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第4章 ジャンヌの西進
第52話 一時離脱
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「ジャンヌ殿、何を言っているのです?」
翌日。
再び集まった幹部連中に話を切り出すと、まぁ予想通りというべきかの反応が返って来た。
ヴィレスは憮然、センドは怒気、クロスは困惑、事前に何も話していないサカキは目を丸くして、ウィットとクロエは少し驚いたように目を一瞬見開いたが何も言わない。
『オムカから増援を連れてくる。だから出撃は待ってくれ』
これが俺が考え付いた、彼らを押さえつける言葉だ。
一度オムカに帰る。
そして増援を連れてくる。
そうすれば、負ける可能性のある戦にも光明が見えてくるだろう。
もちろん戦費や防衛の問題があり、あまり多くを連れてこれないだろうが、5千か多くて1万は引っ張ってこれると思っている。
あとはその兵力でもってビンゴの諸将の首根っこを押さえつけ、そしてこの勢いをもって対岸を制圧する。
当然敵の反発も予想されるが、少なくともこのまま出撃されるよりは勝率は高い。
「今から帰国されると?」
クロスが聞いてくる。
ビンゴの3人の中で一番理性を保っていそうだ。感情を抑えて聞いてくる。
「ああ」
「どれほどで戻られます?」
「ここから馬を走らせて王都まで3日くらいだろう。そこから軍を編成して2日。そこからここに軍を連れてくるから……合わせて10日くらいかな」
「……それはお話になりませんね」
「どうして? 1万は連れてくるからそれくらいかかる。2万を超えれば、4万弱の相手とは充分戦える!」
「そういうことではないのです、ジャンヌ殿」
静かにそう言ったのはヴィレスだった。
いつも物静かな分、こういった時の物言いは他の誰よりも圧があるように思える。
嫌な予感。
どこか彼らとは永遠に分かり合えないような、言語が違って意思が疎通できないような、そんな錯覚に陥る。
そして俺は、この世界の人間との圧倒的な考え方の差を、そして何より自分の甘さを思い知らされる。
「もはやそんな時間をかける時ではないのです」
「なんでだ。10日だけだ。いや、今から替え馬で走れば1日から2日は短縮できる。それから騎馬隊だけ先行すればさらに――」
「違うと言ってるのです、ジャンヌ殿。我々は今日にでも出撃をする」
「ば……」
――かな、と続けるのを寸前で堪えた。一応同盟国。
しかし、なぜそこまで急ぐ。なぜそんな無謀な真似をする。俺には理解ができない。
「我々は勝てずともよいのです」
「は?」
ヴィレスの言葉に、今度は俺が困惑する番だった。
理解が及ばない。
俺が間違っているのか? 俺の考えがおかしいのか?
「我々は勝てなくても良い。我らが示すのは怒り。帝国に対し、一矢でも報いることができれば。後はどうなろうと構わんのです」
そんな短絡な! いつの時代だよ!
あぁ、違う。この世界、この時代なら普通なのか。いや、だからってそれは……。
「我々が負けても、後に続く者がいる。その礎になるのであれば、私たちの犠牲も無駄ではない」
センドが同意するように言う。
なんて馬鹿なことを。そう思うと、もう堪えきれなかった。
「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! それでどうする! 負けたら終わりだろ!」
死ぬんだぞ。
ここにいる皆。
これまで一緒に戦ってきた仲間が。全員!
そして無駄になる。
これまで戦ってきたことが。
なんとか勝利してきたことが。
なにより、死んでいった者たちが!
なんでそんな狂信的になれる。
これまで理性的で、普遍的で、一般的な彼らが、どうしてこうも豹変するのか。
分からない。
いや、はっきり言う。
分かりたくもない。
そんな刹那的で、修羅的で、救いようのない愚鈍さ。
だって、そんなの――
「自殺と一緒だ。ただの無駄死にだ!」
「貴様、我らを愚弄するか!」
センドが声を荒げて立ち上がる。
そうなると俺ももう退けない。
「命を愚弄してるのはどっちだ! そんなほいほい命を捨てて、誰が喜ぶんだよ! 誰が得するんだよ!」
「感情や損得で動くのではない! 王国再興のため、我らは動くのだ!」
「その王国再興がどうして成功する! ここで負けたら、それこそ抵抗勢力はなくなる! やっぱり帝国には勝てないって話になるんだぞ!」
「ならない! 必ず民の中から立ち上がる者が出る! その者たちは必ずや帝国を打倒し、王国を再興させる!」
このわからずや。
頭が熱を持ち、視野が狭まる。
もうどうしようもない。
溢れる気持ちが抑えきれない。
クロエが何かを言おうとした。
けどその前に口が動いてしまった。
「王国再興がなんだ! ありえもしない夢物語のために死ぬなんて馬鹿げてる!」
瞬間。空気が、凍った。
ふと、その冷気に当てられて頭が冷える。
冷静になり、自分が何を言ったか、言ってしまったかを再認識。
あ……また、やっちゃった。
今まで抱えていた本音が、ここで出た。
そしてそれは、すべてを破綻させるのに十分すぎる破壊力を持っていた。
「今! 今なんと言った!?」
「ジャンヌ殿。それはいかなる言葉か!」
センドが、そして物静かなヴィレスですらいきり立ってこちらに詰め寄ってくる。
そもそも俺たちの派兵は、センドによる要請だった。
その最終目的はビンゴ王国の再興で、最終的に俺たちはそれを約束した。
それがそもそも守られることのない空手形だったと、事の張本人が暴露してしまったのだ。そりゃ相手も怒る。
はぁ……売り言葉に買い言葉。
過去にあれだけ後悔したというのに。どうしてここまで同じことを繰り返すのか。
俺も人のこと言えないじゃないか。本当に愚か。救いがたい。
「くっ……元からそのつもりだったか……あの女の本性を含め、見抜けなかった我が不明よ。あんな悪魔のような者を近くにおいていたのだからな」
「里奈は関係ないだろ!」
理性では分かっていても、さすがに里奈のことを悪く言われれば黙っていられない。
「関係ないことはなかろう! 我らの本拠地が壊滅したのはあの女のせいだ!」
「そうじゃない! 里奈は村を守ろうと……」
「違う! 敵も味方も皆殺しにしたのであろう!」
「違う、そうじゃない! そうじゃ……」
あぁ、もう駄目だ。
場の空気は最悪。
今にも誰かが武器を抜いてもおかしくないほど場は高揚している。
だが、そんな場の空気を切り裂く者がいた。
「はっははははは!」
笑声が響く。
クロスだ。
クロスがさも愉快そうに、口を大きく天へ開いて笑う。
室内にいる誰もが虚を突かれたように彼の方を見ると、クロスはこちらを見つめ、
「いや、なるほど。ジャンヌ・ダルク殿。さすがは将軍がおっしゃられるだけのことはある」
将軍? 喜志田か?
「ええ。『アッキーって頭はいいんだけど、熱くなるタイプだからね。馬鹿みたいに自爆するのを見ると面白いよ』とのことです。確かにそのように見ると面白い」
あいつ……。生きて戻ったら殴る。
「しかし、それとて容認できないことはあります。先ほどの発言。我らを騙した、そのことは国として、何より貴女に希望を託した者として許されることではない」
ヴィレスとセンドが激しくも頷く。
やはり彼もそっち派か。当然だ。
「何より問題なのが……失礼ながら、噂はご存じですか?」
噂。
おそらく彼が聞いているのは例の件だろう。
もちろん知っている。
知っていて、あえて黙っていた。
最近、兵たちの話題にあがっている噂。
『オムカ王国は東岸を制圧するだけで満足して帰国するつもりだ。兵をわずかしか率いてこず、積極的に打って出ないのがその理由だ』
というもの。
さらには、
『オムカ王国は帝国との停戦の証として、ビンゴ兵を東岸に足止めさせ、東西から攻めて帝国と領土を分割するつもりだ」
正直、馬鹿げているとしか言いようがない。
そんなことをしても俺たちには一銭の利益もない荒唐無稽な内容だから。
にもかかわらず、信じる人がいるのだから驚きだ。それを巡って、オムカとビンゴの兵が言い争いをしている場面もあった。
その意味でも、俺たちの立場は非常に悪い。
もちろんそんな噂はまったくのでたらめで、これは明らかに敵が流した悪質な噂。
離間の計だ。
こういった根も葉もないけど信じたくもなるような噂をばらまき、疑心暗鬼の種を植え、内部崩壊させる策。
この策の優秀な点は、かなりコスパが良い事。
なんせ噂をばらまくだけだから、兵を損じることはない。しかもうまく嵌まれば兵を損することなく敵が自滅するのだから。戦わずに勝つという孫子の理想を体現するような策だ。
だが受ける側としては厄介で、一番の難点は『その噂を即座に否定できるような証拠はない』ことだ。
やっていないことを証明する。まさに『悪魔の証明』なのだ。
そして今。
決め手の俺の舌禍があって、完全に策は成ったと言ってもいい。
だからこれで手切れ。あるいは俺たちを殺して、それを手土産に帝国に自治を求めるくらいのことはあり得る。
そう覚悟した。
だからクロスの口がゆっくりと開き、
「2日。待ちましょう」
そう言った時には、肩の力が抜けた。
ある意味俺にとってはありがたい話だからだ。
あちらから譲歩してくれたと言っていい。
「クロス殿!?」
センドがまさかと言わんばかりに抗議する。ヴィレスも同様の気持ちだろう。
だがクロスは気負うことなく、
「まぁ、いいではありませんか。我らにも最低限の準備は必要です。それに天気を見るに2日後の夜からは雨。それに紛れて奇襲の方が……面白いと思いませんか?」
その理路整然とした物言いに、センドとヴィレスは圧倒されるように頷いた。
そしてクロスはシニカルな笑みを浮かべ、
「そういうわけで2日後の夜に我々は出ます。それ以降は勝手にやらせていただく。これでも私も帝国に怒り、先ほどのジャンヌ殿の発言には失望した人間なのでね」
2日、いや2日半。
往路だけで時間は過ぎる。
だが、急いで戻れば致命的な敗北から免れるチャンスはある。
しかも決定的に崩壊しかけた同盟軍をつなぎとめてくれた彼の手前、それ以上の要求はできない。
「恩に着ます」
頭を下げる。
この男。やはりあいつの副官だけある。前のことを根に持っていると思ったこともあったが、とんでもない。
とんでもないほどの……お人よしだ。おそらく明後日が雨というのもハッタリだろう。
だがそれが今はありがたかった。
そしてもう1度。3人に向かって深々と頭を下げた。
「重ね重ねの無礼。失礼しました。必ずや援軍を率い、ここに戻ってきます」
それで最悪の崩壊は防げた。そう思った。
ならばもう1つ。
「一応、これは策とは呼べない助言ですが、話しても良いでしょうか」
「聞きましょう」
クロスが真っ先にそう言うことによって、他の2人の反論を封じた。ありがたい。
だから俺はテーブルの地図を指さしながら言う。
「落とすならここの砦です。先日、兵が出撃したこの2つの砦。川から近く、規模は小さいので奇襲すれば陥ちます。仮にその後、攻められても2つが連携すれば負けることはないでしょう。奇襲の方法は、3隊以上を作り、別々の渡河地点から対岸に渡ってください。おそらく敵は対岸に引き込むつもりなので邪魔はしないでしょう。それから別々の砦を攻めるふりをして、一気にこの2つの砦に襲いかかれば、相手も虚を突かれて対応が遅れるに違いありません」
もし渡河することになった時、どうすればいいかを考えた。
それが今、少しは役に立っただろうか。
「ご厚意、感謝します」
「あと、ここにいるオムカ軍は残します。遊軍でも留守居でも、好きに使ってください」
「ありがたく」
サカキが何か言いたそうだったが、俺は無視して進めた。
「ではこれより発ちます。皆様のご武運をお祈りいたします」
再び頭を下げると、そのまま部屋を出た。
がたがたと背後から椅子が動く音。サカキたちだろう。思った通り、足音が近づいてきたから俺は振り返らず言った。
「サカキ、クロエ、ウィット。あとは頼む」
「それは、分かるけどよぉ。ジャンヌちゃん、本当に戻るのか?」
「ああ。そうしないと負ける。ウィット、馬を4頭東門に頼む。クロエ、里奈に東門に行くよう伝えてくれ」
「はっ!」「了解です!」
2人が去っていく。
「そうか……なら俺たちは」
「無理するな。お前たちが死んだら、俺は多分駄目になる」
振り返り、サカキに言った。
それはたぶん本当。こんなくだらない戦で、こいつらが死ぬなんて思ったら……俺は俺を許せなくなるだろう。
「でも、本当に負けるのか? あの士気ならなんとかなるんじゃ――」
「ならない」
気持ちだけでどうにかできるのは、正面から同兵力でぶつかった時くらいだ。
これまでの戦の組み立て方を見るに、相手も俺と同じような考えて物事を動かすタイプだろう。
だからこそ、この状況は絶好のチャンスなのだ。カモがネギと鍋とだし汁を背負ってやってくるのだから、一気に殲滅するチャンス。きっと、敵はそれを見逃さないだろう。
「サカキ、王都にいる騎馬隊。どれだけいるか分かるか?」
「常駐してんのは2千だな。ブリーダがいりゃ合わせて5千くらいにはなるだろうが、あいつは確か北にいるんじゃないか? それに怪我も治ってるかどうか」
そうだった。俺が北に行かせたんだ。サカキの代わりと言って。
ここで裏目に出てくるとか……。どこまでついてない。
「あと……彼女を呼んだってことは、連れていくのか?」
「……ああ」
里奈のことだ。
余計なお世話かもしれない。
けど、あれほど疎まれている彼女を、この渦中に置いてきぼりにしたくはなかった。
いやむしろ俺は彼女をそのまま王都に残そうと思っている。二度とこちらには呼ばない。きっと、彼女にとってそっちの方が良いと思う。だから。
「サカキ、後は頼んだ」
「ああ、任された」
サカキが右手を突き出す。
俺は一瞬迷って、そして右手を突き出して、その拳を合わせた。
これが永別にならないことを、互いに祈って。
翌日。
再び集まった幹部連中に話を切り出すと、まぁ予想通りというべきかの反応が返って来た。
ヴィレスは憮然、センドは怒気、クロスは困惑、事前に何も話していないサカキは目を丸くして、ウィットとクロエは少し驚いたように目を一瞬見開いたが何も言わない。
『オムカから増援を連れてくる。だから出撃は待ってくれ』
これが俺が考え付いた、彼らを押さえつける言葉だ。
一度オムカに帰る。
そして増援を連れてくる。
そうすれば、負ける可能性のある戦にも光明が見えてくるだろう。
もちろん戦費や防衛の問題があり、あまり多くを連れてこれないだろうが、5千か多くて1万は引っ張ってこれると思っている。
あとはその兵力でもってビンゴの諸将の首根っこを押さえつけ、そしてこの勢いをもって対岸を制圧する。
当然敵の反発も予想されるが、少なくともこのまま出撃されるよりは勝率は高い。
「今から帰国されると?」
クロスが聞いてくる。
ビンゴの3人の中で一番理性を保っていそうだ。感情を抑えて聞いてくる。
「ああ」
「どれほどで戻られます?」
「ここから馬を走らせて王都まで3日くらいだろう。そこから軍を編成して2日。そこからここに軍を連れてくるから……合わせて10日くらいかな」
「……それはお話になりませんね」
「どうして? 1万は連れてくるからそれくらいかかる。2万を超えれば、4万弱の相手とは充分戦える!」
「そういうことではないのです、ジャンヌ殿」
静かにそう言ったのはヴィレスだった。
いつも物静かな分、こういった時の物言いは他の誰よりも圧があるように思える。
嫌な予感。
どこか彼らとは永遠に分かり合えないような、言語が違って意思が疎通できないような、そんな錯覚に陥る。
そして俺は、この世界の人間との圧倒的な考え方の差を、そして何より自分の甘さを思い知らされる。
「もはやそんな時間をかける時ではないのです」
「なんでだ。10日だけだ。いや、今から替え馬で走れば1日から2日は短縮できる。それから騎馬隊だけ先行すればさらに――」
「違うと言ってるのです、ジャンヌ殿。我々は今日にでも出撃をする」
「ば……」
――かな、と続けるのを寸前で堪えた。一応同盟国。
しかし、なぜそこまで急ぐ。なぜそんな無謀な真似をする。俺には理解ができない。
「我々は勝てずともよいのです」
「は?」
ヴィレスの言葉に、今度は俺が困惑する番だった。
理解が及ばない。
俺が間違っているのか? 俺の考えがおかしいのか?
「我々は勝てなくても良い。我らが示すのは怒り。帝国に対し、一矢でも報いることができれば。後はどうなろうと構わんのです」
そんな短絡な! いつの時代だよ!
あぁ、違う。この世界、この時代なら普通なのか。いや、だからってそれは……。
「我々が負けても、後に続く者がいる。その礎になるのであれば、私たちの犠牲も無駄ではない」
センドが同意するように言う。
なんて馬鹿なことを。そう思うと、もう堪えきれなかった。
「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! それでどうする! 負けたら終わりだろ!」
死ぬんだぞ。
ここにいる皆。
これまで一緒に戦ってきた仲間が。全員!
そして無駄になる。
これまで戦ってきたことが。
なんとか勝利してきたことが。
なにより、死んでいった者たちが!
なんでそんな狂信的になれる。
これまで理性的で、普遍的で、一般的な彼らが、どうしてこうも豹変するのか。
分からない。
いや、はっきり言う。
分かりたくもない。
そんな刹那的で、修羅的で、救いようのない愚鈍さ。
だって、そんなの――
「自殺と一緒だ。ただの無駄死にだ!」
「貴様、我らを愚弄するか!」
センドが声を荒げて立ち上がる。
そうなると俺ももう退けない。
「命を愚弄してるのはどっちだ! そんなほいほい命を捨てて、誰が喜ぶんだよ! 誰が得するんだよ!」
「感情や損得で動くのではない! 王国再興のため、我らは動くのだ!」
「その王国再興がどうして成功する! ここで負けたら、それこそ抵抗勢力はなくなる! やっぱり帝国には勝てないって話になるんだぞ!」
「ならない! 必ず民の中から立ち上がる者が出る! その者たちは必ずや帝国を打倒し、王国を再興させる!」
このわからずや。
頭が熱を持ち、視野が狭まる。
もうどうしようもない。
溢れる気持ちが抑えきれない。
クロエが何かを言おうとした。
けどその前に口が動いてしまった。
「王国再興がなんだ! ありえもしない夢物語のために死ぬなんて馬鹿げてる!」
瞬間。空気が、凍った。
ふと、その冷気に当てられて頭が冷える。
冷静になり、自分が何を言ったか、言ってしまったかを再認識。
あ……また、やっちゃった。
今まで抱えていた本音が、ここで出た。
そしてそれは、すべてを破綻させるのに十分すぎる破壊力を持っていた。
「今! 今なんと言った!?」
「ジャンヌ殿。それはいかなる言葉か!」
センドが、そして物静かなヴィレスですらいきり立ってこちらに詰め寄ってくる。
そもそも俺たちの派兵は、センドによる要請だった。
その最終目的はビンゴ王国の再興で、最終的に俺たちはそれを約束した。
それがそもそも守られることのない空手形だったと、事の張本人が暴露してしまったのだ。そりゃ相手も怒る。
はぁ……売り言葉に買い言葉。
過去にあれだけ後悔したというのに。どうしてここまで同じことを繰り返すのか。
俺も人のこと言えないじゃないか。本当に愚か。救いがたい。
「くっ……元からそのつもりだったか……あの女の本性を含め、見抜けなかった我が不明よ。あんな悪魔のような者を近くにおいていたのだからな」
「里奈は関係ないだろ!」
理性では分かっていても、さすがに里奈のことを悪く言われれば黙っていられない。
「関係ないことはなかろう! 我らの本拠地が壊滅したのはあの女のせいだ!」
「そうじゃない! 里奈は村を守ろうと……」
「違う! 敵も味方も皆殺しにしたのであろう!」
「違う、そうじゃない! そうじゃ……」
あぁ、もう駄目だ。
場の空気は最悪。
今にも誰かが武器を抜いてもおかしくないほど場は高揚している。
だが、そんな場の空気を切り裂く者がいた。
「はっははははは!」
笑声が響く。
クロスだ。
クロスがさも愉快そうに、口を大きく天へ開いて笑う。
室内にいる誰もが虚を突かれたように彼の方を見ると、クロスはこちらを見つめ、
「いや、なるほど。ジャンヌ・ダルク殿。さすがは将軍がおっしゃられるだけのことはある」
将軍? 喜志田か?
「ええ。『アッキーって頭はいいんだけど、熱くなるタイプだからね。馬鹿みたいに自爆するのを見ると面白いよ』とのことです。確かにそのように見ると面白い」
あいつ……。生きて戻ったら殴る。
「しかし、それとて容認できないことはあります。先ほどの発言。我らを騙した、そのことは国として、何より貴女に希望を託した者として許されることではない」
ヴィレスとセンドが激しくも頷く。
やはり彼もそっち派か。当然だ。
「何より問題なのが……失礼ながら、噂はご存じですか?」
噂。
おそらく彼が聞いているのは例の件だろう。
もちろん知っている。
知っていて、あえて黙っていた。
最近、兵たちの話題にあがっている噂。
『オムカ王国は東岸を制圧するだけで満足して帰国するつもりだ。兵をわずかしか率いてこず、積極的に打って出ないのがその理由だ』
というもの。
さらには、
『オムカ王国は帝国との停戦の証として、ビンゴ兵を東岸に足止めさせ、東西から攻めて帝国と領土を分割するつもりだ」
正直、馬鹿げているとしか言いようがない。
そんなことをしても俺たちには一銭の利益もない荒唐無稽な内容だから。
にもかかわらず、信じる人がいるのだから驚きだ。それを巡って、オムカとビンゴの兵が言い争いをしている場面もあった。
その意味でも、俺たちの立場は非常に悪い。
もちろんそんな噂はまったくのでたらめで、これは明らかに敵が流した悪質な噂。
離間の計だ。
こういった根も葉もないけど信じたくもなるような噂をばらまき、疑心暗鬼の種を植え、内部崩壊させる策。
この策の優秀な点は、かなりコスパが良い事。
なんせ噂をばらまくだけだから、兵を損じることはない。しかもうまく嵌まれば兵を損することなく敵が自滅するのだから。戦わずに勝つという孫子の理想を体現するような策だ。
だが受ける側としては厄介で、一番の難点は『その噂を即座に否定できるような証拠はない』ことだ。
やっていないことを証明する。まさに『悪魔の証明』なのだ。
そして今。
決め手の俺の舌禍があって、完全に策は成ったと言ってもいい。
だからこれで手切れ。あるいは俺たちを殺して、それを手土産に帝国に自治を求めるくらいのことはあり得る。
そう覚悟した。
だからクロスの口がゆっくりと開き、
「2日。待ちましょう」
そう言った時には、肩の力が抜けた。
ある意味俺にとってはありがたい話だからだ。
あちらから譲歩してくれたと言っていい。
「クロス殿!?」
センドがまさかと言わんばかりに抗議する。ヴィレスも同様の気持ちだろう。
だがクロスは気負うことなく、
「まぁ、いいではありませんか。我らにも最低限の準備は必要です。それに天気を見るに2日後の夜からは雨。それに紛れて奇襲の方が……面白いと思いませんか?」
その理路整然とした物言いに、センドとヴィレスは圧倒されるように頷いた。
そしてクロスはシニカルな笑みを浮かべ、
「そういうわけで2日後の夜に我々は出ます。それ以降は勝手にやらせていただく。これでも私も帝国に怒り、先ほどのジャンヌ殿の発言には失望した人間なのでね」
2日、いや2日半。
往路だけで時間は過ぎる。
だが、急いで戻れば致命的な敗北から免れるチャンスはある。
しかも決定的に崩壊しかけた同盟軍をつなぎとめてくれた彼の手前、それ以上の要求はできない。
「恩に着ます」
頭を下げる。
この男。やはりあいつの副官だけある。前のことを根に持っていると思ったこともあったが、とんでもない。
とんでもないほどの……お人よしだ。おそらく明後日が雨というのもハッタリだろう。
だがそれが今はありがたかった。
そしてもう1度。3人に向かって深々と頭を下げた。
「重ね重ねの無礼。失礼しました。必ずや援軍を率い、ここに戻ってきます」
それで最悪の崩壊は防げた。そう思った。
ならばもう1つ。
「一応、これは策とは呼べない助言ですが、話しても良いでしょうか」
「聞きましょう」
クロスが真っ先にそう言うことによって、他の2人の反論を封じた。ありがたい。
だから俺はテーブルの地図を指さしながら言う。
「落とすならここの砦です。先日、兵が出撃したこの2つの砦。川から近く、規模は小さいので奇襲すれば陥ちます。仮にその後、攻められても2つが連携すれば負けることはないでしょう。奇襲の方法は、3隊以上を作り、別々の渡河地点から対岸に渡ってください。おそらく敵は対岸に引き込むつもりなので邪魔はしないでしょう。それから別々の砦を攻めるふりをして、一気にこの2つの砦に襲いかかれば、相手も虚を突かれて対応が遅れるに違いありません」
もし渡河することになった時、どうすればいいかを考えた。
それが今、少しは役に立っただろうか。
「ご厚意、感謝します」
「あと、ここにいるオムカ軍は残します。遊軍でも留守居でも、好きに使ってください」
「ありがたく」
サカキが何か言いたそうだったが、俺は無視して進めた。
「ではこれより発ちます。皆様のご武運をお祈りいたします」
再び頭を下げると、そのまま部屋を出た。
がたがたと背後から椅子が動く音。サカキたちだろう。思った通り、足音が近づいてきたから俺は振り返らず言った。
「サカキ、クロエ、ウィット。あとは頼む」
「それは、分かるけどよぉ。ジャンヌちゃん、本当に戻るのか?」
「ああ。そうしないと負ける。ウィット、馬を4頭東門に頼む。クロエ、里奈に東門に行くよう伝えてくれ」
「はっ!」「了解です!」
2人が去っていく。
「そうか……なら俺たちは」
「無理するな。お前たちが死んだら、俺は多分駄目になる」
振り返り、サカキに言った。
それはたぶん本当。こんなくだらない戦で、こいつらが死ぬなんて思ったら……俺は俺を許せなくなるだろう。
「でも、本当に負けるのか? あの士気ならなんとかなるんじゃ――」
「ならない」
気持ちだけでどうにかできるのは、正面から同兵力でぶつかった時くらいだ。
これまでの戦の組み立て方を見るに、相手も俺と同じような考えて物事を動かすタイプだろう。
だからこそ、この状況は絶好のチャンスなのだ。カモがネギと鍋とだし汁を背負ってやってくるのだから、一気に殲滅するチャンス。きっと、敵はそれを見逃さないだろう。
「サカキ、王都にいる騎馬隊。どれだけいるか分かるか?」
「常駐してんのは2千だな。ブリーダがいりゃ合わせて5千くらいにはなるだろうが、あいつは確か北にいるんじゃないか? それに怪我も治ってるかどうか」
そうだった。俺が北に行かせたんだ。サカキの代わりと言って。
ここで裏目に出てくるとか……。どこまでついてない。
「あと……彼女を呼んだってことは、連れていくのか?」
「……ああ」
里奈のことだ。
余計なお世話かもしれない。
けど、あれほど疎まれている彼女を、この渦中に置いてきぼりにしたくはなかった。
いやむしろ俺は彼女をそのまま王都に残そうと思っている。二度とこちらには呼ばない。きっと、彼女にとってそっちの方が良いと思う。だから。
「サカキ、後は頼んだ」
「ああ、任された」
サカキが右手を突き出す。
俺は一瞬迷って、そして右手を突き出して、その拳を合わせた。
これが永別にならないことを、互いに祈って。
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俺は西塔 徳仁(さいとう のりひと)、もうすぐ50過ぎのおっさんだ。
単身赴任で家族と離れ遠くで暮らしている。遠すぎて年に数回しか帰省できない。
ぶっちゃけ時間があるからと、ブラウザゲームをやっていたりする。
大抵ガチャがあるんだよな。
幾つかのゲームをしていたら、そのうちの一つのゲームで何やらハズレガチャを上位のアイテムにアップグレードしてくれるイベントがあって、それぞれ1から5までのランクがあり、それを15本投入すれば一度だけ例えばSRだったらSSRのアイテムに変えてくれるという有り難いイベントがあったっけ。
だが俺は運がなかった。
ゲームの話ではないぞ?
現実で、だ。
疲れて帰ってきた俺は体調が悪く、何とか自身が住んでいる社宅に到着したのだが・・・・俺は倒れたらしい。
そのまま救急搬送されたが、恐らく脳梗塞。
そのまま帰らぬ人となったようだ。
で、気が付けば俺は全く知らない場所にいた。
どうやら異世界だ。
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10歳の頃から生まれ育った村で魔物と戦う術や解体方法を身に着けたが、15になると村を出て、大きな街に向かった。
そこでダンジョンを知り、同じような境遇の面々とチームを組んでダンジョンで活動する。
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残念ながら日本の知識は持ち合わせていたが役に立たなかった。
そんなある日、変化がやってきた。
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その結果、俺は信じられない出来事に遭遇、その後神との恐ろしい交渉を行い、最底辺の生活から脱出し、成り上がってく。
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