絶対盟約の美少年従者(メイデンメイド)

あさみこと

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#041 天国へ至る通過点

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 広大なドーム型の施設の中には、最新鋭のトレーニングマシンや、壁一面のボルダリングウォール、そして、一周数百メートルはありそうなランニングトラックが備えられている。
「え……副会長? 会長たちも、どうしてここに……」
 僕が戸惑っていると、僕たちの背後から、ひょっこりと美王先生が顔を出した。
「んふふ♡ 言ったでしょ? 生徒会も協力してくれるって。君たちの『体』を鍛えるのは、この人たちの方が専門だからねぇ」
「そういうことよ」
 肆谷副会長は、腕を組んで僕たちを睨みつける。
「心と技の話は、あの変態教師に任せておくとして。あんたたちの、その貧弱な肉体を叩き直すのが、私たちの役目。……襟間、準備はできてる?」
「はい、いつでも」
 施設の隅にあるコンソールを操作していた襟間会計が、静かに頷く。
「これより、このトレーニング空間内の、機術制御システムに干渉します。……実行」
 彼女がエンターキーを押した瞬間、僕たちの身体が、ふっと、軽くなるような、あるいは、重くなるような、奇妙な感覚に襲われた。
「な、なんだ……?」
 僕が、自分のデバイスを操作しようとしても、何の反応もない。
「無駄よ」と、肆谷副会長。「今、襟間の情報機術によって、この空間は、全ての機術の発動が抑制された、ただの『箱』になった。……つまり、ここから先は、小手先の力は一切通用しない。あんたたちの、純粋な『身体能力』だけが試されることになるわ」
 その言葉に、僕たちはゴクリと喉を鳴らす。
 つまり、これから始まるのは、魔法も、超能力もなし。ただ、ひたすらに、純粋な肉体だけの、地獄のトレーニング。

 最初のメニューは、ランニングだった。
「まずは、ウォーミングアップ。トラックを20周。ついてきなさい」
 そう言って、先頭を走り始めた肆谷副会長のペースは、ウォーミングアップとは到底思えない、全力疾走に近いものだった。
「はぁ……はぁ……! は、速い……!」
 僕と杏那さん、怜士くんは、必死にその背中に食らいつく。
「七座! 腕の振りが大きすぎる! 体幹がブレているわよ!」
「漆館! 顎が上がっている! 呼吸が浅くなっている証拠よ!」
「残間! 接地の時間が長い! もっと、地面からの反発を意識しなさい!」
 副会長から飛んでくる檄は、単なる精神論ではなかった。それは、人体の構造を知り尽くした、的確で、論理的な指摘。言われた通りにフォームを修正すると、不思議と、身体が少しだけ軽くなるのを感じた。これが、本物の強者の知見……!
 だが、一人だけ。その恩恵を全く受けられず、早々に脱落しかけている者がいた。
「はぁ……っ、ひゅ……っ、は……っ、はぁ……」
 僕たちの数メートル後ろを、今にも倒れそうな、よろよろとした足取りで走っているのは、紛れもない、あの鍔井真角くんだった。
 普段のクールで澄ました表情は、どこにもない。滝のように汗を流し、目の焦点は虚空を彷徨い、だらしなく開かれた口からは、舌がぺろりと垂れていた。その姿に、孤高の天才少年の面影は、微塵もなかった。
「が、頑張って、鍔井さん……!」
「もう少しよ、真角くん! ファイト!」
 そんな彼を見かねてか、玖代会長と三鳥書記が、彼の両脇を並走し、必死に励ましの声をかけている。なんとも、羨ましい……いや、不憫な光景だった。
 三鳥先輩は、そんな真角くんの情けない姿を、満面の笑みで、スマートフォンで録画していた。
「な、何してるんですか、三鳥先輩……」
 息も絶え絶えに、僕が尋ねる。
「えへへ……実は、美王先生に頼まれてたんだよね。『真角くんが、絶対に情けない姿を見せるだろうから、それをバッチリ録画してきてちょうだい♡』って」
 彼女は、悪戯っぽく、舌を出した。
「『だって、普段澄ましてる真角くんの、こーんな可愛い姿、見たいに決まってるじゃない!』ですって。体育の授業とかでも、いっつもこんな感じだって聞いてたけど、流石に授業中に、こんなことはできないからねぇ」
 そして、彼女は、恍惚とした表情で、よろよろと走る真角くんを見つめた。
「……それに、私も、真角くんのこんな姿、見れて、なんか、嬉しいな♡ 今度の漫画の題材、真角くんみたいな、ギャップのある男の子で描いちゃおうかな……」
「ふふ……」
 その隣で、玖代会長も、普段の聖母のような微笑みとは少し違う、妖艶な笑みを浮かべていた。
「……実は私も、鍔井さんのこんなお姿を拝見できて、心が、少し、ざわついておりますの……♡」
「……何かの時の、交渉材料としては、最適ね」
 僕たちの前を走っていた肆谷副会長が、ちらりと後ろを振り返り、ボソリと呟いた。
 その言葉に、僕の隣を走っていた怜士くんの足が、一瞬だけ、もつれた。
 彼は、真剣な顔で、前の三人――地獄の形相で走る真角くんと、それを両脇から女神のように支える、玖代会長と三鳥書記――を、じっと見つめている。
「……あれでも、一緒に走ってもらいたい?」
 僕が、意地悪く尋ねてみる。
「いやー……」
 彼は、うーん、と唸った。
「……まぁ……うん……。流石に、あんな情けない姿を人質に取られるのは、勘弁してほしいけど……。でも、相手が会長と書記なら……。副会長は、まだしも……うん……」
 彼は、割と、本気で悩んでいた。
 僕たちの、地獄のようで、どこか気の抜ける、奇妙な夏の強化合宿は、まだ始まったばかりだった。

 地獄のフィジカルトレーニング、その一日目が終わった。
 夕食の席では、箸を持つ腕すらプルプルと震え、僕たちは、ただ屍のように、出された食事を胃に流し込むだけだった。特に、真角くんに至っては、もはやスプーンでスープをすすることすらできず、見かねた玖代会長が「あーん」をしてあげているという、普段なら絶対にあり得ない光景が繰り広げられていた。
 全員が疲労困憊で、早々に自室のベッドに倒れ込んだ、その夜。
 僕たちのスマートフォンに、美王先生から、一斉にメッセージが届いた。
『――お疲れ様、可愛い子猫ちゃんたち♡ 君たちの明日のための、スペシャルなトレーニングメニューが完成したから、発表しちゃいまーす!』
 そのメッセージに添付されていたファイルを開き、僕たちは、明日から、それぞれが全く違う地獄へと足を踏み入れることを、知った。
 
 合宿二日目の朝。
 僕が向かったのは、昨日と同じ講義室だった。しかし、そこにいるのは、僕一人だけではない。
「……おはよう、七座くん」
「お、おはよう、真角くん……」
 既に席に着き、分厚い専門書を開いていたのは、真角くんだった。昨日の無様な姿が嘘のように、その表情は、いつものクールな天才のそれに戻っている。
「真角くんも、ここなの?」
「ああ。君の目指す『光』の機術は、光子という素粒子の挙動を制御するもの。僕がこれから学ぼうとしている、量子力学を応用した機術の、良い基礎学習になる。……それに、君一人では、どうせ、すぐに計算式でつまづくでしょうから」
 どうやら、彼は、僕のお目付け役も兼ねて、この理論学習に参加するらしい。少し悔しいが、彼がいてくれるのは、心強かった。
「はーい、二人とも、おっはよー♡ それじゃあ、早速、ハルくんの新しい力のための、特別授業を始めましょうか!」
 白衣を翻し、美王先生が教室に入ってくる。
「今日のテーマは、『光子の二重スリット実験』と、『シュレーディンガーの猫』についてよ。……さあ、覚悟はいいかしら?」
 僕の、光の剣への道は、どうやら、想像以上に、険しいものになりそうだった。
 
 そして座学が終われば、次は実技。屋外の訓練場では、二つの剣戟の音が、激しく響き渡っていた。
「――遅いッ!」
「ぐっ……!」
 副会長が振う、木刀の一撃。それを、怜士くんが、レイピアで必死に受け止める。だが、体格差と、純粋な技量の差は、あまりにも歴然だった。
「あんたの『時間知覚加速』は、思考だけが先走って、肉体が全く追いついていない! そんな付け焼き刃の速さで、私の動きが見切れるとでも思ったの!?」
「くそっ……!」
 怜士くんのトレーニングメニューは、シンプルかつ、最も過酷だった。
 ただひたすらに、肆谷副会長との一対一の組手。
 思考と肉体を完全にシンクロさせる『瞬動』の領域に至るまで、彼女の超人的な動きを、その目に、その身体に、焼き付けさせる。それこそが、彼にとって、最速の成長ルートだった。
 そして、その地獄の組手には、僕も参加した。
「七座! あんたもよ! 光の剣だか何だか知らないけど、それを振るうのは、あんた自身! 剣の基本も知らないままじゃ、ただの危ない懐中電灯と同じよ!」
「は、はいッ!」
 僕もまた、木刀を握り、肆谷副会長の圧倒的な剣技に、ただ翻弄されるだけだった。僕と怜士くんの、剣の道は、始まったばかりだ。
 
 一日のフィジカルトレーニングを終え、ヘトヘトになって食堂に集まった僕たち。その中で、真っ先に不満を漏らしたのは、やはり、怜士くんだった。
「うわ……明日からも、副会長様つきっきり、ですか。まあ、そんな気はしてたけども……」
 彼の視線の先には、平然とした顔で食事をしている、肆谷副会長の姿があった。
 その言葉を聞きつけたのか、副会長は、怜士くんをちらりと見ると、ニヤリと、悪魔のような笑みを浮かべた。
「ま、あんたの戦い方からすれば、そうなるわよね。安心していいわよ、残間。他の三人より、もーっと、しっっっっっかりと、見てあげるから。今年の夏が終わる頃には、あんた、見違えるように成長できてるわよ?」
「……できる限り、お手柔らかに、お願いします……」
 怜士くんの、届かぬ願いが、南国の夜の空に、虚しく消えていった。

 地獄のフィジカルトレーニングと、専門分野に分かれた個別訓練。その二日目が終わる頃には、僕の身体は、もはや自分の意志とは無関係に震える、ただの肉塊と化していた。夕食の席では、昨日と同じく、箸を持つことすら億劫で、ただ出された食事を胃に流し込むだけの作業に終始する。特に、一日中、肆谷副会長の木刀を浴び続けた身体のあちこちは、悲鳴を通り越して、もはや何の感覚も伝えてこない。
「……明日も、あれをやるのか……」
 食堂から自室へと続く廊下を、ゾンビのような足取りで歩きながら、僕は思わず弱音を漏らす。光の剣への道は、想像以上に険しく、そして痛みを伴うものだった。
「――あら、ハルくんじゃない。お疲れ様♡」
 その時、背後から、聞き慣れた甘い声がかけられた。振り返ると、そこには、一日の疲れなど微塵も感じさせない、妖艶な笑みを浮かべた美王先生が立っていた。
「み、美王先生……」
「ふふ、随分とお疲れのようねぇ。龍弥ちゃんに、しごかれちゃった?」
「笑いごとじゃありませんよ……。もう、身体中が痛くて……」
 僕が泣き言を言うと、先生は「まあまあ」と僕の肩を優しく叩いた。
「ハルくん、そういえば前、あたしの専属メイドになってご奉仕してくれてた時に、夏休みに特別なプレゼントがある、って言ってたの、覚えてる?」
「あ、はい。確か……」
 言われてみれば、そんなことを言っていた気がする。
「それが、ついに完成したのよ~」
 先生は、ウインクを一つすると、楽しそうに続けた。
「だから、明日の特訓は、午前中は龍弥ちゃんの剣術指南、午後はそれを使ってみようかなって」
「え、プレゼントって、武器だったんですか?」
「そ。今、ハルくんが身につけようとしてる光の剣が、真正面から敵を討つ『メインウェポン』とするなら、こっちは、もっとトリッキーに、相手を翻弄するための『サブウェポン』ってところかしらね」
 サブウェポン。その言葉に、僕の心は少しだけ、高鳴った。『双極』は確かに強力だが、力押しには弱い。光の剣を習得するまでの間、僕の戦闘スタイルを補ってくれる、新しい力。
「これを教えるための、特別ゲストも呼んでるから、楽しみにしてなさいな♡」
「特別ゲスト……」
 その言葉に、僕の胸は、一日の疲れも忘れるほどの、ワクワクとした期待感で満たされた。一体、どんな人が、僕に新しい力を授けてくれるのだろうか。
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