【完結】バッドトリップ【R18】

古都まとい

文字の大きさ
22 / 25

5章(3)

しおりを挟む
 額にぽつんと開いた穴から、どくどくと血が溢れ出して一幸かずゆきの顔や身体を濡らしていた。
 じんは拳銃を握ったまま強張ったはるの手をやさしく解いて、役目を終えた拳銃を取り上げる。静は晴から離れると、手に持った拳銃を一幸の太ももの上に置いた。黒い銃身はたちまち血で濡れて、鈍く輝いた。
 一幸の閉じることを忘れた空虚な瞳が、まっすぐに晴を見つめている。晴は一歩、二歩と後ずさると、毛の長い絨毯に足を取られるようにしてくずおれた。手の震えが止まらない。手のひらを掲げる。血は、付いていない。
 額から伝った血が絨毯に染み込み、晴の足元まで迫っているような錯覚を覚える。見えないなにかから逃れるように床の上で後ずさりを繰り返す晴の身体を、静は軽々と抱き上げて、広いベッドの上に放った。

 静にゆっくりと押し倒され、白いシーツの上に晴の切りそろえられた黒髪が広がる。静にのしかかるように見下され、言いかけた言葉はたちまち静の唇に吸われていった。

「可愛い、晴……」

 静が触れるだけのキスを繰り返しながら、愛おしげに晴の両頬を手のひらで包み込む。

「わかる? 自分がどんな顔をしてるか」

 晴は横たわったまま、ふるふると首を振る。人を殺した自分の顔など、わかりたくもない。けれど静は壊れ物を扱うかのように、晴の顔をそっと撫でた。

「俺は晴のことが好き――人を殺した後の、晴の顔が、一番好き」

 そう言うと、静は深く晴に口付けた。押し返そうとした両手が、あっさりと静の片手で絡め取られ、晴は目を閉じて静を受け入れる。
 薄く開いた唇を割って、肉厚な舌がぬるりと滑り込んでくる。舌を絡め、軽く吸われると、頭の芯がぼうっと熱くなる感覚がした。飲みきれなかった唾液が唇の端からこぼれる。

「んんっ……」

 息が苦しくなって脚をばたつかせると、静はようやく唇を離した。唾液が糸になって、ぷつりと切れる。
 静は身を起こすと、スーツの上着を脱ぎ捨て、床に放った。きっちりと上まで留めていたワイシャツのボタンを乱雑に二、三個外して胸元をくつろげる。ワイシャツの襟と伸びた黒髪の間で、龍の刺青が自由を得たように天空を睨んでいた。
 静に引き起こされて、晴はベッドに腰掛けた。ワンピースの裾に伸びてきた静の手を慌てて止める。

「ま、待って」
「なに?」

 こんなの、間違っている。喉元まで出かけている言葉を、どうしても吐き出すことができない。自分が望んだのは、こんな未来じゃない。一幸かずゆきとしっかり話し合って、離婚届を書いてもらって離婚して、それからゆっくりじんとの再会を、喜べたらいいと思っていた。じっくりと時間をかけて、もう一度、静との関係を築いていきたいと思っていた。
 これでは階段を三段飛ばしどころか、人の道を踏み外していることにほかならない。夫を殺し、これから自分はどうやって生きていくつもりなのだろう? 静の本心だって、まだ少しもわからない。
 はるは静の手を掴むと、震える声で絞り出した。

「やっぱりだめだよ、こんなこと……私、警察に――」
「警察に行って、どうするの?」
「どうするって、自首するに決まってるじゃない!」

 静がくつくつと喉の奥で笑った。

「自首すれば……自分は救われるって思ってるんだ?」
「え……?」

 ワンピースの裾から静の手が入り込み、ぴったりと閉じられた晴の内ももを撫でて、強引に開かせようとする。流されまいと首を振る晴の耳元で、静が囁く。

「晴が警察に告白するべき罪なんて、ひとつもないよ」
「そんなこと……」
名村一幸なむらかずゆきはここで死んだんじゃない、ひき逃げで殺されたんだ。晴が小学生の時に殺したあの男も、警察は熊に襲われて死んだって処理しただろう? いま晴が警察に駆け込んだところで、妄想に取り憑かれたやばい女だって思われるのが関の山だよ」

 晴の強張っていた肩から力が抜ける。手詰まりだった。
 自分はどうやっても、助からない。二人も殺したのに、その事実を誰にも信じてもらえないまま、生きていかなければならない。懺悔することすら許されない。晴が人を殺したという事実は、この世には存在しない。ただ晴と――静のなかだけに存在する。
 人を殺してしまった晴を受け入れてくれるのは、静しかいないのだ。彼だけが晴の罪を認知し、人殺しの晴を受け入れ、晴に罪を背負い続けることを強要する。
 静のそばを離れて生きていくことはできない。晴はこの時はっきりと、それを自覚した。

「ねぇ、晴」

 黒真珠のように美しい瞳が、晴を見つめている。
 晴は絶望の涙を流しながら、狼のように鋭く綺麗な静の笑顔を見た。

「俺が一生、晴のことを大切にしてあげる」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

スパダリな義理兄と❤︎♡甘い恋物語♡❤︎

鳴宮鶉子
恋愛
IT関係の会社を起業しているエリートで見た目も極上にカッコイイ母の再婚相手の息子に恋をした。妹でなくわたしを女として見て

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...