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6章(6)
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冷水でぐっしょりと濡れた服の不快感で、アウストルは失神に近い浅い眠りから目を覚ました。
状況は変わっていない。アウストルの生存を知ったドゥアオロ王から呼び出しの封書が届いたのが数日前。私兵を動員し、十分に注意はしていたはずだった。しかしドゥアオロ王との密会中に、アウストルは何者かに襲われて意識を失った。今となっては国王すら共犯だったと考えざるをえない。
アウストルは痛みで軋む身体を無理やり起こし、冷たい石の壁に身体をもたせかけた。後ろ手に縛られた腕が身体と壁の間に挟まって感覚をなくしつつある。
今は感覚などないほうがありがたい。おそらく指が何本か、折れている。爪も失い、指先は絶えずじくじくと熱を持ったように痛む。
肋骨もヒビが入っているだろう。呼吸をするだけで、胸が焼きつくように痛んだ。
オイルランプの明かりがひとつだけの地下牢では、時間の経過が分からない。アウストルの体内時計が正しければ、夜は明けているはずだ。しかし苦痛というのは時間を引き伸ばす。身体の痛みのせいで夜が明けるほど長い時間を過ごしたと錯覚しているせいで、実際はまだ二時間ほどしか経っていないかもしれない。
情報を求めて周囲を確認したいものの、アウストルにはすでに周りを見回す気力も、立ち上がって歩き回る力も残っていなかった。目にかかる濡れた髪さえ払えずに、痛みもあいまって視界はぼんやりとしている。
「あら、いい男が台無しじゃありませんこと」
艶のある声が壁に反響して、アウストルは重たい頭を上げる。
入り口の鉄格子を開け放って、ロワディナがそこに立っていた。やたらと胸元の開いた夜着を着て、ロワディナはまるで茶会に来たかのような軽い足取りでアウストルのほうへ向かってくる。
アウストルの前にかがみ込むと、ロワディナは肉厚な唇を彼の耳元に寄せた。ぬるりと耳を撫でる感触に、アウストルの皮膚が粟立つ。
「ちょっと……血の味がしますわね」
ねっとりと鼓膜に絡みつくような色っぽい声で、ロワディナは囁く。ロワディナの指先がアウストルの着ているシャツのボタンを探り当て、ひとつずつ外していく。シャツの下の素肌には、古傷のほかにいくつもの痣や、みみず腫れになった引っかき傷のようなものが残っていた。
「なに、を」
カラカラに乾いた喉から絞り出すように、アウストルが問う。ロワディナはアウストルの耳から唇を離すと、くっきりと残るみみず腫れに指を這わせた。
「あたくし、爺に嫁がされてからずっと思ってきたんですの。あたくしの夫が、アウストル様だったらどれほどよかったかしら、って」
ロワディナの手が血で汚れたアウストルの両頬を拭う。痛みで顔をしかめるアウストルを見て、彼女は夜着のリボンに手をかけた。
「あなたを生かしてあげられる方法が、ひとつだけありますわ」
しゅるしゅると解かれたリボンを床に落とし、ロワディナはむき出しになった豊満な胸をアウストルの口元に押しつける。
「アウストル様が、あたくしの男妾になるんですの。この地下牢で永遠に、あたくしの犬として生きることを誓うのなら、あたくしから爺にお願いして処刑の話はなかったことになりますわ」
アウストルはロワディナの肉に揉まれながら、働かない頭でぼんやりと考えた。
メルフェリーゼは今、どうしているだろう。指を折り、爪を剝いでまで彼女の居場所を聞き出そうとしていたのだから、屋敷にはいなかったということか。
王位継承争いから身を引いたアウストルを殺さないと気が済まないほど、マーリンドが王位に執着していることは知っている。単純に王位だけを求めるのなら、アウストルが死ねば安泰ではないのか。なぜ、メルフェリーゼの居場所まで求めるのだろう。
「なぜ……」
アウストルは顔を逸らしながら、ロワディナに尋ねる。
「メルを見つけて、どうする、つもりだ……」
ロワディナはアウストルが口を聞いたのが嬉しかったのか、アウストルの太ももに乗り上げ、首に腕を絡ませる。
「あたくしにキスしてくれたら、教えてあげてもいいですわ――」
アウストルはロワディナが言い終わらないうちに、その唇を貪った。使えるものはなんでも使う。そうして自分は、ここまで生き残ってきたはずだ。メルフェリーゼのためならば、自分は悪魔になってもいい。この女にすべてを売ってもいい。生きて、またメルフェリーゼに会うために。
飢えた獣のようにロワディナの唾液を啜ったアウストルは、翡翠色の瞳をすがめて彼女を見た。ロワディナはアウストルに貪られ、息も絶え絶えに胸を上下させている。
「教えろ。メルをどうするつもりだ」
「っ……爺はあたくしよりも、メルフェリーゼを求めているんですの。捕らえられたあなたの前で、あの子を孕ませる。そして、あの子の前であなたを殺す。本当に……同じ血を分けた兄弟とは思えませんわね」
ロワディナは幾分、同情的に呟いた。彼女の心が、アウストルのほうへ傾いてきていることは明白だった。あと一押し、なにかがあれば。
アウストルが口を開きかけた時――。
「おお、ディナ。こんなところで油を売っていたのか」
入り口から飛んだ声に、ロワディナの顔からさっと血の気が引く。
マーリンドは大股で彼女に近づくと、夜着から零れた胸をきつく掴んだ。やわらかな胸にマーリンドの太い指が食い込み、ロワディナが痛みを押し殺すように唇を噛む。
「本当に、お前ははしたない女だな」
マーリンドが「おい」と一声上げただけで、ぞろぞろと兵士が牢へ入ってくる。兵士たちはロワディナの両腕を掴むと無理やり彼女を立たせた。マーリンドがぐっと指先に力を入れるたびに、彼女のたっぷりとした胸が形を変える。くっきりと赤い指の跡が残ったのを見て、ロワディナは目に涙をためた。
「ディナ、お前はもう十分休んだだろう?」
「い、いや……!」
子どものように泣きながら首を振るロワディナの頬を、マーリンドが勢いよく張った。肉の弾ける音が反響し、力を失ったロワディナがずるずると兵士に引きずられていく。
「私の寝室に放りこんでおけ。今度こそ、男児を孕むまで部屋から出してはならぬぞ」
記憶が、濁流となってアウストルを飲み込む。いつ見ても血色の悪い顔をしていた母。月に十日ほど、閉ざされる屋敷。母の脚の間から流れる、真っ赤な鮮血。産まれるはずだった、妹。ドゥアオロ王の、侮蔑のこもった眼差し。
憎しみが、怒りが、アウストルの心を飲み込み、身体を支配する。
生かしておいてはならない。母を壊したドゥアオロ王も、メルフェリーゼを傷つけようとするマーリンドも。
「なんだ、その目は」
地下牢を出ようとしていたマーリンドが、アウストルの視線に気づいて足を止める。
アウストルは唇にこびりついた血を舐め取って、マーリンドを睨みつけた。
「たとえここで死んだとしても、俺は必ずお前と国王を破滅させる――」
マーリンドの爪先が、アウストルの頭を床に沈めた。石造りの床に額を打ちつけ、だらだらと血が流れる。
「あと二日。楽しみにしておれ」
マーリンドの足音が遠ざかっていく。
新しい血溜まりに顔を突っ伏しながら、アウストルはぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
状況は変わっていない。アウストルの生存を知ったドゥアオロ王から呼び出しの封書が届いたのが数日前。私兵を動員し、十分に注意はしていたはずだった。しかしドゥアオロ王との密会中に、アウストルは何者かに襲われて意識を失った。今となっては国王すら共犯だったと考えざるをえない。
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今は感覚などないほうがありがたい。おそらく指が何本か、折れている。爪も失い、指先は絶えずじくじくと熱を持ったように痛む。
肋骨もヒビが入っているだろう。呼吸をするだけで、胸が焼きつくように痛んだ。
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情報を求めて周囲を確認したいものの、アウストルにはすでに周りを見回す気力も、立ち上がって歩き回る力も残っていなかった。目にかかる濡れた髪さえ払えずに、痛みもあいまって視界はぼんやりとしている。
「あら、いい男が台無しじゃありませんこと」
艶のある声が壁に反響して、アウストルは重たい頭を上げる。
入り口の鉄格子を開け放って、ロワディナがそこに立っていた。やたらと胸元の開いた夜着を着て、ロワディナはまるで茶会に来たかのような軽い足取りでアウストルのほうへ向かってくる。
アウストルの前にかがみ込むと、ロワディナは肉厚な唇を彼の耳元に寄せた。ぬるりと耳を撫でる感触に、アウストルの皮膚が粟立つ。
「ちょっと……血の味がしますわね」
ねっとりと鼓膜に絡みつくような色っぽい声で、ロワディナは囁く。ロワディナの指先がアウストルの着ているシャツのボタンを探り当て、ひとつずつ外していく。シャツの下の素肌には、古傷のほかにいくつもの痣や、みみず腫れになった引っかき傷のようなものが残っていた。
「なに、を」
カラカラに乾いた喉から絞り出すように、アウストルが問う。ロワディナはアウストルの耳から唇を離すと、くっきりと残るみみず腫れに指を這わせた。
「あたくし、爺に嫁がされてからずっと思ってきたんですの。あたくしの夫が、アウストル様だったらどれほどよかったかしら、って」
ロワディナの手が血で汚れたアウストルの両頬を拭う。痛みで顔をしかめるアウストルを見て、彼女は夜着のリボンに手をかけた。
「あなたを生かしてあげられる方法が、ひとつだけありますわ」
しゅるしゅると解かれたリボンを床に落とし、ロワディナはむき出しになった豊満な胸をアウストルの口元に押しつける。
「アウストル様が、あたくしの男妾になるんですの。この地下牢で永遠に、あたくしの犬として生きることを誓うのなら、あたくしから爺にお願いして処刑の話はなかったことになりますわ」
アウストルはロワディナの肉に揉まれながら、働かない頭でぼんやりと考えた。
メルフェリーゼは今、どうしているだろう。指を折り、爪を剝いでまで彼女の居場所を聞き出そうとしていたのだから、屋敷にはいなかったということか。
王位継承争いから身を引いたアウストルを殺さないと気が済まないほど、マーリンドが王位に執着していることは知っている。単純に王位だけを求めるのなら、アウストルが死ねば安泰ではないのか。なぜ、メルフェリーゼの居場所まで求めるのだろう。
「なぜ……」
アウストルは顔を逸らしながら、ロワディナに尋ねる。
「メルを見つけて、どうする、つもりだ……」
ロワディナはアウストルが口を聞いたのが嬉しかったのか、アウストルの太ももに乗り上げ、首に腕を絡ませる。
「あたくしにキスしてくれたら、教えてあげてもいいですわ――」
アウストルはロワディナが言い終わらないうちに、その唇を貪った。使えるものはなんでも使う。そうして自分は、ここまで生き残ってきたはずだ。メルフェリーゼのためならば、自分は悪魔になってもいい。この女にすべてを売ってもいい。生きて、またメルフェリーゼに会うために。
飢えた獣のようにロワディナの唾液を啜ったアウストルは、翡翠色の瞳をすがめて彼女を見た。ロワディナはアウストルに貪られ、息も絶え絶えに胸を上下させている。
「教えろ。メルをどうするつもりだ」
「っ……爺はあたくしよりも、メルフェリーゼを求めているんですの。捕らえられたあなたの前で、あの子を孕ませる。そして、あの子の前であなたを殺す。本当に……同じ血を分けた兄弟とは思えませんわね」
ロワディナは幾分、同情的に呟いた。彼女の心が、アウストルのほうへ傾いてきていることは明白だった。あと一押し、なにかがあれば。
アウストルが口を開きかけた時――。
「おお、ディナ。こんなところで油を売っていたのか」
入り口から飛んだ声に、ロワディナの顔からさっと血の気が引く。
マーリンドは大股で彼女に近づくと、夜着から零れた胸をきつく掴んだ。やわらかな胸にマーリンドの太い指が食い込み、ロワディナが痛みを押し殺すように唇を噛む。
「本当に、お前ははしたない女だな」
マーリンドが「おい」と一声上げただけで、ぞろぞろと兵士が牢へ入ってくる。兵士たちはロワディナの両腕を掴むと無理やり彼女を立たせた。マーリンドがぐっと指先に力を入れるたびに、彼女のたっぷりとした胸が形を変える。くっきりと赤い指の跡が残ったのを見て、ロワディナは目に涙をためた。
「ディナ、お前はもう十分休んだだろう?」
「い、いや……!」
子どものように泣きながら首を振るロワディナの頬を、マーリンドが勢いよく張った。肉の弾ける音が反響し、力を失ったロワディナがずるずると兵士に引きずられていく。
「私の寝室に放りこんでおけ。今度こそ、男児を孕むまで部屋から出してはならぬぞ」
記憶が、濁流となってアウストルを飲み込む。いつ見ても血色の悪い顔をしていた母。月に十日ほど、閉ざされる屋敷。母の脚の間から流れる、真っ赤な鮮血。産まれるはずだった、妹。ドゥアオロ王の、侮蔑のこもった眼差し。
憎しみが、怒りが、アウストルの心を飲み込み、身体を支配する。
生かしておいてはならない。母を壊したドゥアオロ王も、メルフェリーゼを傷つけようとするマーリンドも。
「なんだ、その目は」
地下牢を出ようとしていたマーリンドが、アウストルの視線に気づいて足を止める。
アウストルは唇にこびりついた血を舐め取って、マーリンドを睨みつけた。
「たとえここで死んだとしても、俺は必ずお前と国王を破滅させる――」
マーリンドの爪先が、アウストルの頭を床に沈めた。石造りの床に額を打ちつけ、だらだらと血が流れる。
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