雑草姫、選ばれし花の庭で踏まれて生きる 〜ガラスの靴は、土いじりには不向きです〜

お月見ましろ

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第4話 踏まれる側の作法

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 翌日からも、そしてその次の日からも。
 
 学園が用意した「洗礼」という名の拒絶は、日に日にその密度を増し、より体系的な形をとってロザリーを襲った。
 
 それは突発的な悪意というより、完璧に管理された温室から、目障りな雑草を一掃しようとする行為に似ていた。だが、当の「雑草」本人は、踏まれれば踏まれるほど、その根を深く、静かに広げていく。
 
 ある時は、昼下がりの回廊を歩いている最中だった。
 
「あら、ごめんなさい。手が滑ってしまったわ」
 
 直後、バケツ一杯の水が、滝のような音を立ててロザリーの頭上に降り注いだ。
 冷たい衝撃に視界が白く染まり、質素な制服が水を吸ってずしりと重くなる。足元に広がる水溜まりを囲んで、令嬢たちが扇子を広げ、鈴を転がすような笑い声を上げた。
 
 だが、ロザリーは冷たさに身を縮める代わりに、ゆっくりと、濡れた銀髪を無造作に掻き上げた。滴る水滴が大理石に落ち、鏡のような床に波紋を広げる。
 
「……驚いたわ。今の時期の井戸水より、ずっと温かいのね」
 
 ロザリーはむしろ楽しげに目を細め、濡れた袖を絞りながら道化を演じる。――けれど、指先の感覚は少し遅れて戻ってきた。
 
「ちょうど良かったわ。この制服、少し汚れが気になっていたの。わざわざお水を運んできてくださるなんて、洗濯の手間が省けたと思っておくわ」
 
 彼女は懐から、フィンに貰ったあの石鹸の包みを、濡れた指先でそっと取り出した。ベルガモットの清涼な香りが、むせ返るような高級香水の匂いを裂いて、回廊いっぱいに広がる。ロザリーはその香りを吸い込み、ふわりと、どこか挑戦的なほど明るい笑みを浮かべて見せた。
 
「ついでにこの石鹸、とってもいい香りがするのよ。貴方たちも試してみる? 少し、心がささくれているみたいだから。洗い流せば、少しはすっきりするかもしれないわよ」
 
 聖女のような慈しみの眼差しを向けられ、令嬢たちは毒気を抜かれたように言葉を失った。嘲笑の代わりに、得体の知れない気味悪さと、敗北感に似た色が彼女たちの顔に張り付く。
 
 またある時は、教室で自分の机に向かった瞬間だった。
 
 一限目のチャイムが鳴る中、あるはずの教科書が、筆記用具の一本に至るまで消え失せていた。
 
 周囲は「教科書も買えない哀れな特待生」が狼狽し、泣き出す筋書きを期待して、薄笑いを浮かべながら彼女の一挙手一投足を注視している。だが、ロザリーは平然と背筋を伸ばし、何も置かれていない机の上に、魔法の石鹸で磨き上げた自分の手だけを静かに置いた。
 
「先生、問題ありません。内容はすべて暗記していますから、このまま進めてください」
 
 唖然とする教師を余所に、ロザリーは淀みなく、今日の範囲の記述を暗唱し始めた。一字一句違わぬその声は、紙に書かれた文字よりも鋭く、かつ音楽的なリズムを伴って教室内を支配していく。
 
「……以上が、前節のまとめになります」
 
 暗唱を終え、ロザリーは隣の席で口を半開きにしている令嬢に、悪戯っぽく微笑んで見せた。
 
「重い教科書を持ち運ばなくて済む分、今日は肩が軽いわ。教えてくれてありがとう、学園のルールは意外と効率的なのね」
 
 いじめという名の「非日常」を、ただの日常に塗り替えていくその姿に、教室には拍手の代わりに、重たい沈黙だけが残った。

 
 
 そんな彼女の姿を、回廊の影から、あるいは二階のテラスから、苦々しく、けれど射抜かれたように見つめている者がいた。
 
 レオンハルトだ。
 
 彼は、自分が踏みにじり、土に還るべきだと断じたはずの女が、泥を投げつけられるたびにむしろ生き生きと輝きを増していく光景が、理解できなかった。
 泣いて縋るか、絶望して去るか。そのどちらでもない「雑草」の逞しさ。
 
 レオンハルトは、自分の信じてきた価値観が、彼女の小さな背中によって静かに、しかし鮮やかに否定され続けているような苛立ちを感じながらも、気付けばその姿を、誰よりも熱心に――そして、わずかな焦りと共に――目で追ってしまっていた。


 
 ある日の放課後。夕闇が石畳の端からじわじわと侵食していく裏門の陰で、フィンは痛ましそうにロザリーの汚れた袖口を見つめていた。
 
 それは数刻前、彼が誰もいない物置の隅で見つけた、隠された上着だった。泥を押し付けられ、無惨に踏みにじられた跡。彼女はそれを誰にも見せず、一人で闇に葬るつもりだったのだろう。
 
「……ロザリー。やっぱり、一度謝った方が楽だと思う。彼らにとって、君のその態度は火に油を注いでいるようなものだ。君がどれだけ強くても、身体が持たないよ」
 
 フィンの言葉には、湿り気を帯びた切実な響きがあった。だが、ロザリーは静かに、けれど断固として首を振った。
 
「謝らない。だって、私は何も悪いことはしていないもの。私が膝をつくのは、自分でそう決めた時だけよ」

 その声は揺れていない。
 けれど、喉の奥だけが、ひりつくように乾いていた。
 
 それは、損を承知で自分を曲げないという、彼女なりの宣戦布告だった。一度膝をつけば、二度と立ち上がれない気がする。折れる場所は、自分で選ぶ。それだけが、今の彼女に残された最後の領土なのだ。
 
「それに……」
 
 ロザリーは少しだけフィンの袖を掴み、視線を落とした。
 
「貴方がいてくれるから、私は負けない。あのお石鹸だって、私を守ってくれてる。だから、大丈夫よ」
 
 ほんの一瞬だけ預けられた、熱を帯びた弱さと信頼。フィンはその言葉に、心臓を強く掴まれたような表情を見せた。慰めの言葉も、解決策も、今の彼女の前ではあまりに無力だ。
 
 フィンはただ、自分の無力さを噛みしめるように、震える彼女の小さな手を黙って包み返した。
 
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