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第6錠
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すっかり満ちた腹を抱えて、水瀬は朝日を浴びながら薬局までの道を歩いていた。
満腹になるのは当たり前だ。途中で食べきれないとギブアップした純平の分まで腹に収めたのだから。深夜のラーメンに付き合ってくれた純平は満腹のせいか、異常に眠いと言って駅前で別れた。
水瀬はカラオケ店で仮眠を取った後、出勤するために薬局へ向かっている。
純平は今頃、夢の中だろうか。会った時は冴えない表情をしていたが、別れ際にはなにかが吹っ切れたような、そしてすこし眠そうな顔をしていた。あれでいい。元気がない時は食って寝るのが一番だ。
薬局の裏口に回り、鍵を開ける。土曜日の出勤はいつも水瀬が一番乗りである。ロッカーに私物をしまい込んで、白衣を着た。思い出したように耳につけていたピアスを外す。髪色やアクセサリーにはあまりうるさくない職場ではあるが、あまりピアスの数が多いと威圧感を覚える患者もいる。水瀬なりに気を遣った結果だ。
「おはようございまーす」
パソコンの立ち上げや、届いたファックスの確認などをしていると後輩の長島が出勤してきた。長島は薬剤師ではなく薬局事務のアルバイトで、大学を卒業したばかりだという。
「水瀬さん、あいかわらず早いですね」
白衣を着て、ゆるく巻いた髪の毛をまとめながら長島が話しかけてくる。
「家に帰るのめんどくさかったから」
「またオールで出勤ですか? 若いって羨ましい」
「長島さんのほうが年下でしょ」
大学を卒業したばかりの長島とは十歳差である。断然、長島のほうが若い。
気づくと入口前の掃き掃除を終えた長島が、すぐそばに立っていた。
「今度、一緒に食事に行きませんか?」
きらきらとしたアイメイクで囲われた目を見る。そして首を振る。
「俺はいいよ。他の人誘いな」
「なんで毎回断るんですか! 一回くらい行ってくれたっていいじゃないですか!」
ぷくっと頬を膨らませた長島は愛らしい。きっと本人もわかってやっているのだろうし、こういうタイプが好きな男が存在することだってわかる。
背を向けようとすると、回り込まれた。うるうるとした目が、自分を見上げている。
「さては水瀬さん、彼女がいますね?」
「前も言ったけど、いないよ」
「じゃあどうして断るんですか? そんなに私のことが嫌いですか?」
「別に嫌いってわけじゃないけど……」
好きでもない、と心の中で呟いてしまうのは本人に悪いだろうか。
とにかく、この話を引き伸ばしてもいいことはない。長島の肩に手をかける。あくまでやんわりと事実だけを告げた。
「俺、女の子に興味ないから」
◇ ◇ ◇
人生ではじめて付き合った人は、学校の先生だった。中学生の時のことだ。
自分の恋愛対象が男だということに気づいたのは、中学生の時だった。周りが夢中になっている女性アイドルにまったく興味が湧かないこと、クラスの女子に告白されてもまったく心が動かなかったこと、気づけば数学の先生のことばかり目で追っていたこと。
数学の先生は男だった。結婚していて、子どももいた。先生の奥さんが羨ましかった。先生が結婚する前に出会っていたら――なんて子どもじみた想像を何度もしたことを覚えている。
どうして付き合うことになったのか、詳しい経緯は覚えていない。ただ課題ノートの隅に書いたメッセージに、先生が毎回律儀に返事を書いてくれたことは覚えている。二人だけの秘密だと、その先生は言ってくれた。
先生の家庭を壊しているという自覚はなかった。もし自分が女なら、先生の奥さんにとって自分は排除するべき人間になったかもしれないが、男だったから。先生が同性愛者だったのかどうかすら、今となってはわからない。
中学を卒業したら、先生との関係はあっさりと終わった。卒業式の日に、もう会うことは二度とないと言われた。
それからは自分が同性が好きだということは隠して生きている。カモフラージュに女の子と付き合ったこともあるが、どの人とも長続きしなかった。当然だ。女性というものに興味がないのだから。デート中も、好きでもない人形と向き合っているみたいで苦痛だった。
疲れの見える、沈んだ表情。諦めが澱のように溜まっている、濁った瞳。助言を受け入れる素直さ。ラーメンに誘った時の、新鮮な驚き。眠たくなってきたと言って恥ずかしそうに頭を下げた早朝の顔。
吐き出されるファックスの紙束を見ながら、水瀬はいつの間にか純平のことを思い出していた。首を振る。彼はただの患者だ。ちょっとした運命の間違いで、薬局の外でも関係を持ってしまっただけで。
それに純平はいたって普通の異性愛者のはずだ。自分が受け入れられるはずがない。
水を飲むついでにバックヤードに行き、ロッカーからスマホを取り出した。純平とは昨夜、連絡先を交換している。水瀬のほうから連絡先を交換したいと言ったら、純平はあっさりと二つ返事でIDを送ってくれた。
スマホの画面にはメッセージの通知がひとつ、届いていた。意味もなく辺りを見回してからタップする。純平からのメッセージだ。
『水瀬さんとラーメンのおかげでよく眠れました。ありがとうございます』
患者に感謝されること。それはこの仕事をやっていくうえで嬉しいことでもある。
しかしどうしてだろう。いつもとはちがう部分が疼くような気がした。
満腹になるのは当たり前だ。途中で食べきれないとギブアップした純平の分まで腹に収めたのだから。深夜のラーメンに付き合ってくれた純平は満腹のせいか、異常に眠いと言って駅前で別れた。
水瀬はカラオケ店で仮眠を取った後、出勤するために薬局へ向かっている。
純平は今頃、夢の中だろうか。会った時は冴えない表情をしていたが、別れ際にはなにかが吹っ切れたような、そしてすこし眠そうな顔をしていた。あれでいい。元気がない時は食って寝るのが一番だ。
薬局の裏口に回り、鍵を開ける。土曜日の出勤はいつも水瀬が一番乗りである。ロッカーに私物をしまい込んで、白衣を着た。思い出したように耳につけていたピアスを外す。髪色やアクセサリーにはあまりうるさくない職場ではあるが、あまりピアスの数が多いと威圧感を覚える患者もいる。水瀬なりに気を遣った結果だ。
「おはようございまーす」
パソコンの立ち上げや、届いたファックスの確認などをしていると後輩の長島が出勤してきた。長島は薬剤師ではなく薬局事務のアルバイトで、大学を卒業したばかりだという。
「水瀬さん、あいかわらず早いですね」
白衣を着て、ゆるく巻いた髪の毛をまとめながら長島が話しかけてくる。
「家に帰るのめんどくさかったから」
「またオールで出勤ですか? 若いって羨ましい」
「長島さんのほうが年下でしょ」
大学を卒業したばかりの長島とは十歳差である。断然、長島のほうが若い。
気づくと入口前の掃き掃除を終えた長島が、すぐそばに立っていた。
「今度、一緒に食事に行きませんか?」
きらきらとしたアイメイクで囲われた目を見る。そして首を振る。
「俺はいいよ。他の人誘いな」
「なんで毎回断るんですか! 一回くらい行ってくれたっていいじゃないですか!」
ぷくっと頬を膨らませた長島は愛らしい。きっと本人もわかってやっているのだろうし、こういうタイプが好きな男が存在することだってわかる。
背を向けようとすると、回り込まれた。うるうるとした目が、自分を見上げている。
「さては水瀬さん、彼女がいますね?」
「前も言ったけど、いないよ」
「じゃあどうして断るんですか? そんなに私のことが嫌いですか?」
「別に嫌いってわけじゃないけど……」
好きでもない、と心の中で呟いてしまうのは本人に悪いだろうか。
とにかく、この話を引き伸ばしてもいいことはない。長島の肩に手をかける。あくまでやんわりと事実だけを告げた。
「俺、女の子に興味ないから」
◇ ◇ ◇
人生ではじめて付き合った人は、学校の先生だった。中学生の時のことだ。
自分の恋愛対象が男だということに気づいたのは、中学生の時だった。周りが夢中になっている女性アイドルにまったく興味が湧かないこと、クラスの女子に告白されてもまったく心が動かなかったこと、気づけば数学の先生のことばかり目で追っていたこと。
数学の先生は男だった。結婚していて、子どももいた。先生の奥さんが羨ましかった。先生が結婚する前に出会っていたら――なんて子どもじみた想像を何度もしたことを覚えている。
どうして付き合うことになったのか、詳しい経緯は覚えていない。ただ課題ノートの隅に書いたメッセージに、先生が毎回律儀に返事を書いてくれたことは覚えている。二人だけの秘密だと、その先生は言ってくれた。
先生の家庭を壊しているという自覚はなかった。もし自分が女なら、先生の奥さんにとって自分は排除するべき人間になったかもしれないが、男だったから。先生が同性愛者だったのかどうかすら、今となってはわからない。
中学を卒業したら、先生との関係はあっさりと終わった。卒業式の日に、もう会うことは二度とないと言われた。
それからは自分が同性が好きだということは隠して生きている。カモフラージュに女の子と付き合ったこともあるが、どの人とも長続きしなかった。当然だ。女性というものに興味がないのだから。デート中も、好きでもない人形と向き合っているみたいで苦痛だった。
疲れの見える、沈んだ表情。諦めが澱のように溜まっている、濁った瞳。助言を受け入れる素直さ。ラーメンに誘った時の、新鮮な驚き。眠たくなってきたと言って恥ずかしそうに頭を下げた早朝の顔。
吐き出されるファックスの紙束を見ながら、水瀬はいつの間にか純平のことを思い出していた。首を振る。彼はただの患者だ。ちょっとした運命の間違いで、薬局の外でも関係を持ってしまっただけで。
それに純平はいたって普通の異性愛者のはずだ。自分が受け入れられるはずがない。
水を飲むついでにバックヤードに行き、ロッカーからスマホを取り出した。純平とは昨夜、連絡先を交換している。水瀬のほうから連絡先を交換したいと言ったら、純平はあっさりと二つ返事でIDを送ってくれた。
スマホの画面にはメッセージの通知がひとつ、届いていた。意味もなく辺りを見回してからタップする。純平からのメッセージだ。
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