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第1章 Departure for the Fantastic World

第18話 魔法が万能だったなら、それは〝奇跡〟と呼ばれているだろう。(1)

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『薬屋に行こう』

 ハルが目的地を話したのは、入国審査を終えて三番通路に登るために乗っていたリフトの中でだった。入国審査前に余計な不安をわたしに与えたくなかったんだと、申し訳なさそうにハルが謝ってきた。
 なぜ教えてくれなかったのか。それは、わたしの身体に直接関係あることだからだ。

 〝覚醒者〟は短命。

 確かに、あの前に訊かなくてよかったと心底安堵した。
 それは根拠のない迷信ではなく、れっきとした事実としてデータもそろっているらしい。理由としては二つあって、身体的要因と外的要因だ。

 まずひとつに、覚醒者は覚醒した直後から脳で処理をする情報の量が何倍にも膨れ上がるのだ。質・量、共に以前とはけた違い。それで身体に負担がかからないわけがない。そのせいで覚醒者たちは、必ずと言っていいほど何かしらの体調不良を身体に抱えることになってしまう。

 ふたつ目は、妖精たちに対しての知識の無さだ。生まれつき見えている人たちは、親に保護される幼少期に彼らがどういう存在なのかを学習し、無意識のうちに彼らに対しての対処法を学んでいく。無意識のうちに学んだそれは〝経験〟になって、彼らから自分自身を守る役割を果たす。

 だけど覚醒者にはそれが無い。例えるなら、小さな子供を詐欺師の前に立たせるようなものだ。良いように口車に乗せられて、彼らの餌食になる。魔法使いの庇護を受けられなかった覚醒者たちはそうやって消えていってしまう。
 この二つが、覚醒者が短命と言われている所以だ。

「大丈夫、リーナは死なないよ」

 はっと、我に返った。
 わたしの隣で、ハルが笑っていた。

「いま言ったのは何もしなかった時ってだけで、ちゃんと対処すれば何ともない。妖精たちあいつらのいたずらは俺が気を付けてればいいし、脳の負荷だって段階的に慣らしていけば何ともないよ」

「高山病みたいなものってこと?」

「そうそう。脳に入る情報を段階的に増やしていけば負荷は軽くなる。今から行く薬屋はその薬を処方できるんだ。だからそんなに心配することでもないよ」

 安心させようとしてくれている――そう気が付いたのは一瞬遅れてのことだ。

 一夜にして見える世界が変わってしまったわたしのことを、精一杯守ろうとしているのが分かった。それに、ハルだって自分のやるべきことがあるはずなのに、わたしのためにこんなことまでしてくれている。普通ならよっぽどのお節介じゃない限りここまでしようとは思わないんじゃないだろうか。
 やっぱり、ハルは底抜けにお人好しで優しいんだ。

「……ありがとう。わたしのためにここまでしてくれて」

 その善意が、ただただ嬉しかった。

「約束したからな。それに俺も寄りたいところがあるし」

「そう言えば、ソフィちゃんから何か渡されてたわよね。買い出し?」

「ん。この先にあるアーケード街で買ってきてほしいものがあるってさ。本と実験で使う土と〝燃料粘土〟と〝輝煌石〟と〝転写紙〟……あとお菓子」

 ソフィからもらっていたメモ用紙をポケットから引っ張り出してハルが読み上げる。やっぱりというべきなのか、メモ用紙はクシャクシャだった。相変わらずそういうところは雑だ。

「全部揃えられるの?」

「もちろん。俺たちは表の人間に見つかっちゃいけないだろ? だから、店はできるだけ一か所に固まってる。バラけてるのは地上にある店くらいかな」

 チンと、高い鐘の音が鳴った。
 同時に扉が開き、リフトから追い出そうとするみたいに身体が引っ張られる。

「ようこそ要請の国に」

「わぁ!」

 子供のような歓声は、わたしのものだった。

 狭めの道をはさんで、カンテラがあちこちで燃えていた。所狭しと建物が並んでいて、その二階は一階よりも道にせり出している。逆三角形のような形の建物ばかりだ。どの建物にも大きな看板が張り付いていて、金属板の小さなものが道の真上にも飛び出している。

 道にはわたしたちのような人間に、影のように実体がない人、頭がカエルになっている人 (と呼んでいいのかわからないけれど、失礼になるといけないからそう呼んでおく)、小さくて恰幅のいい耳の尖った人たちなどがひしめき合っている。大きな荷物を抱えた巨漢が、器用に店の中へと入っていった。
 店だと分かったのは、わたしにも読める文字があったからだ。

 《Coblynau Jewelry Shop》
 《Green Man bar》
 《Shoe Store》
 《Bakery》

 わたしのような経歴の人も来るんだろうか、看板には読めない文字の下に書いてあったのは英語だ。それに、カンテラの色も店ごとに決まっているみたいだ。靴屋は赤。パン屋は黄色というように。おかげでわたしにもどれがどの店なのかがすぐに分かった。

 《Shrieker House》
 《Nuckelavee fight!!》
 《Shock! Trick! Joke!》
 《Grenndel》
 《Green Man joke》
 《Send best Killmoulis》

  ……訂正。読めても分からないものばっかりだった。

「――ああ。あれは動物販売店。使い魔なんかを扱ってる」

 わたしが向いていた方向をたどるように後ろからのぞき込んで、ハルがそう教えてくれた。どうもわたしが興味を持っていると勘違いしてしまったらしい。とは言っても、読めなかっただけで興味ゼロというわけでもないから、ハルの勘は当たらずとも遠からずと言ったところだろうか。

 ハルが指さしたのは、緑色の屋根に緑色の光を出すカンテラを吊るした店だ。読めない文字に、猫とフクロウのシルエットが描かれている。薄暗い店の中から、何かの影が動いて見える。格子がはめられた他の店よりも小さい窓は、中の動物が逃げないようにしているんだろうか。

「ペットショップ?」

「……近いよ。魔法使いと魔術師は使い魔を使うから。俺たちと動物は切っても切れない関係かな」

 一瞬言葉が止まったのは、きっとそれだけじゃないからなんだと思う。
 わたしの知識の中では、魔術師は動物を生贄にしたり実験に使っていることが多い。多分、わたしの予想は当たっているんだろう。でもわたしがペットショップなんて言葉を使ったから、ハルはそのことを隠そうとしてくれたのかもしれない。

 もちろん全部わたしの勝手な妄想だ。だけど、ハルの性格を考えたらきっとそうな気がしている。
 なので、その厚意に甘えることにした。

「ハルの使い魔って……あの黒猫ちゃん?」

「あれでも俺たちより年上だから、〝ちゃん〟付けていいかは疑問だけどな。名前はシャルルで、御年二十歳のおばあちゃん。仕事は蟻塚の巡回と警備」

 それはつまり、本当にただのペットではなかろうか……。そういえば、昨日今日でわたしが見たのも、暖炉の前に座り込んで緑色の眼を暖かそうに細めている姿だけだ。

「わたしも動物飼ってみたいなぁ」

「飼えばいいじゃん。少尉だったらそれなりに貰ってるんじゃないの?」

「無理よ。お隣さんが動物嫌いだから」

「へー、じゃあ入ってみる?」

「いいの?」

「用事が全部終わったらでいいなら」

「もちろん!」

 軍に入ってここしばらく、全くと言っていいほど癒しが無かった。だからその申し出が、わたしには一か月分のお給料袋よりも嬉しかった。

「じゃあ行こうぜ。閉まる前にさっさと終わらせないと」

「そうね」

 そう返事したわたしの声は、年甲斐もなく弾んでいた。
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