3×歳(アラフォー)、奔放。

まる

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本編

北西3。

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あの様子の司教が慇懃にもてなしてくれる訳もなく、好きにお使いくださいとだけ残して教会を明け渡された。
橙色のランプの明かりの下、小気味よい音が鳴っていた。あまり得意ではないと何故か豪語した雪妃よりずっと手際良く、パキラは包丁を握り鍋を沸かせていた。

「流石シェフ、鮮やかですなあ」
「煩えな、手伝わねえならあっち行ってろよ」
「まあまあ。味見と洗い物なら任せといてよ」

邪魔だと肘で押され、雪妃は前を譲りつつ夕餉の香りに満足そうに笑みを浮かべた。
冷凍されていた肉を拝借し、野菜とキノコもたっぷり入った、味噌の香り漂う山菜鍋だった。

「どれどれ、拙者も味見をひとつ」
「全部食うなよ、ひと口にしろ」
「味見だって。任せといてよ」

先にひと口、味を見ていたパキラから小皿を奪い、にこりとして差し出した。パキラはげんなりとして鍋から掬い、湯気のあがる向こうのワクワクした顔を眺めた。

「あったまるねえ、良い嫁さんになるわあ」
「阿呆か。オレはもらうの、嫁にはなんねえわ」
「ホッホ、こんなん毎日食べられるなら幸せだねえ」

おかわりをと言わんばかりに差し出される小皿から目を逸らして、パキラは邪魔だと再び肘で押しやった。

「皿を運べ、それくらい役に立て」
「承知の助。もう勝永も戻ったかな」
「長々と世間話する雰囲気じゃなかったろ」
「確かに。司教さまもご一緒できたら良いのにね」
「ユキの食う分が減っても良いなら声かけて来いよ」
「なぬ。それは一大事、でも勝永少食だし或いは」
「煩えわ。早く運ぶぞ」

爪先で蹴ってくる靴を踏み返してやって、雪妃は取り皿と箸を乗せた盆を手に先に出た。肩を竦めてパキラも鍋を手に後を追う。

「良い匂いしますねえ。一緒に料理、楽しかったですか」
「おまえな、何呑気に寛いでるんだよ。働け」
「中佐も出てるし、折角ふたりきりにしてあげたのに。僕が居てはお邪魔でしょう」
「あのな…」
「録事殿の胃袋を掴むの、結構いけるんじゃないですか?」
「分かった、分かったから黙ってろ」

席についてソワソワと待ち受ける雪妃の前に鍋を下ろした。

「勝永さんがまだか。聖女も居ねえし、いつもの接待じゃねえよな」
「そうだよ、物足りないのは聖女さまよ。今回は華が足りてないのじゃ」
「録事殿が居るので十分足りてますよ、ねえ軍曹」
「いやいや、必要なのは清らかなかわいこちゃんよ。役得魔人に取られるとはいえ、視察のお楽しみだったのに」
「あはは。確かにそうでしたねえ」

美味しそうな鍋を前にお預け状態は心苦しい。雪妃は扉の方をちらちらと窺いながら、空色の頭の帰りを心待ちにした。

「冷めちまうし先に食ってて良いんじゃねえの?勝永さんも気にしないだろうし」
「もしかしたら聖女さまを連れて登場するかもじゃないか。一番良い光景」
「要らねえだろ、もう聖女は。見ててこっちが疲れるだけだしさ」
「要る要る。美少女で目を潤し、甘い香りをいっぱい吸い込みたいじゃないか」
「そうか?ユキだって何か良い匂いすんじゃん」

皿に取り分けながらパキラはふと視線に気付き顔を上げる。ニンマリとするふたつの顔が見えて、怪訝と眉を顰めた。

「何だよ、先に食うんだろ」
「軍曹ったら、録事殿の匂い嗅いでるんですか?やらしいんだから」
「はあ?何言ってんだおまえ」
「やだわあパキラさんったら。わたくしめの香りもお好みでしたの?」

ふっふと笑うふたりにパキラはぽかんとした後、雑にも鍋をかき回した。

「あのな、オレは別にそんなんじゃなくて。ただ良い匂いがするなっていう、いや、アレだろ」
「知りませんでしたよ、録事殿ってそんな良い香りなんですねえ」
「ね、知らんかったわあ。どうなのパキちゃん」
「おまえらな…アレだよ。メシの匂いだろ、食い意地張ってるし」
「ほほう、美味しそうな匂いがするんですねえ。僕も少し嗅いでも良いですか?」
「オホホ…汗臭くないかしら」

嬉々として首筋に鼻を近付けるアンシェス。こそばゆくも髪を反対側に寄せる雪妃を見て、パキラはガタンと立ち上がった。

「ババアの加齢臭だよ、そんな良いモンじゃねえ」
「おうパキちゃん、君ね。うら若き乙女。吾輩まだ加齢臭しない」
「内面から漂ってくるんだろ、中身の問題だ」
「あんだって?まだそこまでいってないし。多分」
「あはは。確かに良い香りがしますねえ、軍曹ったらいつもこんなに近寄っていたとは」
「煩えな、鼻が利くんだよ」
「中佐はいつもこれを抱きしめている訳ですよ。羨ましいですねえ」

くっと唇を噛みしめるパキラへと楽しそうにアンシェスは笑った。

「居ないうちに、僕も抱きしめて良いですか?斬られちゃうかなあ」
「わはは。構わんぞよ、存分にぎゅーするが良い」
「わあ、良いんですか?言ってみるものですねえ」

言うが早いか、ふわりとアンシェスに包まれる。
虚弱体質だという若者の体は薄く、相変わらず軍人らしくなかった。

「はあ、落ち着きます。色気はなくとも録事殿も女性なんですねえ」
「君ね、さり気なく失敬な事を言うでないよ。あと、お触りは別料金になりますわよ」
「あはは。不可抗力です、僕も男なんです」

臀部を撫であげる掌に雪妃は思わず苦笑した。セクハラまがいのことはアルフォンスで慣れているとはいえ、何とも複雑な気持ちで身を離した。

「ありがとう録事殿。良いご褒美をもらえました」
「うむうむ。こちらこそ」
「さあ軍曹、出番ですよ。録事殿の気が緩んでるうちにです」
「は?いや、オレは」

じとりと見遣っていたパキラは思わずお玉杓子を手から滑り落とした。同じようにニヤつく顔はとことん小憎たらしい。

「ふざけんなよ。しねえわ」
「良いんですか?折角のご褒美タイムなのに」
「良いんだよ。それより早く食えよ」

煩く机に取り皿を置いた。
ゴハンゴハンと嬉々として雪妃は椅子に座った。隣に戻ってくるにこやかなアンシェスの肩をどついて、パキラは深く溜息を吐いた。

「てめえ、何て事しやがる」
「あはは。軍曹もしれっと抱いてしまえば良いのに」
「ふざけんな、出来るかよ」
「軍曹は良い体してるのになあ。でも先ずは、異性として見てもらわないとですねえ」
「煩えな。おまえ覚えておけよ」
「嫌だなあ。録事殿、柔らかくて良い匂いでしたよ。勿体ない事しましたねえ」
「てめえ…」

拳を握りしめるパキラは、扉にふらりと覗く空色の髪を認めて椅子に座りなおした。苦笑するアンシェスは少し緊張して、上官の戻りを向かいに見た。

「おかえり勝永。遅かったね」
「ただいま戻りました。鍋ですか、温まりそうですね」
「うむうむ。パキちゃんが料理上手で良かったね」
「ええ。お上手だと評判です」

にこりとして座る守ノ内が首を傾げ見るので、アンシェスは知らず息を飲んで先に白状しておく事にした。

「斬らないでくださいよ中佐、まさか僕も許可が下りるとは思わなかったんです」
「おや、お嬢さんが嫌でなければ、構いませんよ」

グラスに口を付ける守ノ内は穏やかだった。胸を撫で下ろし、それでもアンシェスは箸が進まなかった。

「その何倍も抱くんです、些末な事ですよ」
「あはは。命拾いしました」
「でもお触りはいただけませんね、次は斬りますよ」
「こらこら、減るもんでもないし。アンちゃんに下心はないでしょうよ」
「すいません。下心はとてもありますが、気を付けます」
「あるんかい。まあまあ、冷めちゃう前に美味しく召し上がりますぞよ」
「ええ。でもお嬢さん、減るのでお触りは禁止です」
「減りゃあせんがな。まあいいや、司教さまは別でお食事?」
「そのようです。里の人のお世話があると」
「そっかあ。残念」

黙々と食べるパキラがちらと窺ってくる。雪妃は美味しいとニンマリとして返してやった。

「大陸とはもう繋がってますが、やはり悪さはないので、他に調べる所もなさそうですね」
「むう、迷惑かけてないならそれで良いのかな」
「ええ。こうも近いと染まりやすいのかなと。他より健全な方ですし、あとは王様にお任せです」

口を開けてくる守ノ内に、自分で食べんかいと唸りつつもキノコを押し込んでやった。
アンシェスの乾いた笑いが鳴る中、確かに腕の良いシェフの食事を済ませる。何もしてねえだろと洗い物は苦笑する兵卒に一任されて、雪妃は先に有難くも浴室へと向かった。


***


少し北に出るだけで寒さも深まった。
湯冷めどころではなく冷えた身を抱えて、雪妃は星空の下を跳んでいた。念の為積んできた厚手のコートが大活躍だった。

「勝永は寒くないの?」
「私は暑がりなんです。冷えたらお嬢さん、暖めてくださいよ」
「へいへい。風邪引かないでよ」

断崖絶壁のような高い岩場に長い脚は降り立った。ひょええと下を覗き込む雪妃を引き寄せて、守ノ内はその背を抱え込んだ。
風の音もびゅうと高鳴る。
オーロラが見えたら、と教会を連れ出されたものの、冷え澄んだ空気に星が美しくも瞬くばかりだった。

「そんな頻繁に見れるものでもないんだっけ?」
「冬場の方が見やすいんですかね。もうどちらでも良いです」
「おいおい、目的が」
「私の目的はこちらなんで良いんです」

ぎゅっと抱き竦めてくる腕に、雪妃はトホホと首を落とした。
司教の話より戻ってから何となくジリジリしたものを感じてはいたが、分かりにくい男もじっくり付き合っていると察せられるものなんだなあと気付く。

「あのね、お兄さん」
「お嬢さん、他に抱かれては嫌ですよ」
「う、抱かれてはない。ぎゅーだよ、ハグです」
「皆下心を持って寄ってくるんです。気を抜かないで」
「ははあ、色気はないと言われちまったんですがなあ」
「そんなの何とでも言えます。私も仲間を斬りたくはありませんよ」
「斬るでないよ、穏便に」

ぽとりと寄りかかり雪妃は星空を見上げた。寛容なのか逆なのか、やはりよく分からない男だった。

「しかし今回は地味というか、あっさり終わりそうだねえ」
「本来ならそんなものです。大陸も動いてて、あれこれあってますもんね」
「成る程なあ、わたしもちょっと噛んでるみたいで、申し訳なく」
「お嬢さんは被害者ですよ、訳の分からないのに絡まれてるだけです」
「訳分からんよね本当に。行けば分かるとの事だけど、何があるのやら」

思い浮かぶのは不敵にも柔らかにも微笑む宵闇の色をした男だった。
一方的に知り尽くされている様子は何とも歯痒くある。不思議な力を持っていそうなのも相まって出来れば関わりたくないが、そうも言ってられない。

「勝永もシアンさんの事、よく知らないんだよね」
「ええ。王様と、その先代からと長く因縁を持ってるくらいの事だけですね。恐らくは不老不死のやらしい相手です」
「ありゃあ、そりゃあやらしいねえ」
「身勝手で悪趣味な方ですよ。ここに来て動き出したのもきっと、お嬢さん関連です。参っちゃいますね」
「むう、わたしが何だってんだろね」

束の間の入れ替わりの際、もうひとりの雪妃から静かに紡がれた言葉は伝えていなかった。
言ってもどうせ分からんと言われるデス、とアルフォンスに苦笑されたが、思うものは同様である。それならば敢えて伝えるまでもないかと感じていた。

「悪い人の考える事は分かりませんね。ひとつ言えるのは、渡さないという事だけです」
「うむう…わたしもさ、気安くシアンさんの下に付く訳にもいかないけども。先に大陸に落とされてたらと思うとね、その時は大陸側だったんだよね」

雪妃の呟きに守ノ内は目を丸くしてしまう。西の地に落ちアルフォンスが先に見つけ保護したとは聞いていた。それが大陸で紫庵だったら、とはあまり考えたくない話である。

「それでもいずれは出会ってました。私もその時はこうやって、お嬢さんを手元に連れていってたでしょうね」
「そうかあ、そう言われるとそうなってそうだなあ」
「ええ。もうね、私のつまらない人生はお嬢さんがここになかったからなんですよ。出会って漸く、色付いたんです」
「そうかね、そりゃあ良かった」
「本当にそうなんです。運命だとかそういうのは知りませんけど、巡りだと言われれば確かにしっくりきます」

とさりと覆いかぶさってくる守ノ内はいつも温かい。そういえば巡りとはアルフォンスがよく言ってた言葉だな、と雪妃は思い出した。

「巡りねえ、一周回ってまた元に戻るのか」
「ええ。どうやらそのようです」
「難しい事は分からないけど、勝永が良かったなら良かったね」

屈託なく笑う雪妃に、微笑みつつも守ノ内は少し眉を寄せる。側に寄り添ってくれているようで、どこか他人事の口調になりがちな雰囲気は、いつも腑に落ちなかった。
頬を押しつぶしてやると不服そうな顔が向いた。守ノ内はひとつ息を吐いて、体ごと抱えて向きなおらせた。

「おう、何すんじゃい」
「お嬢さんは良くないんです?」
「はへ?何が?」
「いつも私が良かったと言いますから。お嬢さんも良いんじゃないんです?」
「ん?どういうこっちゃ」
「私と巡り逢えて、お嬢さんも幸せではないんですか」

苦笑する守ノ内は再び頬を押し潰す。
雪妃は少し怪訝として、反芻し漸く押す手を掴み引き剥がした。

「どうなんです、お嬢さん」
「そりゃあ幸せですとも。毎日楽しいしね」
「本当です?愛してくれますか」
「ぬう、愛はすまん…まだよく分からんのじゃ」
「では、私はこのままお嬢さんを愛してて良いんですか」
「そ、それは。さあさあ我を愛せよとは、言えないですし」
「勿論、駄目だと言われても愛しますけど。違うんです、お嬢さん」

視線を落とす守ノ内を雪妃は不思議そうに眺めた。
切り込んだ崖からは風が昇ってくる。打ち付ける波の音と、吹き抜ける音と。騒音のひとつもない、大自然の音色だった。

「まあまあ、よう分からんけどさ。わたしは勝永好きだし、勝永も好きにしたらええんや」
「そうですか。…え?」
「わたしね、勝永には感謝してる訳ですよ。なので他に良い子が居たらそれも祝福するし、居なけりゃこのまま楽しくやってれば良いし」
「いえ、他はどうでも良いんですが。お嬢さん、何と言いましたか」
「へ?いえ、ですからね。楽しくやりましょうやって話をですね」
「その前です。お嬢さんが好いてくれているのは知ってますけど、いえ、それは皆を好きの好きなので違うんですが」
「落ち着きたまえよ、こっちが混乱するわい」

首を捻り逡巡する守ノ内と同じように、雪妃も首を捻ってしまった。

「多少はしゃあないけど、他の人に大きな迷惑をかけずに、あとは各々好きにやったら良いとわたしは思うのですが…そういう話じゃなくて?」
「いえ、そうですよね。お嬢さんはそうでした」
「うん?」
「好きにやります。お嬢さん、私を好いてくれてますか」
「う、うむ。大変に好いておりますとも」
「嬉しいな、少し分かりました。お嬢さんの好きは、私の愛してるのと近いんですかね」

締め上げてくる腕は相変わらず容赦がない。もっと丁重に、と背を殴りながらも雪妃は眉根を寄せてしまった。

「へへえ?いや、それは」
「ふふ。そうでしたか。皆好きだけど、私の事は大変に好きなんですね」
「んん?そうだね、そんな感じでござろうか」
「心得ました。参ったな、少し泣いても良いですか」
「何でよ、勝永さんも泣いたりするんかい」
「泣きますよ。久しくないんですが、お嬢さんに想われてると知れば、涙も出るというものです」
「そ、そうか。そりゃあどうも」
「どうしよう。ねえお嬢さん、もうここで続き、やりますか」
「おいおい、落ち着きたまえよ」

晴れやかな顔が見えると胸もじんわり温かくなる。中々気持ちの整理も追いついていなかったが、このままで良いのかなと一先ず思い悩むのは中断する事にした。

「愛してますよ、お嬢さん」
「うむ。有難き幸せ」
「おや。わたしもよ、はまだ出ないんです?」
「うへ、いえ、何と言いましょうか」
「ふふ。体で返してもらう事にします。お嬢さん、こちらが本体だと知りましたし、もう良いですよね?」
「いや、そうだけどもさ。あの」
「好きにして良いとのお墨付きです。ドキドキしちゃいますね」
「おう、待ちたまえよ。君ね、ちょっと、こら」

柔らかく吸い付いてくる唇に、雪妃は後退りも出来ずに身を硬らせた。後ろは断崖絶壁、目前は空色の瞳に情火を灯す整った顔。逃れられなかった。

頭上ではオーロラがゆらゆらとカーテンのように揺らめいている。しかし星空の下それを見上げる者は今宵、居なかった。
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