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しおりを挟む最初の一歩を踏み出すのに、どれだけ勇気が必要だったことだろう。
あまりにも自分が場違いな気がした。来てはいけないところに来てしまった――という思いがした。
だが、すでに祖父から家を譲り受けてしまっているため、今さら帰るわけにもいかない。
梨花はおそるおそる門に近付いて、慎重に門を開けた。これから自分が住む家だというのに、まるで泥棒である。
門は、その堂々とした在り方にふさわしい重量だった。
ギィ……と重厚な音を響かせながら、門がひらく。
かろうじて自分が通れるだけの隙間を作って、梨花はそこから体を横にして門を通った。大きく門を開けて入るだけの度胸はなかった。
そして、可能な限り音をたてずに門を閉める。この光景を誰かに見られでもしたら、確実に不法侵入を疑われるのに違いなかった。
門を抜けた梨花は、門から玄関までの距離が遠いことにも驚く。複数人でキャッチボールでも出来そうな広さだった。
ふと視線を逸らせば、ガレージに一台の黒い車があることに気付く。祖父のものだろう。これで買い出しなどに出かけていたのだろうか。
しかし、梨花には免許がなかった。車をどうするのか、あとで祖父に相談しなければなるまい。このまま放置しておくには、あまりに立派な車だった。もっとも、梨花は車に詳しくないので正確なところはよくわからないのだけれども。
歩いて玄関にまで到達した梨花は、またそこでひるんだ。
黒い大きな玄関扉だった。
これからここで暮らすことに、新たな不安が芽生える。
この玄関をくぐる際、果たして自分は『自宅に帰ってきた』という安心感を得ることが出来るのだろうか。
いっそ自分の気持ちを和ませるために、ぬいぐるみでも吊るしておこうか。そんな冗談じみたことを本気で考え始める。
梨花は、祖父から貰った鍵を鞄から取り出した。
鍵は、封筒に入っている。祖父が封筒に鍵を入れた状態で渡してくれたのだ。
封筒をあけると、案の定というべきか、洋風の立派な鍵が出てくる。
じつを言うと、鍵を目にしたのはこれが初めてだった。封筒をもらったまま、開封せずに今日まできたからである。
梨花はため息を漏らした。こんなことなら、事前に鍵を確認しておくべきだったと後悔した。先に洋風の鍵を確認していれば、ここまで洋館に驚くこともなかっただろうし、心の準備だって出来ただろうに。
鍵を使って、扉をひらく。がちゃり、と重々しい解錠音がした。マンション住まいだった梨花には、初めて聞く音である。
そうして、ゆっくりと扉を開けた。なんだかホラーゲームの主人公になった気分であった。
扉を開けると、広いホールと廊下がある。雨戸がすべて閉まっているため、室内は薄暗い。
とりあえず明かりをつけようと壁を調べ、スイッチと思われるものを押した。
電灯は無事についた。人工的な光が、まるでホテルのごとき通路を明るく照らす。
そう、ホテルという感覚が強かった。ここまで立派であると、個人の家という感覚が薄れるのだ。
まずは雨戸を開けて、自然の光を入れたいと思った。電灯はついているものの、やはり雨戸が閉まっていると薄暗い印象を受け、落ち着かない。
おずおずと廊下を進み、通路の窓の雨戸を開けていった。
雨戸を開けることで室内に解放感が生まれ、太陽光が家の中の印象もいくらか和らげてくれる。
それでも、家の中を照らした明かりが洋館の立派さをますます際立たせ、梨花はいっそう自分が場違いな存在に思えた。
視線が、上下左右にうろうろしてしまう。シンプルなマンションから装飾の多い洋館に来ると、視野の情報量が多いためにどこを見ればいいのかわからなくなった。
掃除はどうすればいいのだろう――と、妙に生活感のあることを考える。
いや、これから自分が住む家なので掃除の心配をすること自体はおかしなことではないのだが、なんだかしっくりと来なかった。
洋館は三階建てだったので、廊下の窓を開けていくだけで一苦労である。
この窓の開け閉めを、朝と晩に毎日しなければならないのか。そして、大掃除の際はこの窓をすべて拭くことになるのか。
家中の掃除をしようとすれば、一年中つねにどこかの掃除をしていなければならないと思う。
祖父はいったいどうしていたのだろう、と早くも途方に暮れた。
なんとか家中の廊下の窓を開けた梨花は、次に部屋の確認をしていくことにする。
しかし、これもまた大変そうだった。
毎日つかう寝室や浴室、トイレの位置から覚えていきたいものだが、そもそも部屋の数の多いために最初は迷子になりそうな気がしてならない。
なにが悲しくて、自分の家で迷子にならなくてはいけないのか。心配は増す一方である。
それでも、ここに住むからには少しずつ覚えていかなければなにも始まらない。
とりあえず、梨花は一階の部屋から確認していくことにした。
一階まで降り、適当に選んだ部屋の扉に手をかける。そして、おそるおそるドアを開けた。
部屋の中は真っ暗である。雨戸が閉まっているせいだろう。
まずは雨戸を開けようと、部屋の奥へと進んだ。
すると、なにかが足にぶつかった衝撃に梨花は声をあげる。
「あいたっ!」
軽いものにぶつかった感触ではなく、重量のあるなにかに躓いたという印象を受けた。おかげで、ぶつけた足がすこぶる痛い。
なににぶつかったのかがわからず、目を凝らして見てみるものの、いかんせん部屋が真っ暗なのでなにも見えなかった。
故に、先に雨戸を開けることにして、今度は足元にも注意しながら梨花は慎重に窓際まで進む。
手探りで窓を解錠し、窓と雨戸を開け放った。
太陽の健やかな光が梨花を明るく照らしたので、梨花は反射的に目を眇める。
そして、自分がいったいなににぶつかったのかを確認しようとして、梨花は振り返った。
「ぎゃああああ!」
視界に入ったものに驚いて、梨花は悲鳴をあげる。
思考回路が仕事をする間もなく、驚愕の絶叫が喉から迸った。
床に置かれていたのは――真っ黒な棺だった。
混乱して、室内に視線を巡らせて確認をする。
そこにはベッドがあり、机があり、本棚があった。もしや、祖父の部屋だったのだろうか。
祖父の寝室だったかもしれない部屋に――棺桶があるということか。
自分が嫌な汗をかいていることが、嫌でもわかった。
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