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緋色と灰の物語

11.上 泡沫の夢 ─fleeting Prayer─

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 話したい事がたくさんあった。それこそ星の数と例えてしまう程に。ディアはカリーナのベッドに腰をかけ、空から照らす月を眺めていた。蒼い満月は刻々と暦を刻む。

「なんだか凄く昔の事みたいに感じるよ」

 ディアは胸に手を当て述べる。一通りの話が終わった後、気が付けば月は随分と傾き、夜は終わりを告げようとしていた。

「話してくれてありがとう・・・、それとごめんなさい。貴方の事も、ルクって子の事も、なんだか曖昧で・・・」

「良いんだ。それにルクならまた仲良くなればいいって絶対言ってくれるよ」

 ディアもそう思えたのは、想像のルクがそう言ってくれたからだ。

「本当に好きなんだね、その子の事」

「うん、本当に大切な友達なんだ。カリーナと知り合えたのだってルクが背中を押してくれたお陰なんだよ」

「・・・本当に、感謝してもしきれないよ」

 ディアはきっと何度もこの話をしたのだろう。カリーナはぼんやりとした記憶の中にその面影を見出す。ぼんやりとした虚ろな光景のピントが合わさった気がした。
 もう直ぐ夜明けがやって来る。その夜明けが来たらディアはまた牢獄に閉じ込められてしまう。あっという間に過ぎる時間の中、暗がり中で一日の全てを過ごし、陽光を浴びる事がなくなった自分は、勝手に心の何処かで、もうカリーナには二度と会えないものだと思い込んでいた。しかしこうして時間を分かち合った今、知らない間に溜め込んできた感情の波は留まる事を知らない。この時間が永遠に続いて欲しいとさえ思えてしまう。しかし、それと同時に頭に浮かんだ人たちの傍には自分が居ないほうが良いとも思ってしまっていた。それは興奮に盛り上がる心を冷たく刺し殺す。現実という壁。もし自分と一緒に居たらカリーナは今よりもずっと不幸な目に合うかもしれない。モニカも魔法使いになれないかも知れない。ルクだって皆の中で生きていけないかも知れない。
 自分は彼等の人生の中で邪魔な存在になる。その確かな感覚はルクやモニカと話した時は小さかったというのに、それは彼女と話しているうちに大きくなった。芽はずっとあったのだ。この修道院に来る前から誰からも疎まれた目線を今なら理解できる。虐められた理由も吐かれた言葉も、わからなかったものは全部理解できてしまう。理解できてしまうからこそ苦しくてたまらなかった。不安の芽は大きく育つ。心に根を張り、陰りのある考えを栄養にただただ悲観と自己否定ばかりを実らせる。今、目前の人への思いへ気付いてしまったが故に実は熟れていく。夜が浅くなる程に曖昧にできなくなっていった。

「カリーナも、モニカも、僕なんかと仲良くしてくれて、本当に嬉しかったんだ」

「ああ、なんだか、寂しくなっちゃったや・・・。本当はもっと一緒に居たいんだけど・・・そろそろ僕は、帰らなきゃ」

 ディアはそう言って笑った。笑って誤魔化した。

「ねぇ、ディア」

「また会えるよね?」

 ディアは頷けなかった。彼女への思いが胸を締め付け、心を焼いて焦がしつける。それでも彼女を思えば、ルクやモニカを思えば、彼等が例え望まなくても自分にできる恩返しはこれぐらいしか思い浮かばなかった。来たる未来の汚点にならない事。この時、ディアの無邪気さは息絶えた。拒絶の実感だけが胸に残る。

(僕は自分が傷つくのが怖いのかもしれない。カリーナに拒絶された時に感じたものは・・・考えただけでも怖いよ・・・)

 将来を悟るには幼過ぎた。その痛みを耐えるには心も体もまだ育ちきってなどいないのだ。無邪気に頷けるほど幼くなく知るには早すぎた。早熟の果実は苦く、喉につかえる。

(嗚呼、気持ちに応えたいなあ・・・。カリーナの傍に居たい。きっと居させてくれるんだ。だけど、僕がいたら、僕がいたら・・・皆不幸になるかもしれない)

 それだけは嫌だった。そうしたら本当に自分は嫌われてしまうかもしれない。彼等に嫌われるなど考えただけでもディアは生きる希望を手放せてしまう。

「・・・、・・・・・・。私はまた、会いたいよ」

「・・・っ、」

 カリーナは慎重に言葉を選ぶ。ただ二度と会えない気がしてならなかった。それは女の勘程度の物だったが、ディアはその言葉に表情を曇らせる。悟るには十分だった。

「もう、会えないの?」

「・・・ごめん、今は・・・わからないや」

 カリーナにはディアが何を抱えているかはわからなかったが、しかしもし自分が本来あるべきカリーナだったらきっと彼の望む答えを出せたのではないかと考えると歯がゆく、今の己を恨めしく思った。不思議だった。頭の中では霞むほどしかいないのに、心と体が「彼の傍に居たい」と必死に訴えている。カリーナはその感情には正直であるべきだとわかっていた。自分の知らない自分はこんなにこの人が大切なんだと。触れているだけで温かく心が満たされる様な感覚は、今でも凍り付け縛り付ける様なあの暗い感覚から自分を解き放ってくれる。薄氷の向こうのこの人への感情や思いは傍に居れば・・・自ずと戻って来る気がしていた。少し利己的だと己を自嘲しながらも、カリーナにとってディアは無くてはならない存在で、この人にもまた自分が必要だと感じるのだ。カリーナはゆっくりとその背に頬を預け、手を回した。

「なら約束して、また会おうって。・・・今度は忘れないから、お願い」

 それはお互いの為だった。嫌われるのが怖いディアと、傍に居て欲しいカリーナは、お互いの手を握り合う事しかできない。

「・・・そしたらね、また会ったら、こんな場所捨てて抜け出しちゃおうよ。どうなるか、わからないけど・・・」

 凪いだ風の様に静かな声だった。ディアは俯きながら「うん」と呟き、カリーナの手を握る。月明かりが照らした青白い指先は今まで見て来た手の中で最も優しい手だった。その手が自分を突き放すと考えると怖くて仕方がないが、今は考えずに導かれるままその手を選んだ。

「・・・また、会いに来るね。カリーナ」

「・・・うん、今度はちゃんと約束する。必ず会おうね」

 あの日、違えてしまったから随分と変わってしまった。だからこそ今度こそ変わらない様にと二人は月の元に祈る様に指を重ねる。そして数刻、ゆっくりと額を重ね合うと、ディアは今度こそ、牢獄へと戻らなければならなくなった。

 扉を開けると其処には眠そうに欠伸をするモニカとルクの姿があった。二人はディアの顔を見ると安堵した様に頷く。

「ありがとう、ディア」

「ううん、僕の方こそありがとう、モニカ。カリーナに合わせてくれて」

「その様子だと、会って正解だったみたいだな」

 ルクとモニカは顔を見合わせて笑う。その二人の優しさに、ディアは幾度となく救われてきた。胸がいっぱいで思わず溢れそうになった涙を堪えながらディアは二人の手を取る。

「・・・僕ね、やっと夢を見付けたんだ」

「・・・それって。どんな?」

 ルクは優しく問い掛ける。

「モニカにも教えて!」

「僕ね、ずっと皆といたいんだ。ずっと、大人になったらどうなるかなんてわからないけど・・・僕はずっと一緒に居たい。」

 それが例え彼等を不幸にしてしまうかもしれないと思っていても、この胸の思いだけはどうしても話さずにはいられず。カリーナと話して時間を重ねて、そうして初めて口に出せた思いは何処までも純粋な願いだった。二人はそれを聞くと解っていたように吹き出して笑い始める。

「え、な、何か変かな・・・?」

「ふふ、違うよ。たださぁ」

「考える事はみんな一緒なんだなって思っただけだよ」

 ルクの言葉にモニカはうんと頷く。

「モニカと話してたんだよ。皆の願いをかなえる方法って何かないかなって」
「ディアとルクとお姉ちゃんで旅をするの!そしたら皆一緒でしょ?ディアを虐める人がいるこんな所、私いたくないもん」

 彼等は何処までもディアに優しかった。かわりに自分が何をしてあげられたというのだろうか? そう思ってしまう程に穏やかで優しく、世界中で唯一の味方であり温かない場所だった。

「とのことだ。・・・抜け出そうぜ、こっからさ。」
「抜け出すって・・・まさかここを・・・もがっ!」
 ディアは思わず声を上げてしまい、ルクに慌てて口を塞がれた。
「シーッ、デカい声出すなよ! 次の満月までに俺が色々調べておくからさ。その日に抜け出そうぜ。院長も他の奴も消えたって寧ろ喜ぶんじゃね?」
「け、結構酷いこと言うなあ・・・、僕は・・・確かにそうだけどさ!」
「ま、ここは少なくとも俺達の居場所・・・お前の居場所じゃないよ。だから俺達の居場所を作るためにこんな所捨てちまおうぜ」

 その言葉はディアにとっては魅力的な事この上ない誘いだった。だが、それと同時に胸にはまたあの暗い感情が花を咲かせようとして来る。彼等と一緒にいる事は自分の「烙印者」と呼ばれる世界の嫌われ者と一緒に過ごすと言う事だ。

「ディア、烙印者とかそういうのは気にすんなよ」

「え?」

 ルクは解っていたようにディアへと言葉を投げかける。

「俺達は例えどんな目に遭っても、お前の事嫌ったりとか、恨んだりしないよ。だからさ、俺達を信じてくれ」

 ルクは力強い瞳でディアを真っ直ぐ見詰めて言い切った。

「・・・ルクは本当に、ズルいなあ・・・どうして僕なんかに優しいのさ」

「ディアが好きだからだよ。だから一緒に行こ、ディア」

 モニカはそう言ってディアの手を握りルクはその上に手を重ねた。その温かな手たちはディアの中で芽生えた冷たい花を摘み取ってくれる。その後に残るものが何かはわからなかったが、空っぽでないことは確かだった。
 こうしてディアは次の満月の夜への約束を胸に一人牢屋へと戻る事となった。暗い絶望の中で見出した僅かな希望は暗闇で在ってもディアの心を明るく照らす。来るべき日への願い、希望は生きる為の糧となった。

 しかしその日が永劫に訪れる事は無かった。これは絶望の物語。全てはここから始まり、世界はそうして滅びの道を辿るの事となるのだから。
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