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6章(1)
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「アウストルが、生きている?」
マーリンドは密偵の報告を信じられずに聞き返した。密偵はぴくりとも表情を変えずにうなずく。
「ブルゴ湖そばの屋敷への出入りを確認しました。メルフェリーゼ様も一緒のようです」
「あの女……」
一体、なんの心変わりだ? メルフェリーゼはカイリエンとともに、マーリンドが用意したツリシャの家に住んでいたのではなかったのか?
メルフェリーゼは後でどうとでもなる。所詮、貧民から王族へ上がってきた女だ。どう始末しようが、大した問題にはならないだろう。
それよりもアウストルのことだ。マーリンドはたしかに、この目で遺体を確認した。窒息死のせいで人相の判別が難しいほど顔が歪んではいたが、城仕えの医師も、その遺体がアウストルであると断言した。
国を挙げて国葬まで執り行ったのだ。それが、別人だったというのか?
「ブルゴ湖の屋敷と言ったな」
マーリンドの問いに、密偵がわずかに顎を引く。
ブルゴ湖そばの屋敷はドゥアオロ王が、自身の妾でありアウストルの母親である女のために建てたものだ。アウストルを産んでから体調の思わしくなかった彼女の療養先として、というのが表向きの理由ではあるが、実際は娼婦の彼女が周りに王子を産んだことを吹聴しないための幽閉だった。もとより、そんなことをするような気の強い女には見えなかったが。
アウストルがブルゴ湖の屋敷を潜伏先として選んだのは意外だった。彼一人であれば、もっと他に見つかりにくい場所へ行くこともできたはずだからだ。
案外、はじめからメルフェリーゼを取り戻すつもりだったのか。彼女とともに潜伏することを考えて、手入れの行き届いた屋敷を選んだというなら、しっくりくる。
早急に手を打たなければならない。すべては自分の思い通りに進んでいたはずが、アウストルは生きており、メルフェリーゼも彼の元へ戻ったというのなら、なにも成し遂げていないのと変わりない。確実に王位を手にするなら、アウストルも、メルフェリーゼも生かしておくことはできない。
それにカイリエンとハナも、始末しておいたほうがいいだろう。マーリンドの指示でアウストルの毒殺が図られた証拠は、徹底的に消しておかねばならない。
「散らばっている密偵をすべて集めろ。計画を練り直す」
マーリンドの指示で、密偵が音もなく部屋を後にする。今度こそ、アウストルを消す。そして、王位を確実に自分の手中に収めるのだ。
◇ ◇ ◇
テーブルの向かいからにゅっと手が伸びてきて、ミハイの前に置かれたミルクパンを奪い去っていった。
「おい、返せよ!」
我に返ったミハイが、ミルクパンを手に仏頂面をしているミライを睨みつける。
「食べないから、いらないんだと思って」
「いらないとは言ってないだろ! 考えごとしてて食ってなかっただけだ」
椅子から腰を浮かせ、ミライの手からミルクパンを取り返す。普段食べている黒麦のパンとはまるで違う。ふんわりとした食感に、甘い香り。まるで雲を噛んでいるような心地だ。城の人間はいつもこんなに美味いものを食べているのか、とミハイはひとりごちた。
「あの、ミライさん。よかったら、わたしのパン食べます……?」
ミライの隣に腰かけていた少女が、おずおずと自分の手にしたパンを彼に差し出す。ミライが手を伸ばすより早く、ミハイはテーブルに乗り上げるようにして少女の手に握られたパンを掴むと、彼女の口に押し込んだ。
「ハナ、こいつあげたらあげただけ食うからやめとけ」
口いっぱいにミルクパンを頬張りながら、ハナがこくこくとうなずく。
ミライは仏頂面をあからさまに落ち込ませて、ミハイをじろりと見た。体格のいいミライはかなりの大食いだ。ミハイは昔から、ミライに腹いっぱい食わせるために働いてきたといっても過言ではない。今の毒師としての稼ぎだって、大半は食費に消える。
しかし、それでいい。ミハイが毒師として生きていくためには、ミライの力が必要不可欠なのだから。ミハイがミライの知恵を補い、ミライがミハイの力を補う。二人はそうして、昔から二人でひとつだった。
むぐむぐとパンを頬張るハナを見ながら、ミハイは考えを巡らせる。ミライからマーリンドがハナを消すために動きはじめたと聞かされて、一も二もなく彼女を館に保護しようと決めたわけだが。
「どう考えても厄介事の臭いしかしないんだよなあ」
なにがどうなっているのか、まるで分からない。アウストルは毒殺を回避したようで生きているし、男と駆け落ちしたはずのメルフェリーゼは大人しくアウストルの元へ戻っている。
ミライからメルフェリーゼは新しい屋敷でアウストルと仲睦まじく暮らしていると聞いた時は目が回るかと思った。まさか嫁に毒殺されかけたことで、愛が芽生えたとでもいうのか?
「メルが幸せであれば、それでいい」
ミルクパンを物欲しそうに見つめたまま、ミライが呟く。
「ハナが死んだら、メルは悲しむ」
「結局、そこに行き着くんだよな」
ハナは自分の置かれている状況を上手く察していないようで、きょとんとしている。彼女には、しばらく城には帰れないこと、王族の命令でハナをここへ住まわせることになったと説明しているが、いずれは本当のことを言わねばならないだろう。
アウストルとメルフェリーゼが生きていること。マーリンドによるアウストルの毒殺計画に加担させられたことで、マーリンドに殺されようとしていること。そして彼女の、生みの親について。
とにかく、ミハイとミライのやることは決まった。メルフェリーゼのために、ハナをなんとしてでも生かす。彼女はアウストルやメルフェリーゼがマーリンドに追い込まれた時、必ず切り札になる。ハナが生きていることで、メルフェリーゼを救える可能性が出てくる。
ミハイは席を立つと、ミライに出かけようと声をかけようとした。喉元まで出かけた言葉を飲み下して、ハナを見る。
ハナをこの館に、一人にしておくわけにはいかない。けれど、護衛のためにミライを置いていくわけにはいかない。そうすれば外出中のミハイの身を守ってくれる人がいなくなる。
ミハイは盛大なため息を吐いた。毒師に子守りとか、無理だろ。
マーリンドは密偵の報告を信じられずに聞き返した。密偵はぴくりとも表情を変えずにうなずく。
「ブルゴ湖そばの屋敷への出入りを確認しました。メルフェリーゼ様も一緒のようです」
「あの女……」
一体、なんの心変わりだ? メルフェリーゼはカイリエンとともに、マーリンドが用意したツリシャの家に住んでいたのではなかったのか?
メルフェリーゼは後でどうとでもなる。所詮、貧民から王族へ上がってきた女だ。どう始末しようが、大した問題にはならないだろう。
それよりもアウストルのことだ。マーリンドはたしかに、この目で遺体を確認した。窒息死のせいで人相の判別が難しいほど顔が歪んではいたが、城仕えの医師も、その遺体がアウストルであると断言した。
国を挙げて国葬まで執り行ったのだ。それが、別人だったというのか?
「ブルゴ湖の屋敷と言ったな」
マーリンドの問いに、密偵がわずかに顎を引く。
ブルゴ湖そばの屋敷はドゥアオロ王が、自身の妾でありアウストルの母親である女のために建てたものだ。アウストルを産んでから体調の思わしくなかった彼女の療養先として、というのが表向きの理由ではあるが、実際は娼婦の彼女が周りに王子を産んだことを吹聴しないための幽閉だった。もとより、そんなことをするような気の強い女には見えなかったが。
アウストルがブルゴ湖の屋敷を潜伏先として選んだのは意外だった。彼一人であれば、もっと他に見つかりにくい場所へ行くこともできたはずだからだ。
案外、はじめからメルフェリーゼを取り戻すつもりだったのか。彼女とともに潜伏することを考えて、手入れの行き届いた屋敷を選んだというなら、しっくりくる。
早急に手を打たなければならない。すべては自分の思い通りに進んでいたはずが、アウストルは生きており、メルフェリーゼも彼の元へ戻ったというのなら、なにも成し遂げていないのと変わりない。確実に王位を手にするなら、アウストルも、メルフェリーゼも生かしておくことはできない。
それにカイリエンとハナも、始末しておいたほうがいいだろう。マーリンドの指示でアウストルの毒殺が図られた証拠は、徹底的に消しておかねばならない。
「散らばっている密偵をすべて集めろ。計画を練り直す」
マーリンドの指示で、密偵が音もなく部屋を後にする。今度こそ、アウストルを消す。そして、王位を確実に自分の手中に収めるのだ。
◇ ◇ ◇
テーブルの向かいからにゅっと手が伸びてきて、ミハイの前に置かれたミルクパンを奪い去っていった。
「おい、返せよ!」
我に返ったミハイが、ミルクパンを手に仏頂面をしているミライを睨みつける。
「食べないから、いらないんだと思って」
「いらないとは言ってないだろ! 考えごとしてて食ってなかっただけだ」
椅子から腰を浮かせ、ミライの手からミルクパンを取り返す。普段食べている黒麦のパンとはまるで違う。ふんわりとした食感に、甘い香り。まるで雲を噛んでいるような心地だ。城の人間はいつもこんなに美味いものを食べているのか、とミハイはひとりごちた。
「あの、ミライさん。よかったら、わたしのパン食べます……?」
ミライの隣に腰かけていた少女が、おずおずと自分の手にしたパンを彼に差し出す。ミライが手を伸ばすより早く、ミハイはテーブルに乗り上げるようにして少女の手に握られたパンを掴むと、彼女の口に押し込んだ。
「ハナ、こいつあげたらあげただけ食うからやめとけ」
口いっぱいにミルクパンを頬張りながら、ハナがこくこくとうなずく。
ミライは仏頂面をあからさまに落ち込ませて、ミハイをじろりと見た。体格のいいミライはかなりの大食いだ。ミハイは昔から、ミライに腹いっぱい食わせるために働いてきたといっても過言ではない。今の毒師としての稼ぎだって、大半は食費に消える。
しかし、それでいい。ミハイが毒師として生きていくためには、ミライの力が必要不可欠なのだから。ミハイがミライの知恵を補い、ミライがミハイの力を補う。二人はそうして、昔から二人でひとつだった。
むぐむぐとパンを頬張るハナを見ながら、ミハイは考えを巡らせる。ミライからマーリンドがハナを消すために動きはじめたと聞かされて、一も二もなく彼女を館に保護しようと決めたわけだが。
「どう考えても厄介事の臭いしかしないんだよなあ」
なにがどうなっているのか、まるで分からない。アウストルは毒殺を回避したようで生きているし、男と駆け落ちしたはずのメルフェリーゼは大人しくアウストルの元へ戻っている。
ミライからメルフェリーゼは新しい屋敷でアウストルと仲睦まじく暮らしていると聞いた時は目が回るかと思った。まさか嫁に毒殺されかけたことで、愛が芽生えたとでもいうのか?
「メルが幸せであれば、それでいい」
ミルクパンを物欲しそうに見つめたまま、ミライが呟く。
「ハナが死んだら、メルは悲しむ」
「結局、そこに行き着くんだよな」
ハナは自分の置かれている状況を上手く察していないようで、きょとんとしている。彼女には、しばらく城には帰れないこと、王族の命令でハナをここへ住まわせることになったと説明しているが、いずれは本当のことを言わねばならないだろう。
アウストルとメルフェリーゼが生きていること。マーリンドによるアウストルの毒殺計画に加担させられたことで、マーリンドに殺されようとしていること。そして彼女の、生みの親について。
とにかく、ミハイとミライのやることは決まった。メルフェリーゼのために、ハナをなんとしてでも生かす。彼女はアウストルやメルフェリーゼがマーリンドに追い込まれた時、必ず切り札になる。ハナが生きていることで、メルフェリーゼを救える可能性が出てくる。
ミハイは席を立つと、ミライに出かけようと声をかけようとした。喉元まで出かけた言葉を飲み下して、ハナを見る。
ハナをこの館に、一人にしておくわけにはいかない。けれど、護衛のためにミライを置いていくわけにはいかない。そうすれば外出中のミハイの身を守ってくれる人がいなくなる。
ミハイは盛大なため息を吐いた。毒師に子守りとか、無理だろ。
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