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最悪の再会 2

揺らめくフレッシュグリーン

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 地面に尻餅をついていた理花の元に、駆けつけた大智がかがんで理花の怪我を確かめると、逃げていくグループに向かって大声で叫んだ。

「待てよ、佐伯さん!お前たちも、謝らずに行く気か?」

「佐伯!?それって、もしかして……」 

 思わず声にだしてしまった理花に、大智を追ってきた慎吾が嫌そうな顔で頷いたとき、佐伯が振り向いて、おやっというように眉をあげた。

「久しぶり大智君。相変わらず弟に付きまとわれてるのね。謝れっていうけれど、その子たちが先に私たちにちょっかいをかけてきたから、少し脅かそうとしていただけよ。乱暴するつもりはなかったの」

「脅かす?理花ちゃんは手をすりむいているぞ。女の子二人を大勢で追いかけて、引きずり倒しておいて、乱暴するつもりはなかっただって?そんなの通用すると思っているのか?」

 理花たちに乱暴した男が拳を握って構え、大智に負けないほどの大声で怒鳴り返した。

「何だと!その理花って女は俺に土をぶっかけたぞ。やり返して何が悪い!」

 土をぶっかけた?と大智が怪訝そうに呟き、本当かどうか理花の方を振り向いて確認する。男の言い分だけ聞くと理花の方が悪く聞こえるのに憤慨しながら、薫子を助けるためにしたことだと説明をすると、薫子もすりむいた腕を見せて、男に押し倒されたと怒りの声をあげた。

「薫子は、勝手にバーベキューコーナーを使っていたあの人たちに、今日は貸し切りだから、立ち退いてもらうように頼んだだけなの。あの人たちはビールを飲んで酔っ払っているから、おかしくなっているのよ」

 理花の説明を聞いて眉をしかめた大智が、佐伯に向かって冷たく言い放った。

「もうすぐここに、クラスメートが大勢やってくる。この男と喧嘩するのは構わないが、未成年者たちが酔っ払って理花ちゃんたちに怪我をさせたことはみんな黙っていないだろう。俺だってギリギリ我慢している状態だ。通報されないうちに、理花ちゃんと薫子ちゃんの二人に謝って、立ち去ってくれ」

 自分たちが形勢不利だと知って面白くなかったのか、佐伯淳奈はやり返す標的を慎吾に定めた。

「何よ上から目線で偉そうに。教えないといけないのは、そっちの坊や一人で十分でしょ。普通の私たちにつべこべ言わないでちょうだい」

 佐伯の言葉を聞いて、慎吾の目が鋭くなり、怒りでぶるぶると手が震え出すのを理花は見た。
 大智の家で撮影した時に、いきなり理花を佐伯と間違えて突き飛ばしたほど、慎吾は佐伯に対して憎しみを持っている。あんなことが今起きたら、慎吾は余計にこの偏見を持つ女のカモにされるだけだ。

 理花は咄嗟に慎吾の腕にそっと手をかけた。
 怒っているのは、慎吾だけではなかった。大智も顔色を変えて佐伯を睨んでいる。他人の理花だって、佐伯の吐いた暴言は許せないと怒りを覚えるのだから、弟を侮辱された大智の怒りは相当なものだろう。

「俺の弟にも謝ってもらおうか?君たちのどこが普通だ?それにIQでいったら慎吾は俺よりも頭がいいぞ。教えてもらうのはむしろ君の方じゃないか?」

「何ですって!?ずっと前から思ってたけれど、いつも弟ばっかり気にして、あなたブラコン通り越して、兄弟同士で愛し合う変態なんじゃないの?」

 侮辱の限りを尽くした佐伯の酷い言葉に、慎吾の手が冷たくなり、大智の顔が激怒で燃えるように赤くなった。

 自分の罪を隠して人を責める厚顔無恥な佐伯を揺さぶって、何もかもぶちまけてしまいたい衝動が理花の中に湧く。寸でのところで乱暴を働いた男が、ああ、こいつかと叫ぶのを聞き、気が逸れた。

「こいつだろ?淳奈が俺という恋人がいると断っても、しつこく付きまとって、付き合ってくれと絡んだ男は。頭のおかしな弟にも嫌がらせをされたんだってな」

 慌てて男を止めようとする佐伯に大智が怒りの目を向け、男に向かってよく通る声で告げた。

「一体誰のことを言っている?俺は佐伯さんに付き合ってくれと、自分から言ったことはない。彼女の真似事だけでもさせてくれなければ諦めないと泣いて、無理やりくっついてきたのは彼女の方だぞ。それなのに二股をかけてたってことか」

「嘘をつけ!フラれたからって、でたらめなことを言うんじゃない。淳奈がそんなことするもんか!」
 今にも殴り掛かりそうになっている男に対し、それまで黙っていた慎吾が、理花の手をそっとすり抜けて、一歩前に進み出た。

「本当のことです。僕はよく覚えています。3年前の5月25日、17時ごろ、佐伯さんは兄を尋ねて来て、僕たちと一緒にリビングにいました。兄が出かけた時に彼女のスマホが4回振動して、彼女がスマホに出た時にヒロキと呼びました。その人にどこにいるのか聞かれて、佐伯さんは友達の家にいると誤魔化していました」

 慎吾が抑揚もつけず、機械のようにすらすらと記憶を読み上げる。相手の男の表情が代わり、横眼で佐伯を睨んだ。睨まれた佐伯はまだ話し続けようとする慎吾を大声で遮った。

「こんな子の言うことなんて信用しないでよ。頭がおかしいって言ったでしょ。妄想しているだけよ」

「佐伯さん、いい加減にしてくれ!俺の弟をこれ以上侮辱するなら、名誉棄損で訴えるからそのつもりでいろ。慎吾に妄想癖はないし、記憶力は俺たちの何倍も優れているんだ。俺はまだ、佐伯さんの彼の名前を聞いていないが、慎吾の記憶通りヒロキさんで間違いないのか聞かせてもらおう」

 最初は勢いの良かった男が、むすっとしながら頷き、慎吾に向かって、淳奈に嫌がらせしていたっていうのも嘘かと訊ねた。

「僕は佐伯さんに、兄さん以外に恋人がいるのかを聞いて、そういうのは良くないと言っただけです。それが嫌がらせになるのなら佐伯さんの方が正しいのでしょう。でも、僕は大事な兄が騙されているのが許せませんでした。彼女は僕に黙れと言って、先ほどから僕に言っているのと同じようなことを沢山言いました。お聞きしたいのなら、一言一句間違えずに言えます」

 男はじっと慎吾の言葉に耳を傾けてから、悪かったなと謝った。そして淳奈に向き直ると、お前は最低な女だと吐き捨てた。

「本当は、俺じゃなく、この大智さんの彼女になりたかったんだな?うまくいかないから、俺を代わりにしようとしたんだろ」

「ち、違うわよ。こういう弟がいるからかわいそうになって、慰めてあげようと思ったの。ちょっとした気まぐれよ」

 理花の我慢も限界を超えていた。慎吾が酷い侮辱を受けながらも、理性を失わずに堂々と佐伯の過ちを暴露したことに留飲をさげたが、まだ、言うか?とカーッと頭に血が上った。

「いい加減にしてください。恥ずかしいと思わないの?往生際が悪すぎよ。慎吾君はお兄さんが傷つかないように、あなたが二股をかけていたことを黙っていたのよ。自分が悪く言われても、大切な人を護るために我慢できる慎吾君を、酷く言うあなたの方が、人としてよっぽど救いようがなくてかわいそうよ」

 大智と慎吾が理花を見つめているのを感じた。こんな風に面と向かって人に文句を言うのは初めてで、わなわなとくちびるが震えるのを止められず声までも震えた。きついことを言ってると自分でも思う。でも、許せなかった。
 慎吾が大事な兄を守ったように、理花も大智と慎吾のために声をあげて、悪いのは大智でも慎吾でもなく佐伯なんだと一矢報いてやりたかった。

 誰も理花の言葉を遮る者はなく、佐伯には冷たい視線が集まった。青くなった佐伯は、かろうじて関係ないくせにと理花に文句を言おうとした。

「関係なくはないわ。大智君はあなたなんかに同情されなくても、彼を想って恋人になりたい人は沢山いるのよ。私もその一人だから、はっきりと言わせてもらいます。自分が相手にされなかったからって、弱い立場の人のせいにするなんて、本当に酷いと思います。慎吾君に謝って下さい」

 背筋をすっと伸ばしたまま、言いにくいことを言い切った理花の横に薫子が並んだ。

「人の悪口を言わない理花がここまで言うなんて、初めてみたけれど、佐伯さんだっけ?あなたは言われて当然。理花が言わなかったら代わりに私がもっとひどい言葉で詰ってたから。あっ、ちなみに私も大智君の彼女希望だったの。佐伯さんだっけ?あなたなんてお呼びじゃないの。さっさとバーベキューセット持って帰ってよね」

 理花と薫子の集中砲火を浴びて、佐伯が口をパクパクさせながら周囲に助けを求めた。だが、だんだん酔いが醒めて事情を呑み込んだ仲間たちが、佐伯を胡乱げに見やったあと、理花たちに申し訳なさそうに軽く頭を下げてから、バーベキューコーナーへと引き上げていく。
 一人残された佐伯は、ちょっと待ってよと慌てながら、彼らの後を追っていった。
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