19 / 63
第17話 そういう選択も、嫌いじゃないよ
しおりを挟む「今日で終わりかぁ……」
誰かの名残惜しそうな声が、喧騒の向こうから聞こえてくる。昨日までの純粋な賑わいに、終わりを惜しむ焦燥が混じり始めていた。楽しみきらなければ損をする、そんな切実な空気が学園を支配している。
学園祭は、三日目――最終日を迎えていた。
それでも、朝から人の流れが途切れない。初日よりも、二日目よりも、校内ははっきりと“熱”を帯びている。
「いらっしゃいませー!」
アイリスは、猫耳喫茶店のカウンターに立っていた。
猫耳のカチューシャは、もうすっかり馴染んでいる。三日目ともなれば、恥ずかしさはとうに消えていた。
次々と入る注文。笑顔で行き交う生徒たち。昨日よりも、どこか必死だ。――今日で終わるから。
はじめての学園祭としては、完璧な空気だった。可愛い出し物。賑やかな声。浮ついた恋の話。
忙しさに追われていると、時間の感覚が薄れる。気づけばカウンターは満席で、順番待ちの列もできていた。クラスメイトたちは声を掛け合いながら、自然と役割を回していた。
ふと、通路の向こうで楽しそうに写真を撮り合う生徒たちが目に入った。
「ねえ、最後だし撮ろうよ!」
「二人で回った記念に、ほら!」
弾けるような笑い声。親密に腕を引き合う仕草。
その華やかな輪の外で、ルイは一歩下がって静かに立っていた。手伝いが必要になればコンマ一秒で動ける位置。けれど、生徒たちの輪には決して入ろうとしない。
(……従者だから、かな)
そう考えて、アイリスの胸の奥がわずかにちくりとした。分かっている。昨日のローズの言葉。身分としての正しい境界線があることも、彼が自ら線を引く理由も。けれど、楽しい場所であればあるほど、その「混ざれない距離」が残酷なほどくっきりと浮かび上がってしまう。
アイリスは注文票を手に取りながら、もう一度だけ、ルイの背中を見た。変わらず、真っ直ぐで、静かで。――少しだけ、脆かった。
昼を過ぎると、客足は少しだけ落ち着いた。
「今なら、交代できそうだね」
「じゃあ、次のシフトお願い!」
クラスメイト同士のやり取りが軽やかに飛び交う。その流れで、自然と話題も緩み、私情が混じり始める。
「ねえ、誰と回るの?」
聞き慣れた、学園祭特有の会話。
「アイリスは決まっているよね」
クラスメイトのひとりが、ふと笑いながら言った。
「あの黒猫くんでしょ」
少し考えて、アイリスはそれがルイを指しているのだと気づく。
「黒猫って、ルイのこと?」
「そうよ、ずっと一緒にいるでしょ」
悪気のない、純粋な好奇心。決めつけでも探りでもないその言葉に、アイリスはいつものように曖昧な笑みを浮かべた。
「従者だもの。仕事で一緒にいるだけよ」
言葉は軽い。いつも通りの調子。近くて遠い位置、ルイも同じように頷いた。
「……はい。従者としての務めです」
そう答えた彼は、完璧な従者の顔だった。けれど、その声はどこか、自分自身に言い聞かせるように硬い。
――これでいい。これが正しい。
ルイは内心で何度も反芻する。
クラスメイトたちの「安心するよね」「真面目だもんね」という無邪気な評価が、今の彼には少しだけ重たかった。
期待される「理想の従者」であらねばならないという義務感と、アイリスの隣に立つ資格なんて自分にはないのだという劣等感。その二つが、胸の中で軋み音を立てていた。
彼女の周囲には、常に人が溢れていた。王族の気配、名家の子息たち。それぞれが、それぞれの身分に見合った自然な距離で輪を作っている。彼女を守る守護は、すでに十分すぎるほど整っているように見えた。
ルイは、無意識に半歩下がった。アイリスの隣という特等席から自ら距離を取り、壁際の影に身を寄せる。
誰かに促されたわけではない。叱責されたわけでもない。ただ、そうしたほうが「正しい」と、彼の本能が告げたからだ。従者として、これ以上前に出る場面ではない。そう、自分で判断しただけだった。
学園祭は相変わらず賑やかで、華やかな音楽が途切れることなく流れている。焼き菓子の甘い匂い。果実酒の芳醇な香り。
――その中で。ふと、視界の端に入ったものがあった。人混みの中、一人の男が手にしていた小さな瓶。それを見た瞬間、ルイの胸の奥が、嫌な音を立てて跳ねた。
あれはただの飲み物だ。分かっている。記憶の中にある「それ」とは違う。けれど、過去の断片が、制御を失って勝手に浮かび上がる。
荒れた怒声。重たい、獣のような息遣い。濁った、暴力的な視線。喉の奥が、わずかに詰まる。
必死に呼吸を整えようとするが、心臓の早鐘が止まらない。十五歳の少年が抱えるにはあまりに重い、生理的な嫌悪と恐怖。
視線の先では、アイリスが楽しそうに笑っている。あまりにも無防備で、光に満ちた姿。
その光が強ければ強いほど、自分の足元に広がる影が濃くなっていくようで、ルイは吐き気を覚えた。
「……顔、暗いね」
背後から、軽い声が降った。振り返らなくても分かる。ロイド・ウィステリアだ。
「何か、御用でしょうか。ウィステリア様」
従者として磨き上げた声。感情を一切削ぎ落とした、いつもの調子。
「さあ」
ロイドは肩をすくめ、ルイの隣の壁に背を預けた。彼はルイの顔を覗き込むこともせず、ただぼんやりと虚空を眺めている。
「でも、君が今、選んでる場所は――たぶん、苦しいよ」
ロイドの視線が、ルイの握りしめた拳を一瞬だけ掠める。その視線に、ルイの心臓が大きく跳ねた。みっともない動揺の全てを見透かされている気がした。
「……何の話ですか」
「さあね」
警戒して睨みつけるルイに対し、ロイドは曖昧に笑った。
「今はまだ、分からなくていいと思うよ」
風が吹き、屋台の匂いが流れていく。学園祭の音が、また近づいた。
「それでも」
ロイドは、隣に並ぶことはせず、少し距離を保ったまま続ける。
「君は、そこを選ぶんだね」
ルイは答えなかった。答えられなかった。選んでいるつもりは、なかったからだ。ただ、そうするしかないと感じただけだった。
「……そういう選択も」
ロイドの声は、冷たさの中に不思議な柔らかさを孕んでいた。
「僕は、嫌いじゃないよ」
からかいでも、慰めでもない。評価に近い響き。ルイは眉を寄せる。
「……意味が、分かりません」
「だろうね」
あっさりとそう言い残し、ロイドは人混みの中へ戻っていった。ルイは、しばらくその背中を見送る。理解できない。繋がらない。
それでも――胸の奥に、冷たい予感だけが、静かに沈んでいった。
2
あなたにおすすめの小説
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた辺境伯様と一緒に田舎でのんびりスローライ
さら
恋愛
美人な同僚の“おまけ”として異世界に召喚された私。けれど、無能だと笑われ王城から追い出されてしまう――。
絶望していた私を拾ってくれたのは、冷徹と噂される辺境伯様でした。
荒れ果てた村で彼の隣に立ちながら、料理を作り、子供たちに針仕事を教え、少しずつ居場所を見つけていく私。
優しい言葉をかけてくれる領民たち、そして、時折見せる辺境伯様の微笑みに、胸がときめいていく……。
華やかな王都で「無能」と追放された女が、辺境で自分の価値を見つけ、誰よりも大切に愛される――。
仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!
ぽんちゃん
恋愛
――仕事で疲れて会えない。
十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。
記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。
そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?
記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛
三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。
「……ここは?」
か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。
顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。
私は一体、誰なのだろう?
働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』
鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。
だからこそ転生後に誓った――
「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。
気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。
「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」
――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。
なぜか気づけば、
・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変
・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功
・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす
・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末
「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」
自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、
“やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。
一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、
実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。
「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」
働かないつもりだった貴族夫人が、
自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。
これは、
何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。
夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。
男装の騎士に心を奪われる予定の婚約者がいる私の憂鬱
鍋
恋愛
私は10歳の時にファンタジー小説のライバル令嬢だと気付いた。
婚約者の王太子殿下は男装の騎士に心を奪われ私との婚約を解消する予定だ。
前世も辛い失恋経験のある私は自信が無いから王太子から逃げたい。
だって、二人のラブラブなんて想像するのも辛いもの。
私は今世も勉強を頑張ります。だって知識は裏切らないから。
傷付くのが怖くて臆病なヒロインが、傷付く前にヒーローを避けようと頑張る物語です。
王道ありがちストーリー。ご都合主義満載。
ハッピーエンドは確実です。
※ヒーローはヒロインを振り向かせようと一生懸命なのですが、悲しいことに避けられてしまいます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる