北の屍王

伊賀谷

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第二章

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 畳屋の中では二人の職人が鮮やかな手つきで太い畳針を拳で叩き込むように畳を縫っていた。親子二代で店を営んでいるようだ。
「七日ほど前に『大須屋』の畳を取り替えたよな」
 親方おやかたは禿げ上がった頭に瓢箪のように細長い顔をしていた。気難しそうな目をじろりと上がり框に座る八十八に向けた。
 ずいぶんと年下の八十八が偉そうな口をきいているのが気に食わないのかもしれないが、八十八は態度を改めようとは思わない。京にいた頃の新選組の癖だ。
「見世の畳にはべっとりと血がついていたはずだ」
「……ああ」
 しばらくしてから親方は返事をした。
「血の中に何かなかったか」
 親方はまた八十八をじろりと見てから、面倒くさそうに立ち上がって部屋の奥に向かった。
 戻ってきた親方は元の場所に座りながら、八十八に平たいかごほうった。
 音を立てて八十八の傍に籠が滑ってきた。八十八は籠の中を覗く。
根付ねつけ
 籠の中には小さな熊の彫刻が入っていた。何かの骨を削って作ったもののようだ。彫刻には細い紐が通されている。紐は茶色に染まっている。血が乾いたのであろう。
「そいつが血で畳に張り付いていたよ」
 親方は作業をする手元から目を逸らさずに言った。意外にも人懐っこそうな声であった。
「持って行っていいかい」
 八十八は手に持った根付をまじまじと眺めた。
「好きにしな。駄目と言っても持っていくんだろう」
「すまねえ。邪魔をしたな」
 八十八は畳屋をあとにした。
 屍士への手がかりを得たかもしれない。期待とおののきがない交ぜになった心持ちであった。

 八十八は傘をよけて灰色の空を見上げた。
 綿のような雪がゆっくりと落ちて来る。己が空に昇って行くような錯覚に陥る。
 白い息をひとつ吐いて、畳んだ傘を一振りして雪を払った。
 山之上町の神社の境内に建つ料理屋「柳川亭」の戸を開けた。
 冷えた静寂の世界がにぎやかな音に破られる。暖かい空気に包まれた。
 店の中は濃い醤油の匂いに満たされていた。江戸前の蕎麦が売りと聞いている。
 八十八は入口に面した壁に寄りかかって縁台に座る男が目に付いた。
 からすを思わせる異人であった。
 黒いマンテルやズボンで身を包んでいる。金髪の頭の上には黒い筒状の笠のような――たしか帽子とかいうものをかぶっていた。顎も鼻も大きく尖っている。
 異人は八十八を見て微笑んだように見えた。
 腰のベルトには拳銃があった。臍の辺りに置いているのはいつでも抜けるようにだろうか。
 八十八の拳銃を帯びている右脛が疼いた。己もコルト・ネイビーを抜いておきたい。
 それが数瞬の出来事――。
 店の奥から八十八を呼ぶ声がした。
 座敷から大きな身を乗り出して島田魁が手を振っている。
 八十八は足早に座敷に向かった。小さく仕切られた小部屋が並んでいる。窮屈そうに島田が座っている部屋に腰掛ける。
 入口の方に目をやると、鴉のような異人の姿はなくなっていた。

「それで、一人で動いているのかよ。危ねえな」
 島田は畳屋で手に入れた根付を手に持って眺める。
「にわかには信じられねえが、あの化物を見ちまったからな。島田さんたちをこれ以上巻き込みたくはなかった」
 八十八は五稜郭の奉行所で榎本武揚に聞いたことを島田に一通り話した。
「おれも探索しかしねえ。島田さんには少し手伝ってほしいことがある」
「危ねえことじゃなければな」
 八十八は懐から一冊の台帳を取り出して卓の上に置いた。
「なんだい、これは」
「二番目の殺しのあった『伊勢屋』。ここでも遊女が殺された」
 八十八が台帳をめくる。開いたところを人差し指で軽く叩いた。
「一月十五日。殺しのあった日だ。その日の客がすべて書いてある」
「伊勢屋」は「大須屋」と違ってつぶさに客の名を書き残していた。
「この中に下手人がいるかもしれないってことか」
 島田が背を丸めて台帳を覗き込む。
「榎本総裁は蝦夷島政府の者が下手人だと疑っていた」
「ありえるな」
「まずは一月十五日の台帳の名前の者が、新選組の中にいないか調べてみてもらえないか」
「それなら新選組の名簿があるから難しくはないな」
「まかせたぜ。それと、これだ」
 八十八は島田から熊の形の根付を受け取る。
「箱館で根付を売ってる店をあたるしかないな。この根付を買った客が分かるかもしれねえ。そいつが下手人かもしれねえし、少なくとも『伊勢屋』の殺しについて何か知っているかもしれねえ」
「一人で探すのは骨が折れるだろ」
「そうだなあ」
 八十八は手櫛で髪をいじりながら考え込む。
 島田が土間の方に向かって手招きした。
 八十八が土間を振り返ると、縁台に貧相な武士が行儀よくお茶を啜っていた。
 松田六郎であった。昨夜、一緒に屍徒を屠った箱館新選組の者だ。
 それにしても今まで気配も感じなかった。昨夜も怯えていた箱館新選組の者どもの中で、ただ一人屍徒に一太刀を浴びせた男だ。かなりの使い手ではないかと八十八は認め始めていた。
 松田は八十八たちの視線に気が付くと、立ち上がって丁寧にお辞儀をした。
「お話は終わりましたかな」
 か細い声を出して近づいてきた。
「松田さんに頼みたいことがあるんだ」
 島田が根付を差し出して、松田に見せる。
「おい、島田さん」
 八十八が止めようとするのに、島田は片目をつむって見せた。
「根付、ですか」
 松田が細い顔を前に突き出して覗き込んでいる。
「この根付を買った者を知りたいんだ。山野と手分けして箱館中を探してくれ」
「はあ。買った者の名前が分かればよろしいのですかね」
「そうだ。名前だけでいい。買った奴を下手に見つける必要はない。あと危なそうになったら探索は止めていい」
 八十八は答えながら、さきほどの拳銃を帯びた異人を思い浮かべた。
 ――屍士を探索する者を始末しようとしているのか。それともおれに恨みがあるのか。
 どちらにせよ危険が伴う恐れがある。だから誰も巻き込みたくはなかった。
 松田にはあえて事情は知らせずに、根付の探索だけ手分けしてもらう。危険は少なくなるはずだ。
「分かりました。ではさっそく」
 松田はわらでできたみのを身に着けて、笠をかぶった。
「何か分かったらこの店に集まろう」
 島田が「伊勢屋」の台帳を懐に仕舞い、根付を卓の上に置いた。腰をあげながら、大きな手で八十八の背を叩く。
「山野、無理はするなよ。蕎麦でも食っていけ。お代は払っておくからよ」
 島田が笑顔で店を出て行った。
 ――島田さんたちを残しておれはやなと蝦夷を離れるのか。
 後ろめたい気持ちがないと言ったら嘘になる。だが、今は屍士を探索するしかない。
 八十八は卓の上に置かれた熊の彫り物の根付をしばらく眺めていた。
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