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アルトレイラル(迷宮攻略篇)
舞い込む暗雲 1
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視界が横転する。
何度もぐるぐると周り、背中にキツイ衝撃が走る。地面にたたきつけられ、本日二度目となる強制的な呼吸停止に思考が追い付かない。一体何が起こったというのか、そのことばかり考える。
激しくせき込む。肺の空気が無駄に無くなり、息が苦しくなる。背中がマズイ痛みを湛えている。もう少し動かしたらどこかの骨が折れてしまいそうな感覚だ。
――攻撃⁉
そこでようやく、そこまで思考が到達する。急いで身体を起こし体勢を整える。息ができないことなど関係ない。あれだけの攻撃を放てる相手だ、ここで寝っ転がっていたら本当に死ぬ。今度こそ、背骨が折れる。
そこで初めて、俺は自分がログハウスの外に叩き出されてしまっていることに気が付いた。背中を襲った衝撃は、ログハウスのドアを突き破った時のものだ。俺たちの上ってきた階段の出口は、リビングの床にある。そしてそれはちょうど、玄関から見ての直線上の位置。俺は、階段を上った直後に後ろから殴り飛ばされたのだ。
息ができないことを隠すように、身体を沈ませる。いつでも飛び掛かれる体勢を整え、相手の姿を拝見する。
端的に言うならば、そこには大熊がいた。
身長は優に三メートルは超えるだろう。どうやって家の中に入ってきたのか疑問なほどの巨体は、目につく部分全てが分厚い筋肉に覆われている。その表面を這う浅黒い皮膚には、大小、加えて年代もさまざまな傷が走っている。
それは切り傷だったり、肉が抉られた跡だったり、皮膚が割かれた跡だったりと多種多様。どう考えても、人間だけを相手にした者の身体ではない。顔は深いしわが刻まれた悪人面。不敵な笑みを浮かべており、そのしわだけが年齢を測るために使える材料だ。
顔だけを見れば、おそらくは七十代後半。しかし白髪となったはずの髪が、まるで剣山のように伸び天を刺している。見れば見るほど、年齢が解らなくなってくる。
そして、瞬間的に悟った。
この熊男には、勝てない。
「反応は、まずまず……っといったところか?」
「……いきなり人殴り飛ばしといて、それは無いんじゃないの?」
ニタリと、男が凶悪な笑みを浮かべる。首筋を、死神の鎌が撫でる。
「よく受け身を取った。大抵の奴はあれで背骨が折れる」
「なんてことすんだよ! こっちも折れかけたわ‼」
「ガッハハハ! だろうな。さあ、次はどうする? 小僧」
瞳の色が、はっきりと戦闘色に染まったのが解った。
これは、挑発だ。俺が飛び込んで行くかどうかを試しているのだ。あの熊男に勝てないことはもう解っている。それを踏まえてどう行動するかを見ているんだ。
「……どうした、来んのか?」
「見え見えの罠にかかるまで馬鹿じゃない」
直感だが、熊男は俺を本気で殺す気はない。そうしたかったのなら、初撃で俺は死んでる。吹き飛ばされてではなく、その場で折れて真っ二つになって。それに、ここまで騒ぎを起こしてミレーナが出てこないことも不自然だ。おそらくは、ミレーナ公認の襲撃だろう。
だとすれば、熊男の狙いは俺の実力を見るためか、あるいは単なる暇つぶしか。どっちにしても、俺を試していることには変わりないと思う。なら、この罠に引っ掛かってはだめだ。
「そうか…………来ないか。来ないならこっちから行くぞぉぉぉぉぉぉおおおお‼」
「――ッ⁉」
そう叫ぶや否や、熊男の足元が大きく陥没。それが踏み込みのせいで生まれたものだと認識した時には、巨体はあり得ない速度を持って俺へと肉薄していた。
その間、わずか一秒。相手との距離、現在約一メートル。
「ふんッッ!」
巨大な拳が空気を裂く。反射的に身体をそらす。異常な風切り音を響かせた拳は、数舜前まで俺の頭があった場所を通過する。頭の代わりに大気が弾け、衝撃波にも似た爆音が轟いた。
それだけでは終わらない。恐ろしいほどの勢いを活用し、すぐに次のパンチが襲う。
右、左、右、左アッパー……からのエルボー。一発当たれば絶命必須な暴力の嵐を、なんとか紙一重で躱す。避けてもなお、数舜前から分岐した俺の未来が脳内で展開され、冷や汗が止まることはない。
考えるな、思い出すな、いまこのときを凌がなきゃ俺は確実に死ぬ。悠長に物事を考えている暇なんてない。避けろ、避けろ、どうせ反撃なんてできないのだ。反撃など捨てろ。集中力の続く限り避けろ。
そのとき、
「距離を取って‼」
雨宮の声が、鼓膜に届いた。考えることもせず、熊男がパンチを空振りした瞬間に全力で後退する。またオドを練る量をミスったのか、肉体強化をした足に鋭い痛みが走った。
「真上!」
その声とともに、一瞬だけ視線を上へと向ける。同時に、口角が上がる。視界の片隅にそれをとらえ、ああそうかと納得する。
「サンキュー、雨宮!」
右腕を突き上げる。大きく広げた掌に、硬い感触が走った。すぐさま落とさぬように握りしめる。手に吸い付くように冷たく、それでいて心地よい感触。これほど安心し、気持ちが落ち着く武器はひとつしか知らない。
鞘を握りしめ、いっきに引き抜く。その鞘も墨を塗ったような黒。放り投げ、切っ先を熊男に向ける。
刀身から柄まで、何もかもが黒曜石のような黒。それは弱く光を反射し、反射した陽光は薄い紫色。石のような材質だが、それ実は世界樹という化け物じみた材質を削って造られた刀。この世に一本しかないと言われた、規格外の木刀。
「ずいぶんと不思議な剣じゃないか。お前の武器か」
「一応ね。すこぶる硬いただの木の棒だ」
「ハッ、あほ抜かせ。世界樹がただの棒っ切れなわけねぇだろうがぁぁあ‼」
黒刀を構える。突進してくる熊男に回避行動をとりながら、刀スキルを発動する。構え慣れた体勢で、刀にオドを通す。大気中のマナが干渉し、刀身が青く光を放ち始める。
構えは下段。刃の方を上に向けた、独特の構え。発動するのは、振り下ろされるパンチを受け流しながら攻撃を叩き込めるカウンター技。
一撃でいい。それだけ当てたら、欲張らずに退散だ。
巨体が迫る。巨腕がうなる。その距離はみるみる近づき、俺を吹き飛ばさんと空気を押しつぶす。
狙うは、肘から上の上腕三頭筋。そこを切り裂き、一気に走り抜ける。
まだ、まだだ、もう少し。
まだ遠い、まだ避けられる。俺に当たるギリギリまで――、
――いま‼
刀が、リンッと鋭い音を放ち、急加速する。人の力ではまず不可能な加速度は、腕を振るためだけに全振りした肉体強化だ。スピードは問題ない。切れ味の方は、青い光が保証してくれている。
時間間隔が引き延ばされる。密度が極限まで小さくなった世界。刀と巨腕が、コマ送りのように断続的な動きをする。
単発系刀スキル《風馬》。斜め上に斬り上げる、反動が最も少ない刀スキルのひとつ。肉体強化の反動が少ないこれなら、斬った後すぐに距離を取れる。ゲームの時の動きに引っ張られることはない。
だが、
鈍重に、口元が大きく開かれる。
気合の塊が、熊男の口から放たれる。
《――――セイッ‼》
俺には、そんな風に聞こえた。
――……あっ。
灰色の世界で、そのことをただ茫然と認識する。ああ、外れたと、確定した未来を半ば他人事のように理解した。
俺を狙っていたはずの腕が、急速に軌道を変えていた。
刀は、狙い通りの輝跡を描く。
それは寸分の狂いもないほど精密に制御した、修行の成果と断言できるもの。行悪な破壊力を持った青い刀身が、空気すらも斬り刻む。
狙い通りの軌道をなぞり、
狙い通りの威力と速度で、
空を切った。
何度もぐるぐると周り、背中にキツイ衝撃が走る。地面にたたきつけられ、本日二度目となる強制的な呼吸停止に思考が追い付かない。一体何が起こったというのか、そのことばかり考える。
激しくせき込む。肺の空気が無駄に無くなり、息が苦しくなる。背中がマズイ痛みを湛えている。もう少し動かしたらどこかの骨が折れてしまいそうな感覚だ。
――攻撃⁉
そこでようやく、そこまで思考が到達する。急いで身体を起こし体勢を整える。息ができないことなど関係ない。あれだけの攻撃を放てる相手だ、ここで寝っ転がっていたら本当に死ぬ。今度こそ、背骨が折れる。
そこで初めて、俺は自分がログハウスの外に叩き出されてしまっていることに気が付いた。背中を襲った衝撃は、ログハウスのドアを突き破った時のものだ。俺たちの上ってきた階段の出口は、リビングの床にある。そしてそれはちょうど、玄関から見ての直線上の位置。俺は、階段を上った直後に後ろから殴り飛ばされたのだ。
息ができないことを隠すように、身体を沈ませる。いつでも飛び掛かれる体勢を整え、相手の姿を拝見する。
端的に言うならば、そこには大熊がいた。
身長は優に三メートルは超えるだろう。どうやって家の中に入ってきたのか疑問なほどの巨体は、目につく部分全てが分厚い筋肉に覆われている。その表面を這う浅黒い皮膚には、大小、加えて年代もさまざまな傷が走っている。
それは切り傷だったり、肉が抉られた跡だったり、皮膚が割かれた跡だったりと多種多様。どう考えても、人間だけを相手にした者の身体ではない。顔は深いしわが刻まれた悪人面。不敵な笑みを浮かべており、そのしわだけが年齢を測るために使える材料だ。
顔だけを見れば、おそらくは七十代後半。しかし白髪となったはずの髪が、まるで剣山のように伸び天を刺している。見れば見るほど、年齢が解らなくなってくる。
そして、瞬間的に悟った。
この熊男には、勝てない。
「反応は、まずまず……っといったところか?」
「……いきなり人殴り飛ばしといて、それは無いんじゃないの?」
ニタリと、男が凶悪な笑みを浮かべる。首筋を、死神の鎌が撫でる。
「よく受け身を取った。大抵の奴はあれで背骨が折れる」
「なんてことすんだよ! こっちも折れかけたわ‼」
「ガッハハハ! だろうな。さあ、次はどうする? 小僧」
瞳の色が、はっきりと戦闘色に染まったのが解った。
これは、挑発だ。俺が飛び込んで行くかどうかを試しているのだ。あの熊男に勝てないことはもう解っている。それを踏まえてどう行動するかを見ているんだ。
「……どうした、来んのか?」
「見え見えの罠にかかるまで馬鹿じゃない」
直感だが、熊男は俺を本気で殺す気はない。そうしたかったのなら、初撃で俺は死んでる。吹き飛ばされてではなく、その場で折れて真っ二つになって。それに、ここまで騒ぎを起こしてミレーナが出てこないことも不自然だ。おそらくは、ミレーナ公認の襲撃だろう。
だとすれば、熊男の狙いは俺の実力を見るためか、あるいは単なる暇つぶしか。どっちにしても、俺を試していることには変わりないと思う。なら、この罠に引っ掛かってはだめだ。
「そうか…………来ないか。来ないならこっちから行くぞぉぉぉぉぉぉおおおお‼」
「――ッ⁉」
そう叫ぶや否や、熊男の足元が大きく陥没。それが踏み込みのせいで生まれたものだと認識した時には、巨体はあり得ない速度を持って俺へと肉薄していた。
その間、わずか一秒。相手との距離、現在約一メートル。
「ふんッッ!」
巨大な拳が空気を裂く。反射的に身体をそらす。異常な風切り音を響かせた拳は、数舜前まで俺の頭があった場所を通過する。頭の代わりに大気が弾け、衝撃波にも似た爆音が轟いた。
それだけでは終わらない。恐ろしいほどの勢いを活用し、すぐに次のパンチが襲う。
右、左、右、左アッパー……からのエルボー。一発当たれば絶命必須な暴力の嵐を、なんとか紙一重で躱す。避けてもなお、数舜前から分岐した俺の未来が脳内で展開され、冷や汗が止まることはない。
考えるな、思い出すな、いまこのときを凌がなきゃ俺は確実に死ぬ。悠長に物事を考えている暇なんてない。避けろ、避けろ、どうせ反撃なんてできないのだ。反撃など捨てろ。集中力の続く限り避けろ。
そのとき、
「距離を取って‼」
雨宮の声が、鼓膜に届いた。考えることもせず、熊男がパンチを空振りした瞬間に全力で後退する。またオドを練る量をミスったのか、肉体強化をした足に鋭い痛みが走った。
「真上!」
その声とともに、一瞬だけ視線を上へと向ける。同時に、口角が上がる。視界の片隅にそれをとらえ、ああそうかと納得する。
「サンキュー、雨宮!」
右腕を突き上げる。大きく広げた掌に、硬い感触が走った。すぐさま落とさぬように握りしめる。手に吸い付くように冷たく、それでいて心地よい感触。これほど安心し、気持ちが落ち着く武器はひとつしか知らない。
鞘を握りしめ、いっきに引き抜く。その鞘も墨を塗ったような黒。放り投げ、切っ先を熊男に向ける。
刀身から柄まで、何もかもが黒曜石のような黒。それは弱く光を反射し、反射した陽光は薄い紫色。石のような材質だが、それ実は世界樹という化け物じみた材質を削って造られた刀。この世に一本しかないと言われた、規格外の木刀。
「ずいぶんと不思議な剣じゃないか。お前の武器か」
「一応ね。すこぶる硬いただの木の棒だ」
「ハッ、あほ抜かせ。世界樹がただの棒っ切れなわけねぇだろうがぁぁあ‼」
黒刀を構える。突進してくる熊男に回避行動をとりながら、刀スキルを発動する。構え慣れた体勢で、刀にオドを通す。大気中のマナが干渉し、刀身が青く光を放ち始める。
構えは下段。刃の方を上に向けた、独特の構え。発動するのは、振り下ろされるパンチを受け流しながら攻撃を叩き込めるカウンター技。
一撃でいい。それだけ当てたら、欲張らずに退散だ。
巨体が迫る。巨腕がうなる。その距離はみるみる近づき、俺を吹き飛ばさんと空気を押しつぶす。
狙うは、肘から上の上腕三頭筋。そこを切り裂き、一気に走り抜ける。
まだ、まだだ、もう少し。
まだ遠い、まだ避けられる。俺に当たるギリギリまで――、
――いま‼
刀が、リンッと鋭い音を放ち、急加速する。人の力ではまず不可能な加速度は、腕を振るためだけに全振りした肉体強化だ。スピードは問題ない。切れ味の方は、青い光が保証してくれている。
時間間隔が引き延ばされる。密度が極限まで小さくなった世界。刀と巨腕が、コマ送りのように断続的な動きをする。
単発系刀スキル《風馬》。斜め上に斬り上げる、反動が最も少ない刀スキルのひとつ。肉体強化の反動が少ないこれなら、斬った後すぐに距離を取れる。ゲームの時の動きに引っ張られることはない。
だが、
鈍重に、口元が大きく開かれる。
気合の塊が、熊男の口から放たれる。
《――――セイッ‼》
俺には、そんな風に聞こえた。
――……あっ。
灰色の世界で、そのことをただ茫然と認識する。ああ、外れたと、確定した未来を半ば他人事のように理解した。
俺を狙っていたはずの腕が、急速に軌道を変えていた。
刀は、狙い通りの輝跡を描く。
それは寸分の狂いもないほど精密に制御した、修行の成果と断言できるもの。行悪な破壊力を持った青い刀身が、空気すらも斬り刻む。
狙い通りの軌道をなぞり、
狙い通りの威力と速度で、
空を切った。
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