3×歳(アラフォー)、奔放。

まる

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本編

新月3。

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「だってさ、勝永いつまでも気楽でいるでしょ?少しは緊張感を持って欲しくてさ」

乗り込んだ屋敷で捕まえた紫庵は、食事にしようと微笑みすり抜けて行った。
食卓につき祈りも早々に食ってかかる雪妃へと、変わらず穏やかな笑みを浮かべ、紫庵は赤身のステーキへとナイフを差し込んだ。

「お気遣いは結構ですが、要はもう全部斬っても構わないという事なんですね」
「フフ。好きにしたら良いよ」
「そうですか。もう面倒なので斬りますよ」
「獣人たちにも張り合いをと思ってさ。成果を挙げれば、褒美に好きなものをと伝えたんだ。僕はね、ユキちゃんをどうぞとは言ってないからね」
「当たり前です。そんな勝手が許されるものですか」

大きく漏れる嘆息に、紫庵の顔も楽しそうに緩まった。
悪びれなんてしない男なのだ。雪妃は胡乱げに眺めつつフォークの肉を口に押し込んだ。大陸の料理は中枢よりも優しい味付けだった。

「本能を残しつつ理知的でさ、それでも欲には抗えない。獣人は人間よりよっぽど愛おしく感じるよ。彼らの世界にする方が平和的なのかもね」

ね、と微笑まれ雪妃はごくりと嚥下する。
紫庵も光の君も、そして隣の空色の男も。彼らは皆極端だと思う。それくらいの気概でないと世の中は統治できないものなのだろうか。
己の信念に真っ直ぐな様子は、良否は兎も角、優柔不断な身からするととても眩しくも見えた。

「勝永も褒美が要るかい?」
「要りませんよ。お嬢さんを使うのはやめてください」
「好きなものをと伝えただけだよ。勿論、ユキちゃんだって黙って捧げられたりはしないでしょ?」
「当然じゃい。やだよ、食べられるなんて」

渋い顔で具沢山なスープを掬う。
幸い、白虎は話を聞いてくれる。生肉でも代わりに沢山差し出せば、食わずにいてくれるのではないかと勝手に思っていた。
相変わらず食の細い守ノ内の手が止まっているのを見かねて、雪妃は食べんねと小さく切った肉を口元に押し付けた。色々と思案しているような顔は、苦笑を浮かべぱくりと頬張った。

「そう怒らないでよ。楽しくやろうよ」
「呆れてるんです。つまらない事をしないでくださいよ」
「フフ。つまらないかな、僕は楽しいよ」

ぱさりとナプキンを机に置いて紫庵は椅子を引いた。

「じゃあ僕はお先に。ごゆっくり」

にこやかな顔が消えていく。
こちらもほぼ手付かずのまま、従僕が静かに皿をさげる。霞でも食べて生きているのかな、と雪妃は運ばれたアイスクリームをつついた。

「参っちゃいますね、何を考えているんだか」
「うむう、さっぱりだよね」
「取り敢えず、獣人たちには近寄らずにいましょう。顔が見えたらもう、斬ります」
「斬らんで宜しい。紫庵さまを大人しくさせてさ、それでもうお終いだよ」
「それで終わりますかね。面倒があれこれ多すぎて」
「後で考えよう。何とかなるさ」

舌の上で溶ける甘みは、ほろ苦く焦がしたカラメルの味がした。
指で示し待機する守ノ内を意外そうに見上げて、雪妃は掬ったスプーンを差し出した。

「珍しいね、甘いのいけるようになった?」
「いえ。お嬢さんの口からだと、何でも美味しいので」
「おいおい、自分で食べなさいよ」

呆れ返って雪妃はスプーンを咥えた。
静かだがまだ従僕たちは控えている。主も退席しているし、早く食事を終えて出るべきかと、最後のひと口を大事に舌で溶かした。

「遅くなっちゃったし、今夜はこっちにお邪魔で良いよね」
「ええ。動かない分こちらの方がまだ、安心ですかね」

御馳走様です、と手を合わせて部屋を出る。
廊下の窓を風がガタガタと揺らしていた。明かりの落とされた廊下をのんびり歩き、階段の辺りでふと雪妃は首を傾げる。

「動かないって、まだだよね?」
「ふふ。身の程知らずな人たちの話ですよ」

何じゃそりゃ、と怪訝と振り返る雪妃に守ノ内は微笑む。
兄弟といい獣人といい、君主といい戦友といい。どう伝えても見せつけても、大人しく引くという事を知らない者たちなのだ。

「どうしましょうかね。斬るしかないじゃありませんか」
「何の話よ。やたらに斬るでないよ」
「でもね、言っても聞かないなら、そうするしかないんです」
「いやいや、他に方法はございますわよ。多分」
「そうですかね。例えば、お嬢さんがもっと私に夢中になるとかです?」

にこりとして頬をつつかれる。
そっちの話かい、と雪妃は更に渋面を作って守ノ内を見上げた。

「十分そうじゃありませんかね」
「おや、もっと遠慮なく、あからさまにも見せてくださいよ」
「あからさまにはちょっと…ほら、いい大人ですからね」
「大人だからこそです。仕方ないとは思うんですけどね、お嬢さんは魅力的ですし」

借り住まいの部屋は綺麗に整えられていた。
魅力ねえ、と雪妃は姿見に映る若くも愛嬌ある、亜麻色の髪をした少女を眺めた。見た目だけなら間違いなく、自分も好きなタイプである。
周りが麗しい存在ばかりで見劣りはするが、こんな子が近くで笑ってくれればきっと舞い上がってしまうのだろう。

「でも中身はわたしだからなあ。知れば、思ってたのと違ったわってなるのよ」
「ふふ。私はその中身が好きですよ。入れ替わった時、外側が同じなだけでは無理だと痛感しましたからね」
「ふへえ、奇特なお兄さんよな。色々あったけど勝永は本当に、変わらないよね」

出会ってまだ一年も経っていないのかと、不思議なほどであった。濃縮されたような日々だったように思う。

「世の中、変わらないものは然程ありませんからね。私もそうですよ」
「そうなの?勝永は勝永な感じだけど」
「日々刻々と、お嬢さんへの愛しさを募らせているんです。死の際までずっとですよ」
「ははあ。壮大だねえ」
「お嬢さんもそうなってください。他を気遣うのは目を瞑ります。でも、私が一番です」

額へと口付けて、守ノ内は穏やかに微笑んでいた。自由にさせてくれておきながら、こんなにも縛りつけてくる。何とも言い難い男だった。

「とはいえ、お嬢さんの持ち味はその奔放さですからね。大いに振り回してもらえれば、私も本望というものです」
「そんなんで良いの?君はマゾいなあ」
「良いんです、愛してますから。存分に尻に敷いてくださいよ」

何でそんなに、と聞くだけ無駄な事だった。守ノ内の指がそっと頬に触れ、雪妃は目を伏せる。
愛してしまったからと、苦笑する男の気持ちも今なら少し、分かるような気がした。

(愛とは何ぞや、って感じだけど。これがそうなのかな)

重なる唇に胸が苦しくなる。
全てを見透かすような空色の瞳にもっと見つめられたいし、折れるほどの抱擁が欲しい。
息をするように、当たり前のように。滑らかに告げてくれる彼のようには、気恥ずかしくてとても言えないけれど。
若いこの身ではなく、中身の自分へ向けて、躊躇いなく届けてくれている想いが、擽ったくも心地良かったのかもしれない。

(良くないよね。でも、もう無理だ)

こちらが本来自分が歩むべき人生だったと言われても、未だ受け入れられてはいない。
けれど、戻った雪妃と幸せを育む夫より、他の可愛らしいお嬢様方と親しげにする守ノ内を見る方が辛かった。それが答えのように、葛藤する想いを鎮めたのだった。

「でもね、お嬢さん。私の好きにできるこの時だけは、譲りませんよ」

いつもの穏やかな笑みとも、呑気な顔とも違うこの表情が激しく胸を打つ。
こうやってぶつけられる衝動が、この男の微笑みの下に隠す本性なのではないかと、泣きたくなるような想いを持って抱きしめた。
艱苦なのか悲嘆なのか、表には決して出さないそれを、救ってあげたいと無責任にも願ってしまう。
いつか打ち明けてくれるのかなと、雪妃は蕩けるような意識の中でぼんやりと思った。

「愛してますよ、雪妃」

守ノ内の甘く囁く声が聞こえる。
厚いカーテンと雲に隠され、爪の先のような月が夜空に浮かんでいた。


***


暗くて不気味で、踏み入れたくないと常々思っていた。
三弦を弾く音色が響くと、闇が晴れて白々と月が覗く。誘われるように足はそちらへと向いていた。
華美な衣装の刺繍が反射して煌めく。
儚げな姿を認めて、風のない空間を静かに歩いた。

『やあ、月が綺麗だね』

三弦へと視線を落としたままで、華奢な姿が微笑み呟いた。側へと座り耳を傾けて、月明かりを浴びる。

『今回はぴったり張り付いているものだからさ。やっとゆっくり話せるね』

宵闇色をした双眸が柔らかく細まる。
懐かしい音色は、辺りに溶け込むように鳴り響いていた。
瞳と同じ色の髪が緩やかに流れている。
その背に寄りかかると、くすりと笑みが溢れて音色が止まった。

『今回も駄目だったよ。また次に期待するね』

可哀想に、という呟きはしかし声にはならなかった。それでも伝わっているのか、微笑んだ顔が物憂げに宙を仰いだ。

『哀れんでくれるかい?それも嬉しいけど、早く救って欲しいな』

ひやりと吹いた風が撫でてくる。
どうしたら救われるというのだろうか。永劫を巡るその深淵の底を覗いても、自分の手ではとても届きそうになかった。

『忘れ置いてきた要らないものを、また思い出させたんだから。きちんと責任をとってよね』

フフと笑う声は闇に呑まれた。
いつも余裕綽々で傲慢で。それでも少し悲しそうに笑うから、放って置けなくなってしまう。巡り会う度にそんな感じだった気がする。

光あるところに闇がある。
相反する存在は、互いがあってこそ。そう言っていたのは誰だっただろうか。
明るい方へと向かいながら、再び奏でられる音色を遠く聴いた。
それは追憶の調べだった。


***


「お嬢さん、起きて。雪妃」

ぺしぺしと頬を叩く手に、ううんと唸りながら目を開いた。薄暗い天井が上に見えた。

「大丈夫ですか、ちゃんと居ますか」

焦燥感を滲ませる守ノ内は珍しい。
雪妃は幾度か瞬いて、前髪をかき上げる温かな手に触れた。夢を見ていた気もするが、ぐっすり熟睡していたようにも感じる。

「どしたの勝永、朝ご飯が白米のみだったとかなのか?せめて漬物くらいは頂けると幸いなんだけど」
「いえ、朝食どころかもう、晩飯の時間ですよ」
「な、何だって」

気怠い体をがばりと起こした。ご飯を二度も逃すとは一生の不覚である。
時計は六時を指していた。
朝じゃなくて夕方の?と視線を移すが、閉められたカーテンからは外の様子は窺えなかった。

「珍しくゆっくりだなと、疲れもあるのかと寝かせてたんですが。あまりにも起きないし、魘されてるしで」
「ひええ、何でだろ。疲れ?」
「紫庵さんも見ないから、また勝手な真似をされているのかと心配しましたよ。大丈夫なんです?」 
「うむ、特には何も」 

額に手をやり目を閉じても、思い当たる節はなかった。安堵したように息を吐いて、守ノ内は雪妃を抱き竦めた。

「嫌ですよ、もう居なくならないで」
「大丈夫だって、諸々の疲れでございますかね」
「すみません、お嬢さんが可愛らしいから私もつい、張り切っちゃって」
「そうじゃなくって。それもあるかもだけど、移動とか諸々の諸々よ」

案外しっかりとした肩に顎を乗せて、雪妃は渋くも口元を歪めた。
この若い身は翌日まで疲れを持ち越す事も少ないので、余程堪えたのかなあと昨日の空間移動と祝福もどきを思い出した。

「無事なら良かった。悪い夢でも見てましたか」
「ううん、覚えてないけど、そんな感じではないと思うよ」
「そうですか。お元気なら食事に行きます?」
「行く行く。お腹空いたね」

可哀想に、と呟く寝言は気になったが、晴れやかな表情に笑みを返してその手を取った。
寝衣を解いて淡色のニットワンピースを頭から被せてやる。ちょっと短くないか?と渋る雪妃に守ノ内は笑みを深めた。いつも通りの雪妃のようだった。

「このまま出撃までこちらで過ごします?お兄さんたちも、情報は得ているとは思いますが」
「む、どうしよっか。明日戻ろっか」
「ええ。英気を養っておきましょう」

ふわりと一枚羽織らせて部屋を出る。
廊下の向こう、離れていてもあからさまに嫌な顔をした美貌があって、雪妃はおおと手を振った。

「あかのんだ、久しぶりの再会」

舌打ちし反対側に消えていく美脚を惜しみ眺めた。中々友好的にはなってもらえそうになかった。

「まだ喧嘩中なのかね」
「さて、お嬢さんに手を挙げた忌々しい相手です。あまりご一緒はしたくありませんね」
「そこはほら、お互いさまだし。気まずさでもあるのかなあ?気にしなくていいのにね」

その粛清として隻腕となった事を雪妃は知らないままなのだろう。そうですかね、と苦笑だけ返して守ノ内は手を引き進んだ。
絶縁状態とはいえ、故郷を失わせてしまったお詫びもきちんと言えていない。蒸し返すのも良くないのか、と悩みながら雪妃は長い廊下を歩いた。

今宵の食卓は蒼念と三人のみで囲む事となった。亜科乃は後で食べると思うよ、と複雑な表情が告げた。紫庵はまだ戻っていないという。

「お先にどうぞだってさ。先生も色々準備があるのかな」
「成る程。根を詰めてないと良いね」
「フフ。そんな人に見える?のんびりやってるだけだよ、きっと」
「確かに。ティーカップ片手に、優雅に寛ぎながらやってそう」

主不在でも、従僕たちは丁寧にもてなしてくれた。
齧るとフワフワする魚介と野菜のフリットを堪能しつつ、何とも穏やかな夕食となった。

「智恩たちと向かうんだよね、無茶しないよう伝えておいてよ」
「うむうむ。聞いちゃくれないだろうけど、伝えとくよ」
「まあね。雪妃さんもだよ、敵対してるのか本当に曖昧だけど。先生はどう出るか分からないから」
「敵味方じゃなくてもうさ、紫庵さまをしおらしくさせる会、そんな感じでいこうかと」
「しおらしくね。想像もつかないや」
「全くですわよ。上手くいくと良いね」
「うん。僕はさ、傍観に徹するよ。元々争い事は苦手だしね」
「ああ、そんな感じがするよ。何かヤバそうになったら是非、お力添えを」
「フフ。智恩と智慧の暴走を止める手助けかな、それなら任せて」

さくりとメレンゲの衣を齧って、蒼念は少々居心地悪そうに視線を皿に落とした。
静かに微笑む向かいの男の圧迫感は未だに恐ろしい。よく疲弊せずに一緒に居られるな、と幸せそうな顔で頬張る雪妃を盗み見た。

「そういえばキャラちゃんは?いつも一緒に食べないよね」
「ああ、伽羅は食事を摂らないからね。基本嗜好品だけ、少し摘むだけなんだよ」
「へええ。それでもあんなに可愛らしく育って」
「不老不死って、実際なるとどうなのかな。生きる楽しみの殆どが不要になるし、その良さが凡人には理解できないよ」
「ううむ…食の楽しみがないなら、わたしも向いてなさそうだね」

奈々実も伽羅も紫庵からそう与えられたとして、紫庵本人はどうなのだろうか。千年だか二千年だか、とても想像に及ばない長い年月を生きるその意味を見出せる気はしない。

「紫庵さんの目的って何です?あの人も誰かから、不老不死を与えられたんですかね」
「さあ…?先生は自分の事、話してくれないんですよね。つまらない話だよって」
「へえ。後ろめたい事でもありますかね」

ろくに食べないまま食後のコーヒーへと移る守ノ内も、実はそうなのではないかとつい勘繰ってしまう。
幼少時代の惨劇を聞いていても、その超人的な所の何もかもが、人ならざる者として映る。
にこりと笑んで首を傾げる守ノ内に、蒼念は愛想笑いを浮かべて視線を逸らした。
味方ではなくとも敵ではないこの関係をこのまま、と願わずにはいられなかった。

「これもご縁だよね。知らない仲ではないからこうやって命拾いしてる訳だし。雪妃さんに会えて僕は幸せだね」
「うんうん。蒼ちゃんすぐ出ちゃったけど、あの時は楽しかったよね」
「おや、どんな仲なんです?聞き捨てなりませんね」
「いや、深い意味はないですよ。僕は、勝てない喧嘩はしないと言ったじゃないですか」

うわ、と思わず椅子を引く蒼念を守ノ内は微笑み眺めた。
何言ってんじゃ、と雪妃は甘ったるいコーヒーに口を付ける。デザートはモンブランだった。
筋をなす濃厚なマロンクリームの上に鎮座する栗渋皮煮を拝み見て、慎重にも口一杯に頬張った。幸せの絶頂の瞬間である。

暫し雑談の後、紫庵の手伝いをと蒼念は光の残滓となった。
どこで何をしているのか。
窓の外は吹雪いている。中枢はどれほど冷え込むのかな、と思いつつ、雪妃は守ノ内と部屋に引き上げていった。







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