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3章(2)
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ぼんやりと目を開いた時、メルフェリーゼは一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。天井を眺めているうちに、自分が自室のベッドで眠っていたことに気づく。
メルフェリーゼの記憶は、アウストルの部屋を出たところで途切れていた。なぜ自室のベッドで横になっているのか、なぜドレスではなくきちんと夜着を着せられているのか、まったく思い出せない。
半身を起こし、オイルランプの明かりをぼうっと見つめていると、静かに自室の扉が開かれた。
「目が覚めたのですね……!」
両手いっぱいにティーセットや茶菓子を抱えたハナが、起き上がったメルフェリーゼを見てぱっと笑顔を見せる。メルフェリーゼはハナに心配をかけさせまいと笑おうとしたが、頬が引きつり、奇妙な表情を見せるはめになった。
ハナはそんなことは気にもとめないようで、てきぱきとテーブルに持ってきた品々を並べると、汗で張りついたメルフェリーゼの前髪をそっと整える。
「なかなか起きないから、心配したんですよ」
「今は、何時……? 私、一体いつから……」
「もうすぐ日付が変わります。メルフェリーゼ様は昼頃に自室へ戻られてから、ずっとお目覚めにならなくて……」
ハナがメルフェリーゼの手をぎゅっと握って、気遣わしげな視線を送ってくる。
「最近、ほとんど眠れていなかったのではありませんか?」
ハナの言う通り、メルフェリーゼはアウストルが城に戻ってからというもの、寝つけない夜が増えた。将来への不安、世継ぎを望まれるプレッシャー、カイリエンと引き離されたことの痛み。それらすべてが、メルフェリーゼを先の見えない夜の暗闇に追い込んだ。
何度寝返りを打っても寝つけず、しかし侍女の手を煩わせるわけにもいかずに悶々と日の出を待ち続ける日々。心身を消耗しないわけがない。
追い打ちをかけるように、アウストルの取りつく島もない冷めた態度に晒され、歩み寄りを図ったメルフェリーゼを突き放すような言動を浴びせられる。ぎりぎりのところで耐えていたものが、一気に溢れ出した瞬間だった。
メルフェリーゼはまだ怠さの残る身体でベッドから這い出し、テーブルのそばに置かれた椅子に腰を下ろす。
無性に、泣いてしまいたい気分だった。しかしハナのいる手前、せめて彼女をこれ以上心配をかけさせたくないと無理やり、自分の気持ちに蓋をする。
ハナは椅子に座ったメルフェリーゼの肩に毛織りのブランケットをかけると、慣れた手つきでティーカップに紅茶を注いだ。カップの中に蜂蜜を垂らし、混ぜる。ティーカップとスプーンのこすれ合うカチャカチャとした音を聞いていると、メルフェリーゼは自然と自分の心が落ち着いていくのを感じた。
「不眠と冷えに効くハーブティーです」
ハナに勧められて、一口飲んでみる。こっくりとした甘さのなかに、柑橘のような爽やかな香りがする。少なくとも今まで、飲んだことがない味だ。
「はじめて飲む味だわ……おいしい」
「このハーブティーは、カイリエン様が届けてくださったのです。ツリシャでは就寝前に飲むものだそうで」
カイリエンの名を聞いただけで、メルフェリーゼの心はつきんと傷んだ。会いたくても、会えない人。はじめから、メルフェリーゼが間違っていたことは分かっている。第二王子の妻という身でありながら、他の男性と友になりたいなどと望んだ自分が悪いのだ。
メルフェリーゼにはもう、カイリエンに対する気持ちの正体がなんなのかも分からなくなっていた。最初はただ、話し相手が欲しかっただけだ。自分を王子妃として扱わない、メルフェリーゼ個人として扱ってくれる人が。
それが今では、こんなにもカイリエンを求めている。落ち着いた声に、蜂蜜色の目、あのたくましい腕にもう一度抱かれたいと思っている。メルフェリーゼのすべてが、カイリエンを欲している。
メルフェリーゼは震える手で、ティーカップを置いた。寒さのせいだけではない、自分が惨めで、生きていることすら肯定できなくて。
泣き出しそうになるのをぐっとこらえて、血が滲むほど唇を噛む。そうでもしていないと、メルフェリーゼは今すぐバルコニーから身を投げてしまいそうだった。
アウストルに愛されず、世継ぎの一人も望めない自分など、生きている価値がない。カイリエンも時期にツリシャへ帰る。その時、メルフェリーゼはまた一人になるのだ。離縁も許されず、孤独にこのユルハ城で死にゆくだけ。
だったらいっそ、自分の手でこの命を終わらせてしまおうか。メルフェリーゼが死ねば、アウストルは堂々と貴族の女性を娶ることができるだろう。新しい妻を気に入り、今度こそ世継ぎも産まれるかもしれない。王族にとっても、国にとっても、メルフェリーゼなど死んだほうがいいに決まっている。
メルフェリーゼはふらふらと立ち上がり、バルコニーへ続く大きな窓を開け放った。夜風にはまだ冬の匂いが残り、身を引き裂くような寒さに肩を震わせる。
バルコニーから身を乗り出し、下を覗き込む。暗くてよく見えないが、メルフェリーゼは、はたと気がついた。
下には中庭の芝生が広がっている。メルフェリーゼの部屋は二階。高さはそれほどない。上手く落ちなければ、死ぬこともできないかもしれない。
私は、勝手に死ぬことも許されないの……?
バルコニーに膝をつきかけたメルフェリーゼの腕を、素早くハナが捕らえた。驚いて顔を上げると、ハナは幼い顔に似合わぬほど、怒りに燃えた目をしていた。
「ハナ、どうして……」
どうして止めるのか、どうしてそんなに怒りに満ちた顔をしているのか、聞きたいことはたくさんあるのに、どれも言葉にならない。
ハナも、メルフェリーゼの腕を掴んだまま、じっとなにかに耐えるように黙り込んでいる。
長い沈黙も、やがて終わりを迎えた。ハナが白い息を吐き出して、メルフェリーゼの顔を見る。
「カイリエン様に会いに行きましょう。メルフェリーゼ様のお心を救えるのは、あの方しかいません」
メルフェリーゼの記憶は、アウストルの部屋を出たところで途切れていた。なぜ自室のベッドで横になっているのか、なぜドレスではなくきちんと夜着を着せられているのか、まったく思い出せない。
半身を起こし、オイルランプの明かりをぼうっと見つめていると、静かに自室の扉が開かれた。
「目が覚めたのですね……!」
両手いっぱいにティーセットや茶菓子を抱えたハナが、起き上がったメルフェリーゼを見てぱっと笑顔を見せる。メルフェリーゼはハナに心配をかけさせまいと笑おうとしたが、頬が引きつり、奇妙な表情を見せるはめになった。
ハナはそんなことは気にもとめないようで、てきぱきとテーブルに持ってきた品々を並べると、汗で張りついたメルフェリーゼの前髪をそっと整える。
「なかなか起きないから、心配したんですよ」
「今は、何時……? 私、一体いつから……」
「もうすぐ日付が変わります。メルフェリーゼ様は昼頃に自室へ戻られてから、ずっとお目覚めにならなくて……」
ハナがメルフェリーゼの手をぎゅっと握って、気遣わしげな視線を送ってくる。
「最近、ほとんど眠れていなかったのではありませんか?」
ハナの言う通り、メルフェリーゼはアウストルが城に戻ってからというもの、寝つけない夜が増えた。将来への不安、世継ぎを望まれるプレッシャー、カイリエンと引き離されたことの痛み。それらすべてが、メルフェリーゼを先の見えない夜の暗闇に追い込んだ。
何度寝返りを打っても寝つけず、しかし侍女の手を煩わせるわけにもいかずに悶々と日の出を待ち続ける日々。心身を消耗しないわけがない。
追い打ちをかけるように、アウストルの取りつく島もない冷めた態度に晒され、歩み寄りを図ったメルフェリーゼを突き放すような言動を浴びせられる。ぎりぎりのところで耐えていたものが、一気に溢れ出した瞬間だった。
メルフェリーゼはまだ怠さの残る身体でベッドから這い出し、テーブルのそばに置かれた椅子に腰を下ろす。
無性に、泣いてしまいたい気分だった。しかしハナのいる手前、せめて彼女をこれ以上心配をかけさせたくないと無理やり、自分の気持ちに蓋をする。
ハナは椅子に座ったメルフェリーゼの肩に毛織りのブランケットをかけると、慣れた手つきでティーカップに紅茶を注いだ。カップの中に蜂蜜を垂らし、混ぜる。ティーカップとスプーンのこすれ合うカチャカチャとした音を聞いていると、メルフェリーゼは自然と自分の心が落ち着いていくのを感じた。
「不眠と冷えに効くハーブティーです」
ハナに勧められて、一口飲んでみる。こっくりとした甘さのなかに、柑橘のような爽やかな香りがする。少なくとも今まで、飲んだことがない味だ。
「はじめて飲む味だわ……おいしい」
「このハーブティーは、カイリエン様が届けてくださったのです。ツリシャでは就寝前に飲むものだそうで」
カイリエンの名を聞いただけで、メルフェリーゼの心はつきんと傷んだ。会いたくても、会えない人。はじめから、メルフェリーゼが間違っていたことは分かっている。第二王子の妻という身でありながら、他の男性と友になりたいなどと望んだ自分が悪いのだ。
メルフェリーゼにはもう、カイリエンに対する気持ちの正体がなんなのかも分からなくなっていた。最初はただ、話し相手が欲しかっただけだ。自分を王子妃として扱わない、メルフェリーゼ個人として扱ってくれる人が。
それが今では、こんなにもカイリエンを求めている。落ち着いた声に、蜂蜜色の目、あのたくましい腕にもう一度抱かれたいと思っている。メルフェリーゼのすべてが、カイリエンを欲している。
メルフェリーゼは震える手で、ティーカップを置いた。寒さのせいだけではない、自分が惨めで、生きていることすら肯定できなくて。
泣き出しそうになるのをぐっとこらえて、血が滲むほど唇を噛む。そうでもしていないと、メルフェリーゼは今すぐバルコニーから身を投げてしまいそうだった。
アウストルに愛されず、世継ぎの一人も望めない自分など、生きている価値がない。カイリエンも時期にツリシャへ帰る。その時、メルフェリーゼはまた一人になるのだ。離縁も許されず、孤独にこのユルハ城で死にゆくだけ。
だったらいっそ、自分の手でこの命を終わらせてしまおうか。メルフェリーゼが死ねば、アウストルは堂々と貴族の女性を娶ることができるだろう。新しい妻を気に入り、今度こそ世継ぎも産まれるかもしれない。王族にとっても、国にとっても、メルフェリーゼなど死んだほうがいいに決まっている。
メルフェリーゼはふらふらと立ち上がり、バルコニーへ続く大きな窓を開け放った。夜風にはまだ冬の匂いが残り、身を引き裂くような寒さに肩を震わせる。
バルコニーから身を乗り出し、下を覗き込む。暗くてよく見えないが、メルフェリーゼは、はたと気がついた。
下には中庭の芝生が広がっている。メルフェリーゼの部屋は二階。高さはそれほどない。上手く落ちなければ、死ぬこともできないかもしれない。
私は、勝手に死ぬことも許されないの……?
バルコニーに膝をつきかけたメルフェリーゼの腕を、素早くハナが捕らえた。驚いて顔を上げると、ハナは幼い顔に似合わぬほど、怒りに燃えた目をしていた。
「ハナ、どうして……」
どうして止めるのか、どうしてそんなに怒りに満ちた顔をしているのか、聞きたいことはたくさんあるのに、どれも言葉にならない。
ハナも、メルフェリーゼの腕を掴んだまま、じっとなにかに耐えるように黙り込んでいる。
長い沈黙も、やがて終わりを迎えた。ハナが白い息を吐き出して、メルフェリーゼの顔を見る。
「カイリエン様に会いに行きましょう。メルフェリーゼ様のお心を救えるのは、あの方しかいません」
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