私の虐待との戦い

クゥ‪ஐ‬

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汚れたランドセル

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フライパンで殴られまくったその日から私はもうベランダから食べ物は捨てることは無くなった,まぁそんな最強神経してたら逆に困りますけどね,

その日からトイレ行きたい時は外に行かせてもらえたので部屋で漏らして食べなきゃいけない事は無くなったが,児童館が閉まるようになってからどうしても公園のトイレに行きたくなかった私は,マンションの避難階段に行ってそこでおしっこやうんちをするようになった,階段の床がカーペットだったのでおしっこはそのままカーペットに吸われでもうんちの時は母がいつも私にトイレ行く時に持たせていたゴミ袋の中にしていた。それでしばらくやりくりしていたが,マンションに住んでいる人たちが階段の悪臭に気づき始めてしまった,みんな最初は猫だと思ったらしく,過去にも猫が漏らしてたというのがあったので,でも飼い主が違うというと,まさかの管理林が防犯カメラをチェックしてしまったんです.当時は私は防犯カメラが何かも知らず,そのカメラの下で普通におしっこやうんちをしてました.それをみた管理林は住んでる大人全員を呼んでミーティングを開いたらしく,私の母と父と住んでる人全員の前でその動画を再生したらしいです。父は弁償代として30万円ほど払わなきゃいけなかった。私は母にバレた事が怖くて母が帰ってくるまでずっとビクビク机の上でドリルをしていたがら母が帰ってきて私の部屋に来て何をするかと思うと、ただ一言「恥ずかしいね、みんなの前であんなトイレしてる動画流されて」私は叩かれないことをにほっとしたのと自分がした恥ずかしさが混ざって泣き出した。母はそれを見て特に何も言わなかったが私はただずっと泣いていたのを覚えている。
その日から私は外でトイレに行かされることは記憶にある限りなかった気がする。家の中のトイレに行けるようになった。ただ条件は同じでご飯が食べ終わってから。
うんちをなどを漏らしても食わされることはなくなったが、その漏らした物を自分の服に包んで部屋の中に置いておかなきゃ行けなかった。ただ吐いたら食べるはもう当たり前な事になっており、母に言われる前に吐いたら食べなきゃ行けないという習慣がついてしまっていた。

ある日私はランドセルの中に吐いてしまって教科書やノートや何もかもが私の出したもので汚れてしまった。母は私に「汚い、片付けなさい」と言ったので、私は頑張ってできるだけ全部口の中に入れて飲み込んだ。だが次の日いつものように学校に行かなければならず中身が臭くて汚れたランドセルを背負って私は学校へ通った、でも教室ではなく保健室に行くことにした。 保健室の先生にランドセルを見せると担任の先生を呼ばれた、私は先生達に「頑張って綺麗にしたけど綺麗にしきれなかった」多分この日から先生達は薄々なにか私がされていると感じたのかなと思う。先生達は私のランドセルを綺麗にしてくれた。なせまその時に全部話さなかったのかなと思うけど多分私は間違った事はされてるけど何が間違っているかまだよく分からなかったんだと思う、ただ言っちゃダメなこととしか認識してなく、助けを求める事もしなかった。

続く
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