋ぎに行ってくれているわ。あなたは、一人じゃない。私たちが、絶対にあなたを守るから」
その声が届いているのか、セレスの荒い呼吸が、ほんの少しだけ、穏やかになった気がした。
一方、ケインは、街を大神殿へと急いでいた。
朝日を浴びる街は、活気に満ちている。露店の威勢のいい声、子供たちのはしゃぐ声。その、あまりにも平和な日常が、今のケインには、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。
冒険者ギルドの前を通りかかった時、人だかりができているのが見えた。何人かの冒険者が、興奮した様子で何かを語らっている。
「……聞いたか!? 王都行きの街道で、ニードルドラゴンが出たらしいぞ!」
「ああ、討伐ランクA級の、あの化け物だろ? 乗り合い馬車が襲われたって……」
「それが、どうやら生き残りがいるらしい。なんでも、正体不明の冒険者が一人、現れてな……」
ケインは、思わず足を止めた。
「そいつが、たった**『一撃』**で、ドラゴンを倒したって話だ!」
「一撃だぁ!? 嘘だろ!?」
「いや、本当らしいぜ! なんでも、**『山を一つ消し飛ばすほどの、凄まじい魔法』**だったってよ……!」
山を、消し飛ばす魔法。
ケインは、その言葉に、思わず空を仰いだ。そんな人間が、この世にいるのか。
嫉妬、というよりも、純粋な憧れ。そして、自分の無力さへの、どうしようもない焦燥感。
もし、自分に、その十分の一でも力があれば。セレスを、リリアを、こんな目に遭わせることはなかったのかもしれない。
だが、今は感傷に浸っている場合ではない。
ケインは、頭を振って雑念を振り払うと、再び大神殿へと足を速めた。
数十分、走り続け、ようやく、街で最も壮麗な建物――大神殿の、白亜の門が見えてきた。
リリアの言った通り、門をくぐった瞬間、空気が変わるのが分かった。騒がしい街の喧騒がすっと遠のき、心が洗われるような、清浄な空気に満ちている。
だが、その日の神殿は、なぜか普段の静けさとは程遠く、門の付近が何やら騒がしかった。
何人もの神官や聖騎士たちが、険しい顔で、門の内側を固めている。
その中心に、ケインは見覚えのある顔を見つけた。
セレスと同じ、穏やかな金の髪と、碧眼。だが、その瞳には、深い心労と、指導者としての威厳が宿っている。この街の神殿長にして、セレスの父、ヴァレリウスその人だった。
「神殿長!」
ケインは、人垣をかき分けるようにして、彼に駆け寄った。
「お話が……娘さんの、セレスのことで、緊急のお話があります!」
ケインの必死の形相に、ヴァレリウスは驚いたように目を見開いた。そして、ケインのただならぬ様子を察して、他の神官たちを下がらせる。
「……ケイン君か。一体、何があった。娘に、何かあったのかね?」
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※ハピエン・善人しか書いたことのない作者が、「追放」をテーマにして実験的に書いてみた作品です。普段の作風とは異なります。
※小説家になろう、カクヨムさんで同一名義にて掲載予定です