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その手腕
しおりを挟む『そんなにお急ぎでお戻りにならなければいけないのですか?
まさかベルナルディ卿にお目にかかれるとも思わず、これも何かのご縁、是非トロメイでごゆるりとしていただきたいのですが…』
太陽も1番高く登った頃、アクイラの一族とライラ達は荷造りや移動の準備に勤しんでいた。
『ハーレ様のお言葉に甘えたい所なのですが、キアラ皇女殿下とフィデリオ皇子殿下のご予定が変わりまして、至急戻るようにとのご伝言を申しつかって参りました。
また、此度の件、キアラ皇女殿下もヤースミン様の願いが叶った事、大変嬉しく思われております』
レオが興奮冷めやらぬハーレに向き合ってにこやかにそう言うと、トロメイの女達は俄かに騒がしくなり色めいた。
その様子を遠目で見るからに、キアラがトロメイがレオを返さないと困る、と言っていたのもあながち嘘でも無いのかもしれない…とライラも妙に納得出来た。
あれからレオはライラを自らのラクダに乗せると、ラクダを引っ張りつつトロメイの屋敷へ足早に進み、何かいろいろ話したが、ライラは現実味が湧かないのであまり覚えていなかった。
ただ、ポツリポツリと言葉少なくライラが返すと、レオは穏やかな笑みを浮かべて、ライラを見上げる。
あの日、出立の時…
それすらも聞けなかった
聞いて確かめた所で、意味は無い…
夜空には幾千の星が競い合うように煌めいていた。
遠くから眺めるだけならこうして気楽に真っ直ぐ見ていられる。
美しい、とずっと眺めていられるのに。
トロメイの屋敷へ戻ると、レオはすぐに帝都へ帰る支度に取り掛かるように言って使用人達を急かし始めた。
突然現れた帝都からの遣いに、屋敷内は一気に慌ただしくなる。
レオはあらかた指示を出し終えると、ライラの元へやってきて、帰る前に少しでも休んで下さい、と言った。
ご自分こそ…とライラが言い終える前に、レオは背を向けてどこかへ消える。
急いでいるのはよく分かったが、急な出来事続きでライラの酔いもすっかりきっちり醒めた。
眠る事なぞ勿論出来る訳無く、ライラはただ流されるまま荷造りを始めて、気付けば夜を明かしてしまった。
意外だったのは、アクイラ達は既に荷造りを大方終えていた事だ。
まるで知っていたかのように。
夜が明けても、レオやアクイラの一行は別れを惜しむトロメイの一族に捕まって、なんやかんやで忙しそうだ。
『…まさかあのベルナルディ様が直々にいらっしゃるなんて。何か聞いてますか?』
荷造りがひと段落した頃、デュマンが気配も無くやって来てライラの目の前に現れた。
ちょうどライラは寝不足と二日酔いでフラフラとする体を庭先のベンチに座らせて一息ついていた所だ。
『いえ、何も…』
ライラが疲れ果てた顔でぶっきらぼうにそう言うと、デュマンはライラの前に立ったまま、じっとライラの顔を見つめる。
『つれませんね、仲良く飲み明かしたというのに。…あなたはもっと賢い方かと思っていたが、もう既に頬を染めてほいほいと付いて行く方がいらっしゃったのか…』
デュマンは腕組みをしたまま意地悪そうな笑みでザイラの顔を覗き込む。
『デュマン様はまだ酔っておられるのですか?』
その意地悪そうな顔が気に食わないのでザイラは口だけ笑みを浮かべてそう返す。
『まさか。しかし、王国の貴族婦人もあの様に羽目を外されるのですね。もっと奥ゆかしいと聞いていたが…
浴びるように酒を仰ぎ、散々踊り明かしたと思ったら、突然倒れる様に寝てしまわれた。
そんなご婦人を、寝室まで運んだのは一体誰だとお思いですか?』
それを聞いたザイラの体中から冷や汗が噴き出した。
嘘だ!と直ぐに言えないから困る。
本当なのか?
謝るべきか?
いや、感謝を伝えるべきか…?
そう思っていても、あのような何でもお見通しです、と言いたげな顔を見れば素直に言う気にもなれない。
記憶は無いが、確かに楽しかった。
何が楽しかったのか全く分からないのが問題だが。
…厄介な人に何か少しでも情報を渡すほど愚かでは無いが、この商人は勘も良く頭も回る。
気まずそうな顔でザイラがデュマンを睨むとデュマンはそれを面白がりニヤリと口角を上げた。
『ベルナルディ侯爵家といえば歴史ある武人のご一族ですね、皇族とも縁が深い。
そして、レオ様は第二皇子殿下の最側近であり護衛も務められていらっしゃるとか…朝から女達が騒いでうるさいのなんの。
俺もさるご婦人を運んで、疲れ果て寝てたんですよ。それがあまりに騒がしいので起きてしまった。
生まれに加えてあのお姿ですから、女も男も騒ぐのは分かります。ただ、上にいる2人の兄君達とはお顔立ちが似ていらっしゃらないようですが…
ベルナルディ侯爵は愛妻家で有名です。側室も妾もお持ちではないはずだが…
何か、ご存知ですか?』
兄が居る、そんな話も初耳だ。
とはいえ顔に出す訳も無い。
ライラにそれを聞いて一体全体どうするつもりなのか…
やはり一度酒を酌み交わしたとて、腹を割って全てを分かち合う事なぞ出来ない。
そもそも、既にデュマンはライラの過去をおおよそ把握している。
ライラが少しでも認める素振りを見せれば確信に変わるだろう。
それでも尚、デュマンはライラの腹の中に遠慮無く手を突っ込み、手当たり次第に何かを探している…そんな感触を覚えた。
だが…この男に愛情深い一面があるのも事実…
アセナの一件でもそうだが、基本的に困ってる者に手を差し伸べる事が出来る人間で、子供も大層好きな様に見えた。
そうした気持ちは、彼の商人の気質に大きく影響してるだろう。
仁義と損得の秤をデュマンは絶妙な加減で調節出来ている。
故に、有能、才を持ち得ていると皆が口を揃えて言うのだ。
とはいえデュマンの中に燃えるトロメイに対しての不満や不信感が綺麗さっぱり消えた訳では勿論ない。
壊してしまいたい程の激しい衝動と、一体どう折り合いをつけるのか…。
『…何も存じ上げていません。そのような話をする身分にありませんから』
あれだけトロメイの希望だのと綺麗事をライラは並べたが、ジャニスの本心だって本当は分からない。
あくまでも、ライラの推測だ。
そうであって欲しいという、願望かもしれない。
『そう身構えないで下さい。今となってはあなたのご機嫌を損ねるのは本望じゃない。知れば知るほど、あなたは面白い人だ。あなたもそうだが、あなたの周りに居る方達も…』
目尻を垂れさせ、デュマンはなんとも妖しい笑みでザイラにそう言った。
深く広い海のような瞳。
本当にそれは計り知れない、デュマンそのものだ。
その瞳に宿した影がザイラを放してくれるかはまだ分からない。
ライラの過去を人質にしているのだろう。
いつでも、どうとでも出来ますよ、と…
ただ、レイが産まれたあの日のデュマンを信じたい気持ちもある。
この美しいトロメイの地はそのままに、穏やかに安寧に過ごせる場所であって欲しい…だがそう思うのもえらく自分勝手な話で、これだからトロメイの女は、と憎まれ口を叩かれそうだ。
『…寝ていらっしゃらないのでしょう?酷い顔ですよ。少し寝てください。出立まで俺が時間を稼ぎましょう。香を届けさせます』
それだけ言うとデュマンは背中を向け片手を上げ戻って行った。
面白い…
酷い顔…
誰のせいで…とライラはその背を少し睨むが、調子に乗ってしこたま飲んだ自分もまた恨めしい。
ライラが部屋に戻ると、すぐに芳しい精油や乳香が山ほどライラの元へ届けられた。
レイモンドからの話を聞いていた手前、好奇心に打ち勝てる訳も無く、すぐに火を灯してみる。
香が焚かれ、部屋にその香りが満ちると、気分は瞬く間に和らぎ束の間の夢へ落ちた。
まるでぬるま湯の中でぷかぷかと浮かんでいるように全身の力が抜け、気分は大層良い。
確かに品物は素晴らしい。
危うく懐柔されそうだ。
その乳香の山を見て、レイモンドがえらく瞳を輝かせたのは言うまでも無い。
その満面の笑みがクレイグとフォーサイス婦人にどこか似ていて、申し訳ないがライラはなんとも言えない気分になった。
あの底知れぬ男の商才は確かに一流かもしれない。出来てしまった借りの見返りは、是非フォーサイス家にお任せしよう。
富の匂いを瞬時に嗅ぎ分けるあの魔女とはえらく気が合うだろう。
存分にやり合ってくれたら良い。
そうして気を紛らせて、あの瞳の影に日が差し込むのを期待したい。
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