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第十一話 宰相の誤算
しおりを挟む事態は混迷を極めていた。
ザカリアスは、内偵を任せていた部下によって呼び出された先で、数秒間呼吸どころか心臓すら止まった気がしたものだった。
聖都の南側、貴賓もよく利用するという豪華な宿の一室。品よく落ち着いた調度品に囲まれたその部屋は、宿の中でも特に一等級であることが窺える。
しかし、その室内は聖都を観光に来た者たちの穏やかな時間や雰囲気とは程遠い。
物々しい出立ちの武官とその部下であろう精鋭数名が、羽振りの良さそうな商人風の男を捕らえ連行するところであった。
しかし、そのこと自体は大した問題ではない。更に奥の部屋に通されたザカリアスは、一度は疑った報告を、その目に突き付けられることになったのだ。
「……皇女殿下」
肺腑に重く鉛のような空気が溜まる。それをゆっくり押し出すような、苦々しく重々しい声でザカリアスは言った。
セラスティアは扇に口元を隠し、長い白金の睫毛に目元を翳らせる。一見すればただただ儚げで嫋やかな女でしかない彼女が、しかし、今この場でザカリアスの血管を破裂させんばかりのとんでもない騒動の首謀者であった。
話は少しばかり遡る。
セラスティアは、隠し持っていたラスティカの王印を使い、偽の書簡をふたつの商家に送った。
商家はどちらもラスティカと親密にやりとりがあり、手広く交易を行う一門同士だった。
西のフラー家は祖父の代から。東のベルモント家はこの数年で台頭し、ラスティカとも深くよしみを繋ぎ始めたやり手である。
その両家のどちらか、或いはどちらもが、ラスティカとの秘密の取引を行っているという話が浮かんでいた。
セラスティアはこれを確かめる為、偽の書簡を以って彼らを呼び出したのである。
この貴賓御用達の宿に。
結果、どうなったか。
フラー家は書簡を訝しみ、秘密裏に宰相府に駆け込み、事務官のウィンストンがそれを受け取った。ザカリアスの指示のもと、密会の場に密偵と精鋭が張り込み、宿に現れた所を御用となったのであった。が。
問題はここからであった。
精鋭を率いた武官は、銀短髪の偉丈夫ラグナルであった。彼はたちまち商人ベルモントを取り押さえさせ、その密会相手も捕らえんとして目を疑った。
「まさか……奥方さまがなぜここにいるんだ」
そこに居た白金の髪に珊瑚色の瞳の女を見て思わず言ってから、すぐにザカリアスへと報告の鳥を飛ばした。
そしてセラスティアは奥の部屋に。別部屋にこっそり控えていた侍女のパティも見つかり、二人は別々の部屋に通されることになった。幸い部屋数の多い一等級の居室であったのだ。
そうして早馬で駆け付けたザカリアスは、常より一層鬼気迫る様子でセラスティアと対面した。
「一体……どういうおつもりか。ご自分のなされたことがどういうことか、お解りですか」
抑えようにも抑えきれない怒気を孕んだ声で、ザカリアスはセラスティアを詰問する。
部屋の扉は閉め切り、ラグナルに言って人払いもした。
とはいえ、声を荒げるわけにはいかない。
「どういうつもりか、ですって? 貴方が、なにもお答えくださらなかったから。わたくし自ら調べたのです。ラスティカの滅びの理由を」
セラスティアはパチンと扇を閉じると、見た目にそぐわぬ挑戦的で堂々とした、悪びれぬ態度でザカリアスに向き合った。
その瞳は、真っ直ぐにザカリアスを見据えている。
「……」
ザカリアスは、しばし絶句した。
なんとなれば頭に一気に血が昇りすぎて、視界が明滅するような体験すらした。
ぐ、と眉間に力を入れねば意識を保てそうになかった。
「……それが、どういう事態を引き起こしたか、それもわかっておいでか」
「どう、って……。それは……その、驚いたわ。突然武装した男たちが雪崩れ込んできて。……でも、結果的にはよかったのではない? ずっとフラーとベルモントを探っていたのでしょう」
セラスティアはそう言ったものの、不満が残っているように見えた。
それもそのはずで、セラスティアは結局、“ラスティカの涙”なるものがなんなのか知る前にベルモントが捕らえられてしまったのだ。せっかくあちこちに手紙を送り、細やかに情報を集め、秘蔵の王印まで使って成した一大計画であったのに。
バンッ!
と、強く激しい音が響いた。
セラスティアは驚いて目を見開き、ザカリアスを見つめる。
ザカリアスは、思わずテーブルに叩き付けた手の思ったより響いた音に舌打ちした。
「アンタは……この一件でどれだけの者が処罰を受けるかわかっているのか」
押し殺そうとして殺しきれない、ザカリアスの怒りの声だった。
堂々と、恥じることなどないとばかりに澄ましていたセラスティアの顔が、微かに曇る。どういうこと、とその表情が疑問を浮かべていた。
「機密情報の漏洩、公式文書の偽造、それらの教唆の可能性もある。ラスティカの涙という押収品とそれに関連する情報は特に重要事項だ、漏らした令嬢とその父親には特に重い処分が下る」
「なっ……そ、そんなのおかしいわ! だって、わたくしは……」
「重要機密書類を持ち帰り、あまつ家人に見られたとあっては要職はどうせ務まりません」
ザカリアスは、昂ぶる怒りを抑え込み冷静に戻っていた。そして冷酷に。
「侍女殿には犯罪の加担と教唆の嫌疑が掛かっており、この後粛々と連行いたします。殿下には公文書偽造……ことによっては国家転覆罪すら適用されかねませんが……」
セラスティアの顔色が変わる。それが恐れからくるものか、別のものなのかは、ザカリアスには判然としなかった。
「皇女殿下を叛逆人として裁くのは忍びない。御身の忠義厚い侍女殿が、きっと全てをお被りくださるだろう」
ちょうど今、別室で捕らえられているセラスティアの侍女の赤い髪を思い出しながら、ザカリアスは酷薄そのものの顔で笑った。
不意に。
風を切る音がする。
パシ、と軽い音がして、セラスティアの珊瑚色の目が丸く見開かれた。
「二度も喰らいませんよ」
「そう。執念深そうなお顔そのままのご性質なのね」
振り被った扇を受け止められたセラスティアは、どことなく悔しそうに白い顔に朱を差す。
「卑怯者……! わたくしを叛逆人として差し出したら、婚姻関係の貴方まで不利益を被ると思っているのでしょう。だからってパティを……!」
セラスティアが鋭く詰る。ザカリアスはそれを、小鳥の囀りの如く聞き流し、捕らえた華奢な手に力を込めた。セラスティアの顔が今度は痛みにだろう、歪む。
「ラスティカの王は愚かだった。……あなたもそうなりたいか。セラスティア皇女殿下。……なぜラスティカが滅びねばならなかったのかと聞いたな」
愚かだったからだ。と、それこそザカリアスの本音ではあったが。苦々しく口端を歪めた。
「ラスティカの涙という、中毒性の高い薬物を精製し交易品に紛れ流通させた。聖王国の皇女殿下を娶り、親交国となった後も……いやそれまで以上に、輸出量は増やされた。聖王国の国力を削ぎ落とし、内から蝕む目的は明らかであり、それはラスティカ王主導の国策でもあった……」
セラスティアが唇を噛む。ある程度予想はついていたろう。だが改めて聞けば胸中は複雑だろうことはザカリアスにも想像がついた。
「俺が……最も許せないのは……結局のところ……一番被害を受けるのは、貴族でも聖王家でもない。貧しい庶民たちだってことだ」
ザカリアスはセラスティアの手を離すと、吐き捨てるように言った。
「それでも。アンタにとって確かに良い想い出があったなら、それを穢す必要はなかったろう。知らなくていいことなんざ、この世にはいくらでもある」
ザカリアスは踵を返した。
「待ちなさい……!」
セラスティアの手が、扉に掛かるザカリアスの肘を掴んだ。
「それでも……わたくしは、もう。なにも知らないまま、知らされないまま、憐れまれ侮られただ政略の駒にされるなどごめんなの」
セラスティアの、珊瑚色の瞳が。真っ直ぐにザカリアスを見上げて射抜く。
「知らないままでよかったとは思いません。……それから……ごめんなさい。……でも。パティをわたくしの代わりにと考えているなら、わたくしは今すぐ大通りで洗いざらいこの顛末をぶちまけます。貴方がどれだけ秘密裏に処理しようとしても」
ほんの一瞬のしおらしい態度は、まるで幻かと思える。セラスティアは、あろうことかこの期に及んで、ザカリアスを脅しに掛かっていた。その勝気な、恐れ知らずな、真っ直ぐ過ぎる気性に。
「……俺を脅しているのか」
思わず、ザカリアスはこぼした。
セラスティアの形の良い唇が笑みを象る。
「女だと侮るなら、その足を掬っていくらでも痛い目を見せて差し上げます。ザカリアス。わたくしは、あなた方の都合の良い人形ではないわ」
凛としたセラスティアの物怖じしない物言いに、ザカリアスは奇妙な感慨を覚えた。
それは不快感を露わにした表情となって外に出る。
「全て……あなたの良いように処理しましょう。殿下。……だが、今後、このような真似は起こされぬように」
ザカリアスは腕を払ってセラスティアを突き放すと、今度こそ部屋を出て行った。
侍女は無実だ、解放してやれ。と指示を残して。
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