風の魔導師はおとなしくしてくれない

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五章 風の吹く森

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 翌日、目を覚ましたときはすでに昼だった。ライオルの姿はなく、いつの間にか体はきれいになっていた。ルイは疲労と昨晩の淫行のせいで動く気になれず、今日は一日部屋で体を休めることにした。

 テオフィロはフェイのために巣箱を用意してくれた。両手で抱えられるほどの木箱の中にははぎれが詰められ、森の生き物だからと落ち葉がたっぷり入れられている。フェイはさっそく巣箱に潜りこみ、落ち葉を山と盛って温かそうな寝床をこしらえた。ルイはフェイががさごそする様子を眺めてのんびり過ごした。

 二日間の休みを経て、ルイは仕事を再開した。五日ぶりに朝の王宮に向かい、外壁の上から風をカリバン・クルスじゅうに渡らせた。風の吹く森では呼吸するくらい簡単に風を起こせたが、カリバン・クルスではそうもいかない。やや勘が鈍っていつもより力が入ってしまい、息を切らせてしまった。

 なんとか仕事を終えて側防塔を下りると、回廊を歩いてきたゾレイと出くわした。ゾレイはルイを見つけると一目散に走ってきた。

「よかった会えた! ルイ、聞いてくれ!」

 ゾレイは満面の笑みだった。

「あの森で見つけた紋章、やっぱり風の紋章だったよ! 王宮魔導師会に報告して紋章を精査してもらったんだ! 大発見だとほめられたよ!」
「えっ、本当に?」
「うん! これから王宮魔導師会でさらにあの紋章を研究して、仕組みがわかったら風の魔導具の開発を始めることになりそうだよ。でも僕たちは風の魔導は不得手だから、ルイに手伝ってもらえたらとても嬉しいんだけど」
「ああ、もちろん……」

 ルイはゾレイの勢いに押されてうなずいた。だが、風の魔導具が開発できるとの報告はルイにとって喜ばしいものではなかった。

「風の魔導具ができれば、俺はもういらないな」

 そう言ってルイが笑うと、ゾレイは不思議そうな顔をした。

「なに言ってるの? 魔導具と魔導師は全然違うよ。この僕ですら風の魔導は使えないんだから、きみは必要に決まってるでしょ。ただ、きみばかり毎日仕事しなくてもよくなるってだけだよ」

 ルイは面食らった。そんな風に考えたことはなかった。風が吹かない海の国だから自分は大切にされているのであって、風が吹くようになってしまえばお役ご免だとばかり思っていた。だがそれはルイが勝手に思いこんでいたことで、実際のところはゾレイの言う通りなのかもしれない。

「だから、自分の手柄がなくなるのにライオルも喜んでいたのかな……」

 ルイがぽつりと呟くと、ゾレイは困ったように笑った。

「ああ、きみは手柄のためにライオル様に大事にされていると思ってるんだったね……ライオル様はきみのために喜んだに違いないよ。きみは大して魔力量が多くないからこの仕事も大変でしょ? ルイ、いい加減にライオル様のことを信じてあげなよ。とても優しい方じゃないか」
「信じてないわけじゃないけど、理解できなかったと言うか……」
「きみって本当に子供だね。あの方の愛情を受け止める覚悟がないだけじゃないの? きみ、ずいぶん箱入り育ちみたいだけど恋愛したことはある?」
「そんなにずけずけ言うなよ……」
「だってライオル様がお気の毒だもの」

 ゾレイはこれ見よがしにため息をついた。ルイはいろいろと耳が痛くて言い返せなかった。箱入り育ちなのは確かだし、おかげで恋愛経験もないに等しい。ライオルの言葉をうがった見方でしか受け取れないのも、目をそらしているだけに過ぎない。

 今までルイに近づいてくる人は、ルイに危害を加えようとする者か、ほかの人の利益のためにふところに入りこもうとする者しかいなかった。ライオルはルイを裏切ってさらうためにルイに近づいた。しかし、ライオルはずっとルイを守り続けてきた。それはルイもわかっている。

 リーゲンスの城を離れてカリバン・クルスで暮らしていくうちに、ルイは人を信頼してみようと思い始めていた。裏切られることを怖がらず、自分をさらけだしてみようと思えるようになっていた。

「わかったよ、ちゃんと考えてみるよ」

 ルイが言うと、ゾレイは生徒をほめる教師のような笑みを浮かべた。

「それがいいよ。僕はこれから馬車で帰るけど、一緒に行く?」
「あ、その前によるところがあるから。またね、ゾレイ」
「わかった。じゃあね」

 ゾレイと別れ、ルイは前庭とは逆方向に歩き出した。向かうは西門近くのエディーズ商会の荷下ろし場だ。この時間ならクウリーがいるはずだった。



 エディーズ商会の荷下ろし場では、いつも通り商会の馬車が停まっていて、従業員が荷物を運んでいた。一人の従業員に声をかけると、クウリーは中にいると教えてくれた。

 ルイは建物の中に入り、広い荷物倉庫を抜けて奥の応接室のドアを開けた。中ではクウリーが一人でソファに座ってのんびり新聞を読んでいた。クウリーはルイを見ると新聞を置いて立ち上がった。

「ルイ! 来たのか。遠征に出るって聞いてたから、しばらく来ないと思ってたよ」
「三日前に帰ってきたんだ。昨日と一昨日はよく休んだし、今日からまた仕事だよ」
「ふうん、働き者だね」

 クウリーはルイにソファを勧め、いったん部屋を出てからグラスを一つとジュースの瓶を持って戻ってきた。クウリーは桃色のジュースをグラスに注ぎ、ルイの前に置いた。

「お菓子がなくてごめんね。でもこのジュースもおいしいよ」
「ありがとう」
「こちらこそ、わざわざ話をしに来てくれてありがとね」

 ルイは甘いジュースを一口飲んだ。クウリーは流れる銀髪を耳にかけ、嬉しそうに話し出した。

「このあいだ、城では青い顔料が重宝されているって言っていただろう? 最近原料になる宝石がなかなか手に入らないって。だから先日、海の森で採れる石化したヒドノルの木をフルクトアトに持っていってみたんだ。枯れて年月が経って石化したヒドノルの木は、きれいな深い青色になるんだよ」
「へえ、そんなものがあるんだ」
「柔いから加工品には向かないけど、砕いて顔料にするならもってこいの代物さ。それがとても喜ばれてね。高値で買い取ってもらえることになったんだ。きみの情報のおかげだよ」
「それはよかった」

 クウリーは上機嫌でうなずいた。

「今後もヒドノルの木をたくさん仕入れることになりそうだよ。城で欲しがっている人がいるんだって」

 ルイの心臓が跳ねた。先日は緊張していて自分からはなにも言えなかったが、今のクウリーならルイの質問に答えてくれる気がする。

「クウリー、聞いてもいいかい」
「なんでもどうぞ」
「リーゲンスの城は今、どうなってるかわかる? イオンはどうしているだろうか……」
「ああ……」

 クウリーの顔から笑みが引っこんだ。ルイはいやなことを聞いてしまったかと身構えた。エディーズ商会カリバン・クルス支部長であるクウリーにとって、従業員らを殺したサルヴァトのいた城の動向など、楽しい話題ではない。

「イオン・ダグナ・リーゲンスは女王に即位しているよ。すでに戴冠式も済み、近隣諸国の王族と使者を招いて祝いの席も設けたらしい」

 ルイはぱっと口を手で覆った。発作的に泣き出したくなり、歯をかみしめてそれをこらえた。ルイがいなくなってから、リーゲンス国にも時間が流れたのだ。クウリーはルイの様子を見ながら、話を続けた。

「……だが最近女王は人前に出ない。具合が悪いそうだ」
「えっ、イオンが病に?」
「きみを失ったことがだいぶこたえたらしい。心労がたたったんだろう。詳しいことはわからないが、姿を見せなくなってもうだいぶ経つ。よくはないんだろうな」

 ルイは頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。目の前が真っ暗になった。第一王位継承者だったイオンを差し置いて玉座を得て、彼女の身代わりに海の国に来ることになったのは、正しい選択だと思っていた。

 だが、自分のせいでリーゲンスに残した姉は病に倒れてしまった。ルイが海の国でのんきに暮らしているあいだにも、イオンは床に伏して苦しんでいたのだ。自分の考えの至らなさに、ルイは深く後悔した。

 剣術も馬術もたしなむイオンは、強く勇ましい女性だと思われがちだったが、実際は思慮深く思いやりのある女性だ。母を亡くしてから城で孤独だったルイに、愛情を向けてくれた唯一の人だ。イオンは優しいがゆえに思い悩むこともよくあった。決して強くはなく、繊細な心の持ち主だった。

 青い顔でうつむくルイを、クウリーはじっと見つめていた。クウリーは小さな声で、だがはっきりと言った。

「リーゲンスに帰してあげるよ、ルイ」

 ルイは驚いて顔を上げた。クウリーは真剣な目をしていた。

「そんなことができるのか……?」
「できる。積み荷の中に隠れて海馬車に乗ればいいだけだ。俺なら造作もないことだよ」

 クウリーはテーブルを回りこんでルイの前にしゃがみ、ルイの震える手を握った。額がぶつかるほど近くでクウリーはささやいた。

「きみは本来いるべき場所に帰ったほうがいい。いきなり知らないところに連れてこられて仕事をさせられて、辛かっただろう? サルヴァトは憎いが、きみのことは好きだ。だからきみが家族と離ればなれにさせられているのは、黙って見ていられない」

 クウリーはちょっと逡巡してからそれに、と付け加えた。

「正直に言うと、きみがリーゲンスにいてくれたほうが俺は商売がしやすいんだ。こうやって知り合えたわけだし、きみは俺の知らないことを教えてくれるし。だからきみが無事にリーゲンスに戻って、エディーズ商会ともっと貿易をしてくれたら嬉しいなあと思ってる。ごめんね、こんな理由で」
「いや……」
「きっと女王もきみが戻れば元気になるよ。リーゲンスとは片がついているし、タールヴィもまた争いの火種をまくようなことはしないはずだ。城まで行ければ大丈夫だよ」

 ルイは思ってもみなかった提案にどきどきした。もう二度とリーゲンスの地を踏むことはなく、イオンと会うこともないと思っていた。だがクウリーの力ならあっけなくリーゲンスに帰すことができると言う。千載一遇の機会だった。

 ルイは自分の姿を見下ろした。濃灰色の海王軍の軍服を着て、支給された剣を腰に差している。海中で息ができないことを除けば、ルイはすっかり海の国の住人だった。リーゲンスではついぞ得られなかった友人や、共に戦う仲間もいる。祖国に帰ってしまえば、こちらで出会った人とは二度と会えなくなる。ライオルともお別れだ。

 しかし、小さい頃から一緒だった姉はルイにとって特別な存在だ。イオンがいなければ、ルイはあの薄暗い感情の渦巻く城で生きのびられたかもわからない。

「クウリー」
「うん」
「……ちょっと、考えさせてくれないか。ここを去るには、いろいろ準備しておかないといけないし……」
「それもそうだ、しばらく暮らしたんだから。いいよ、待ってるから考えておいで。三日後にまたここに来るから、それまでに決めておいてくれ」
「わかった。ありがとう」

 ルイは礼を言って席を立った。クウリーは憔悴しているルイを馬車の待つ前庭まで送っていった。ルイはカリバン・クルス基地に向かう馬車に揺られながら、海が透けるエラスム泡の空を見上げて故郷に思いを馳せた。
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