神様、恋をすれば世界は救われるのですか? 〜余命二年の侯爵令嬢が、選ばれなかった未来の先で最愛を見つける物語〜

お月見ましろ

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第14話 準備は、退屈じゃないでしょ

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 ――学園祭。
 アイリスにとっては、これが初めての本格的な学園行事だった。

(思ってたより……本気ね)

 黒板に書かれていく予定表を眺めながら、内心でそう思う。準備期間。予算。役割分担。聞いているだけで、なかなかに現実的だ。

「出し物、どうする?」
「定番は喫茶店よね」
「でも衣装とか、凝りたい!」

 声を上げているのは、普段から華やかな話題を中心で動かしている令嬢たちだ。彼女たちの理想は高く、語られる構想はどれも豪華絢爛。一方で、実務的な数字や段取りの話になると、教室のあちこちで表情が曖昧になる。

「予算って、これだけなの」
「そこまで細かく決まってるの?足りなくなったら家から出せばいいじゃない」

 浮世離れしたやり取りを聞きながら、アイリスはそっとノートを開いた。頭の中で、ざっくりと数字を並べる。材料費。装飾費。衣装。消耗品。予備。――全部新品で揃えたら、間違いなく足りない。

「……あの」

考えるより先に、言葉が口をついて出ていた。

「それ、全部買う前提だと間違いなく大赤字になるよ」

 一瞬、熱気に包まれていた教室がしんと静まり返る。

「え?」
「赤字……?」

 怪訝そうな視線が集まるのを感じつつ、アイリスは淡々と続けた。

「衣装は制服をアレンジするのがいいと思う。
食器も、学園指定の業者を使えば割引があるし、装飾は実行委員の貸し出しか、使い回せるものを中心にした方が――」

 一気に捲し立ててから、アイリスはふと我に返った。クラスメイトたちが、少しだけ驚いたような、あるいは未知の生き物を見るような目でこちらを見ていた

「……そこまで考えてたの?」

 少しだけ、感心したような声。アイリスはペンを持ったまま、肩をすくめた。

 家訓として幼い頃からよく言い聞かされていた。お金は、あると思って使うとすぐになくなる。不自由はしていなくても、無駄に使う理由にはならない。

「お金の管理は得意なの」

 そう答えると、教室の空気が、ほんの少し変わった。

「じゃあ、アイリスが会計やってよ」
「それ、安心感ある」

 誰かが言い出し、誰かが頷き、気づけば、役割が自然に落ち着いていく。

(……流れで引き受けたけど)

 悪くない。こういう実務なら、嫌いじゃない。

 クラスの出し物は喫茶店に決まり、教室の空気は一段と明るくなった。

 準備が進む中、重い資材を運ぼうとアイリスが立ち上がった時だった。すっ、と横から手が伸びてきて、荷物がふわりと持ち上げられた。
 
「お嬢様。それは僕が」
 
 ルイだった。彼はいつの間にかアイリスの隣に控え、当然のように重労働を引き受ける。
 
「ありがとう、ルイ。でも、あなたもクラスの仕事があるんじゃ……」
「あちらは終わらせてきました。」
「……そう、なんだ」
 
 何故か、高鳴る。アイリスは少し顔を赤らめながらも、その頼もしい背中を見上げた。言葉にしなくても欲しいものが手元に来る、この心地よさ。
 
(やっぱり、ルイがいると助かるなぁ)
 
 そんな穏やかな空気の中、ふと誰かが声を潜めた。

「……殿下も、参加されるんですよね?」

 ぴたり、と。一瞬だけ、空気が止まる。ギルバート・ラカル・ルクレール。王族。王位継承権第二位。学園に在籍していても、どこか“別枠”の存在だ。

「え、殿下が喫茶店?」
「想像つかないわ……」

 ひそひそと、声が広がる。その時、扉の近くに背筋の伸びた影が立った。いつも通りの無表情。それだけで、教室のざわめきが一段落ちる。

「……騒がしいな」

 低い声。数人が慌てて背筋を伸ばす。

「ギ、ギルバート殿下。学園祭の準備で……」

 説明を聞きながら、ギルバートは軽く腕を組んだ。

「喫茶店、か」

 短く呟く。否定されるかと身構えた空気の中で、ギルバートは淡々と続けた。

「決まったなら、それでいい。俺も、この学園の生徒だ。役割があるなら命じろ」

 その言葉に、教室が再びざわつく。王族として特別扱いされることを当然と思っていた生徒ほど、戸惑いを隠せない。アイリスは、思わず彼の横顔をまじまじと見つめた。

(……ギル。あなた、ちゃんと参加するつもりなのね)

 意外だった。不器用でプライドの高い彼が、平民や格下の貴族も来るような場で働こうとするなんて。けれど、その生真面目さがどこか安心を誘う。

「メニューはどうする?」
「凝りすぎると大変よね」

 再び議論が回り始めると、自然と視線がアイリスに集中した。

「アイリスに任せれば間違いないでしょ」

期待の眼差しを受け、アイリスが「え、私?」ときょとんとする中で、ギルバートが短く口を開いた。

「……妥当だ」

 その一言で、クラスの決定は覆らぬものとなった。ギルバートの視線が自分に向けられていることに気づき、アイリスはわずかに瞬く。

「……全力を尽くします」

 そう答えると、彼はそれ以上何も言わず、小さく一度だけ頷いた。その様子を見て、友人たちが再び「あら、あのご様子……」とひそひそ囁き始めるが、今のアイリスにはそれに応える余裕はなかった。

 頭の中では、すでに実務的な思考が高速で回転している。

 甘すぎない焼き菓子。冷たい飲み物。原価が低く、手間がかからず、回転率がいいもの。

 ――そして。視線が、自然とギルバートに向く。想像した瞬間、吹き出しそうになるのを必死で堪えた。口元が緩みかけた、その時。

「何を考えている」

 ギルバートの低い声が、ピンポイントでアイリスに落ちた。

「効率的な動線を考えていただけです!」

 慌てて誤魔化すと、彼は怪訝そうに片眉を寄せただけだった。その、どこか噛み合わないやり取りが、逆に教室の緊張を和らげていく。

 ――学園祭。ただの行事のはずなのに。

 人の距離が縮まり、立場が揺らぎ、見えなかったものが、少しずつ顔を出す。その予感を、アイリスはまだ“楽しいもの”だと信じていた。

 

 週末。

 ギルバートの姿は、王城にあった。

 高い城壁。磨かれた石畳。幼い頃から慣れ親しんだはずの景色が、ここ最近、ひどく息苦しい。

 城下では、少しずつ治安の悪化が続いている。夜盗の噂。路地での小競り合い。違法な魔法薬に消えた人間の話。報告書は机の上に積まれているのに、城の中は、不自然なほど静かだった。

(……陛下は、何を考えている)

 即位してからの父は、動かない。問題を「大事にしない」ことを、選び続けている。

 会議で並ぶのは、いつも同じ言葉だ。
 ――様子を見よう。
 ――民を刺激する必要はない。
 ――今は、波風を立てる時ではない。

 それは正しい判断なのかと、問いは浮かぶ。だが、答えは返ってこない。部屋を出た、その時。廊下の向こうから、足音が近づいてきた。

「……戻っていたのか」

 兄だった。整えられた同じ色の髪。抑揚のない声。誰が見ても、“次の王”にふさわしい姿。

「学園はどうだ」
「変わりありません」
「そうか」

 兄の返事は、心底どうでもいいといった調子だった。
 だが、すれ違いざま、彼は立ち止まることなく言葉を継いだ。

「凡人とつるんでいるそうだな。あのような場所で」

 空気が、はっきりと凍りついた。ギルバートの背中に、鋭い視線が刺さる。

「……民の実情を知ることは、王族としての義務かと」
「言い訳だ。一族以外と深く関わるな。それ以上、お前の出来の悪さが知られたらどうする」

 淡々とした、慈悲のない口調。だからこそ、その言葉は刃のようにギルバートの自尊心を削っていく。

「民に媚びを売る暇があるなら、王族としての威厳を磨け。お前は自分の立場を全く分かっていない」

 ギルバートは無言のまま、拳を強く握りしめた。爪が手のひらに食い込み、痛みが走る。

「私は、正しさを――」
「正しさだと?」

 兄が、冷笑を浮かべて振り返る。

「そのお花畑のような理想論で、何が守れる。何を変えられる。……お前のような『出来損ない』が」

 胸の奥が、音もなく沈んでいく。

「無駄なことに時間を浪費するな。お前の代わりなど、いくらでもいるのだから」

 兄はそれだけを残し、冷徹な足音を響かせて去っていった。

 静まり返った廊下に、ギルバート一人が残される。
 王城は広く、美しく、完璧だ。
 ――だからこそ、耐え難いほどに息が詰まる。

(学園では……)

 王族であることを完全に忘れられるわけではない。誰もが距離を測り、慎重に接してくる。

 それでも、あそこには「役割」だけで自分を見ない連中がいた。意見を聞かれ、選択を求められ、時にはただの同級生として扱われる。名前を呼ばれることもあった。立場を脱ぎ捨てて、一人の人間としての考えを問われることもあった。

 王城では決して許されない、曖昧で、青臭い、けれど熱のある時間。それが、今のギルバートには――眩しすぎて、目を逸らしたくなるほどだった。

「……力が、欲しい」

 ぽつりと落ちた独り言は、壁に吸い込まれて誰にも届かない。窓の外、王城の巨大な影が、歪な形で城下へと長く伸びていた。

 誰もが心待ちにしている祭典の裏側で、確かに――破滅の歪みは、静かに、確実に広がっていた。



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