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第十二話:僕らの翼、二つの情報
大神殿での、地獄のような夜と、一条の光が差した朝が過ぎた。
セレスの容態は、神殿の聖なる結界とシスターたちの手厚い介護によって、奇跡的に安定していた。もちろん、呪いが解けたわけではない。だが、少なくとも、意識を失いそうなほどの激痛に、絶え間なく苛まれることはなくなった。今は、ほとんどの時間を、浅い眠りの中で過ごしている。
その日、ケインとリリアは、ヴァレリウスの私室で、彼から『精霊魂』についての、より詳細な話を聞いていた。
「あれを手に入れたのは、今から十年ほど前になる」
ヴァレリウスは、遠い目をして語り始めた。
「当時、私もまだ現役の神官戦士でな。パーティを組んで、遥か東にある『深きエルフの森』の、魔物の異常発生の調査に向かったのだ。その元凶であった、森を喰らう巨大な魔物を、我々は三日三晩の死闘の末に、なんとか討伐することに成功した」
その戦いで、彼は仲間を二人も失ったのだという。
「森の奥に住むエルフたちは、我々の戦いに感謝し、礼として、一つの宝物を授けてくれた。それが、『精霊魂』だった。彼らは多くを語らなかったが、ただ、『森を蝕んでいた魔物の体内で、偶然生成された希少な素材だ』とだけ……」
「……つまり、どの魔物を倒せば手に入るのか、具体的な名前までは分からない、と」
リリアの問いに、ヴァレリウスは申し訳なさそうに頷いた。
「すまない。当時は、あれがそれほどまでに貴重で、重要なものだとは、認識していなかったのだ……」
これ以上、彼を責めても仕方がない。情報は、十分だった。
『精霊魂』は、東のエルフの森にいる、何らかの強力な魔物が落とす。そして、それは、十年前に一度、確かに人の手に渡っている。
ケインとリリアは、その途方もなく巨大で、しかし唯一の手掛かりを胸に、冒険者ギルドへと向かった。
ギルドの重い扉を開けた瞬間、今まで満ちていた喧騒が、さざ波のように引いていくのを感じた。
数十の視線が、突き刺さる。
心配の色、憐れみの色。そして、少なくない、好奇と、軽蔑の色。
「おい、見ろよ……『暁の翼』の……」
「リーダーと、魔術師だけか。聖女様は、やっぱり……」
「もう終わりだな、あのパーティも」
リリアは、そんな囁きには一切耳を貸さず、まっすぐに、壁に貼り出された高ランクの討伐依頼書へと向かった。その背筋は、魔力を失ってもなお、誇り高く伸びている。
一方のケインは、リーダーとして、その視線を一身に受け止めた。彼は、数人の顔見知りの冒険者に、努めて普段通りに声をかける。
「よう、お前ら。心配かけたみたいだな」
「け、ケイン……! お前、大丈夫なのか!?」
「ああ、なんとかな。まあ、色々あってな。パーティは、しばらく立て直しだ」
ケインは、決してアインを悪く言わず、ただ「仲間割れした」という体で、必死に状況を説明して回った。彼の誠実な態度は、徐々に周囲の冒険者たちの警戒心を解き、やがて、ギルドは元の喧騒を取り戻していった。
『暁の翼』は、この街では有名なパーティだった。パーティランクはB。若手の中では、最も将来を期待されていたと言ってもいい。
(もっとも、今となっては、メンバーが一人抜け、一人が大神殿で寝たきり、一人は魔法が使えず、一人は経験値が全く入ってこない。現状では、Cどころか、Eランクが妥当だろうがな……)
ケインは、自嘲の笑みを浮かべた。
その間、リリアは依頼書の壁の前で、驚異的な集中力で情報を精査していた。アインの狂気的な研究ノートを解読した後では、ギルドの定型的な依頼書など、子供の絵本を読むように容易い。
「……違う。西の森の『エンシェントトレント』……ヴァレリウス様の話と方角が合わない」
「五年前に目撃された『ソウルイーター』……時系列が違うわね」
「『リッチーの魂の壺』……魂を内包する点は似ているけれど、『精霊魂』の神聖なマナとは、性質が真逆。これも、違う……」
彼女は、指先で羊皮紙をなぞりながら、一つ、また一つと、膨大な情報の中から、的確にノイズを弾いていく。その姿は、魔術師というよりも、冷徹な学者、あるいは、事件の真相を追う探偵のようだった。
そして。
「ケイン!」
リリアは、ケインを叫ぶ。彼女の指は、埃をかぶった、一枚の古い羊皮紙を指す。
——【S級討伐依頼】(担当:ヤンマーギルド)
——討伐対象:スピリットシャーク
——場所:深きエルフの森・東地区『霧の湖』
——報酬:金貨三千枚
——備考:対象は強力な精霊系の魔物。討伐時、希少な精霊素材の獲得可能性あり。
——最終討伐成功者:パーティ『聖銀の誓い』:十年前
「……これだわ」
リリアは、確信に満ちた声で言った。
「十年前に、ヴァレリウス様が所属していたパーティの名は、『聖銀の誓い』。場所も、エルフの森。報酬が、S級依頼にしては、異常に高いのも、それだけ希少な素材が手に入ることを示唆している。間違いない。ヴァレリウス様たちが倒した魔物は、この『スピリットシャーク』よ」
その、あまりにも完璧に合致する情報に、ケインの心臓が高鳴る。
だが、その時。
ケインが話をしていた、別のパーティのリーダーが、首を傾げた。
「『精霊魂』? ああ、それなら、俺は別のモンスターが落とすって聞いたぜ」
「本当か!?」
「ああ。『フェアリーピクシー』だ。森の奥深くに棲む、極めて希少な妖精なんだが、そいつが、ごく稀に『精霊魂』を落とすって話だ。俺の親父が、昔、仲間から聞いたことがあるって言ってた」
ケインは、その場にいた他のベテラン冒険者、数人にも話を聞いたが、皆、口を揃えて「『精霊魂』と言えば、フェアリーピクシーだ」と言った。
二人は、集めた情報を整理するため、ギルドの隅にあるテーブルへと向かった。ケインが、なけなしの銅貨を数え、一番安いホットミルクでも頼もうかと考えた、その時だった。
「ケインさん! リリアさん!」
聞き覚えのある、明るい声。振り返ると、そこには、宿屋の看板娘、アンナが立っていた。ギルドに用事があったらしい。
「よかった、お会いできて。セレスさんのご様子は……」
「ああ、アンナさん。おかげさまで、少しだけ、落ち着いている」
「本当ですか! よかった……」
アンナは、心から安堵の表情を浮かべると、ケインとリリアの疲れ切った顔を見て、何かを決意したように、カウンターへと走っていった。そして、すぐに、湯気の立つ二つのマグカップを手に戻ってくる。
「あの、これ……。ギルドマスターも、お二人のことをずっと心配していて。私とお店からの、ささやかな差し入れです。温まってください」
差し出された、ホットミルク。その、甘く、温かい香りが、ささくれた二人の心を、優しく包んだ。
「私、本当に心配だったんです……。セレスさんは幼い頃から私の話を聞いてくれて……それで、告白する勇気とか……色々教えてもらって……だから…!」
アンナは決意の表情を浮かべると、喉を絞った。
「……ありがとう、アンナさん」
リリアが、消え入りそうな、しかし、心の底からの感謝を込めて、そう呟いた。
温かいミルクを一口飲み、二人は集めた情報を共有し始める。
「スピリットシャークと、フェアリーピクシー……。情報が、噛み合わないな」
ケインが、唸るように言う。
「仕方ないわ。『精霊魂』自体が、十年以上も市場に出ていない、幻のアイテムなのよ。噂や、伝聞が、歪んだりするのは当然のこと。嘘の情報も、たくさん混じっているはずだわ」
「じゃあ、どっちを信じる?」
「時系列的な信憑性で言えば、間違いなく『スピリットシャーク』よ。ヴァレリウス様の話と、依頼書の記録、二つの確かな情報が一致している。これが、私たちの本命」
リリアは、そう断言した。
「でも」と、彼女は続けた。
「これだけ多くの人間が口にするのなら、『フェアリーピクシー』の情報も、完全に無視はできない。予備の、第二目標として、この依頼も受けておきましょう」
彼女は、ギルドの受付から、スピリットシャークと、フェアリーピクシーの討伐依頼書、二枚を手に戻ってきた。
ケインは、その二枚の羊皮紙『S』の文字を、ただ見つめることしかできなかった。
S級モンスター、スピリットシャーク。
そして、情報が定かではない、幻のS級妖精、フェアリーピクシー。
どちらも、今の自分たちの戦力では、自殺行為に等しい。
これから始まる戦いを、どう生き残ればいい?
レベルの上がらないこの身で、どうやって、S級の魔物と渡り合えばいい?
魔力を失ったリリアは、どうやって戦う?
そもそも、二人だけで、あの広大なエルフの森を、踏破できるのか?
ケインとリリアは、テーブルの下で、強く、強く、拳を握りしめた。
道は、示された。
だが、その道は、あまりにも険しく、あまりにも、暗い。
それでも、進むしかないのだ。ベッドの上で、仲間が希望を信じて待っているのだから。
セレスの容態は、神殿の聖なる結界とシスターたちの手厚い介護によって、奇跡的に安定していた。もちろん、呪いが解けたわけではない。だが、少なくとも、意識を失いそうなほどの激痛に、絶え間なく苛まれることはなくなった。今は、ほとんどの時間を、浅い眠りの中で過ごしている。
その日、ケインとリリアは、ヴァレリウスの私室で、彼から『精霊魂』についての、より詳細な話を聞いていた。
「あれを手に入れたのは、今から十年ほど前になる」
ヴァレリウスは、遠い目をして語り始めた。
「当時、私もまだ現役の神官戦士でな。パーティを組んで、遥か東にある『深きエルフの森』の、魔物の異常発生の調査に向かったのだ。その元凶であった、森を喰らう巨大な魔物を、我々は三日三晩の死闘の末に、なんとか討伐することに成功した」
その戦いで、彼は仲間を二人も失ったのだという。
「森の奥に住むエルフたちは、我々の戦いに感謝し、礼として、一つの宝物を授けてくれた。それが、『精霊魂』だった。彼らは多くを語らなかったが、ただ、『森を蝕んでいた魔物の体内で、偶然生成された希少な素材だ』とだけ……」
「……つまり、どの魔物を倒せば手に入るのか、具体的な名前までは分からない、と」
リリアの問いに、ヴァレリウスは申し訳なさそうに頷いた。
「すまない。当時は、あれがそれほどまでに貴重で、重要なものだとは、認識していなかったのだ……」
これ以上、彼を責めても仕方がない。情報は、十分だった。
『精霊魂』は、東のエルフの森にいる、何らかの強力な魔物が落とす。そして、それは、十年前に一度、確かに人の手に渡っている。
ケインとリリアは、その途方もなく巨大で、しかし唯一の手掛かりを胸に、冒険者ギルドへと向かった。
ギルドの重い扉を開けた瞬間、今まで満ちていた喧騒が、さざ波のように引いていくのを感じた。
数十の視線が、突き刺さる。
心配の色、憐れみの色。そして、少なくない、好奇と、軽蔑の色。
「おい、見ろよ……『暁の翼』の……」
「リーダーと、魔術師だけか。聖女様は、やっぱり……」
「もう終わりだな、あのパーティも」
リリアは、そんな囁きには一切耳を貸さず、まっすぐに、壁に貼り出された高ランクの討伐依頼書へと向かった。その背筋は、魔力を失ってもなお、誇り高く伸びている。
一方のケインは、リーダーとして、その視線を一身に受け止めた。彼は、数人の顔見知りの冒険者に、努めて普段通りに声をかける。
「よう、お前ら。心配かけたみたいだな」
「け、ケイン……! お前、大丈夫なのか!?」
「ああ、なんとかな。まあ、色々あってな。パーティは、しばらく立て直しだ」
ケインは、決してアインを悪く言わず、ただ「仲間割れした」という体で、必死に状況を説明して回った。彼の誠実な態度は、徐々に周囲の冒険者たちの警戒心を解き、やがて、ギルドは元の喧騒を取り戻していった。
『暁の翼』は、この街では有名なパーティだった。パーティランクはB。若手の中では、最も将来を期待されていたと言ってもいい。
(もっとも、今となっては、メンバーが一人抜け、一人が大神殿で寝たきり、一人は魔法が使えず、一人は経験値が全く入ってこない。現状では、Cどころか、Eランクが妥当だろうがな……)
ケインは、自嘲の笑みを浮かべた。
その間、リリアは依頼書の壁の前で、驚異的な集中力で情報を精査していた。アインの狂気的な研究ノートを解読した後では、ギルドの定型的な依頼書など、子供の絵本を読むように容易い。
「……違う。西の森の『エンシェントトレント』……ヴァレリウス様の話と方角が合わない」
「五年前に目撃された『ソウルイーター』……時系列が違うわね」
「『リッチーの魂の壺』……魂を内包する点は似ているけれど、『精霊魂』の神聖なマナとは、性質が真逆。これも、違う……」
彼女は、指先で羊皮紙をなぞりながら、一つ、また一つと、膨大な情報の中から、的確にノイズを弾いていく。その姿は、魔術師というよりも、冷徹な学者、あるいは、事件の真相を追う探偵のようだった。
そして。
「ケイン!」
リリアは、ケインを叫ぶ。彼女の指は、埃をかぶった、一枚の古い羊皮紙を指す。
——【S級討伐依頼】(担当:ヤンマーギルド)
——討伐対象:スピリットシャーク
——場所:深きエルフの森・東地区『霧の湖』
——報酬:金貨三千枚
——備考:対象は強力な精霊系の魔物。討伐時、希少な精霊素材の獲得可能性あり。
——最終討伐成功者:パーティ『聖銀の誓い』:十年前
「……これだわ」
リリアは、確信に満ちた声で言った。
「十年前に、ヴァレリウス様が所属していたパーティの名は、『聖銀の誓い』。場所も、エルフの森。報酬が、S級依頼にしては、異常に高いのも、それだけ希少な素材が手に入ることを示唆している。間違いない。ヴァレリウス様たちが倒した魔物は、この『スピリットシャーク』よ」
その、あまりにも完璧に合致する情報に、ケインの心臓が高鳴る。
だが、その時。
ケインが話をしていた、別のパーティのリーダーが、首を傾げた。
「『精霊魂』? ああ、それなら、俺は別のモンスターが落とすって聞いたぜ」
「本当か!?」
「ああ。『フェアリーピクシー』だ。森の奥深くに棲む、極めて希少な妖精なんだが、そいつが、ごく稀に『精霊魂』を落とすって話だ。俺の親父が、昔、仲間から聞いたことがあるって言ってた」
ケインは、その場にいた他のベテラン冒険者、数人にも話を聞いたが、皆、口を揃えて「『精霊魂』と言えば、フェアリーピクシーだ」と言った。
二人は、集めた情報を整理するため、ギルドの隅にあるテーブルへと向かった。ケインが、なけなしの銅貨を数え、一番安いホットミルクでも頼もうかと考えた、その時だった。
「ケインさん! リリアさん!」
聞き覚えのある、明るい声。振り返ると、そこには、宿屋の看板娘、アンナが立っていた。ギルドに用事があったらしい。
「よかった、お会いできて。セレスさんのご様子は……」
「ああ、アンナさん。おかげさまで、少しだけ、落ち着いている」
「本当ですか! よかった……」
アンナは、心から安堵の表情を浮かべると、ケインとリリアの疲れ切った顔を見て、何かを決意したように、カウンターへと走っていった。そして、すぐに、湯気の立つ二つのマグカップを手に戻ってくる。
「あの、これ……。ギルドマスターも、お二人のことをずっと心配していて。私とお店からの、ささやかな差し入れです。温まってください」
差し出された、ホットミルク。その、甘く、温かい香りが、ささくれた二人の心を、優しく包んだ。
「私、本当に心配だったんです……。セレスさんは幼い頃から私の話を聞いてくれて……それで、告白する勇気とか……色々教えてもらって……だから…!」
アンナは決意の表情を浮かべると、喉を絞った。
「……ありがとう、アンナさん」
リリアが、消え入りそうな、しかし、心の底からの感謝を込めて、そう呟いた。
温かいミルクを一口飲み、二人は集めた情報を共有し始める。
「スピリットシャークと、フェアリーピクシー……。情報が、噛み合わないな」
ケインが、唸るように言う。
「仕方ないわ。『精霊魂』自体が、十年以上も市場に出ていない、幻のアイテムなのよ。噂や、伝聞が、歪んだりするのは当然のこと。嘘の情報も、たくさん混じっているはずだわ」
「じゃあ、どっちを信じる?」
「時系列的な信憑性で言えば、間違いなく『スピリットシャーク』よ。ヴァレリウス様の話と、依頼書の記録、二つの確かな情報が一致している。これが、私たちの本命」
リリアは、そう断言した。
「でも」と、彼女は続けた。
「これだけ多くの人間が口にするのなら、『フェアリーピクシー』の情報も、完全に無視はできない。予備の、第二目標として、この依頼も受けておきましょう」
彼女は、ギルドの受付から、スピリットシャークと、フェアリーピクシーの討伐依頼書、二枚を手に戻ってきた。
ケインは、その二枚の羊皮紙『S』の文字を、ただ見つめることしかできなかった。
S級モンスター、スピリットシャーク。
そして、情報が定かではない、幻のS級妖精、フェアリーピクシー。
どちらも、今の自分たちの戦力では、自殺行為に等しい。
これから始まる戦いを、どう生き残ればいい?
レベルの上がらないこの身で、どうやって、S級の魔物と渡り合えばいい?
魔力を失ったリリアは、どうやって戦う?
そもそも、二人だけで、あの広大なエルフの森を、踏破できるのか?
ケインとリリアは、テーブルの下で、強く、強く、拳を握りしめた。
道は、示された。
だが、その道は、あまりにも険しく、あまりにも、暗い。
それでも、進むしかないのだ。ベッドの上で、仲間が希望を信じて待っているのだから。
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※ハピエン・善人しか書いたことのない作者が、「追放」をテーマにして実験的に書いてみた作品です。普段の作風とは異なります。
※小説家になろう、カクヨムさんで同一名義にて掲載予定です