細雪、小雪

松井すき焼き

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雪は一人で川にある岩に座っていた。
「雪さん」
見ると、可愛らしい少女の桜が木の陰からこちらを見ている。
雪は答えず、拾った岩を川に放り投げた。
「雪さん、どうしたの?元気がないですね」
「嫌なことがあったんだ」
「そう」
桜は雪の隣に行くと、岩を拾って雪がしたように岩を投げた。雨が降り出してきた。
「帰ろう。雨が降り出してきました」
か細い桜の声。
「帰りたければ、帰れ」
雪の言葉。
桜は帰ろうとせず、雪の傍にずっといた。

桜は多分、雪のことが好きだった。多分一目ぼれだったと思う。雪を見ていると、恐ろしいような気持と、放っておけないような気持になる。
「桜」
不思議な色合いの雪の恐ろしく冷たい目が桜を見る。
「俺はお前が好きだ。だけれど、俺はいつかお前を殺してしまいそうな気がする」
「殺して?」
「私は獣なんだ。名無しの父さんの血を吸いたくて、吸いたくてたまらなくなる。もう二度とここにはくるな」
雪の恐ろしい言葉に、桜はか細い悲鳴を上げて、去って行った。
これでいいのだと、雪は自分に言い聞かせる。
雪は名無しと桜と香代と弥七と同じ、人でありたいから。

ところが次の日雪が川で遊んでいると、また桜が現れた。雪は無視して家に戻った。
「雪様!」
桜の雪を呼ぶ声に、雪は胸がうずいた。

次の日、雪が川で遊んでいると、弥七が雪の元にやってきて言った。
「桜がいないんだ!どこへいったかしらないか!?」
「知らない」
崩れ落ちるように座り込み、弥七は泣き出した。むせび泣く弥七に雪は言ってやった。
「安心しろ。すぐに見つけ出す」
確か、雪の記憶が確かなら、名無しは人よりも嗅覚が優れていた。名無しが桜の匂いを追えば、どうにかなる。
「弥七、桜の匂いか何かするものはないか?」
「着物ならあるけど・・」
「匂いを追えばどうにかなる」
「犬かなにか、か?おい!」
雪は走って、名無しを呼びに行った。
「名無し!」
小屋に飛び込んできた雪を名無しは振り返った。名無しは藁で蓑を編んでいた。
「どうかしたのですか?」
香代が雪に気が付いて、笊をおいて雪の元にやってきて香代は、雪の頭を撫でた。
「人が行方不明なんだ!名無しは匂いで人を見分けるのが得意だったでしょう?手伝ってほしいんだ」
名無しは吐息をついた。
「あまり人にかかわるな」
「お願い、名無し」
必死に雪は頼んで、名無しの袖をつかんだ。

雪の着物を持ってきているはずの弥七のもとに、名無しを連れて雪は向かった。
赤い目をしている名無しを見た弥七は悲鳴を上げた。
「ひ!?鬼!」
「黙れくそがき。お前の妹とやらを探しているのだろう?その匂いがする着物を貸せ。すぐに差し出してやるから」
そういって、名無しは手を差し出した。
腰を抜かして動けない弥七を見かねた雪が、弥七から桜の着物を奪い、名無しにてわたした。
名無しは着物の匂いを嗅ぐと、言った。
「ついてこい」
雪は名無しの背中を追った。
桜の姿はすぐに見つかった。
桜は崖の下にあおむけで倒れていた。何らかの理由で足を踏み外して、崖下に落ちたのだろう。
桜に向かって、雪は手を伸ばす。
あと少しのところで桜に手は届かず、雪も足を滑らせて桜の体を抱えたまま川に流されて消えた。
川の流れは早くて、桜の体を手放してしまった。桜の体は川に流されて遠くに行ってしまった。
弥七がやってきて、雪を責めた。
「お前なんかに逢いに来たせいで、桜は死んだんだ!」
雪はおかしくなって、笑ってしまった。
「お前!」
弥七は雪を思い切り殴った。
殴られて口を切ったらしい。雪は微笑んで自分の口の中の血を飲んだ。
ああ、なんておいしいのだろう。
目の前の弥七の首に両手を伸ばして、絞めた。
「やめろ」
名無しが雪の手首をつかんで外させた。
「化け物!」
弥七はそう叫ぶと、去って行った。
あっけなく桜は死んだ。
匂い人の匂い。
雪は地中から桜の体を掘りだした。
なんて愛しいのだろう?
桜の冷たくなった体を抱きしめた。桜の首筋に雪は牙を突き立てて飲み干した。
「やめろ」
名無しは強引に雪の顎をつかんで、桜から引き離した。
「お前、なに笑っている?」
雪は微笑んでいた。
「俺は桜を食う。名無しにも邪魔はさせない」
「勝手にしろ。だがそいつを食らいたいと思うのなら、俺を殺してからにしろ」
「変なの、名無し」
雪は笑った。
雪は笑って、名無しに抱きついて、その首に噛みついた。溢れ出した血をなめとる。
「いつかお前を殺してやるから」
「俺はお前には殺されはしない」
「俺はお前が嫌いだ」
雪は名無しが憎い。
何故だかわからないが、雪は猛烈に名無し憎かった。切り刻んで、ぐちゃぐちゃにして食ってしまいたい。
雪が実の両親に向けた憎しみと同一だった。
見捨てられる前に、殺してしまわないといけない。そんな気持ちが沸き起こっていた。雪は化け物だから人に見捨てられる。
名無しにも人ではなくなってほしかった。
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