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不審な車

アンドロイドは恋に落ちるか

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 兄の羽柴拓己に水野政人と会わせて欲しいと頼んでから二週間が過ぎた。
会社経営者の兄は普段からかなり過密スケジュールの上、新規開拓事業部に属している水野もまた、有望なベンチャー企業を見つけて提携を結ぶべく飛び回っているので、スケジュールがなかなか合わないらしい。
 兄の頼みなら無理をしてでもスケジュール調整すると踏んでいた莉緒の目論見は外れ、わざと避けているんじゃないかと思い始めた。

そんな矢先、ベンチャー企業部に出向いた拓己が、偶然にもちょうど水野のスケジュールが繰り下がったことを聞き、その場で約束を取りけたと莉緒に連絡が入った。
生憎高橋はバイトで出ていたので、地下研究室にこもっている奏太に午後からでかけることを伝える。

「一人で行くのは危ないから、俺も行くよ」

「それはだめ。水野さんがもし犯人と関わりがある場合、見張られている可能性があるわ。奏太君に守られるようにして出かけたら、警戒させちゃうじゃない。それに奏太君はアンディーの改良に忙しいんでしょ」
 数日前、新見博士の秘密の研究室に入ってから、奏太はアンディーを地下に運び込み、外部からの受信装置などを外したり、水野アンディーがどうやって牧田アンディーに指示を与えたかを探っているらしい。

「一つ分かったのは、一個体の中で同時に二人のパーソナリティを出現させて話をさせるのは無理だということ。お見合い用ロボットにそんな機能をつけたら、入力したデーター同士が喧嘩しそうだ。多分アナログなやり方で指示してたんじゃないかな」

「まさかと思うけど、手紙とか?」

「そうだね。アンドロイドが非科学的なことをするなんて普通は思わないから、牧田アンディーがどこかに隠しているかもね」

「出かけるまでに、時間があるから探してみるわ」

「ああ、頼む。それが見つかれば、水野が危ない奴らと繋がっているのが確定して、莉緒ちゃんは会いに行く危険を冒さずにすむ。俺はまだやることがあるから、証拠が見つからない時のために、帰りの時間だけ教えといて。迎えに行くから。あっ、それと会社まではタクシーで行けよ」

「うん。そうする。‥‥‥奏太君」

「ん?何?」

「あんまり無理しないでね。ママは、こうみえても口は堅いから、吐き出したくなったら、いつでも相談にのるよ」

「ばぁ~か。年下のくせに何がママだ。さっさと探してこいよ。兄貴が戻って来たら、どんなに莉緒ちゃんが兄貴のために働いたか伝えてやるから」

 二人がくっつくよう応援してやるといきなり言われて不思議に思い、莉緒が奏太の顔を見つめると、浮かんでいたのは揶揄いではなく寂し気な表情だった。
 声をかけようとする莉緒から顔を背け、奏太が実験テーブルに寝かしたアンディーの方に戻っていく。莉緒もこうしちゃいられないと、牧田アンディーと水野アンディーの荷物が置いてあるウォークインクローゼットへと向かった。

 その数時間後、拓己の会社に出向いた莉緒は、社長室に隣接する応接室のソファーに座り、机を挟んで緊張気味に座っている水野政人に、はにかむような仕草で小首を傾げて話しかけた。

「初めまして。羽柴莉緒と申します。いつも水野アンディーとお話ししていたせいか、何だか初めてお会いするという気がしません。もし、馴れしい態度を取ってしまったらごめんなさい」

「い、いえ。とんでもありません。お写真で拝見はしていましたが、本当に可愛らしいお嬢さんですね。接客に慣れているはずの私でも、あがりそうです」
「まぁ、恥ずかしい。水野アンディーも素敵でしたけれど、本当の水野さんは何て言うのか、生身の男性っぽいっていうのか‥‥‥」

「はぁ?それは、アンディーがロボットっぽいと言う意味でしょうか」

「いえ、アンディーはとっても人間っぽいです。えっと、その、私、男性とお話しすることに慣れていなくって、アンディーだと何を言ってもバカにされることはないから安心できるんですけれど、本当の男性はちょっと‥‥‥」

 隣に座っている兄の拓己が、額を手で覆ってこめかみを揉んでいるのが視界に入る。助け船を出してくれたっていいのにと腹立たしく思い、莉緒は兄を肘でつつきたくなった。
 ところが男性相手に上手く立ち回れない莉緒を見て、水野は逆に喜んだようだ。

「それはそうでしょう。莉緒さんはアンドロイドのの人工皮膚などを開発して、より人間に近いアンドロイドを作るのに貢献されたのですから、遊ぶ時間なんてなかったのではないですか?男性と付き合うことに慣れていなくて当たり前です。もし、莉緒さんさえよろしければ私が練習相手になるというのはどうでしょう?」

「ほんとですか?嬉しいです。水野さんのおっしゃる通り、私、今まで研究だけに没頭し過ぎて、おしゃれにも疎いし、そろそろ外の世界にも目を向けないといけないって思っていたんです。水野さんが持たせたアンディーの着替えも素敵なものばかりでしたが、今日水野さんにお会いして、お召し物のセンスの良さから、服のコーディネートを教えてもらうのにぴったりの方だなって思いました」

「まかせて下さい。女性もののブランドにも詳しいんですよ。莉緒さんはお顔もスタイルもよいから、良いものを着られれば、きっとファッション雑誌のモデルにも負けないと思います」

「そんなぁ~。ハイセンスな水野さんにそう言ってもらえると、今からどんなお店に連れて行ってもらえるのか楽しみです。その背広もひょっとしてブランドものですか?すごく素敵ですね」

 莉緒は奏太と高橋を相手に何度も練習したお世辞を、口元がひきつりそうになるのを堪えながら、何とか言い切った。
 暗記は得意だからいいものの、心にもないお世辞を言うのは化学式より難しい。それでも、行方不明の新見を助けて奏太が喜んでくれるなら、何だってできると自分に言い聞かせ、核心に迫っていく。
 いくら兄の会社の給料がいいとは言っても、まだ二八歳の水野が、持ちものから全身全てをブランドでコーディネートすれば、かなり無理をしなければならないことぐらい、ブランドに関心のない莉緒でも分かる。
 アンディーの普段着までもブランド品で揃えたのは、単なる自己愛なのか、本当に莉緒によく見られたいからなのかを知る必要があり、拓己に話す機会を設けてもらったのだ。

 事前に知らせたわけではないのに、水野の身に着けているものは、形の良いピカピカの靴から靴下、背広、ネクタイや腕時計に至るまで、ブランドのロゴがついている。これはもしかすると買い物依存症なのではないかと疑いを持った。

 頭の中で、奏太に知らせるリストに加える。
 二週間前、奏太と一緒に自分たちで何ができるかを話し合い、水野に会うことを提案したのだが、その時奏太は、事件に繋がりそうなことや交友関係や借金などで気が付いたことを全部知らせて欲しいと言っていた。
 木呂場刑事に伝えれば、ローンがあるかどうか、危ないところから借りていないかなどを、すぐにチェックしてくれるはずだとも。

「あの、莉緒さん、聞いてらっしゃいますか?」

「えっ、ああ、すみません。ちょっと緊張しすぎたせいで、ぼ~っとしちゃって」

「構いませんよ。私といれば、すぐに男性と話すことに慣れると思います。あの、新見博士と牧田さんが行方不明になられているときに不謹慎かもしれませんが、こうして直接お会いすることができたのですから、中断していたアンディーとのお見合いは、もう必要ないということでいいのですよね?もちろん牧田さんの方がよろしければ、彼が戻るまでの間私は買い物のアドバイスをさせて頂きますが、私を少しでも認めて頂けるなら、これからもちょくちょくお会いできれば嬉しいです」

「あっ、ええ、牧田さんは真面目で良い方ですが、私はあまり自分からはしゃべらないので、話し上手な方が相手だと助かります」

「それを聞いて安心しました。女性は自分の話を聞いてもらうのが好きだと聞いたことがあるので、私みたいなお喋りは敬遠されるんですよ」

 全くだと莉緒は思った。自分が喋りすぎだと自覚があるなら、もう少し控えればいいのに、このままではどんどん水野のペースに巻き込まれそうだ。

「莉緒さんは、まだ新見博士のお家にいらっしゃるんでしたね」

「ええ。沢山お部屋があるので、プライベートは保てます。私も研究者の端くれですので、新見博士と同じロボット工学を専攻している弟さんやお友達の話を聞くのは面白いですし、ためになるんです」

「なるほど。勉学のためですか。さすが才女の莉緒さんだ。こんなことを言うと軽蔑されるかもしれませんが、新見博士のいらっしゃらないときに、弟さんとはいえ、莉緒さんと歳が近い男性と一緒に生活するのを心配していました」

「奏太君は見た目は野性味が強くて、いかにも遊んでそうですが、真面目な人です。それに彼の友人が夏休み中は泊まっていますし、兄が雇ったガードマンたちも外にいますから……」

「差し出がましいことを言ってすみませんでした。莉緒さんが私を選んでくれたからつい調子に乗りました。今度アンディーの着替えを入れたバッグをもらいにいくついでに、私も弟さんたちの会話の仲間に入れてもらえませんか」

「あっ、取りに来ていただかなくても、早急にクリーニングして兄に渡します。大事なお洋服ですものね」

「あ、いえ、クリーニングは結構です。アンディーが汗をかくとは思えませんし、荷造りもアンディーにやってもらってください。服のたたみ方とかビデオの前で実演しましたから、莉緒さんのお手をわずらわすことなく、アンディーはきれいに荷造りしてくれるはずです」

「わぁ、それは助かります。たたむの苦手なんで。あっ、そういえば、牧田さんの荷物を片付けようとしたら、変なものが出てきたんです」

 莉緒が内緒話を持ちかけるように牧田の方へと身を傾ける。おしゃべり好きの人間なら、好奇心を剥き出しにしてのってきそうなものだが、逆に水野は警戒するようにソファーの背に身体を貼りつかせた。

「変な物?何でしょうね。あいつは無口だから普段から何を考えていたのか私にはさっぱり分からなくて‥‥‥ひょっとしていけないものでも出てきましたか?」

「えっと、それが……提案書とか企画書みたいなものなんです。猫の絵と寄生ウィルスが人間に及ぼす影響というのが書かれていて、多分牧田さんが開発される予定なのか、開発されたのか分からないんですが、人工ウィルスについて書かれていました。寄生ウィルスって何だかホラーっぽくて気味が悪いから、途中で読むのを止めてしまったんです」

「そんなバカな、あれは‥‥‥」

 言いかけてハッと我に返った水野が、慌てて拓己の表情を探ったのを莉緒は見逃さなかった。
 また報告事項が増えた。もう一押しと思ったところで、拓己が口を開く。

「そろそろ、いいかな?私はこの後すぐ出かけなければならないんだ。水野君もアポイントをずらしてもらったんだろう?無理を言ってすまなかったね」

「いえ、とんでもありません。莉緒さんとお話しする機会を設けて頂き、ありがとうございました。莉緒さん、この名刺の裏に私個人の電話番号とSNSのアドレスが書いてありますので、買い物の日にちが決まったら連絡をいただけますか?」

 莉緒が両手で名刺を受け取ると、水野は楽しみにしていますとにっこり笑い、拓己に一礼してから社長室を出て行った。
 パタンとドアが閉まったが、莉緒は奏太と高橋の行動を思い出し、ドアをそっと開けて廊下に人がいないか確認する。誰もいないと分かって初めて、ほぉ~っと安堵のため息を漏らした。

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