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四章 魔導師隊と幸せな夢
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しおりを挟む翌日、もう一度森の館に行ったが、アンドラクスが来た形跡はなかった。宿舎に戻ったルイは、昨日押収した品物をチェックして暇をつぶした。
だが夕方にはチェックも済んでやることがなくなり、地方軍の兵士になにか手伝うことがないか聞いた。すると水をくんできてほしいと言われ、大きな手桶を渡された。厩舎の掃除をしたら貯めていた水がなくなったらしい。
ルイは手桶を持って宿舎の横にある井戸に向かった。しかしルイは井戸で水をくんだことがなく、使い方がわからず途方に暮れた。一人ではどうにもならないので、仕方なくトレーニングに励んでいたギレットを呼び出した。
井戸について聞かれたギレットは目をぱちくりさせた。
「……ん? あ、なんで海の中に井戸があるかってことか? これは井戸というより海水を引いてきてそれを濾過する装置で……」
「違うよ。井戸の使い方がわからないんだ」
「え? 形は地上の井戸と同じだって聞いてたけど、違ったか?」
「同じだと思うけど、俺、井戸使ったことないんだ」
「は……? 嘘だろお前……生まれてから一度も水くんだことない奴がこの世界に存在するのかよ」
ギレットはルイのあまりの無知っぷりに唖然とした。
「そこの綱を引いて、桶を持ち上げるんだよ」
「これを引けばいいのか? あっ」
「馬鹿、途中で手を離すな! 最後まで引っ張り続けろ!」
「最後までって、どこまで!?」
「桶が手元に来るまでだよ馬鹿!」
ギレットは井戸に寄りかかって、ルイが水くみに悪戦苦闘する様を眺めた。ルイはなんとか一杯目の水をくみ、手桶に移し替えた。
「これを何往復もするのか。重労働だな」
「普通はこれを毎日やるんだよ。地上の王族ってみんなそうなのか? 一人でなにもできないじゃねえか」
「……たぶん、みんなこう」
「はあー、そりゃ何百年も気が合わないはずだわ。常識がなさすぎる」
ルイはなにも言い返せず、黙って宿舎まで水を運んだ。水がめに水を移すと、また井戸に戻って水をくんだ。
「ほら、がんばれ。早くしないと日が暮れるぞ」
「手伝ってくれないかなあ……」
「お前の仕事だろ。きっちりやれ」
ギレットはルイがあくせく働いているのがおもしろいらしかった。ルイはげんなりして綱を引いた。
不意に馬車が走る音が響いてきて、ルイは手を止めて広場を見た。広場には、水棲馬にひかせた海王軍の海馬車が三台停まっていた。
「あっ」
先頭の海馬車から降りてきた背の高い青年を見て、ルイはぱっと顔を輝かせた。
「ライオル!」
ルイの声に気づいたライオルはばっとルイのほうを向いた。そのまままっすぐ小走りにやってきて、ルイを思いきり抱きしめた。
「うわっ」
「よかった……!」
ルイはライオルの軍服の胸元に顔を押しつけられて息が詰まった。もぞもぞと背伸びをして肩口から頭を出すと、ライオルの肩ごしにギレットと視線がかち合った。
「やっぱりな」
ギレットは含みのある目つきで呟いた。ルイはライオルを押して逃れようとしたが、背中に回った腕はルイをがっちり抱えて離さなかった。ライオルはルイを腕の中に閉じこめたままギレットのほうを向いた。
「途中の町でたまたまここの伝令に会って、話は聞いた。犯人は逃げたそうだな」
「そうだ。ずいぶん来るのが早かったな」
「……お前がいてくれて助かった。ありがとう」
「うわ、生まれて初めてお前に感謝された……気色悪……」
ライオルはギレットを無視してルイの顔をまじまじと見つめ、眉をひそめた。ルイの唇は切れてかさぶたになっていて、右の頬には大きな青いあざができている。
「全員無事だと聞いてたのに怪我してるじゃないか。犯人にやられたのか? ほかに怪我は?」
「これはそのー」
「ライオル、誤解しないように聞いてほしいんだが、その怪我は俺のせいだ」
「……は?」
ライオルはルイを背中にかばってギレットに詰め寄った。
「え? お前がルイを殴ったのか?」
「操られてたんだよ……ルイには悪かったと思ってる。でもルイが俺の目を覚まさせてくれたから、殺さずに済んだ」
「ルイを殺せって言われたのか!?」
「ああ。逃げ出した俺とルイをアンドラクスが追いかけてきて、名前を呼ばれて操られちまったんだ。でもルイは本名じゃなかったから術にかからなくてな。それでいっそ消してしまおうと思ったんだろうな」
ライオルはギレットの説明にしばし固まった。
「……まて、整理させろ。まず、今回の犯人は例のアンドラクスなのか? 奴は名前を縛る魔術を使えるのか? で、お前はルイの名前が本名ではないことを知ったんだな?」
「その通りだ。アンドラクスについてはカリバン・クルスに戻り次第クントとオヴェンに報告するから、お前もそこで聞け。人目のあるところで話したくない。あとルイのことはこいつの口からすべて聞いた。お前、リーゲンスでずいぶんいろいろやったんだな。よく生きてたな」
ライオルは目を見開いて背後のルイを見た。ルイは小さくうなずいた。
「俺のことは全部話して理解してもらったから大丈夫だよ」
「いや、でも……」
「誰にも言わねえから安心しろ。俺のこともルイに話したから、お互い様だ。なっ」
ライオルは血の気が引いたようだったが、ルイとギレットが平気な顔で笑い合っているので、やや胸をなで下ろした。
「……ギレット、本当に頼むぞ。誰にも言うな。ルイの身が危うくなる……」
「もちろんだ。ルイがいなければ俺たち全員操られたままだったからな。恩を仇で返すような真似はしないさ」
ギレットはにっこり笑ってライオルの肩に手を置いた。
「だから安心しろよ、国王誘拐犯さん!」
「…………」
ライオルはどうしても不安を拭いきれない様子だった。
◆
ライオルが連れてきたのは第九部隊のカドレック班を含めた二班と、第一部隊の一班で構成された先遣隊だった。ルイとギレットはライオルからここにたどり着くまでのいきさつを聞いた。
カリバン・クルスの住人たちが姿を消したあと、カドレックは魔導でルイの居場所を探った。すると、かなり遠くにいるらしいということがわかり、ライオルは先遣隊を編成してその日のうちにカリバン・クルスを出発した。
ルイが離れたところにいたため、カドレックの力ではヴァフラーム地方方面としかわからなかった。だが近くまで行けばもっと詳しく調べられるので、ライオルはひとまずヴァフラーム地方を目指して海馬車を走らせた。
すると、補給のため立ち寄った途中の町で、キリキアからやってきた伝令と偶然はち合わせた。ライオルは伝令からいなくなった人たちが全員キリキアで無事に保護されていることを聞き、全速力でキリキアに急行した。海王軍本部に報告させるため、伝令はそのままカリバン・クルスに向かわせた。
カドレックやファスマーたちはルイの無事を喜んだ。ギレットは第一部隊の兵士たちに事のあらましを伝え、尊敬のまなざしを集めていた。
翌々日、二日遅れで本隊が到着した。広場はさらわれた人々を移送するための大きな海馬車で埋め尽くされ、遊び場を失った子供たちがぽかんとして眺めていた。ジクマリン家に道中の食料を工面してもらい、一行は帰路についた。
ルイはライオルやカドレック班と同じ海馬車に乗りこんだ。長方形の大きな馬車の中は広々としていて、座席がない代わりに床全体に絨毯が敷かれて自由にくつろげるようになっている。エラスム壁の窓はすべて内側を板戸で閉じられるようになっていて、ルイは板戸を一つ開けて外の景色を眺めて過ごした。
四頭の水棲馬がひく海馬車は、海面から一定の距離を保って進んでいった。海中師団の御者は海流を熟知していて、ときどき海底付近まで潜ったりしながら速度を維持している。泳ぐ魚を眺めて楽しんでいるルイを、カドレックたちはほほえましく見ていた。
「あっ! なんだこれは」
不意にライオルが大きな声をあげた。ライオルは座ったままルイが着ていた夜着を両手で持ち上げて広げていた。丈の長い夜着は裾から足の付け根近くまで派手に破られている。
「ルイ! 誰に服を破かれたんだ!? まさかこれもあいつに……」
「それは自分で破いたんですよ、隊長。走りにくかったので」
ルイは窓枠に肘を突いて頬杖をついたまま答えた。ライオルは口端を引きつらせた。
「お前……まさかこんな格好でキリキアの町を歩いたんじゃないだろうな」
「歩きましたよ。ほかに着るものもなかったですし」
「本当にこれで人前に出たのかよ……」
「うるさいな、そんなに文句言うならこんな動きにくいもの買ってくるなよ」
ルイがいらっとして言い返すと、海馬車内の空気が変わった。カドレックは頭を抱えた。
「あれ? どうしたんですかカドレック班長」
ルイが話しかけるとカドレックは顔を赤くして首を横に振った。
「班長? なんで赤くなるんですか?」
ルイがたたみかけると、カドレックはいやとかそのとか意味のない言葉を口にした。ルイがなおも話しかけようとするのを、ファスマーが遮った。
「ルイ、あまり班長を困らせるな」
「俺なにかまずいことを言ったか?」
「ううん……いや、なんでもない。お前はそのままでいてくれ。……あ、ほら、海豚が通ったぞ」
「えっどこ?」
ルイはファスマーに促されて再び窓から海の景色を眺めた。
ライオルが破れた夜着を乱雑に麻袋に突っこんだので、カドレック班一同はなにも見なかったことにした。あんな脱がしやすい紐で留めるだけのひらひらの夜着は目の毒だった。
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