ストロベリームーン・セレナーデ

ukon osumi

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第11話「欠けた輪郭」

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 午前の撮影が一区切りついたあと、ヨウジは一人、テント脇の仮設モニターの前に腰を下ろしていた。
風通しの悪い白布の屋根の下は、機材の発熱でじわりと蒸し暑く、空調の効いたホテルとはまるで別世界だ。
 モニターの下ではノートパソコンの冷却ファンが微かに唸りをあげ、画面には今朝撮ったカットの確認映像が繰り返し再生されている。
 そこに、ようこがペットボトルを片手にやってきた。
「少し休憩入るみたい。冷たいの、いる?」
 いつのまにか、彼女はこの現場に馴染んでいた。
 ヨウジ自身が、ようこを“現地調整補佐”としてスタッフに加えたことは事実だが、それは彼女から「もうCAは辞めた」と告げられた日のことだった。
 最初は戸惑いもあった。私情で判断していると見られるのではないかと、ためらいがなかったわけではない。だが、ようこはすでに“気持ちの上でこの場所にいた”のだと、今ならはっきり分かる。
 そして実際、その働きぶりは補佐の域を超えていた。
 彼女は人の動線を読める。
 不必要な接触を避けつつ、問題が発生しそうな場所にさりげなく先回りする。
 控室の消毒スプレーの配置から、スタッフの導線整理、衣装の管理に至るまで、あらゆる場面で的確に動いていた。
 誰に指示されたわけでもない。ただ、彼女は「そうするべき」だと自然に理解していた。
 ふと、ヨウジは数日前のことを思い出す。
 その日、ようこが控室の隅で立ち止まっていたのを見かけた。
 誰もいない時間帯だった。撮影中の合間に、少しだけ部屋に戻ったヨウジは、まだ片付けられていない机の前で、彼女が足を止めているのに気づいた。
 机の上には、サリーの残した香水の瓶がひとつ、静かに置かれていた。
 ようこは触れてはいなかった。ただ、ほんの少し俯いて、その瓶を見つめていた。
 ヨウジは声をかけなかった。
 ただ、その光景がなぜか記憶に焼きついていた。
 あれは――ただの興味じゃない。
 失われた何かと、自分の中の何かが静かに交差した瞬間。
 ヨウジはそう感じていた。
 「ヨウジさん」
 ようこがペットボトルを差し出した。
 その顔にはいつもの柔らかさが戻っていたが、目の奥には、やはり消えない緊張の色があった。
 「この感じ……サリーさんがいたときと、何か違うと思いませんか?」
 ヨウジは、しばらく黙っていた。
 「違うというか……残ってるんだと思う」
 「え?」
 「誰かが彼女の代わりを演じてる。けど、完璧じゃないから、違和感だけが残ってる」
 そのとき、メイクを終えた葵がスタッフの間をすり抜け、撮影ラインへ向かっていくのが見えた。
 彼女はまるで、サリーの所作をなぞるように、振り返り方さえ真似ているように見える。
 「……私ね」
 ようこが小さく言った。
 「葵さん、サリーの真似をしてると思うの。演技じゃなくて、もっと……本人になろうとしてるみたいな」
 「気づいてたのか」
 ヨウジが目を伏せてつぶやく。
 「サリーの香水、どこにあったか覚えてる?」
 「え?」
 「昨日、小道具の箱の中。誰かが持ち出してたみたいだった」
 ようこは言葉を失った。
 その香水が、サリーのトレードマークだったことは、現場の誰もが知っている。
 だが、それをあえて使おうとする理由とは、何なのか。
 ヨウジの胸の奥に、ひとつの仮説がよぎった。
 “葵は、サリーの代わりではなく、サリーとしてここに立とうとしているのではないか”――。
 その異様さは、香水という小道具ひとつで裏付けられるには充分すぎるほどだった。
 「……怖いのは」
 ようこがぽつりと言った。
 「サリーさんのこと、もう“いなかった人”みたいに扱ってる人が多いこと。
 この空気、あの人がいなくなった直後じゃないみたい」
 「それだけ、何かが塗り替えられたってことかもしれないな」
 ヨウジはそう応えた。
 その瞬間、何かが決定的に“ずれて”いる――そう感じていた。
 そのずれは、誰かの悪意によるものなのか。
 あるいは、無関心の積み重ねなのか。
 いずれにせよ、サリーの死を“事故”で終わらせてはならない。
 ヨウジの心に、そうした静かな決意が生まれつつあった。
 沈黙が流れた。
ヨウジは口を閉ざしたまま、控室の角に置かれた小型モニターを見つめていた。
画面はオフになっている。だが、その奥にある“空気の歪み”のようなものは、消えたわけではない。
――誰かが、何かを隠している。
それは確信に近かった。だが、いまだ“何が”かはつかめない。
そんな曖昧な手触りだけが、彼の中に残り続けていた。
「ヨウジさん」
ようこの声が背後から届く。振り返ると、彼女は少し疲れた表情で立っていた。
髪を後ろで一つにまとめ、シンプルなブラウスとチノパンに身を包んだ姿は、元スチュワーデスらしい清潔感があったが、今はもうその職を辞していた。
彼女がこの現場にスタッフとして正式に加わった日、ヨウジは思わず視線を逸らした。
採用を決めたのは自分のはずなのに、目の前に立つようこの存在が、どこか別人のように感じられた。
あの頃、機内で制服に身を包んでいた彼女とは、目の奥に宿るものが違って見えた。
――あれから、ようこは何を思い、何を決意してここに戻ってきたのか。
ヨウジは、その沈黙の中に、まだ知らない彼女の“強さ”を感じていた。
葵の代役撮影が始まり、現場には一見平穏な日常が戻ってきたかに見えた。
 照明が灯り、カメラが回り、スタッフが配置に散っていく――いつものリズム、いつもの掛け声。
 だが、その空気のどこかが、静かにきしんでいる。
 誰もが“その話”を避け、目を合わせず、記憶からサリーという名前を消そうとしているようだった。
 「……怖いのは」
 ようこがぽつりとつぶやいた。
 「サリーさんのこと、もう“いなかった人”みたいに扱ってる人が多いこと。
 この空気、あの人がいなくなった直後じゃないみたい」
 その言葉に、ヨウジはゆっくりと頷いた。
 「それだけ、何かが塗り替えられたってことかもしれないな」
 彼自身、その異様さを感じ取っていた。
 それは時間による風化ではなく、誰かが“意図的に均された”沈黙だった。
 思い出すのは、あの記録映像で見た光景――
 言葉にならない違和感。
 ただそこに立っていた、というだけで、空気の重心が変わるような存在。
 それが、君島葵だった。
 彼女は、まるで「何もしていない」ように現場にいた。
 だが、“何もしていなかった”痕跡さえ、誰かが都合よく見えなくしているような……そんな感覚があった。
 記録には残っていない。映像にも、彼女の姿ははっきりとは映っていない。
 けれども、確かに空気の密度だけが、微かにずれている。
 そうした違和感の“接ぎ目”をたどっていけば、やがて、本当に隠された何かに辿り着けるのではないか――
 ヨウジは、無言のままマウスを動かし、再生バーを前後に送った。
 「……葵は」
 ようこの声が、背後から落ちてきた。
 「サリーさんのこと、好きだったと思う。……でも、それだけじゃない気がして」
 ヨウジは目を画面から離さずにいたが、言葉の続きを促すように頷いた。
 「憧れてた。そう見えた。でも……いまは、違うの。代わろうとしてる。サリーの“代役”じゃなくて、“サリーそのもの”に」
 ようこは、静かにそう言った。
 その言葉を聞いた瞬間、ヨウジの胸の奥に、ひとつの仮説がよぎった。
 ――葵は、サリーの代わりではなく、サリーとしてここに立とうとしているのではないか。
 その異様さは、香水という小道具ひとつで裏付けられるには充分すぎるほどだった。
 「……怖いのは」
 ようこがもう一度、口を開いた。
 「誰もそのことに気づこうとしないこと。……気づいても、何も言わないこと」
 「それがいちばん、手強いな」
 ヨウジはつぶやいた。
 サリーの死にまつわる“何か”は、すでに忘れ去られようとしていた。
 誰かの悪意かもしれない。あるいは集団の無関心の蓄積かもしれない。
 だが――どちらであれ、この事件を“事故”で終わらせてはならない。
 ヨウジの中に、ようやく明確な“探すべき対象”が浮かび始めていた。
 それは、「犯人」や「動機」ではなかった。
 むしろ、「消されかけている真実」そのものだ。
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