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第3話 デート
しおりを挟む前嶋頼がバーチャルストリーマー冬芽レイとして参加しているユニット「4SEASONS」の、単独ライブが決まった。今まで所属する事務所であるぶいタメのライブには出たことがあったけれど、その時歌ったのは二曲。ユニット単体でのライブは初めてだ。歌もダンスも、レッスンが増える。二時間半分の歌を覚えて、ダンスを覚えて、やることがいっぱいだ。ライブ以外でも歌動画やダンスプラクティスの動画を出しているし、個人の活動としてゲーム配信などもある。
告知をするのは四ヶ月後ということで、それまではなにも言えない。今日は二回目のダンスレッスンだった。既に体力の限界を感じる。体力づくりで走り込みなどをした方がいいだろうか。
そんなことを考えながら帰宅し、荷物整理を終えて防音室に入る。パソコンを起ちあげて諸連絡の確認をした。それから息抜きにSNSを開く。同業者の活動の動向、ユニットメンバーの発信などを見て、最後に自分宛てのメッセージが表示されるタブをクリックする。
「……まただ」
おそらく自分で描いたであろうレイのイラストをアイコンにしたアカウントから、たまに嫌がらせのメッセージが届く。レイのファンを装っているだけのアンチだろう。一人だけではないから相手にするだけ無駄だ。
「私は冬芽レイくんが好きなので、いい加減ネカマやめてください。彼氏までつくってどういうつもりですか? 昔のレイくんに戻ってください」
昨日FTSOの配信をしたからだろう。その日の配信に合わせて様々な意見が届く。今開いているのは誰からでも見える返信型のメッセージだが、アカウントの所有者のみに向けたダイレクトメッセージにもたくさん届いている。開く必要がないものは見ていないが、見えてしまうものは割り切って全文読むこともあった。
男のくせに女のふりして気持ち悪い、歌下手なくせに○○さんと歌ってみた動画を出すな、明らかにレベルが違うのに同じユニットで踊っていて恥ずかしくないのか、喋り方が気持ち悪い、態度が気に入らない、発言が気に入らない、声が生理的に無理、など。
この二年間で一生分以上の悪意を向けられている気がする。
「はあー……」
思わずため息を吐いた。今更こんなことでへこむほど平和なバーチャルストリーマー人生を送っていないというのに、今日は駄目だ。
どうして自分はこうなのだろう。誰よりも逞しく、誰からも頼られる人間になってほしいという願いを込めて「頼」と名付けられた。生まれたのは細身で頼りなく、視力と気が弱い子ども。小中学校では教室の端っこで縮こまって本を読みながら昼休みを過ごしていた。とはいえ二十三になった今も連絡を取るような友人はいる。片手で数えられる程度だけれど。
父は二人いる兄と三人いる姉がしっかり自分たちの進路を決め就職していくのを誇り、母は「あなたは犯罪さえしなければどう生きてもいいわ」と言った。一番上の兄は医者、次の兄は海外で就職、姉は弁護士、看護師、ヴァイオリン奏者である。頼からしても、子どもにもうこれ以上期待することはないというのも頷けた。
バーチャルストリーマーを目指したのは、憧れだ。大学の受験勉強中に聴いていたラジオにたまたまバーチャルストリーマーがゲストに来ていたときのことだった。ぶいタメの初期メンバーである女性が、「得意なことなんて一つもなかったけど、ファンの皆が私を見つけてくれて、輝かせてくれたからたくさんのお仕事をもらえるようになった」という話をしていた。得意なことがひとつもなかった頼はその言葉が忘れられなかった。しかし目前に迫った大学受験に失敗するわけにはいかない。無事に合格したのち、バーチャルストリーマーについて調べはじめた。
大学一年生のとき、ぶいタメのオーディションを受けて落ちた。その翌年も、オーディションが開催された。今度は明確にどういったキャラクターをデビューさせるかを記載しての募集だ。要項にはデビューすると歌とダンスをやることになると記載があった。頼はそのどちらにも自信はなかったが、受けないで後悔するより受けて後悔。そう思って挑み、合格した。ただただ運が良かったのだと思う。成長枠のひと枠に滑り込むことが出来た。
バーチャルストリーマーになったことを報告したときの父は、先行きの見えない仕事に就いたことを軽蔑するような目をしていて、それだけはよく覚えている。
だから、だから負けたくない。顔の見えないアンチにも、父親の決めつけにも。
頼はSNSで自分のユニットの公式アカウントを開いて明日の配信の告知文章をクリックする。それを引用して、発信した。
「明日はみんなでここに集合!」
明日は4SEASONSでヘアシャンプーの宣伝だ。ユニットでこうした仕事をもらうことも少なくない。使用感を伝えるためにしばらく使っているけれど、髪の毛に艶が出てきた気がする。ダメージ補修の効果もあるらしいが染めたことのない頼の髪では効果は実感できないかもしれない。その辺も汲んだ司会原稿が作られているだろう。
明日のために今日は原稿の読み込みもしなければならない。
「やることが溜まっているので今日の配信はなしです。明日会おうね!」
加えて今日の予定を伝え、SNSを閉じた。
ますは締め切りが迫っているシチュエーションボイスの収録。
頼はパソコンの録音アプリを開いて台本を取り出す。シチュエーションボイスは、会社が毎月テーマを決めて売っているものだ。一年目を過ぎたころから台本も自分で執筆していて、最近は収録も自宅でするようになった。わざわざ外出をしなくとも収録ができる環境を作れたのは、活動で得た金銭のおかげである。
軽い発声練習をして、一通り台本を読む。気持ちが入らなくてため息を吐いた。明日の朝が締め切りで、今日中に録ってしまわないといけない。それは分かっているのに。
「……んー」
嫌なメッセージに精神が引っ張られているかもしれない。
愛用の黒縁眼鏡を外し、椅子の背に凭れて天井を仰ぐ。「冬芽レイ」にならなければ。
冬芽レイは、ぶいタメに所属するバーチャルストリーマーのうちの一人。春海オボロ、夏樫ラン、秋霜ハジメと共に四人でデビューした。実年齢が一番下ということもあって他の三人からは可愛がられている。実兄たちが優しければ、こういう感じだったのだろうなと思うこともあった。けれど、彼ら三人のファンからは好かれていない。
オボロはダンスが得意。ランは歌がうまくて、ハジメはどちらもそつがない。レイだけがダンスも歌も苦手だ。ユニットでライブを成功させるにはレイが人一倍頑張らなければならない。考えれば考えるほど不安が膨れ上がっていく。
歌が下手なんだから、というアンチの言い分もごもっとも。レイを応援してくれるファン達は、デビュー時よりうまくなった、成長コンテンツだ、と言ってくれる。きっと昔よりは良くなっているはずだ。それでも同じユニットの彼らには及ばないのだけれど。
パソコンの右下に表示されている時計には二十一時と表示されている。少し息抜きに遊んでもいいだろうか。録画アプリを起ち上げてFTSOにログインをした。出会う人みんなが配信していてもよければ、配信せずにセリ鯖で遊ぶことは許可されている。その代わり、不正をしていないことを証明するために録画をしながら遊ぶのが決まりだ。
息抜きにサンドイッチの在庫作りかファームをしよう。先週新しい洋服が追加されたというから、それも見に行きたい。一時間ほどしたらボイスの録画に戻る。そう決めて気持ちを「小森冬雪」へ切り替えた。
小森冬雪は、レイがこだわって作った女の子である。女の子になりたいと思ったことは無いが、どうせなら自分と正反対の誰かを作りたかった。髪色などは冬芽レイの外見に寄っているけれど、可愛い女の子が出来たと思う。残念なのは、元気で頼れる明るいお姉さん、を演じられなかったことだろうか。ほとんど頼の性格そのままだ。
ゲームに入るとまずスマートフォンで不在着信を確認する。今日はハルからと、みなみからの着信があったみたいだ。彼氏ができたと報告したあと、みなみからの連絡はかなり減った。それでも三日に一回くらいは遊びに誘われる。
「……まだいるかな」
声が聞きたくなってハルへ電話を折り返した。向こうは配信中かもしれないが構わない。SNSで配信はないと言った手前少しだけ気まずいけれど。
二コールののちに電話が繋がる。
「おはよー」
電話を取ったハルが挨拶をくれた。
「おはよう。電話、なんだった?」
「ん? 今日いるかなあって思っただけ。鋼足りなくなってきててさ」
ファームの誘いだったらしい。時間を共有したくて、前のめりに返事をする。息抜きがしたかったし、なによりハルと話すのは心が癒される。
「っ私、配信外だけど、今からで良ければ」
「お。じゃあいこう。退勤して迎え行く」
電話を切ってバックヤードで着替えた。ヘッドフォンからハルの声が流し込まれた耳に、まだ残響がある気がする。
ハルは、冬雪を好きだと言って告白してくれた冬雪の彼氏だ。一緒にいることが多かったとはいえ恋人になるとは思わなかった。冬雪が女性だという認識はもちろんある。しかし自分自身が男性バーチャルストリーマーとして活動しているということを、他の配信者も知っている。だから、本当に女の子として扱って彼女にしてくれる人がいるなんて考えもしなかった。
びっくり。嬉しい。もっと知りたい。一緒にいたい。告白されたときは様々な感情が渦巻いて、最終的に悪感情がないことから承諾した。恋人になってからのハルは冬雪にちょっと甘い。それに、格好いい。周りにはいない声の低さも耳に心地良かった。同じユニットのハジメも声は低めだが、ハルの方が低く、さらに深みがある。
「お待たせー」
開いていた店の入口からハルが入ってくる。メカニックの制服ではなく、今日は私服だ。先日新しいティーシャツがたくさん追加されたので、その中から選んで着ているのだろう。前面にカニが大きくプリントされている。
「配信外って、なんかやることあったんじゃないの?」
「作業の息抜きにファームしようと思って来た」
「はは。丁度よかったんだ」
「そう」
迎えに来てくれたハルのバンに乗り込んだ。鋼を作るための製鋼工場へ向かう。鉄、鋼など金属の素材が作れる場所だ。二人並んで作業をしながら喋る。
「そういえば、月末花火大会だって」
「そうなの? 冬雪が行けそうなら行こう」
「うん。行けるようにする」
「最近忙しいでしょ」
言い当てられて、思わず返答が遅れた。恐らくログインが少ないことと、レイのSNSを見ているのだろう。
「でもハルと花火見たいもん。頑張るよ」
「ふふ。嬉しいこと言ってくれるじゃん」
告白されてから一ヶ月と一週間。こうしてハルに大事にされる冬雪という立ち位置がすっかり心地よくなってしまった。
「浴衣着ていくね。ハルも着てよ」
「いいよ。これ終わったら選びに行く? それとも当日のお楽しみかな」
「ええー……、悩む」
彼氏に選んでもらった浴衣で花火大会に行く、というのはかなり理想かもしれない。こちらとてハルが着用するものも選べるのだ。
「俺はどっちでもいいよ」
「……じゃあ浴衣選んでほしい、かも」
「おっけー」
丁寧に恋人扱いをしてくれるおかげで、演じているレイ、もとい頼の心も癒やされる。大切にされているという感覚は嬉しいものだ。
冬雪の仕事に鋼は必要ないため、二人でハルの目標分の鋼を作って、報酬をもらう。タダでいいのにと言って怒られてから、きちんと報酬はもらうようになった。お互い金に困っていないとはいえこういうことはちゃんとしたいらしい。
作業を終えて、バンで服が売っているデパートへ向かう。メカニックとして車を扱うだけあり、ハルの運転は快適だ。
「現実の花火大会って最後にいつ行った?」
ゲーム内で現実の、プレイヤーの話をすることは推奨されていない。が、一人の時や、こうして仲のいいプレイヤー同士なら少し話をするくらいは許される。お互いがよければいい。
「中学生くらいだと思う。高校の時も大学の時も行かなかったなあ」
「へえ」
「ハルは?」
「覚えてないな」
「まあ、いつの間にか行かなくなっちゃうもんね」
高校は男子校。もちろん彼女はいなかったし、友達同士で待ち合わせてまで人混みの中で花火を見る気にはならなかった。校外に彼女を作っている友人は彼女と行っていたようだったが、羨ましいという感情もなかったと思う。
「久しぶりだから、楽しみだな」
行く相手がいて、花火を見る。ただそれだけなのに心が躍った。
デパートに着いて浴衣用のクローゼットを開く。
「浴衣、浴衣……」
キーボードを操作して浴衣を探した。生地の柄と色、帯の色も決められるらしい。用意されたパターンから選択する形だが、パターンが多い分組み合わせの自由度が高そうだ。
「まず色決めて」
方向キーを押しながら色を変えていく。現実世界で言う試着と同じで、選んだ色の浴衣を着た姿が画面上に表示されるようになっていた。なんとなく水色を選ぶ。ハルにも冬雪の姿は見えている。
「冬雪は水色のイメージだけど、せっかくだしそれ以外がいいな」
紺、白と色を送った。ピンクや赤は髪と合わない気がする。いっそ髪も黒や茶色にしてしまおうか。
「白にしてみて」
言われたとおりに操作する。金魚柄の浴衣生地が白くなった。
「うん、白がいいな」
「わかった」
次は柄だ。選択肢にはButterflyやGoldfishという名前が出てくる。
「柄も選んで」
「あ、それ、それがいい」
いくつか試着していくうち、Roseのところで声がかかった。白地に赤い薔薇柄の浴衣が出来る。
「んー……柄の色変えられる?」
結局、白地に青い薔薇、紺色の帯というセットに決まった。これなら髪は染める必要がなさそうだ。思いのほか真剣に選んでくれたことがじわじわと沁みてくる。
「俺のも決めて。甚平? 浴衣?」
「浴衣」
ハルは金髪だから、黒がいい。同じように試着して、柄はグレーの縦ストライプ、帯は薄い水色にした。水色を冬雪のイメージだと言ってくれたから、つい、入れたくなってしまった。シンプルになったけれど格好いい。
「いい! めっちゃいい」
「ありがと」
口元が緩む。配信していなくて良かった。自分の表情を映すバーチャルアバターがニコニコになっていただろう。
「店まで送るよ。ついでにイチゴサンド売って」
「いいよー」
今日店を開けるつもりはないが、ハルに売るならいくらでも作る。デパートを出るとバンでフェアリーサンドに戻ってきた。
「イチゴ十個でいい?」
「うん。あとカフェラテ十個」
「はいよー」
カフェラテが五個しかなかったため急いで五個作成する。激甘イチゴサンドはまだたっぷり在庫があった。
「どうぞ」
請求書を送って精算をする。
「今日は付き合ってくれてありがとうね」
ハルから別れの挨拶を切り出された。確かにいい時間だ。
「ううん、こちらこそ」
「作業頑張って」
「ありがとう」
手を振ってハルを見送る。付き合ってもらったのは冬雪の方と思う。ぎゅっと目を瞑って、長く息を吐く。
彼のおかげで、今日は頑張れる気がした。
***
FTSOというゲームは、本来犯罪を楽しむゲームだ。現実世界より派手に色々な場所を襲って金庫を荒らし、海に浮かぶ豪華客船やビルひとつある大きな銀行を襲うミッションをこなすことで金を稼ぐ。頼が遊んでいるロールプレイサーバー、セリ鯖はそういった荒くれ者であるギャング、彼らを取り締まる警察、その二つ役職の生活基盤を支える白市民で成り立っている。
銃の撃ち合いやひりつきを求めていないけれど交流がしたいという配信者は、白市民を選ぶ。頼がまさにそうだった。ギャングの怖いロールプレイをする人も、警察官として厳しいロールプレイをする人も、お腹を空かせて店にやってくる。そこで少しだけ話をする。いろいろな人生の話が聞けるところも好きだ。
「リアルミッションか……」
ツールズに届いた案内文を読んで、呟く。ギャングと警察の戦いをプレイヤー自身が舞台上で表現するというイベントをやることは知っていた。そういうイベントになると店をやっているタイプの白市民はあまり出番がない。
実際、今回も出演者はギャングと警察、司会進行を兼ねてイベント会社の数名だ。レイのようにバーチャルストリーマーがプレイヤーである場合も多いが、バーチャルではなく、自身の身体で、覆面を付けての出演であればいいという人にも声がかかっているらしい。
そして招待はログイン日が多かったり、滞在歴が長かったり、交流が多い人から観覧の招待を出しているらしい。だから頼の元にも届いた。送り主はギャング「ウロボロス」のボスであるタチバナだ。冬雪が普段ファームをして素材を売っているため、送ってくれたのだろう。
予定を確認すると、レッスンはあるが夕方までには終わる。せっかく誘ってもらえるなら見てみたい。自分が暮らす街の人達に会ってみたいという願望もあった。
行かせてください、と返事をして、街へログインする。SNSでも先に告知をしていたが、今日は花火大会だ。今日を楽しみにダンスレッスンも歌のレッスンも頑張った。
ログインを待つ間に、自分用のカメラの接続を確認し、配信を開始する。
「はーいこんにちはこんばんは、4SEASONSの冬を司る精霊、冬芽レイです」
4SEASONSは全員、その季節を司る精霊という設定だ。人型をしていて人間界に馴染みがあるし、自分の幼少期の話もするくらいにはお飾りの設定である。
「今日も小森冬雪としてインディガンで生きていこうと思いますよー」
挨拶をしてキーボードとマウスを操作した。
女性をやるにあたりボイスチェンジャー等は使っていない。もともと地声が高く、見た目さえ女性になってしまえばある程度の違和感は消える。女性にしてはハスキーな声、という感覚は残っているかもしれない。
「チケットある人は受付時間決まってるらしいから、着替えないとね」
店のバックヤードで浴衣に着替える。髪型はまだいつも通りのハーフアップだ。移動用の小さな車を出して美容院へ向かう。そこで髪の毛を一つにまとめて団子にし、白い花のかんざしを挿して完成だ。
「可愛いって言ってもらえるといいな」
そこで丁度ハルから電話がかかってきた。そろそろ開場の時間だ。
「今どこにいるの」
「美容院。もう店戻るよ」
「じゃあ店まで迎え行く」
ハルはよく、冬雪が居る場所まで迎えに来てくれる。彼氏仕草ではなく、友人だった頃からそうだった。人のことを気遣えるやさしい人なのだろう。
店まで戻って、ハルを待つ。見慣れない白と水色のスポーツカーが滑り込んできた。お客さんだろうか、と運転席を覗けば、そこには浴衣姿のハルが座っている。
「車どうしたの」
「昨日出たから買ってみた」
「えーっ、すご。かっこいい」
見た目でスポーツカーだと判断したが、スポーツカーはギャング御用達の高級車。稼いでいる方の白市民とはいえこだわりがないと買わないだろう。メカニック兼カーディーラーとして、この車が魅力的だったのかもしれない。
「速いの?」
「そりゃあもう。すぐついちゃうよ」
「法定速度は守ってね」
あはは、と笑い合う。ギャングであれば道交法を無視してもいいが、白市民としては守るべきだ。生真面目な警官がいたら捕まるし、最悪免許はく奪になる。
エンジンがかかった。静かだけれどいい音だ。
「髪型可愛いね。似合ってる」
運転しながら呟かれた褒め言葉に、顔が熱くなる。冬雪のではなく、頼のだ。
まさか聞かれていたわけではあるまい。ハルは彼氏として出来すぎている。
「あ、ありがと……」
ちらりとみた二枚目のモニターには『照れてる』『かわいー』『よかったね』というコメントがあった。冬雪が可愛い彼女に見えているのならいい。
「そういえば、今日の花火作るの手伝ったんだよね」
「え、そうなの」
「うちのメカニックたち総出で素材取りに行って、せっかくだからって一個ずつ作った。まあでもどれかは分かんないと思う」
そうなんだ、と相槌を打つ。これがハル作ですと分かっていれば、他の花火を忘れてもいいくらい目に焼き付けるのに。スクリーンショットを撮ったっていい。
「私も作ってみたいなあ」
「作る? ちょっとだけなら素材余ってるんだ」
来年は誘うね、とか、そうだね、とか、そういう返事がくると思っていた。花火大会はもう始まるというのに、作るという選択肢を提示してくれるらしい。
「作るっていっても色が選べるくらいなんだけどね」
「つ、つくるっ!」
身を乗り出すくらいの勢いで答える。一年以上この街にいるが、花火を作ったことはない。冬雪のほうがこの街は長いはずなのに、ハルはいつも冬雪の知らないことでわくわくさせてくれる。そういうところも好きだった。
「はは。じゃあ、見終わったら作ろう」
そんな話をしているうちに花火大会の観客席へ着いた。車を専用ガレージへ仕舞って、チケットを持って入場口へ向かう。中では既に花火を見に来た観客達が座っていた。
本物の花火大会がどんなものか知らないが、区画された場所にパイプ椅子が並べられている。場所はどこでもいいらしい。
「どこがいいかな」
きょろきょろと辺りを見回す。前の方の一画に白スーツの団体がいた。あそこはやめよう。ウロボロスの人達だ。冬雪はいいが、ハルが絡まれかねない。
「あっちにしよ。後ろの方がいい」
真反対の後列を指して言った。ハルはそれについてきてくれる。
ハルがこのサーバーに入ってきた初日、タチバナが彼に声を掛けていた。真っ先に勧誘をしていたものだから、「初日の子にそんなもの渡さないで」と止めたのが冬雪だ。その後も何度か勧誘をされていたようだ。だから下手に邂逅するのは避けたい。
「よお、ハルくん。なんだ冬雪も一緒か」
背後から突然声を掛けられて肩を震わせた。せっかく避けたというのに、タチバナに見つかったらしい。
「どうも」
「こんばんは」
二人で同時に挨拶をする。冬雪は素材の取引、ハルはメカニックでの車修理でタチバナとは日常的にやりとりがあった。だからギャングのボスといっても怖くはない。それに、配信者として面白くなく倫理に外れたことをすると視聴者から総叩きに遭う。
「なに、君らカップルなの」
いや、と言いかけた口を噤む。否定はしたくないがタチバナに言いたい気持ちもあまりない。多分そうしたら街中に知れ渡るだろう。
「そうです」
驚いて画面の中のハルを見る。恥ずかしさも気まずさもなく言い切ってくれることが嬉しかった。冬雪との関係を知られてもいいと思ってくれているからだろう。
「へえ。じゃあ、冬雪のこと攫ったらウチに入る気になるかな」
「……断った上で助けるんで」
きゅん。心臓が射抜かれた。
白市民の、武力を持たない一個人がギャングのボスに喧嘩を売るような口答えをする。命知らずだ。でも格好いい。
「はは。いい勢いだ。せいぜい楽しめよ」
手を振って、タチバナは前方の自分たちの集団へ戻っていく。詰めていた息を吐いた。
「怖かった?」
「ううん。ハルがかっこよかったから、怖くなかったよ」
冬雪は動かさないまま、自分の首を振ってしまう。配信画面上のレイが動いた。
「あの人、もう俺のこと入れる気ないと思うから大丈夫だよ。誘拐されても、絶対助けるし」
「うん」
そのときは本当に銃を持って冬雪を助けてくれるのだろう。ちょっとだけ、ほんの少しだけ見てみたいような気もする。
ハルのプレイヤーがH4ruで、彼が元プロゲーマーだと知ったとき、実はギャングか警察で撃ち合いをしたかったのではないかと節介を案じたことがあった。実際本人にそれとなく、銃は持たないのかと聞いたこともある。その時は「そんな物騒なものいらないよ」と言われた。その物騒なものを手に取ってまで助けに来てくれる。できた彼氏だ。
視点を操作してまだ星のきらめきしかない空を見あげる。それから、頼は目を閉じた。自分と彼がこのゲームを続けている間だけでいいから、ずっと恋人のままでいたい。そう思った。
数十分後、司会の話のあとに花火が上がりはじめる。見ている場所が近いから音と光があまりずれていない。遠いところで見たら現実世界と同じように音と光が分離するのだろうか。それともゲームの都合上見えないのだろうか。
「綺麗だね」
「うん。ハルが作ったやつ、どれかなあ」
「色的にまだ来てないな」
「色?」
「うん。青と白にしたから」
青と白。冬雪の浴衣の色と同じだ。もしかして冬雪のことを考えながら決めてくれたのだろうか。いや、偶然かもしれない。でもハルなら有り得る。こんな風に自意識過剰になってしまうのがなんだか気恥ずかしかった。
「わ、青いっぱい来た」
そんな話をしているうちに、連続して青と白の花火がたくさん上がる。この中にハルが作ったものがあるのだろうか。
「きれー……」
ゲームの中とはいえ夜空に光が踊るのは綺麗だ。花火が上がっているうちに、一面空だった視点を切り替える。ハルと冬雪の背中、花火が入る画角を調整してスクリーンショットを撮った。花火の形が変わる度に、何枚も。
二十分ほどかけて色や形が様々な花火が上がった。最後は主催者の言葉で締めくくられる。感想を言い合いながら会場を出て行く人達の波に乗って、ハルと冬雪も外に出た。
「このまま花火作りに行く?」
車を出して運転席に座ったハルに問われて、うん、と返す。
「どこで作れるの」
「クラフトテーブルで出来るよ」
クラフトテーブルとは素材と素材を掛け合わせてアイテムを作る場所だ。街の中に三箇所ほどある。そのうちの近い場所へ向かっているようだった。
花火を作るのはさほど難しくなかった。どうやら素材を集めるのが面倒らしい。見たことのない素材があった。色を選ぶ段階になって冬雪はうーん、と声を上げる。
「何色がいいかなあ」
赤、青、黄色、緑、白の中から選べるようだ。二色組み合わせてもいいし、一色でもいい。
「青とかどう。冬雪っぽい」
「……ねえ、それって、ハルは私っぽいと思って青の花火作ってくれたってこと?」
ハルの提案に、花火を見ているときに思ったことをそのまま訊ねた。無言ののちハルがしゃがみ込む。
「え、なに、あたり?」
喜色の滲んだ声で追撃してしまった。照れているのかもしれない。そんなハルのことを、格好いいじゃなくて可愛いと思った。冬雪も同じモーションをする。二人してその場で小さな丸になった。
「うれしいよ」
「いいからはやく色決めなよ」
ふふ、と唇から溢れる笑いをそのままに花火の色決めに戻った。
「ハルは何色が好き? 白?」
「うん、白。言ったことあったっけ」
「ハルの車、白が多いから。この浴衣も白だし」
「浴衣の色は冬雪に合わせたんだよっ」
冬雪は白の花火を作ることにした。とはいえ一色だと寂しい。ハルの髪の色、という気持ちで黄色を二色目に設定して作成ボタンをクリックする。
花火玉がポケットに追加された。
「できた」
ハルは打ち上げ方を知っているのだろうか。この街のアイテムのなかには使い方次第でただ消費されてしまうだけのものもある。
「よし。じゃあ打ち上げよう」
白と水色のスポーツカーに乗って、北へ向かう。花火大会が終わってから一度昼が来て、再び夜になった。明けないうちに花火を上げたい。
「どこで上げるの」
「てっぺん。めっちゃ見やすそうだなと思って」
「いいね」
車で登れる小高い丘の頂上に着いた。エンジンを切ったハルが車を降りる。冬雪もそうした。
「これが打ち上げ台」
ハルがそう言うと彼の足元に鉄製のような小さな筒が現れる。これも花火づくりバイトのおまけだろうか。
「ここに向かって使用すればセットされて、ライターで火つけると十秒後に出る」
そういってポケットにライターが一個追加される。用意周到だ。頼は言われた通りにキーボードとマウスを操作して冬雪を動かした。ライターで火を点けると画面中央にカウントダウンの数字が出る。
「は、離れたほうがいいかな」
ゲームとはいえ、危険なものは危険であるように設定されている。発火した瞬間にダメージを受けて倒れでもしたら、せっかくの花火が見られない。
「こっちまでおいで」
スポーツカーを停めた場所でハルが手招きをした。走っていって、隣に並ぶ。視点を空へ動かすとカウントが一から零になって、パン、という音がした。
「わ、……」
ほとんど真下から見た花火は想像より丸くきれいな形だった。もしかしたらゲームならではの体験かもしれない。頼は本物の花火を真下から見たことなどなかった。
白と黄色の花びらがきらきらと輝いて消える。
「きれいだったね」
「うん」
たった一つだけなのに、自分で色を決めて作ったというだけで別の味わいがあった。花火大会もよかったけれど、二人だけで見る手作り花火もいい。
「本物の花火も見てみたくなっちゃったな」
思わず呟いた。ロールプレイから少し外れたことを言っても、ハルなら大丈夫だ。
「確かにね。一回くらいは行きたいな」
大人になってからも一度くらいは行ってみたいというのには同意する。
「じゃあ行こう。絶対誘うからね」
「はは。ありがとう」
星が瞬くだけの空を見上げながら、そう約束をした。
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支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
姫を拐ったはずが勇者を拐ってしまった魔王
ミクリ21
BL
姫が拐われた!
……と思って慌てた皆は、姫が無事なのをみて安心する。
しかし、魔王は確かに誰かを拐っていった。
誰が拐われたのかを調べる皆。
一方魔王は?
「姫じゃなくて勇者なんだが」
「え?」
姫を拐ったはずが、勇者を拐ったのだった!?
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