風の魔導師はおとなしくしてくれない

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七章 タールヴィ家とイザート家

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 喫茶室の場所を聞きそびれてしまったので、ルイは誰もいなくなった廊下をうろうろしていた。すると第一部隊の隊員二人と出くわした。向こうもなにかを探しているようだ。

「きみたちも喫茶室を探してるの?」

 ルイが言うと、二人は変な顔をした。

「……違うけど」
「なんだ、違うのか」
「お前、喫茶室に行きたいのか? 喫茶室は脱衣所を出てすぐ左の奥だぞ」
「えっ、そうだったのか。ありがとう」

 喫茶室は食堂とは違い奥の建物ではなかったようだ。ルイは渡り廊下を通って大浴場のほうに引き返した。中庭ではまだどんちゃん騒ぎが続いている。

 喫茶室ではギレットがテーブルで冷たいお茶を飲みながらルイを待っていた。

「遅い」
「ごめん」
「先に出ていったのになんでお前のほうが遅いんだよ」
「道に迷ってた」
「この距離でどうやったら迷えるんだよ……やっぱりよくわからん奴だな」

 ルイはギレットの向かいの椅子に座った。小さな喫茶室にほかに客はおらず、ひまそうにしていた従業員がやってきてルイに注文を聞いた。ルイはアイスクリームを頼んだ。

 ほどなくして、ガラスの器に盛られた橙色のアイスクリームが運ばれてきた。スプーンですくって食べると、濃厚なオレンジの味が口いっぱいに広がった。ギレットはアイスクリームをしゃくしゃくと一心に食べるルイを眺めて笑った。

「お前は甘いものが好きなんだな」
「まあね。ほかの皆はビールがいいみたいだけど、風呂上がりにはアイスクリームのほうが合ってると思う」
「はは、いいなお前は。お前はさっきの奴みたいにビールで気分よくして娼婦を呼んだりとかは絶対しなさそうだ」
「え……ここに娼婦を呼んだ奴がいるのかよ」

 ルイは眉間にしわを寄せた。ギレットはグラス片手に苦笑いした。

「ああ、あの二人はそれぞれお気に入りの娼婦がいるからな……嬉しそうに到着を待ってやがった。カリバン・クルス大衆浴場で娼婦呼ぶ奴は多いけど、ここはブルダ大浴場だぞ? ちょっと遠慮してほしいよな。仕事は終わってるから俺に口出しはできないけど」
「えっ、カリバン・クルス大衆浴場ではよくあるのか?」
「ああ。あそこは泊まれる部屋も多いから。安いしな」

 ルイはその手の情報に疎いが、子供だと思われるのもしゃくなので、適当に相づちを打って再びアイスを食べだした。だがあることに気づいてぴたりと手を止めた。

「……ギレット。その二人ってもしかして奥の建物に行った?」
「たぶんな」
「……さっき奥の廊下でユーノと会ったんだ。ここで働いてるんだって」
「えっ」
「宿泊部屋のタオルを取り替えたら仕事が終わりだって言ってたんだけど、その二人と会ったら面倒なことになりそうじゃないか?」

 ギレットはグラスをテーブルに置いて立ち上がった。

「あの女好きがユーノほどの美人をほっとくはずがない……非常に面倒なことになりそうだ」

 ルイとギレットは喫茶室を飛び出し、渡り廊下を疾走して奥の建物に入った。広い廊下はしんとして人の気配がない。

 そのとき、二階から誰かが走り去る音が響いてきた。ルイは赤茶色の絨毯が敷かれた階段を駆け上がった。

 二階の廊下にも絨毯が敷かれ、等間隔に片開きのドアが連なっていた。そのうち一つのドアが開かれていて、ドアの前でユーノがライオルにしがみついて震えていた。ユーノの足元にはタオルの入ったかごが横倒しになって転がっている。

 ルイは思わず階段の影に身を隠した。ライオルは訓練のあとも仕事が残っているからと執務室に残ったのに、いつの間にか来ていたらしい。到着したばかりなのか、まだ昼間と同じ軍服を着ている。

「もう大丈夫だから」

 ライオルはユーノの頭に手を置いて優しく言った。ルイを追ってきたギレットは、その声を聞いてルイの後ろで立ち止まった。

 案の定ユーノは娼婦を待っていた二人とはち合わせ、下品な声をかけられるかなにかされてしまったようだ。そこにライオルがやってきて二人を追い払ったのだろう。

 ユーノはよほど怖かったようで、ライオルの胸元から顔を上げようとしなかった。ユーノはか細い声でなにか言った。ライオルはユーノの頭をくしゃりとなでた。

「わかったよ。そばにいるから、安心しろ」

 ルイは息が止まった。その優しい声はまるで……。

 ギレットはいきなりルイを後ろから両手で抱えて持ち上げた。ギレットはルイを抱えたまま静かに階段をおり、ルイを下ろすと腕をつかんで無理やり喫茶室まで歩かせた。

 喫茶室に戻ったルイは、ぼーっとして今見たことを反芻していた。頭が真っ白になり、椅子に座る気にもならなかった。

 ルイは悲しみで胸が張り裂けそうだった。ライオルがほかの誰かを抱きしめることがあるなんて、想像だにしていなかった。だが、いつもルイの頭をなでてくれていた手は、いつの間にか婚約者のものになってしまっていた。

 ゾレイの言う通り、早くライオルのことを受け入れていれば結果は違ったのだろうか。しかし今さら悔やんでももう遅い。

「そんな顔をするな」

 立ちつくすルイにギレットが声をかけた。

「お前はここにいて、俺が様子を見てくればよかったな」
「いや……」
「座れよ。アイスクリームが残ってるだろ」

 ルイはギレットに肩を押されて椅子に座らされた。半分溶けたアイスクリームの残りを食べたが、まったくおいしく感じない。二人はしばらくのあいだ、会話もなく黙って向かい合っていた。

「無理に奴のそばにいなくてもいいんだぞ」

 ギレットが言った。

「あんなの見たあとじゃいやだろ?」
「でも俺にはどうしようもないし……」
「だから、俺のところに来ればいいだろ。別にずっといろって言ってるわけじゃない。気が済むまでいて、ちょっと気分を変えたらどうだ」
「……いきなり行ったら悪いだろ」
「お前一人くらいどうとでもしてやるよ。あいつのところにいるよりましだろ?」

 ルイが顔を上げると、ギレットはいつになく優しく笑った。

「俺はお前が来てくれたら嬉しいけど。お前の事情は全部知ってるから、愚痴でもなんでも聞いてやるよ。こういうことは人に話すとすっきりするんだぞ。お前にそんな顔させる奴をこらしめてやろうぜ」
「ギレット……」

 ルイはギレットの気遣いがとても嬉しかった。ライオルが嫌いだからだとしても、ギレットの優しさはルイの壊れそうな心によく沁みた。ライオルのところを離れるのはいやだったが、ライオルとユーノが仲良くしているのを見るのはもっといやだった。

 ルイが逡巡していると、喫茶室の入り口からライオルが顔をのぞかせた。

「あ、こんなところにいた」

 ライオルはいつもと変わらない調子でルイのところに歩いてきた。ルイは勢いよく椅子から立ち上がった。

「風呂には入ったんだろ? 帰るぞ」

 ライオルは動かないルイに手を伸ばした。ルイはその手を振り払った。

「ルイ?」

 ライオルはきょとんとしてルイを見つめた。ルイは誰にでも優しいその手がうらめしかった。

「……帰りたくない」
「なに言ってるんだ。もう夕飯の時間だぞ。ビールが飲みたいならテオフィロに言えばいいだろ」

 ルイは下唇をかみしめた。

「違う」
「なにが?」
「お前のところに、帰りたくない……」

 ライオルの顔が引きつった。

「……急になんだよ。なにを怒ってる?」
「怒ってない」
「ルイ、ちゃんと話を――」
「うるさい、聞きたくない」

 ルイは再び伸ばされた手をよけて後ずさった。ライオルは行き場を失った手を上げたまま固まった。

 なりゆきを見守っていたギレットが不意に立ち上がった。

「行くぞ、ルイ」

 ギレットはルイを手招きした。ルイはギレットに駆け寄った。

「ルイ、お前……」

 ライオルは目を見開いた。ルイはライオルを見たが、すぐに目をそらした。ギレットはルイを連れて喫茶室を出た。

「じゃあな」

 ギレットは最後にライオルにひらりと手を振った。
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