短編集【現代】

鈴花 里

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修羅場のぞき魔の末路

前編

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 それは、とある会社の屋上で割と派手めに繰り広げられていた。


『だから、あの女は誰だったのかって聞いてるのよ!』
『別に誰でもいいだろ。あんたに関係あんの?』
『関係って……。私達、付き合ってるんでしょ……?』
『俺にそんなつもりはなかったけど』
『……っ………最低!!』


 バシンッ!!

 何かを叩いた澄んだ音が響く。
 そのあとには、走り去っていく苛立ち含んだ激しめのヒール音。

(うわー。今回もひっどいわー)

 そして屋上には、二人以外の人影がもう一つ。
 物陰に身を潜め、二人の様子を最初から最後まで窺っていた物好き女――白石美春。

(まぁ、私も人のことは言えないけど)

 と、浮かべるのはなぜかバツが悪い顔。
 実は彼女――

 “他人の修羅場を覗き見るのが趣味”……だったりする。

 本人もしっかり自覚している“悪趣味”というやつだ。

 美春が初めて生修羅場を目撃したのは、今から四年前のこと。
 同じ部署の先輩を呼びに休憩室へ行くと、そこには先輩と先輩の彼氏、他にもう一人女性の姿があった。
 そして、見るからに慌てた様子の彼氏に、睨み合っている先輩とその女性。
 美春はピンときた。

 これは俗に言う“修羅場”かもしれない、と。

 一応、当時の美春は常識人だった。
 他人の自分がここにいるのは良くないと思い、忍者の如く気配を消して一旦戻ろうとした。
 しかし……。

 体はそれを拒否した。そこから一歩も動けなかった。
 つまり、美春は常識人ぶりながら誰より野次馬根性があったのである。


『この人とはどういう関係なの』
『私も同じことが聞きたいわ』
『え、いや、その、えっと……』


 二人の女に詰め寄られ、激しく目が泳ぐ一人の男。
 そこには、思わず目を瞑りたくなるようなハラハラドキドキの光景があった。さらに、今まで見ていたテレビドラマが滑稽にうつる瞬間でもあった。

(本物って……すごい)

 常識人ぶっていた美春は、リアルな臨場感に興奮を覚えてしまっていた――。

 そして彼女は、“修羅場のぞき”というイケナイ扉を開いてしまったわけだが……。

 正直、修羅場なんてものにそうそう遭遇するわけがなかった。
 一年に一回、遭遇するかしないか。それに正直、しない方がいいに決まっている。

(変な扉開いちゃったなぁ)

 と後悔しつつ、修羅場とは無縁の日々を送っていたある日のこと。

 そいつは、突然現れた。

 今年の春、別の部署から異動してきた四つ下の後輩――鈴村雅也。

 この男は、美春でさえ引くくらい、数多いる女達と争いを起こす逸材だった。

 鈴村は、社内で五本の指に入るほど見た目のいい男だ。つまり、女性社員に大人気ということ。
 当然のことながら、そんな彼に恋い焦がれる女達はたくさんいて。鈴村に恋人がいないと知るやいなや、我先に告白しようと雪崩込む始末。
 しかも、鈴村本人も相手は誰でもいいのか、誰とも知らぬ女の告白であっても断らないのだ。

 しかし、その代わり長続きはしない。

 どの恋愛も三ヶ月保てばいい方で、ひどい時には一週間もしないうちに破局。
 そして、別れ話のたびになぜか“修羅場”が勃発するのである。

 正直、今回は全然いい方で、過去最高にひどいかった時には女四人の激しい罵り合戦(口の他に手も足も出るやつ)もあった。
 それにはさすがの美春もドン引きだったが……。
 頭の隅では、『どんな名俳優もこれを再現するなんて絶対に無理だろうな~』と彼女は彼女で人でなしだった。

(やめないとって思うけど、なかなかやめられないんだよねぇ)

 美春自身、これが最低な趣味だとはわかっている。だからこそこんなこと、誰にも言うことはできない。
 しかし、鈴村という逸材がいる限り、美春が修羅場のぞきをやめることはないだろう。

(さーて。お仕事お仕事)

 大満足! といった表情を浮かべ、美春はすでに終息している屋上を後にする。
 しかし……。

 彼女はうっかりしていた。
 出ていったのは怒り狂った女だけで、屋上にはまだ――。


「……へぇ」


 煙草を咥えた口元に笑みが浮かぶ。
 それはまるで、新しいおもちゃでも見つけたと言わんばかりの、悪魔のような微笑みだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「美春先輩。ちょっと資料室までいいですか?」


 仕事中の美春にそう声をかけてきたのは、ついさっき屋上で修羅場っていたあの鈴村。


「置いてある場所がわからない資料があるんですけど」


 修羅場っている時とはまるで別人のように、にこやかな笑みを見せる鈴村。

 なぜ、他にも人がいる中で彼が美春を頼ってくるのか。
 それは、鈴村がまだ新入社員だった頃に教育係として面倒を見ていたから。
 そのため、何かわからないことがあれば、いまだに美春を頼ってくるのである。

 美春自身も、彼のそういうところは可愛いげがあると思っているため、頼られても嫌な顔はしない。

 しかし、困っていることはある。

 それは、鈴村狙いの女性社員にガンを飛ばされること。
 これにはさすがの美春も、毎回メンタルを削られている。


「いいよ。それじゃあ、行こっか」
「はい。お願いします」


 にこっ、とまるで絵に描いたような笑みを見せる彼に、美春はいつも思うことがある。

(彼、本当にさっきの人と同一人物?)

 修羅場っている時と、まるで別人に見えること。

 普段の鈴村は、話しかけやすい雰囲気のある、いつも柔らかな笑顔を浮かべているような人物だ。性格も穏和で、変な癖はない。
 しかし、修羅場中の彼はまるで違う。
 表情――特に、瞳が冷めきっているのだ。
 普段の彼からは想像もつかないほどに。

(一部の女性社員の間では悪い噂が広がってるけど。普段が良すぎるせいで誰も信じてないんだよね)

 そういう自分も普段の彼しか知らなかったらそんな噂なんて一蹴りするだろうけど、と思いながら小さく笑う。

 しかし、そんな一面を知っても幻滅はしなかった。少し驚いた程度。
 それは自分が教育係という立場で仕事のいろはを教え、周りの人よりかは彼との距離が近いせいもあるのかもしれない。
 美春にしてみれば、流せる程度のことだ。

 資料室に到着して、躊躇うことなく中に入った美春はうしろを振り返る。


「それで、置いてある場所がわからない資料って何?」
「美春先輩」
「ん?」


 トンッと軽く押され、資料棚に追いやられる体。
 美春の退路を塞ぐように、鈴村は棚に両手をつき、ぐっと距離を縮めてくる。
 突然のことに、美春は抵抗するヒマもなかった。

(な、な、なに、なぜ……!!?)

 自分の置かれている状況に大混乱。
 身を縮こませて、目は泳ぎっぱなしだ。


「ち、ちょっと、鈴村く」
「美春先輩、いつも見てますよね」
「な、何を!?」
「俺が女と別れるところ」


(あ。これ、死亡フラグ……?)

 大混乱はどこへやら。美春の頭は一瞬で真っ白になる。
 細心の注意を払っていたというのに、まさか気づかれていたとは思いもしなかった。フォローの言葉も浮かばない。


「い、いや、あのね、み、見」
「見てますよね」
「う、ううん!! 見」
「見てますよね」


 退路を完全に塞ぎ、息がかかりそうなほど近い距離で鈴村に見つめられ、美春は言葉に詰まる。しかも、鈴村の浮かべている満面の笑みが否定を許さないかのように、強烈な圧を放っている。


「…………」
「美春先輩」
「すみません。見ました。一回」
「嘘はダメですよ」
「見かけてた時は、いつも見てます」
「ですよね」


 にこー、と笑う顔が。
 今は怖い。


「あ、で、でも! 他の人に言ったりとかはしてないから!」
「本当ですか?」
「本当! 本当! それに関しては、神にも誓える! これからも言うつもりないし!」
「本当かな?」
本気ガチ!!」


 視線を合わせて力強くそう言えば、鈴村はうーんと少し悩む素振りを見せて――


「じゃあ、こうしましょう。覗き見したお詫びに、明日の休み、一緒にドライブしてください」
「はへ?」


 思わず出た、間抜けた声。
 どういうことだか、理解ができない。


「じゃあ、明日、午後一時に家まで迎えに行きますから」
「え、あ、ちょっ」
「準備して待っててくださいね」


 心なしか嬉しそうな笑顔でそう言うと、美春から離れて資料室から出ていこうとする鈴村。
 美春は当初の目的を思い出し、声をかける。


「す、鈴村君! 探してほしい資料は……」
「ありませんよ。二人っきりになる口実です」
「えっ」


 思わず、赤くなる顔。
 美春はその場に縫い付けられたかのように、鈴村の背中が見えなくなるまで動くことができなかった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「男の人と二人で出かけるのって、前の彼の時以来だなぁ」


 そんなことを思いながら、姿見の前で二、三着ほど洋服を合わせる。
 後輩の鈴村に取り付けられてしまった明日の約束。
 意味がわからないと思いながらも、美春は少しだけ浮かれていた。


「どこに行くのか教えてくれなかったし、スカートはやめておこうかな。山登りとかだったら中見えちゃう」


 久しぶりすぎて、思考も少しだけおかしくなっていた……。

 姿見の前で洋服を合わせながら、昔もこうやって服選びに時間がかかったっけ、とその表情が少し悲しげに歪む。

 四年前、美春には大学時代からの恋人がいた。
 大学卒業後、就職先はお互い別々の会社で、入社後は会うこともままならないほど、仕事でいっぱいいっぱいだった。久しぶりに会えた時には、ついはしゃいでしまうほど嬉しくてたまらない。
 きっと、彼もそう思ってくれていると、信じて疑わなかった。

 それから、就職して三年――。
 仕事にも、職場にも、随分慣れて余裕ができた頃。
 その日は一日外回りで、最後の会社を回り終えた後、そのまま直帰することになった。
 最後に回った会社の近くに偶然、彼が勤めている会社あって、なんとなく寄ってみることに。
 もし、退社の時間と合いそうなら、そのままどこかで一緒にご飯を食べよう。そう思って、スマホを取り出そうとした時、視線の先に彼を見つけた。時計を見て、辺りを見回しているその姿は、誰かを待っているかのようで。
 声をかけようと躊躇った次の瞬間。

 会社から出てきた一人の女性が彼に向かって走っていく。
 遠目からでも見えたその顔は、嬉しそうに高揚していて。
 軽い会話を交わした後、手を繋いで歩いていく姿を見てしまった……。
 スマホを取り出そうとしていた手が、ゆっくりと力なく落ちていく。人混みへと消えていく二人を、呆然と見つめる。そこから声をかけることも、動くことも、美春にはできなかった。

 それから……。重たい体を引き摺るようにして、ようやく家に帰った。
 恋人宛てに、『さようなら』と一言送って、すべて終わりにした。
 恋人から、それに対する返事が届くことはなかった――。


「あぁぁぁ! 嫌なこと思い出した!」


 そんなことがあった後。
 偶然目撃した修羅場に、美春は羨ましいと思ったのと同時に。あの時、何も言えずにただ見ていることしかできなかった自分を情けなくも思ったのだ。


「そう! あの時、二発くらいグーで殴ってやればよかったんだ!」


 思い出しては腹が立ち、虚しくなる。それからはなんとなく恋愛と遠ざかってしまって――。


「気がつけば、すっかり恋愛下手に……。しかも変な扉は開いちゃうし」


 もう笑うしかない。

(鈴村君は……覗き見したお詫びにって言ってたけど、どういうつもりなんだろ? お詫びのさせ方なんて、他にもっとあるはずなのに……)

 しかも、迎えにまで来てくれるなんて、と少しだけ気持ちが浮き足立つ……が。

(とりあえず、会社の人に見られないことを祈りますか。あとが怖いし……)

 最優先事項がちょっとズレている美春なのであった。



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