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第七話 お披露目の茶会
しおりを挟む「閣下、招待状を頂きました」
ザカリアスの補佐として働く、白灰色の口髭の事務官が言った。
「どこからですか、ウィンストン卿」
次の宮廷議会に向けて提出する議題書の最終稿に目を通していたザカリアスは、目も向けずに尋ねる。
「ミストリアス前侯爵夫人からです」
ザカリアスは、ぴくりと片眉を吊り上げ、机に肘をついてこめかみを揉んだ。
「予想よりお早いお帰りだったなぁ……」
「次の週末に、侯爵邸のお庭で。お披露目のためのガーデンパーティーでしょうな」
事務官のウィンストンが淡々と述べる。ザカリアスは頷いた。
皇女セラスティアと筆頭宰相ザカリアスの婚姻は、誰にとっても青天の霹靂であり寝耳に水のことであった。
旅行中の義母テオドラには更に数日遅れて知らせが届いたことだろう。そこから慌てて帰って来ての即この催しだ。その企画力と実行力は実に大したものである。と、ザカリアスは内心舌を巻く。
――あの婆さんに押されたら、殿下でも誰でも強く拒否はできないだろうな。
義母のことだ。帰郷後はすぐに皇女殿下に会いに行ったことだろう。
あの二人の間でどのような会話がなされたものかは、想像はつくが興味は沸かなかった。
――兄に翻弄され、次はわけのわからん婆さんだ。殿下もお忙しいことだな。
なんとなく、振り回されてばかりのセラスティアの身の上に同情的な気持ちは沸く。
自分も彼女も、ある種の被害者であることは間違いないことと思える。
「婚姻のお披露目会も終えれば、お二人はまことのご夫婦。これを機に、素直にご自宅にお戻りになられることです」
事務官は淡々と述べながら、ザカリアスの決裁を終えた書類を束ね仕事に戻っていった。
事務官ウィンストン卿の言葉は正しい。いつまでも屋敷に戻らぬままでは、いらぬ憶測と噂が広がる。自分だけのことならいつも通り気にも留めないところだが、皇女のことを思えばそれも得策でないことは確かだった。
とはいえ、と椅子の背に体を預けながら思う。
――殿下がどう思うかな。
ラスティカ王。
セラスティアと、かの国の王との婚姻は、もちろん間違いなく政略によるものだった。
皇女の輿入れからラスティカの滅亡まで、そう時も長くない。
にも関わらず。
セラスティアはラスティカに対して強い親愛の情を抱いているようだった。
殉じても良い、そうしたかったと思えるほどに。
そこまで想うほどの国を、夫を、攻め入る手筈を整えたのはザカリアスだ。
ラスティカの動向に常に目を光らせ、ラスティカに叛意の疑いありと王に進言したのもザカリアスだ。
為すべきことを為しただけだが、情というものは割り切れないからこそ厄介なものでもある。
だからこそ、あの屋敷に戻るのは気が重い。
叩かれたのをこれ幸いと出てはきたものの、ウィンストン事務官の言う通りである。腹を括らざるを得まい。と、ザカリアスはやはり気の乗らないまま観念した。
***
晴れ渡る空の下、先代侯爵夫人なりの“控えめさ”でミストリアス侯爵と皇女殿下の婚礼お披露目パーティーは開かれた。
鮮やかに花の咲き誇る、先代侯爵夫人自慢の庭園には、厨房係が腕によりをかけた食事やデザートの数々が並ぶ。
豪華に重ねられ美麗な細工で飾られた祝賀のケーキは、侯爵家の威光を“控えめに”これでもかと言わんばかりに発していた。
皇女の乳母姉妹にして侍女として仕えるパティは、翠色の瞳をきらきらと輝かせている。
「ラスティカの婚礼のお祭りと祝賀会も素晴らしかったですけれど、テオドラ様のお茶会も素晴らしいものですわねセーラ様!」
そばかすの浮く白い頬を上気させ、興奮気味に語るパティは、自身の敬愛するセラスティアが“あの”侯爵家からも下にも置かぬ扱いを受けて敬われることに素直に喜んでいた。
セラスティアからすれば複雑なところではあったが、パティに悪気がないことはわかる。
こっそりと溜息をついて、セラスティアは視線をガーデンパーティーに訪れた客たちに向けた。
宮廷事情には疎いとはいえ、ここに集まったのが誰もが名のある某であろうことはわかる。にこやかに微笑み交わしながら、本日はお日柄も良く……見事な庭で……料理で……だのと言い合うその腹の底で何を思っているのか。思わずセラスティアの柳眉が寄る。
「殿下! 本日はまことにおめでたく存じます」
と直接セラスティアに声を掛けて来る者も少なからず居た。
祝いの言葉に仄かに微笑みながらセラスティアも丁重に返事をする。祝辞を受け取りながら、しかし内心はどうにも晴れ渡るとは言えないのが実情だった。
それもまた無理からぬことである。
本日の主役たるもう一人、当のザカリアスが未だ現れていないのだ。
「まったく! 本来なら朝から殿下と共にお客様をお迎えする立場であるはずなのに。どこでなにをしているの」
テオドラが笑顔で応対しながら裏で怒っていたのも見た。
セラスティアにはこれもまた気の重いことだった。
もしやあの宰相は、叩かれた腹いせにセラスティアを待ちぼうけさせ、恥をかかせようという魂胆ではあるまいか。とそんな疑念すら浮かびそうになる。
「……せ、セーラ様!」
ふいに、パティがセーラの肘をつついてこそりと呼びかけた。その声は上擦って、緊張とも興奮ともつかない。セラスティアが訝しみながらパティの示す先を見た。
「本日は、お忙しい中わざわざのご来訪ありがとうございます。本来お出迎えする立場でありながらこのように遅くなり申し訳ない」
眉一つ動かさず述べられた口上は、間違いようもなくミストリアス現侯爵ザカリアスであった。
「どうぞ、心ゆくまでお楽しみ頂ければ幸いにございます。本日は無礼講の茶会でありますから、祝辞などで楽しい世間話の腰を折るなどなさりませんよう。……どうかそのままで」
それは。
心にもないおべっかのためにいちいち話しかけるな、という意図を多分に含んだ物言いだった。
ザカリアスからそのように言われて、わざわざいま談笑の輪を抜けようという者はおそらく居ない。
セラスティアも、パティも、おそらくテオドラも。呆気に取られて目を丸くした。
そうこうしている内にザカリアスが庭を突っ切り、堂々とセラスティアのもとまで歩いて来る。
晴れ渡る空の下、鮮やかに咲き誇る花々の中、墨をひとつぽたりと垂らしたかのようにそこだけ漆黒。
別に着ているものが黒尽くめなどということはない。にもかかわらず、ザカリアスの存在感はやけに濃く、暗く、そして克明だった。
「ザカリアス……侯爵閣下! これは貴方と殿下の為のパーティーなのですよ。いったいこんな時間までどこでなにをしていたの」
テオドラが囁くような、しかし鋭い声でザカリアスに詰め寄る。
「義母上が私の予定も聞かずに招待状をお出しになったのでしょう。これでも随分と急いで切り上げて参ったのですから。今後はこのような催しには私を頭数に入れないようお願い致します。お互いのために」
悪びれることなく言ってのけるザカリアスのその様子に、セラスティアの後ろでパティがあんぐりと目も口も塞がらないとばかりに開いていた。
「ご機嫌麗しく、皇女殿下」
ザカリアスがようやくセラスティアを見る。
まるでぽっかりと開いた穴のように黒い瞳が、セラスティアを真っ直ぐ射抜いていた。
パティが小声で「セーラ様、見ちゃだめ!」と囁く。
セラスティアは扇に口元を隠して困ったように笑った。
「えぇ、ザカリアス殿にもお変わりなく。息災そうでなによりでした」
何日も顔を見せないで。とセラスティアの言葉にはそのつもりがなくとも棘が含まれてしまう。
「殿下も……お元気そうで、安心しました。……このように大掛かりな茶会となり申し訳ない。義母は押しが強いもので。……あとはこちらで引き受けますので、いつでも立ちくらみなりなんなり、お好きな時にどうぞ」
「……? それは……」
ザカリアスの言葉に、セラスティアは眉根を寄せた。
「朝から、めでたくもないことをめでたそうに振る舞い続け……お疲れでしょうから。ご婦人の常套手段……立ちくらみに失神。執事も弁えております。どうぞ、ご随意に」
ザカリアスはそう言うと、一礼して離れて行った。
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