黎明のアンファング

あさみこと

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#019 女王蜂の操り人形

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「アンファング、目標ポイントに到達。これより、タイプ・ヒュドラの排除を開始します」
 僕の冷静な宣言とは裏腹に、眼下に広がる光景は、論理的な思考を麻痺させるほどの異様さに満ちていた。お台場に巨大なイソギンチャクのような怪物がいる。そしてそこから伸びる無数の触手が、まるで意思を持っているかのように周囲のビル群を薙ぎ倒している。
『こちら管制室。矢崎です。周辺の住民避難、98%完了。ですが、まだ逃げ遅れた民間人が複数存在します!急いでください!』
「了解……!」
 僕は操縦桿を握りしめ、アンファングを急降下させた。まずは、あの無数に蠢く触手を減らすのが先決だ。
「美生奈先輩、ツェルニク・プロジェクターの出力を70%に固定!連射します!」
「はい、愛都くん!」
 荷電粒子の奔流が、ヒュドラの触手の一本を正確に捉える。だが、僕の予測は、次の瞬間、根底から覆された。
 直撃したはずの触手は、爆散するのではなく、まるでスライムのようにどろりとその形を崩し、二本の、より小さな触手となって再生したのだ。
「なっ……!?」
『物理攻撃が通用しません!』
 後方でモニタリングしていた機械工学班から、悲鳴のような報告が上がる。
「ならば!」
 僕はライフルを捨て、劈開剣を抜いた。分子間結合に干渉するこの剣なら、再生する暇を与えずに消滅させられるはずだ。
 アンファングは、生物的な人工筋肉の動きで地を蹴り、ヒュドラの本体へと肉薄する。そして、最も近くにあった触手を、薙ぎ払った。
 確かに、手応えはあった。剣閃が触れた部分は、霧散していく。
 だが、その時だった。
 僕が切り裂いたはずの触手の、その奥。全く別の位置にあった無傷の触手が、まるで瞬間移動したかのように、僕の剣の前に割り込んできたのだ。僕の攻撃は、その「身代わり」となった触手に受け止められ、本体には寸分のダメージも与えられていない。
「馬鹿な……!?」
『目標、量子的な挙動を見せます!攻撃対象の座標が、常に変動している模様!』
 情報工学班からの報告が、僕の混乱を裏付ける。
 これが、タイプ・ヒュドラ。その能力は、僕たちがこれまで戦ってきたどの敵よりも、異質で、そして絶望的だった。
 攻撃すれば、増える。
 本体を狙えば、別の部位が盾になる。
 まるで、こちらの攻撃全てを嘲笑うかのような、完璧な防御システム。
「くっ……!」
 アンファングは、次々と繰り出される触手の鞭のような攻撃を、回避するだけで精一杯だった。回避するたびに、僕と美生奈さんの身体に、強烈なGがかかる。
 管制室では、僕たちが送るリアルタイムの戦闘データを前に、研究者たちが喧々囂々の議論を繰り広げていた。
「なんだこの再生能力は!? 未知のアミノ酸だけでは説明がつかん!」
「空間転移だと!? フェーズ・シフターの能力も併せ持っているというのか!?」
 誰もが、目の前で起きている超常現象を、自らの知識体系に落とし込もうと必死だった。
 その喧騒の中、ただ一人、静かにモニターを見つめている人物がいた。
 綾辻玻璃教授。
 彼女は、腕を組み、そのサファイアブルーの瞳で、膨大なデータの中に流れる、常人には見えないノイズの奥の何かを、ただひたすらに見つめていた。
「……美生奈さん。あなたの専門分野から見て、どう思いますか、この現象は」
 戦闘の合間、僕は後部座席に問いかけた。
「……わからない。わからないけど……あの動き、まるで一つの巨大な群体みたい。個々の触手には、明確な意思があるように見えない。全てが、本体の……あるいは、もっと別の何かの命令で、完璧に統率されているような……」
 その時だった。
 管制室のスピーカーから、それまでの喧騒を切り裂くような、凛とした、しかし絶対的な確信に満ちた声が響いた。
 綾辻教授の声だった。
「……見つけたわ」
 その一言で、管制室の誰もが息を呑む。
「蟹江教授、わたくしの端末をメインスクリーンに。紫京院教授、あなたは生物班を集めて、今からわたくしが送るデータの裏付けをなさい」
 彼女は、魔女のように、しかし指揮官のように、冷静に指示を飛ばしていく。
「……おかしいと思っていたのよ。この量子的な座標変動、完全にランダムではない。全ての肉片……いいえ、ヒュドラを構成する全ての微小生命体の間には、情報をやり取りするための、特定の『周波数』が存在するはず……。まるで、女王蜂が発するフェロモンのように、全ての個体を統率する、量子的な信号が……」
 スクリーンに、彼女が構築した、複雑怪奇な数式モデルが表示される。
「そして、今、特定したわ。その『統率周波数』を。物部くん、琴吹さん。聞こえるかしら? 今から、あなたたちのその美しい機体を、わたくしの『メス』として使わせてもらうわ」
 その声には、一切の迷いがなかった。僕は、操縦桿を握り直す。
「……どうすればいいんですか、綾辻教授」
「全ての攻撃を中止なさい。そして、わたくしが指定する座標へ移動し、全エネルギーを、機体頭部の広域索敵用センサーアレイに集中させて」
 無茶な要求だった。敵の目の前で、丸腰で静止しろというのだ。だが、僕も、美生奈さんも、不思議と、その指示に従うことに何の躊躇もなかった。彼女の言葉には、それだけの説得力があった。
 アンファングは、ヒュドラの触手の猛攻を掻い潜り、指定されたポイントへと到達する。
「……今よ。わたくしが作ったプログラムを、そちらに送る。それを起動し、量子波を照射なさい!」
 僕がコンソールを操作すると、アンファントの頭部センサーが、これまで見たこともない、淡い青色の光を放ち始めた。それは、目に見えない、特殊な周波数の量子波の嵐だった。
 そして、信じられない光景が、僕たちの目の前で広がった。
 それまで、有機的に、そして狡猾に僕たちを追い詰めていた無数の触手が、ぴたり、と、その動きを止めたのだ。
 そして、次の瞬間。
 全ての触手が、全ての肉片が、まるで同じ一体の人形であるかのように、全く同じ動きを始めた。右に腕を振れば、全ての触手が右に。左に身をかがめれば、全ての触手が左に。
 その光景は、滑稽で、そして極めて不気味だった。
「……これは……」
「わたくしが照射させた量子波が、ヒュドラの統率システムに割り込み、全ての個体を、強制的に同期させたのよ」
 綾辻教授が、淡々と解説する。
「もはや、あれは生命体ではないわ。ただの、わたくしの意のままに動く、操り人形よ」
 管制室から、どよめきと歓声が上がる。
 紫京院教授が、モニターを見ながら、感心したように、そして少しだけ悔しそうに、ふっと息を吐いた。
「……やりますわね、鶏ガラ。その頭は、鳥頭ではなかったようですわ」
「さあ、どうぞ」
 綾辻教授が、まるで食事を促す貴婦人のように言った。
「連携も、再生も、瞬間移動も封じられた、ただの巨大な的です。お二人で、綺麗に料理なさいな」
「……はい!」
「了解です、教授!」
 僕と美生奈先輩の声が、重なる。
 もはや、そこに脅威はなかった。
 アンファントは、ただ同じ動きを繰り返すだけのヒュドラの本体へと、一直線に駆け抜ける。
 そして、その無防備な核へと、僕たちの怒りと、そして人類の知性の結晶である、劈開剣を、深々と突き立てた。
 断末魔は、なかった。
 タイプ・ヒュドラは、その全ての活動を停止し、ただの巨大な有機物の塊へと、還っていった。
 戦闘後。息は上がっていたが、僕の身体は、まだ立っていられた。
 コックピットのモニターには、管制室で、いつものように罵り合いながらも、どこか誇らしげな、二人の魔女の姿が映し出されていた。
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