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第2章 南郡平定戦
閑話17 マリアンヌ・オムルカ(オムカ王国 第1王女)
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見るものすべてが新鮮だった。
馬上から見る暗夜の大地。
陽が昇った後の輝くような草原。
遠くに見える巨大な山々。
知らない街。知らない人々。知らない世界。
それらすべて。
さらに川というものを始めて見た。
バーベルに流れているのも川だけど、それがちっぽけに見えるほどの大河。
だがさらに驚いたのが、ニーアの言葉だった。
「これでも小さい方です。支流ですし。私がシータ王国に行った時には、この何倍もの川幅を持つものでした。さらにウォンリバーなど対岸が見えないほどの巨大なものもあります。……よく覚えてませんが」
と、少し青ざめた様子でニーアは説明してくれた。
その内容にも驚きだったけど、それ以上にニーアの様子が気になった。
もしかして体調が悪いのかと心配したところ、
「い、いえいえ、全然元気です! ほら、女王様だって持ち上げられます! っと、失礼しました。……そ、それでは、ふ、船に乗りましょうか」
ちょっと様子がおかしいと思ったものの、初めて見る船という巨大なものに心を奪われてそれどころではなかった。
だってあんな大きなものがどうして水に浮くのか。
それが不思議で不思議でたまらなかったから。
だから我ながら子供みたいだと思うけど、船の甲板をあっち行ったりこっち行ったりと落ち着きなく走り回った。
それを老夫婦に見られて笑顔を向けられた時には少し戸惑ったけど、こちらも笑顔を返すと嬉しそうに頷いてくれた。それだけなのに何故か自分も嬉しかった。
そして船が出航したら、更に驚きが増した。
流れる景色。吹き付ける風。それを五感で感じるこの身のなんと幸せなことか!
けど、そんな自分のことばかり考えていたのがいけなかった。
「ニーア、大丈夫かの?」
甲板でぐったりしているニーアに声をかける。
「うぅ……すみません……」
「い、今、人を呼んでくるのじゃ!」
「あ、いえ――」
ニーアの制止を振り切って、手当たり次第に声をかける。
ここでニーアに倒れられたら、何をしたらいいか全くわからない。その不安が、知らない人に話しかけるという勇気ある行動を可能にしていたのだろう。
話しかけた相手が、ちょうど船員さんだったらしい。
ニーアのことを伝えると快く応じてくれた。
そこで初めて船酔いというものを知った。
船に乗るとそうなるというが、なる人とならない人がいて、なった人も船を降りればすぐに良くなるという。不思議なものだと思った。
それでもニーアが倒れているのには困ってしまった。
早く船が止まって欲しいと思う反面、この新体験をいつまでも続けていたいという反する思いがせめぎ合う。
ニーアを置いて船旅を楽しむということに罪悪感を覚えるのと同時、もしかしたら船酔いという病気ではなく、何か別の病気にかかっているのではと考えてしまうと居ても立っても居られない。
けど自分にはニーアの横に付き添うしかできないわけで。己の無力さを感じるしかなかった。
船が止まったのはかなり時間が経ってから。
乗った時は真上にあった太陽が、今では赤く染まって山の奥へ消えようとしていた。
ふらつくニーアを支えながら船を降りる。
けどそこで途方に暮れた。
昨日の宿も、船に乗るのも全てニーアがやってくれた。
自分1人ではどうすればいいかもわからない。
そんな時に声をかけてくれたのが先ほどの船に乗っていた老夫婦だった。
事情を聞いた2人は親切にも、宿の手配をしてニーアを休ませてくれた。お礼を、とニーアが持っていた財布から金貨を渡そうとするが固辞された。
その一連の出来事が、これまでの旅の中で一番心に響いた。
やはり皆仲良しがよいのじゃ。
そうすればこうやって助け合って笑顔になれる。
だからこそ、ジャンヌの言動が悲しい。
なんでそんなことを言うんだと思ってしまう。
同時に自分の言動も腹立たしい。
なんであんなことを言ってしまったのだと思ってしまう。
もっと歩み寄ることができたのでは。
もっとちゃんと話し合えたのでは。
もっと冴えたやり方があったのでは。
そんなことを思いながら、眠りについた。
「昨日は申し訳ありませんでした」
翌日、ニーアは少し復調したようだったので、宿を引き払った。
本当はもう少し休んでいった方が良いのでは、と言ったけどニーアは先を急ぎたそうなので嫌とは言えなかった。
ニーアの体も本調子ではなさそうだったので、ドスガ王国までの道のりは馬車を使った。ごとごとと揺られていく馬車はまた新鮮だったけど、あまり乗り心地はよくなかった。
朝に出発して陽が真上に来た頃。
急に馬車が止まった。
何事かと思い、幌をあげて外を見れば、黒一色に染められた甲冑をまとった一団に包囲されていた。
「そこの馬車よ、停止せよ!」
中央にいる甲冑の男の声。
黒ひげを蓄えた大きな男。
その男と目が合ったような気がした。
「そこにおられるはオムカ王国女王とお見受けいたす。我が名はドスガ王国四天王筆頭ジョーショー。貴女をお迎えに上がりました」
ドスガ王国四天王!
何故そんな人間がここに?
完全武装の相手を見る限り、友好的な会話は望めそうにない。
それよりどうやって自分がここにいたことを知ったのだろう。自分は誰にも言わずこっそり抜け出してきたというのに。こうも待ち受けるような形で……。
その時、見た。
四天王のジョーショーという男の横に、あの老夫婦がいたのを。
瞬間、理解した。
理解したくないのに、思いついてしまった。
あの老夫婦はドスガ王国の者で、
オムカ王国を探るためにあの船着き場のある街に潜み、
そして自分を見つけたから一緒に船に乗り込み、
自分たちに宿を手配する親切を見せて一泊させ、
その間に老夫婦は先行して軍に知らせた。
そんなことを思いついてしまった。
ありえない。
ありえなさそうけど、ジャンヌならそれくらいは考えそうだった。
1年もないジャンヌの活躍を聞くうちに、自分も少し考え方が変わったのだろうか。
それは衝撃だった。
こんな人を疑うような考えを自分がすることに。
けど現実は、目に見える光景はそれが真実だと如実に物語っている。
何が真実で何が嘘か。
考えがまとまらない。思考を拒否する。
体から力が抜ける。膝をついた。
もう何もできない。何も考えられない。
だから成すがまま。流れに身を投じようとした時、
「女王様。おさがりください」
「ニーア……」
「経緯は分かりませんが、状況は理解しました。御者は逃げたようですね。好都合です」
「なにを、するつもりなのじゃ?」
ニーアのただならぬ気迫に、思わず聞いていた。
先ほどまでうんうん唸っていた人間とは同一人物とは思えない変貌。
「私が敵を引きつけます。女王様はその間に馬で逃げてください。方角は南西。ひたすら駆ければジーン師団長のいるフィルフ王国につくはずです」
「それは……嫌じゃ。ニーアも一緒に来るのじゃ!」
何も知らない異国の地。それを自分独りで駆け抜ける。
そんな恐ろしいこと、自分ができるとは思わなかった。
けどニーアがいればできる気がする。
でもニーアがいなければ、そもそもここを突破できない。
痛感する。
自分は本当に無力だ。
何もできない。
何も知らない。
何も分からない。
けれど今そんなことを思っても何も状況は改善しない。
むしろ悪化した。
「では、行きます」
「あ、ニーア!」
ニーアが抜き身の剣を手に、馬車を飛び降りた。
伸ばした腕は空を切り、ニーアは着地すると同時に駆ける。
止められなかった。
一緒に逃げようと言えなかった。
「ぎゃっ!」
赤が舞った。
ニーアが鎧の敵を切り捨てたのだ。
「ええい、そ奴を討ち取れ!」
黒ひげの男が叫ぶ。
同時に十数人の鎧の兵が動き出した。
ニーアが殺される。
それはこの上ない恐怖として自分を襲った。
もういいのじゃ。逃げよう。
そう一歩踏み出そうとするが、
「女王様!」
2人目を切り倒したニーアが叫ぶ。
その声に足が止まる。
ニーアは自分を逃がすために戦っている。
それならすぐに逃げるのが自分のやることではないのか?
そう思った。
思ってしまった。
だから自分は戦うニーアをしり目に、馬車を引く馬に飛び乗る。
荷車が邪魔。けど走り出せば何とかなる。
そう思った。
けど――
「くっ!」
ニーアの悲鳴に振り向く。
今のニーアは鎧を着ていない。
グレーの簡素な服。その左肩の辺りに黒い染みが出来ているのが見えた。
「ニーア!」
「女王様、早く――っ!」
また斬られた。
ニーアが死ぬ。
嫌だ。怖い。辛い。悲しい。苦しい。痛い。
もう嫌だった。
半年前。あの独立戦争であんなに人が死んだのに。また人が死のうとしている。
もういいではないか。
もう十分ではないか。
なんで皆、仲良くできないのか。
なんで皆、争いばかりするのか。
でもそれは――まさしく自分に帰ってくる言葉。
『この嘘つきジャンヌ!』
自分だ。
自分が仲良くしていない。
自分が争ってばかり。
ひどい話だ。
自分がまったく出来ていないことを、他人に強要しようとするなんて。
本当に最低な人間。
今もそう。
ニーアを犠牲にして、自分だけ助かろうとしている。
ニーアを見捨てて、自分だけ逃げようとしている。
自分のせいなのに。
自分がわがままをいったからこうなったのに。
なのに自分だけ――一体どんな顔をして生きればいい?
嫌だ。
そんなの嫌だ。
これは自分の撒いた種。
ならば自分が収めなければ。
そう思うと、もう止まらなかった。
「余はオムカ王国第37代国王マリアンヌ・オムルカじゃ! 双方とも剣を収めよ!」
自分でも驚くほどの大音声。
辺りが静寂に包まれる。
満身創痍のニーアが、驚いた表情でこちらを向いている。
地面に倒れ伏すドスガ王国の兵は10にくだらない。その仇を討たんと、敵の兵は驚きつつも敵意を隠さない。
だからそれを止めるためにも、自分は覚悟を示さなければならない。
腰に差した護身用の短剣を引き抜くと、それを自分の喉元に突き付ける。
「もしその者を殺すのならば、余は自裁する。それでもいいならその者を殺すがよい」
嫌だ。死にたくない。怖い。痛そう。苦しそう。やめて。こんな怖いことは。もう嫌。だから。早く。
「ひ、退け! 貴様らは手を出すな!」
四天王の男が慌てて声を荒げる。
安堵が胸を満たす。
けどそれを表に表すことはできない。
「女王。我々としては貴女に危害を加えることはできません。ドスガ王より丁重にお迎えせよと受けておりますので」
「ではこの後も余とニーアに危害を加えぬことを約束するか?」
「…………もちろんでございます」
本心としては部下を斬られた恨みはあるのだろう。
けどそれを飲み込んで男は頷いた。
それを聞いて短剣をしまう。
足ががくがく震えて、立っていられないような恐怖が今さら襲ってきた。
それからはもう、起きたことをただ受け止めるだけだった。
荷車にニーアともども押し込められて、ドスガに向かう。
血まみれのニーアは、朦朧とした様子で倒れてしまっている。
取り急ぎ、荷物に入れた緊急用の救急箱が役に立った。薬をニーアの傷口に塗り、それを包帯できつく縛っていく。
手当てなんてよく分からない。
けど死んでほしくない、その一心で薬を塗って包帯を巻く。
それが終わってしまえば、自分にやることはない。
ただ荷車の中でぼうっと過ごすしかない。
襲ってくるのは後悔。
どうしようもない自責の念。
ニーア。すまないのじゃ。
そしてジャンヌ……。余の我がままでこんなことになって……すまぬ。
もう二度と会えないだろう人物を思い出し、空を見上げる。
幌に隠れて何も見えない。
この窮屈さは、自らの心を代弁しているようで苦しかった。
馬上から見る暗夜の大地。
陽が昇った後の輝くような草原。
遠くに見える巨大な山々。
知らない街。知らない人々。知らない世界。
それらすべて。
さらに川というものを始めて見た。
バーベルに流れているのも川だけど、それがちっぽけに見えるほどの大河。
だがさらに驚いたのが、ニーアの言葉だった。
「これでも小さい方です。支流ですし。私がシータ王国に行った時には、この何倍もの川幅を持つものでした。さらにウォンリバーなど対岸が見えないほどの巨大なものもあります。……よく覚えてませんが」
と、少し青ざめた様子でニーアは説明してくれた。
その内容にも驚きだったけど、それ以上にニーアの様子が気になった。
もしかして体調が悪いのかと心配したところ、
「い、いえいえ、全然元気です! ほら、女王様だって持ち上げられます! っと、失礼しました。……そ、それでは、ふ、船に乗りましょうか」
ちょっと様子がおかしいと思ったものの、初めて見る船という巨大なものに心を奪われてそれどころではなかった。
だってあんな大きなものがどうして水に浮くのか。
それが不思議で不思議でたまらなかったから。
だから我ながら子供みたいだと思うけど、船の甲板をあっち行ったりこっち行ったりと落ち着きなく走り回った。
それを老夫婦に見られて笑顔を向けられた時には少し戸惑ったけど、こちらも笑顔を返すと嬉しそうに頷いてくれた。それだけなのに何故か自分も嬉しかった。
そして船が出航したら、更に驚きが増した。
流れる景色。吹き付ける風。それを五感で感じるこの身のなんと幸せなことか!
けど、そんな自分のことばかり考えていたのがいけなかった。
「ニーア、大丈夫かの?」
甲板でぐったりしているニーアに声をかける。
「うぅ……すみません……」
「い、今、人を呼んでくるのじゃ!」
「あ、いえ――」
ニーアの制止を振り切って、手当たり次第に声をかける。
ここでニーアに倒れられたら、何をしたらいいか全くわからない。その不安が、知らない人に話しかけるという勇気ある行動を可能にしていたのだろう。
話しかけた相手が、ちょうど船員さんだったらしい。
ニーアのことを伝えると快く応じてくれた。
そこで初めて船酔いというものを知った。
船に乗るとそうなるというが、なる人とならない人がいて、なった人も船を降りればすぐに良くなるという。不思議なものだと思った。
それでもニーアが倒れているのには困ってしまった。
早く船が止まって欲しいと思う反面、この新体験をいつまでも続けていたいという反する思いがせめぎ合う。
ニーアを置いて船旅を楽しむということに罪悪感を覚えるのと同時、もしかしたら船酔いという病気ではなく、何か別の病気にかかっているのではと考えてしまうと居ても立っても居られない。
けど自分にはニーアの横に付き添うしかできないわけで。己の無力さを感じるしかなかった。
船が止まったのはかなり時間が経ってから。
乗った時は真上にあった太陽が、今では赤く染まって山の奥へ消えようとしていた。
ふらつくニーアを支えながら船を降りる。
けどそこで途方に暮れた。
昨日の宿も、船に乗るのも全てニーアがやってくれた。
自分1人ではどうすればいいかもわからない。
そんな時に声をかけてくれたのが先ほどの船に乗っていた老夫婦だった。
事情を聞いた2人は親切にも、宿の手配をしてニーアを休ませてくれた。お礼を、とニーアが持っていた財布から金貨を渡そうとするが固辞された。
その一連の出来事が、これまでの旅の中で一番心に響いた。
やはり皆仲良しがよいのじゃ。
そうすればこうやって助け合って笑顔になれる。
だからこそ、ジャンヌの言動が悲しい。
なんでそんなことを言うんだと思ってしまう。
同時に自分の言動も腹立たしい。
なんであんなことを言ってしまったのだと思ってしまう。
もっと歩み寄ることができたのでは。
もっとちゃんと話し合えたのでは。
もっと冴えたやり方があったのでは。
そんなことを思いながら、眠りについた。
「昨日は申し訳ありませんでした」
翌日、ニーアは少し復調したようだったので、宿を引き払った。
本当はもう少し休んでいった方が良いのでは、と言ったけどニーアは先を急ぎたそうなので嫌とは言えなかった。
ニーアの体も本調子ではなさそうだったので、ドスガ王国までの道のりは馬車を使った。ごとごとと揺られていく馬車はまた新鮮だったけど、あまり乗り心地はよくなかった。
朝に出発して陽が真上に来た頃。
急に馬車が止まった。
何事かと思い、幌をあげて外を見れば、黒一色に染められた甲冑をまとった一団に包囲されていた。
「そこの馬車よ、停止せよ!」
中央にいる甲冑の男の声。
黒ひげを蓄えた大きな男。
その男と目が合ったような気がした。
「そこにおられるはオムカ王国女王とお見受けいたす。我が名はドスガ王国四天王筆頭ジョーショー。貴女をお迎えに上がりました」
ドスガ王国四天王!
何故そんな人間がここに?
完全武装の相手を見る限り、友好的な会話は望めそうにない。
それよりどうやって自分がここにいたことを知ったのだろう。自分は誰にも言わずこっそり抜け出してきたというのに。こうも待ち受けるような形で……。
その時、見た。
四天王のジョーショーという男の横に、あの老夫婦がいたのを。
瞬間、理解した。
理解したくないのに、思いついてしまった。
あの老夫婦はドスガ王国の者で、
オムカ王国を探るためにあの船着き場のある街に潜み、
そして自分を見つけたから一緒に船に乗り込み、
自分たちに宿を手配する親切を見せて一泊させ、
その間に老夫婦は先行して軍に知らせた。
そんなことを思いついてしまった。
ありえない。
ありえなさそうけど、ジャンヌならそれくらいは考えそうだった。
1年もないジャンヌの活躍を聞くうちに、自分も少し考え方が変わったのだろうか。
それは衝撃だった。
こんな人を疑うような考えを自分がすることに。
けど現実は、目に見える光景はそれが真実だと如実に物語っている。
何が真実で何が嘘か。
考えがまとまらない。思考を拒否する。
体から力が抜ける。膝をついた。
もう何もできない。何も考えられない。
だから成すがまま。流れに身を投じようとした時、
「女王様。おさがりください」
「ニーア……」
「経緯は分かりませんが、状況は理解しました。御者は逃げたようですね。好都合です」
「なにを、するつもりなのじゃ?」
ニーアのただならぬ気迫に、思わず聞いていた。
先ほどまでうんうん唸っていた人間とは同一人物とは思えない変貌。
「私が敵を引きつけます。女王様はその間に馬で逃げてください。方角は南西。ひたすら駆ければジーン師団長のいるフィルフ王国につくはずです」
「それは……嫌じゃ。ニーアも一緒に来るのじゃ!」
何も知らない異国の地。それを自分独りで駆け抜ける。
そんな恐ろしいこと、自分ができるとは思わなかった。
けどニーアがいればできる気がする。
でもニーアがいなければ、そもそもここを突破できない。
痛感する。
自分は本当に無力だ。
何もできない。
何も知らない。
何も分からない。
けれど今そんなことを思っても何も状況は改善しない。
むしろ悪化した。
「では、行きます」
「あ、ニーア!」
ニーアが抜き身の剣を手に、馬車を飛び降りた。
伸ばした腕は空を切り、ニーアは着地すると同時に駆ける。
止められなかった。
一緒に逃げようと言えなかった。
「ぎゃっ!」
赤が舞った。
ニーアが鎧の敵を切り捨てたのだ。
「ええい、そ奴を討ち取れ!」
黒ひげの男が叫ぶ。
同時に十数人の鎧の兵が動き出した。
ニーアが殺される。
それはこの上ない恐怖として自分を襲った。
もういいのじゃ。逃げよう。
そう一歩踏み出そうとするが、
「女王様!」
2人目を切り倒したニーアが叫ぶ。
その声に足が止まる。
ニーアは自分を逃がすために戦っている。
それならすぐに逃げるのが自分のやることではないのか?
そう思った。
思ってしまった。
だから自分は戦うニーアをしり目に、馬車を引く馬に飛び乗る。
荷車が邪魔。けど走り出せば何とかなる。
そう思った。
けど――
「くっ!」
ニーアの悲鳴に振り向く。
今のニーアは鎧を着ていない。
グレーの簡素な服。その左肩の辺りに黒い染みが出来ているのが見えた。
「ニーア!」
「女王様、早く――っ!」
また斬られた。
ニーアが死ぬ。
嫌だ。怖い。辛い。悲しい。苦しい。痛い。
もう嫌だった。
半年前。あの独立戦争であんなに人が死んだのに。また人が死のうとしている。
もういいではないか。
もう十分ではないか。
なんで皆、仲良くできないのか。
なんで皆、争いばかりするのか。
でもそれは――まさしく自分に帰ってくる言葉。
『この嘘つきジャンヌ!』
自分だ。
自分が仲良くしていない。
自分が争ってばかり。
ひどい話だ。
自分がまったく出来ていないことを、他人に強要しようとするなんて。
本当に最低な人間。
今もそう。
ニーアを犠牲にして、自分だけ助かろうとしている。
ニーアを見捨てて、自分だけ逃げようとしている。
自分のせいなのに。
自分がわがままをいったからこうなったのに。
なのに自分だけ――一体どんな顔をして生きればいい?
嫌だ。
そんなの嫌だ。
これは自分の撒いた種。
ならば自分が収めなければ。
そう思うと、もう止まらなかった。
「余はオムカ王国第37代国王マリアンヌ・オムルカじゃ! 双方とも剣を収めよ!」
自分でも驚くほどの大音声。
辺りが静寂に包まれる。
満身創痍のニーアが、驚いた表情でこちらを向いている。
地面に倒れ伏すドスガ王国の兵は10にくだらない。その仇を討たんと、敵の兵は驚きつつも敵意を隠さない。
だからそれを止めるためにも、自分は覚悟を示さなければならない。
腰に差した護身用の短剣を引き抜くと、それを自分の喉元に突き付ける。
「もしその者を殺すのならば、余は自裁する。それでもいいならその者を殺すがよい」
嫌だ。死にたくない。怖い。痛そう。苦しそう。やめて。こんな怖いことは。もう嫌。だから。早く。
「ひ、退け! 貴様らは手を出すな!」
四天王の男が慌てて声を荒げる。
安堵が胸を満たす。
けどそれを表に表すことはできない。
「女王。我々としては貴女に危害を加えることはできません。ドスガ王より丁重にお迎えせよと受けておりますので」
「ではこの後も余とニーアに危害を加えぬことを約束するか?」
「…………もちろんでございます」
本心としては部下を斬られた恨みはあるのだろう。
けどそれを飲み込んで男は頷いた。
それを聞いて短剣をしまう。
足ががくがく震えて、立っていられないような恐怖が今さら襲ってきた。
それからはもう、起きたことをただ受け止めるだけだった。
荷車にニーアともども押し込められて、ドスガに向かう。
血まみれのニーアは、朦朧とした様子で倒れてしまっている。
取り急ぎ、荷物に入れた緊急用の救急箱が役に立った。薬をニーアの傷口に塗り、それを包帯できつく縛っていく。
手当てなんてよく分からない。
けど死んでほしくない、その一心で薬を塗って包帯を巻く。
それが終わってしまえば、自分にやることはない。
ただ荷車の中でぼうっと過ごすしかない。
襲ってくるのは後悔。
どうしようもない自責の念。
ニーア。すまないのじゃ。
そしてジャンヌ……。余の我がままでこんなことになって……すまぬ。
もう二度と会えないだろう人物を思い出し、空を見上げる。
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で、気が付けば俺は全く知らない場所にいた。
どうやら異世界だ。
魔物が闊歩する世界。魔法がある世界らしく、15歳になれば男は皆武器を手に魔物と祟罠くてはならないらしい。
しかも戦うにあたり、武器や防具は何故かガチャで手に入れるようだ。なんじゃそりゃ。
10歳の頃から生まれ育った村で魔物と戦う術や解体方法を身に着けたが、15になると村を出て、大きな街に向かった。
そこでダンジョンを知り、同じような境遇の面々とチームを組んでダンジョンで活動する。
5年、底辺から抜け出せないまま過ごしてしまった。
残念ながら日本の知識は持ち合わせていたが役に立たなかった。
そんなある日、変化がやってきた。
疲れていた俺は普段しない事をしてしまったのだ。
その結果、俺は信じられない出来事に遭遇、その後神との恐ろしい交渉を行い、最底辺の生活から脱出し、成り上がってく。
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