黎明のアンファング

あさみこと

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#042 確率的崩壊

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 時間という概念が、意味を失っていた。
 エンデがこじ開けた、高次元空間への『門』。その向こうから現れた、二柱の絶対的な存在を前に、人類が築き上げてきた、全ての兵器、全ての科学、全ての勇気は、あまりに、ちっぽけで、無力だった。
 自己増殖する結晶の神、『デミウルゴス』。
 そして、宇宙の法則そのものを体現するかのような、沈黙の黒き巨人、『ジャッジメント』。
 その神々の威光を背に、銀髪の少年『ピーマ』は、ただ静かに、そして楽しそうに微笑んでいた。
『……素晴らしいね』
 ピーマの声は、特定の音源からではなく、まるで空間そのものから、直接パイロットたちの脳に、響き渡ってくるようだった。
『君たちの作り上げた、あのキメラ。あれは、僕たちデミウルゴスの計算にもなかった、実に興味深い『解』だ。賞賛に値するよ』
 その言葉は褒めているようでいて、しかしその実、微生物の興味深い生態を観察する科学者のような、絶対的な上位者からの視線に満ちていた。
 そして彼は、最後の審判を宣告した。
 その穏やかな声色とは裏腹に、その内容は絶対的な拒絶の言葉だった。
『だが結論は変わらない』
 ピーマの背後でデミウルゴスがゆっくりと、その結晶の表面を蠢かせ始める。それは最終的な浄化プロセスの、開始シークエンスだった。
『我々のシステムは君たち人類を、『ロスト・エヴォルヴと共生し、宇宙に予測不能なバグを撒き散らす、新たなウイルス』と、最終的に断定した。故に、この惑星ごとその存在を完全に浄化する』
 デミウルゴスの月のごとき巨体の表面から、無数の光の点が生まれた。そしてそれは一斉に、地球へと向かって射出された。
 それはもはや、フラグメントのような無骨な作業機械ではなかった。
 背中に光の翼を生やし、その両腕を鋭利な刃と荷電粒子砲へと変えた、天使の如き形状。戦闘にそして殲滅に完全に特化した、クリスタル・レプリカントの最終進化形態。
 「まるで人類に裁きを下す天使か……!」
 「名づけるなら、『セラフィム』といったところだな……!」
 その、死を告げる天使の群れが、空を、埋め尽くした。
 同時に、黒き巨人ジャッジメントもまた、その漆黒の腕をゆっくりと、地球へと向け始めた。その腕に宇宙の全てを無に帰すほどの、暗黒のエネルギーが、収束していく。
『そして我々ジャッジメントもまた、君たち人類を、『因果律を自在に書き換え、宇宙の理そのものを破壊しかねない、癌細胞』であると断定する。故に、その存在の痕跡ごとこの時空から、完全に抹消する』
 ジャッジメントはただその腕を億劫そうに、一度振るう。
 それだけだった。
 それだけで、最前線に展開していた、数機の金剛・改が、何の前触れもなく、まるで、テレビの映像が乱れるかのように、ノイズと化し空間ごと消滅した。悲鳴を上げる暇も、爆発する時間すらも、与えられずに。
 アンファングのコックピットで、美生奈さんが、悲鳴を上げた。
「そんな……! 何もしていないのに……!」
「違う!」と、叫ぶ。「奴は、そこにいるだけで、確率を支配しているんだ! 我々の兵器が、『正常に機能しない』という確率を、強制的に、引き上げているんだ…!」
 神々の鉄槌。それは人類がこれまで培ってきた、全ての物理法則、全ての科学技術を根底から否定する、絶対的な理不尽そのものだった。
 ピーマは、困ったように、肩をすくめて見せた。
「……というわけなんだ。残念だけどね。君たちの愛も、勇気も、僕たちのシステムから見れば、全て予測可能なアルゴリズムの範疇でしかないんだよ。君たちが、異種族であるロスト・エヴォルヴと共存しようとする、その非合理的な行為こそが、この完璧に調律された宇宙に、不協和音を生み出す最大のバグなんだ。……ねえ、どうしてそんな無駄な抵抗をするんだい?」
 その、根源的な問い。
 神が、人に投げかけた最後の問い。
 その問いに答えたのは、始まりの機体に乗る始まりのパイロット。つまり僕だった。
 アンファングのコックピットで、それまでの、神々の威圧に気圧されていた、全ての恐怖を振り払うように、静かに息を吸い込んだ。
 そして外部スピーカーを通して、その声を宇宙へと響かせた。
「―――非合理で、無駄で、バグだらけ。それが、人間だ」
 その声は、震えていなかった。そこにあったのは、自らの弱さと、愚かさを、全て受け入れた上で、それでも前を向こうとする、一人の人間の、確固たる意志だった。
「だが」と続けた。「その君たちが切り捨てる、バグの中からこそ、君たちのその完璧で退屈なシステムでは、決して導き出すことのできない、全く新しい『解』が、生まれるんだ!」
 ピーマの穏やかだった笑みが、初めてわずかに消えた。
「我々人類は」と高らかに宣言した。「君たちのその一方的な判決を、断固として、拒絶する!」
 人類の、回答だった。
 その言葉は、反撃の狼煙だった。
『―――全軍、総員、第一種戦闘態勢! 目標、デミウルゴス! 我々は、神に抗う! 人類の存亡をかけ、一歩も引くなァッ!!』
 野戦指揮所から高坂総一郎の魂の絶叫が、全軍へと轟いた。
 その瞬間、静寂は破られた。
『シークェル、及び、金剛・改部隊、突撃を開始する! 我々はプロだ! 素人が、夢を語るための道くらいは作ってやる!』
 軍場宗十郎の冷静な号令と共に、シークェルを先頭に、数十機の金剛・改が、一斉に、ブースターを点火させた。彼らは絶望的な戦力差も、神々の威光も、物ともせず、ただ、自らの任務を遂行するためだけに、鉄の流星となって、デミウルゴスから放たれる、無数のセラフィムの群れへと、突っ込んでいく。
『行けアンファング! この程度の弾幕、我々エリートの前では紙くずと同じよ!』
 篝伊佐那の誇りに満ちた声が弾ける。シークェルはその身を盾としながら銃を乱れ撃ち、アンファングとエンデのための、一条の道を血路をこじ開けていく。
 その仲間たちが命を賭して作った道を、二機の運命の機体が飛翔する。
『行くぞ、紫京院教授! 我々が見た夢の、その先を、あの若人たちに、見せてやるために!』
『ええ! 思う存分、踊り狂って差し上げますわ、蟹江教授!』
 エンデのコックピットで、二人の狂気の天才が、歓喜をあげた。エンデは、その因果律干渉能力を、最大限に発動。ジャッジメントから放たれる、時空を歪ませる不可視の攻撃を、まるで最初から、そこには存在しなかったかのように、すり抜けていく。
 そして、アンファング。
「行きます、美生奈さん!」
「はい、愛都くん!」
 二人の心は完全に一つになっていた。彼らが目指すは、ただ一点。
 シークェルがこじ開け、エンデが守り抜く、その道の先。
 神々の懐、デミウルゴスの中枢へと至る、最後の『扉』。
 ピーマはそのあまりに無謀で、しかしあまりに美しい人類の抵抗を興味深そうに、ただ見つめていた。
「……面白いね、君たちは」
 その呟きの後、極めて冷徹な声が続いた。
「でも所詮は人間のあがき。我々には敵うべくもない」

 彼の言う通りだった。科学者たちが自分たちの持ちうる最高の頭脳、それに意地とプライドを加えて挑んだ最終決戦。だが、神々の力はそれをも遥かに上回るものだった。
 絶望が、戦場を支配していた。
 デミウルゴスから無尽蔵に射出される、死を告げる天使の群れ、セラフィム。その、物理法則を無視した超絶機動と、完璧に統率された三位一体の連携攻撃は、人類の抵抗を、まるで脆弱なガラス細工のように、粉々に打ち砕いていく。
『左翼の金剛・改部隊、壊滅! シールド艦、撃沈!』
『ジャッジメントから、高エネルギー反応! 回避…間に合いません! ああッ!』
 次々と、断末魔の叫びが、通信回線を飽和させていく。もはや戦線は崩壊寸前だった。
 その地獄の中心で、『シークェル』は、文字通り、鬼神の如く戦っていた。
「怯むな! 前へ! ただ、一歩でも前へ進め!」
 軍場宗十郎の絶叫が、コックピットに木霊する。AI『オーディン』の予測をも上回る猛攻に対し、血と硝煙の中で培ってきた、兵士としての野生の勘だけで彼は戦っていた。シークェルは、全身の武装を、オーバーヒートも厭わずに乱れ撃ち、セラフィムの群れに、必死に食らいついていく。
『これ以上、好きにはさせない!』
 篝伊佐那もまた、限界を超えた集中力で、エネルギー系統を管理し、出力を規格外のレベルにまで引き上げていた。放たれる荷電粒子の槍は、確かに、数体のセラフィムを光の塵へと変える。
 だが一体を落とせば、三体が現れる。傷を負えば、その隙を五体が狙う。デミウルゴスの物量は、無限だった。
 度重なる戦闘で、シークェルの左腕と右脚は半壊。エネルギーも残りわずか。その、満身創痍の巨体を、十数体のセラフィムからなる、精鋭部隊が、完全に、包囲した。
 四方八方から、光の翼が迫る。腕が、断罪の剣へと変形していく。回避不能の、全方位からの、飽和攻撃。
「これまでか……道くらいは作ってやりたかった、が……」
 僕らも含むその光景を見た全員が二人の死を覚悟した、まさにその瞬間だった。
 ―――キィィィン……
 戦場の全ての轟音を切り裂くように、一つの澄み切った音が、戦場に響き渡った。
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